第11話「嘘八百」
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「ココで合ってるよね?」
思わずそう口に出さずにはいられなかった。スマートフォンの地図アプリを何度も見直すも、どうやら間違ってはいないようだ。さて、どうしたものかと。彼の部屋番号を探す。
しかし、ココに人が住んでいるとは到底信じられなかった。何故ならそのアパートは、オンボロと言うに相応しい程、頼りない建物だったから。
二階建てのそれを見る限り部屋は八つ。非常階段にも似た階段は所々穴が見受けられる。勿論、転落防止用の柵も備え付けられてはいるのだが、右から三番目の部屋の前だけ丸々無かった。錆だらけの鉄制のドアも、ボロボロになっている壁も、とても家とは言えず小屋のようだ。
建築物の基準法に引っかかってはいないのだろうか。二階の住人が部屋を突き破って、一階に落ちてきたりはしないだろうか。思わずそう心配になる様相に、私は苦笑を浮かべ立ち尽くしていた。
「あ」
「え?」
「チッ……」
若い男の声が聞こえ、反射的に其方を見やれば、そこには心底嫌そうな顔で舌打ちをしている青年がいた。
「あ、あの、狼谷真空君だよね?」
「人違いでは? 俺の名前は武田 旬です」
「え、えぇ!?」
驚いた私には目もくれず彼はスタスタ足音を立て、すぐ横を通り過ぎる。
驚いている場合じゃない。犬養さんにも言われたじゃないか「彼の言う九割の事柄は嘘だから動揺するな」と。早速、狼狽してしまった事に関しては面目丸つぶれだが、こんな事で引き下がってはいられない。
「私、捜査一課の日辻と申します。先日の事件の事で事情聴取をさせて頂きたく……」
——聞いてない。
ガチャガチャと派手な音を立て鍵を開ける彼に一生懸命話しかけるも、全く此方を見ない様子に既に心が折れそうだ。まるで私が此処にいないかの如く無視を決める様は、此方が間違った行動をしているように思えて物凄く不安になる。弱々しく口を閉ざした私は、それをただ見ているしかなかった。
「どうぞ」
「え?」
「どうせ明日香に聞いてきたんでしょ。入らないなら締め出すけど」
(犬養さんを呼び捨て!?)
「は、入ります! お邪魔させて頂きます!」
暫く鍵穴と対峙していた彼は、その戦に終戦を迎えると口を開いた。その声音は、家の中へ迎え入れるとの言葉とは裏腹に、とても冷たく感情を孕んではいない。
「靴は脱いで。そこに座って」
端的に必要事項しか口にしない彼に従い、私は指定された座布団へ腰を下ろす。部屋を見渡せば外装よりは大分マシなものの、やはり壁も畳も古く、汚れがよく目立つ。
彼の所為ではないが、本当は座布団に腰を下ろすのも一瞬躊躇ってしまった。人としてどうだろうか、と罪悪感に苛まれ嘆息を吐く。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
白い湯気が視認出来る。それと同時に茶葉の香りが漂い、私は差しだされたマグカップを覗き込んだ。透明感のある鮮やかな緑色はそれが緑茶である事を告げ、その芳醇な香りは私が淹れたものとは全く違う。ゴクリと生唾を飲み込んで口を付ければ、豊かな香りが鼻孔を擽った。
「美味しい……」
「雑巾の搾り汁入りのお茶を美味しいなんて、奇特な人だね」
「ウェ……!? ゲホッ、ゲホッ……!?」
「嘘だけど」
そうだ。嘘に決まっている。私は彼がお茶を淹れる様をずっと見ていたではないか。咳込む私を余所に彼は優雅にお茶を嗜んでいた。
そんな彼を睨み上げるも、此方に一瞥くれる様子すら無く、私の密かな反撃は空振りに終わった。