第51話「戯れ事」
「いやー、まさかそういうからくりがあったとはね。さすがに信じるわ」
腹筋を攻撃し続けていたなど夢に思わないだろう蟹江君が緑茶を嚥下する。冷めきったそれはよっぽど飲みやすかったらしく、一気に飲み干していた。
「まぁ、そういうことだ。さっきも真空に目撃者を探して貰ってたんだけどね。まさか雪崩が起きてるなんて……」
「応援も暫く来れないってことですよね?」
「本庁の方にも頼んでみましたが、この雪だと到着までにどれくらいかかるか……」
「ココの県警と本庁は仲が悪いんだよ。だから猿島は、こんな潜入捜査紛いのことをしてたんだろう。応援が来たとしても管轄の問題で好きにさせて貰えないだろうからな。もしかしたら良かったのかもしれないが。救急車が来れないとはな。寿命が縮んだよ」
「ですね。俺もこんな経験初めてですよ」
「アタシは初めてじゃないが、知り合いだと余計に怖いな。疲れたよ。でも、そうも言ってられないな。この天気なら外部犯の可能性は、ほぼ無い。ココに犯人を閉じ込められたのは僥倖だろう。これで犯人の狙いが分かったな」
「分かったんですか?」
「アタシが初めで、次に猿島が刺されたってことは昔の何かだろう。陽正と蟹江は恐らく関係ない。……恨まれてるみたいだからな。一度、顔を合わせた相手なら忘れないだろう。手荷物検査の時に見て回るか。陽正、目撃者はいたか?」
「野次馬の中にはいませんでした。発見者は仲居さんで、その他には誰も……どうやら悲鳴を聞きつけて集まってきたようです」
「中庭には、わざわざ行かないといけないからな」
「はい。仲居さんも夕飯時だからということで向かったようで」
「夕飯時になんでだ?」
「あそこには時計がないので、夕飯の時間だと知らず、中庭を見ている客がいるそうで、あの時間にはいつも足を運ぶと言っていました」
「成る程。無差別なら、それを知っている従業員を疑ったが、アタシに猿島とくればそうじゃないからな」
「ですね……」
「蟹江、猿島はいつからいなかった?」
「えっと……六時くらいですかね。七時に夕飯を運んできてもらうことになっていたんですが、テーブル一杯になっても戻って来ないので探しに行こうとしたところで、鍵を忘れて行ったことに気付いたんです。それで、すぐ電話を掛けたんですけど出なくて。数分おきに何回か掛けたんですけど応答がなかったので陽正に掛けました。それが確か七時五六分でした」
「その頃だったと思います。私も電話に出る際、時計を見たので」
「アタシも八時前だなと思った記憶がある。そういえば今は何時だ?」
「もう九時過ぎです」
「はぁ……豪華な料理をすっかり食べ損なってしまった……まぁ、いい。つまり犯行時刻は六時~八時の二時間の間。まぁ六時頃に騒ぎが無かったというあたり、七時過ぎから八時というとこだろう。夕飯時の人が捌けた時間帯を狙っているあたり計画的な犯行だな。常連客なら仲居が来る時間も分かっているだろうし……」
「それが、今日はいつもより遅かったようで……」
「どういうことだ?」
「いつもなら七時前後に中庭に向かうそうなのですが、例のヤクザの方が……」
「VIP待遇か」
「はい。色々と忙しかったようで八時くらいになったそうです。今日はもういいだろう、なんて話になっていたようですが、古参の仲居だったようで一応見ておくか、となったそうです」
「つまり犯人にもイレギュラーな展開だったと」
「そうなるかと」
立膝に肘を乗せた犬養さんが顎に手を添えている。緘黙した私達の間に流れるのは嫌な雰囲気の静寂だ。痺れた足を崩し蟹江君と狼谷君を盗み見ると、二人共何かを考え込んでいるかのようだった。
「あとは猿島が目覚めてから話を聞くのがいいか。もしかしたら犯人を見ているかもしれないしな。私達は手荷物の検査と聞き取りをしに行こう。真空と蟹江は猿島を頼む。何かあったら電話をくれ」
「分かった」
「分かりました」
「陽正、行くぞ」
「はい」
「まずは現場を洗う」
「はい」
襖を開き事件現場に向かう。血痕は既に臙脂色だ。犬養さんは虹彩に熱を灯しながら、何か手掛かりはないか、と探っていた。
身に沁みる寒さに凍えそうになる。窓の外に目をやると、相変わらず雪が激しく舞っていた。




