第四話 決断
彼は申し訳無さそうに、というより自らに非がある様な表情でそう答えた。
「それはつまりどういう?」
その事にミルが言及しても、彼はただ口を紡ぐだけだった。
ここに来た。
その単語は、ここが自分がいるのと違う世界……夢であるということを、ミルのような人間に会わずに理解していたという証拠だ。
一瞬何かを言いかけたミルは、口を閉じて再び思案し始めた。
そうして又、静寂がその場を包む。微かな火が燃える音だけが鋭く響く。しばらくして、リンがふと声を掛けた。
「ヴェナーディさんって狩人、なんですよね」
「ん、そうだけど」
「どうやって生活してるんですか?」
「それはもちろん、魔物を狩ってそいつらから得た色んな素材を売って……」
「魔物から出た素材を買うのは?」
「それは呪術師や占星術師さ。彼らが使う妖術や占術にはそういうのがいるからね」
「ええッと、なんとか術というのは……?」
「ああ、妖術や占術ってのはいわゆる国の未来を視たりすることさ。国が絶対とする正教の一派から派生した占いでね」
彼の口から幾つもの、知らない単語が連発される。リンは、ただ気になって聞いたのが、何倍にもなって答えが返ってくる気分になった。
自分の世界に繋がる何かがあると思って聞いたが、聞けば聞くほどリンの頭の中は混乱していった。
「ええッと」
「まあ、国からしたら彼らの言うことは絶対らしいんだけど」
それでも彼は、淡々と喋り立てる。
「僕は根っから彼らを信用してはいないさ。無差別な魔物狩りを提案した彼らだからね」
壁に向かって、こちらを見ずに彼は語った。
淡々と語っている割には、話は長い。それだけ、何か思うところがあるのだろうか。
ミルとリンはその背中をただじっと眺めていた。
「もちろん、仕方なく、仕方なく請け負ってるよ。けどまあ、それも今はできなくなって……いや、今言ったことは忘れてくれ」
振り向き、少し喋り過ぎたのに気付いたのか、少しうつむいて彼は口を閉じてしまった。
「え?は、はい」
最初から置いてかれていたリンのテンポが遅れた相槌を待って、壁に寄っかかっていたミルが、彼女に外に出るように合図をした。
「すいません、少し外に出てきます」
「構わないよ」
男はそれを了解したが、それとは別に少し、自分の頭の中を整理したいという顔をしていた。
「彼のこと、分かった?」
外に出てすぐに、ミルはリンに声を掛けた。その表情は、すでに何かを掴んでいるかのようだった。
「ううん、狩人がどうやって生活してるのかも知らなかった」
塔の方を後ろ目でまじまじと見る。視界にはは、ほんのりとした明かりが入る。
「でも、喋っている時、何処か寂しい顔だったと思う……」
「そうだね」
ミルはそう言って、ゆっくりとその丘から見える景色を見渡した。少し遠くに、扇状に広がった明かりの数々が見える。
きっとアレが、彼の言っていた国なのだろうとミルは静かに睨んだ。
「あそこで何があったのか。ボクは、仕事上どうしても、分かってしまうんだ」
「仕事上?」
「ボクの仕事は、誰かを諭すとか、そんな優しい物じゃないんだ。抜けられなくなった夢を昇華させる。これがボクのやるべき事」
何を言ってるのか、リンはまだその時理解していなかった。けれどなんとなく、やるべきことが何かは伝わった。
「だからね、ボクは彼の過去も、思っていることも覗くことができる。もちろんその上でどう昇華させるのが最適か見定めるんだ」
たしかに、リンに記憶がないことを、ミルは一瞬で判断していた。
そう考えると、本当にこれはただの仕事としてこなしているだろうか。そんなにさっぱりと夢を終わらせていいのか。リンは少しだけ不思議に思った。
「……どうする。ここまで来て、そして彼とも会ったということは、君もそれなりには彼と関わらなきゃいけない。夢から醒めさせる人間として」
過去を、思いを。
彼のそれらを君は聞きたい?
