第33話「虚言」
「相容れるわけないんだよ。一線を越えた人間にしか分からないものがある。陽正が立ってる此方側と、アイツが立ってる彼方側。そこには線引きがあって、その線から一番遠い陽正に殺人犯の気持ちなんか分からない。でも分からなくていいんだよ。明日香も陽正も刑事でいたいなら理解しなくていいんだ。アンタの仕事は、ああいう人間を捕まえることなんだから」
「そう、ね」
いくら口舌を紡いでも、溜飲など下がらない。腹の底にストンと落ちることはないし、胸糞の悪さが和らぐことはなかった。
「陽正、応援を呼ぶぞ。それまで……」
「大丈夫。私は刑事なんだから」
「俺は、これで行くよ。学校に遅れちゃうし」
時刻は、せいぜい六時過ぎ。遅刻なんてするわけがない。それでも、いつも通りの〝嘘〟に安堵する私がいた。
彼の虚辞は人を殺さない。心を刺すこともない。それだけに犬養さんは彼を赦すことが出来るのだろう。虚言を笑っていられるのだ。
「狼谷君」
「なに?」
「ごめんなさい」
謝辞の意味を、彼は訊ねなかった。いつも通り揺らがない瞳には私が映り込んでいる。そんなになるまで、お互いを見つめ合う私達の心が、これから通うことはないのだろう。
狼谷君は自身を頼って欲しくないようだった。ならば、これは利害の一致と言える筈だ。私は、これ以上狼谷君に凄惨な事件に遭遇して欲しくはない。この真相は安易に人を頼ろうとした罰なのだ。確かに彼を頼れば、事件の解決は早い。けれども、それは一人の少年の心を犠牲にしているという事実のもと成り立っているのだ。そんな簡単なことにも気付かず、私は狼谷君に首を突っ込ませてしまった。なんという失態なのだろう。私は刑事である前に、一人の〝大人〟だった筈だ。彼も〝特別〟なんかじゃない。日常を生きる〝子供〟なのだ。
理不尽に怯えることのない世の中になればいいと思って夢を叶えた私は、どこに行ってしまったのだろう。三井の言葉で気付くことがあるなど、皮肉以外の何物でもない。
「これからはもう頼らない。私のことも助けたりしなくていいから」
所詮、私は狼谷君を利用しようとした汚い大人だった。過ちに気付いたのなら正していこう。私は正しい世界の中に在りたい。
「三井、精々しっかり罪を償うことね」
ニヤケ顔の殺人犯が私を嗤う。彼に放った口舌は、自分にも向けた言葉だった。何も言わない狼谷君の背が遠ざかっていく。それに背を向けて、私は歩き出した。
「蟹江君、応援を呼んでくれる? このままじゃ連行出来ないでしょ」
「ああ。陽正」
「なに?」
「いいのか?」
「うん。私、汚い大人にはなりたくないから」
曲がり角で消える背中を、今一度振り返る。目に焼き付けるにはあまりにも刹那的で、その願いは叶わなかった。




