第18話「己を虚しゅうする」
「最悪」
「待って! 待ってってば!」
足早に遠のく背中を目印に駆けていく。黄色いテープに戸惑ってしまったのが良くなかった。私は息を切らしながら、彼の肩をしかと掴んだ。
「狼谷君!」
「うるさい」
振り払われた手が宙を舞う。僅かに走った痛みに眉を顰めることすらせず、私は彼を見据えた。
「呼ばれてきたんでしょ?」
確信はなかった。それでも漠然と〝彼は付き合ってくれるだろう〟とは思っていた。
狼谷君の通学路に、この住宅街は入っていない。ましてやカラオケも店もない、この道を〝普通の男子高校生〟が通るわけがなかった。
「アンタ、本当に馬鹿正直だよね。まだ二回目なのに俺のこと信じてるんだ?」
「馬鹿で結構」
「馬鹿とは言ってない」
「馬鹿にはしてるでしょ」
「してるけどね」
「ほらー!」
「うるさい」
心底迷惑そうな表情をしているくせに、彼は一度も嘘を吐いていない。つまるところ勘が当たったことを示していた。
「はぁ……」
「溜息吐かないでよ」
眉根を寄せて抗議すれば、彼がわざとらしく呼気を吐いてみせる。風で靡く癖毛を目で追いながら私は目で訴えてみた。
「一家四人惨殺事件、とでも言えばいいかな?」
ああ、やっぱり彼は呼ばれてきたのだ。私は不敵な笑みを浮かべそうになる唇を諫めた。
通報があったのは今朝の六時。電話相手は恐らく犯人だろう。ボイスチェンジャー越しのくぐもった声で、彼ないし彼女は現場の住所を告げた。
不審な通報。こればかりは刑事の勘、と言わざるをを得ない。猿島警部に粗方話を聞いた私は彼に連れられ現場へ向かった。
例え理不尽な上司だとしても、彼はやはり〝刑事〟である。なぜ電話に出た婦人警官の話を聞いただけで〝事件〟だと分かったのか。私には分かる筈も無かった。自身も彼のように何十年も一課で働いていれば、こうなれるのだろうか。そんな思いで座る彼の助手席は至極居心地が悪かった。
件の住所は住宅街にヒッソリと聳える一軒家。曇天の影響か、早朝だからなのか。恐らくそのどちらもだろう。濃霧のせいで不穏な雰囲気を醸し出していた。
嫌な予感が四肢の温度を下げる。粟立つ二の腕を摩りながら私は呼び鈴を押した。ボタンが固い気がしたのは、自身の指が震えていたからだろう。緊張のあまり口は渇き、呼吸が浅くなっていた。
「出ないか」
「はい……」
呼び鈴は意味を為さない。この時点で嫌な予感が的中したのだと悟った。