ミルはそう、リンに問い掛けた。
そもそも仕事人ですらないリンに、仕事をさせるという事は、とてもリスクの高い事なのだ。
彼の夢にあまりに干渉してしまったり、違う方向に進めば、あるいは早まらせるなんて事をさせてしまえば。良い結果で彼を夢から覚めさせる事はできない。
例えば、夢で自害するものなら、もう起きる事はないだろう。
リンは口を開いた。
リンの……彼女の下した答えは。
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二人は煉瓦造りのその小屋に戻った。戻りながら、リンはさっきのミルの言葉を思い返していた。
ただゆっくりと、聞かされた真実とミルが感じた彼の思いを照らし合わせる。その感覚はまるで自分の頭の中で、パズルでも紐解いていくかの様だ。
そして小屋の中に居た彼が二人に声を掛ける頃には、その推理ゲームは心理戦へと移り変わっていた。
ミルの言った言葉。
「夢から醒めさせてあげなくちゃいけない」
この意味はきっと重く大きい。いやむしろ右も左も分からないリンにとっても、本当に重い。
あるいは、その質量こそ彼女が聞かされた彼の過去によるものだった。
「僕のことでも話してきたのかい?」
「は、はい」
リンは不思議な緊張と葛藤を感じていた。
緊張とは、下手に出れば彼が良からぬことをするきっかけになりかねない、というミルからの念押しからなるもの。
そして葛藤とは、リンがミルから聞いた彼の真実が本当なのかを問いただすべきか否かという板挟みの感情。
勿論ミルの言う通りそうするべきじゃない。きっと彼自身も過去を自分なりに飲み込んでいるのだろうし、これ以上の問答は意味のないものになるだろう。
リンはそれを分かっていた。けれど、本当に彼の今の思いがそうなのか、そこに疑問を感じていた。
「ええとリン、だっけ?」
「っ!?はい!!」
急に声を掛けられてリンは取り乱すように相槌を返した。
「僕のこと、分かった?」
「少し、だけ……」
彼の発言が、リンの心の中を見透かしている様な気もして、リンは茶を濁すように返した。
「そっか。まあ別に、僕のことを詮索してくれても構わないけどね」
「したところで、っていうことかな?」
ミルはまたさっきと同じ位置で彼を問い詰めた。ただその表情は、先ほどよりもまだ柔らかい。
「そのつもりさ。優柔不断な故にいつも何かを失う僕だからね」
「だから、夢から醒めても意味なんてない」
ミルの言葉に、ヴェナーディは一瞬呆気にとられた。それもそのはず、その言葉は
「まさか、本当に僕の心を読み取っているようだ」
「その、まさか。ボクだって、ただの探偵職じゃないんだ」
ミルは腕を組みながら、彼を見ていた。見ながら、彼がどうするべきなのか。そして、どうすればその最適解へと、彼自身の行動を誘導できるのかを考えていた。
「……あの、ヴェナーディさん」
リンが口を開く。
「私も聞きました、あなたのこと。でも、分かんないんです」
「何がだい?」
「あなたは、ちゃんとすべきことをしようとした。そして、私にはそれが良いことだと思えるんです」
月明かりは、もう小窓から差し込まない。ちょうど真上か、あるいは別の方角に行ってしまった。その場を灯すのは、揺れながらも確かなランプの灯火だけ。
「そして、あなたは目を覚ましても良い状況にある。ならなぜ、目を覚まさないんですか?」
「覚ましちゃ、いけないんだ」
彼は答えた。勿論、そう答えることもミルたちには分かっている。
「一応、尋ねます。それは、何故ですか?」
「……僕自身が、あの子を助けたい一つの理由さ」
彼は、席に座った。そしてゆっくりと息を吐く。そうしながら、横目でミルの方を見た。相変わらず車掌は、落ち着いた表情をしている。それは彼に、思っていることを嘘で誤魔化せないことを悟らせた。
「……分かった。話すよ、バレてるなら隠しても意味がない。それでまあ……正直、僕自身はこの仕事が好きじゃないんだ。魔物の全部が全部、悪い奴ってわけじゃない。いやむしろ、害を与えてるのはまっぴら人間側なのさ」
そして、彼は内に秘めていた気持ちや過去を全て曝け出した。