第三話「後始末─その3」
ルーファスが精力的に働いている中、ラーフィリスは自己嫌悪に陥っていた。
今回の【復讐代行】において、支払うためにベアータが奴隷となったこと、その事実を最も悲しんだのは間違いなくアニェーゼだろう。そのアニェーゼを慰めるわけではなく、逆に追い詰めてしまった。
アニェーゼが圭を責め立てた時は、まだ落ち着いていられた。しかし、金の亡者と罵倒された瞬間、頭に血が上り、気づいたらアニェーゼを殴っていた。
ラーフィリスが奴隷になったとき、圭はその時の全財産を使って彼女を買った。そして、すぐさま奴隷から解放した。金の亡者だというのなら、こんなことはしないはずだ。知りもせずに圭を非難したため、ラーフィリスは怒った、と自分では思っていた。
だが、実際のところは不安と疑念を打ち消すためでもあった。圭はかつてラーフィリスを救ってくれた。しかし、ラーフィリスにとって、その時の圭は見ず知らずの人間だった。
なぜ自分だけは、有り金全てを使って救ってくれたのか。当時の事を聞くと、圭はいつも気にすることはないと言っていた。それは、本当のことで圭は自分を救わざる負えない理由があったのではないだろうか。つまり、自分が奴隷になったのは圭がかかわっているのではないか。そう思うと、これまでの圭との関係が嘘になってしまうのではないか。ラーフィリスはそれを恐れていた。
確認すれば済むことなのだろうが、ラーフィリスは真実を知る勇気が持てなかった。
つまりは、そのことを意識させてしまうから過剰に反応してしまったのだ。ある意味八つ当たりともいえる行動であり、本心ではそれに気づいていたため罪悪感でいっぱいだった。
負の感情に一度支配されてしまえば、どんどんマイナスに物事を考えてしまう。
ヴァディムを殺したことが、本当にベアータのためだったのか。王都を混沌に落とし込みながら、結果はヴァディムたちが死に、ベアータは奴隷になった。
自分がやったことは無意味だったんじゃないか。元々は普通の少女であるラーフィリスは、そこまで悪い風に考えてしまうほど気持ちが落ち込んでいた。
「ラーフィリスちゃん。いる?」
コンコンというノック音と共に、声がかけられた。一階のパン屋を営んでいる老夫婦の妻だと気づいたラーフィリスは、ベッドから体を起こした。
アニェーゼにした仕打ちを気に病んだラーフィリスは、何もしたくなくて一日中部屋の中でうだうだしながら過ごしてしまった。パン屋の妻は、ラーフィリスの様子を心配して身に来たのだ。
「はい。どうしました?」
「新作のパンを作ったの。ちょっと味見してもらえる?」
そういってパン屋の妻はドライフルーツが混じったパンを、ラーフィリスに差し出した。パンケーキのような新作は、焼き立てのようで温かく、甘い香りが漂っていた。
──ぐうっ
匂いに誘われたのか、ラーフィリスのお腹が自己主張をし、彼女は赤面した。引きこもりのように家で過ごしていたため、ろくに物を食べていなかったのだ。
「……じゃあ、遠慮なく」
恥ずかしさを隠すように顔を伏せると、ラーフィリスはパンを受け取った。食べやすい様に一口大にちぎる。そのまま口に入れると、ドライフルーツと小麦の甘みが口に広がった。
(甘い……)
焼き立てのため、普通のパンより柔らかいそれは、口の中のだ液と交わって少しずつ柔らかくなっていく。中に入っているのはマンゴーのドライフルーツのようだ。噛めば噛むほど広がる甘みが、ラーフィリスの気持ちをほぐしていった。
「おいしいです」
「そう。良かった」
柔らかく微笑むパン屋の妻を見て、ラーフィリスからも思わず笑顔がこぼれた。
「ねえ、ラーフィリスちゃん。もし、明日の朝に用事がないなら、この新作を作るのを手伝ってくれないかしら?」
パン屋の妻は笑顔が出たラーフィリスに内心はほっとしつつも、その様子をおくびにも出さなかった。そして、申し訳なさそうな表情を繕いながら、ラーフィリスの気晴らしになる様にとお手伝いに誘った。
「ええ、喜んで」
いつもお世話になっている老夫婦のためなら、ラーフィリスは喜んで協力を申し出た。嬉しそうに微笑むパン屋の妻に、ラーフィリスも微笑んだ。
それから数刻ほど2人は会話を楽しんで分かれた。パン屋の朝は早い、手伝いをするためには早起きをする必要があるだろう。うだうだといろいろなものをさぼってしまったが、そうと決まれば準備が必要だ。
先ほどとはだいぶマシな精神状態になったラーフィリスは、キックブーツなどの手入れを済ませると、早々に眠った。
*****
パン屋の手伝いはラーフィリスにとって良い気晴らしになった。さすがにアニェーゼに自分から会いに行く勇気はまだ湧かないが、落ち着くことはできた。
というよりも、そのことを考える余裕がないくらいに忙しかったという事もある。
ソロヴァ王都ではかまどに税がかけられている。そのため、かまどがついている一軒家というのはかなり珍しく、ほとんどが食料を提供する店だ。圭が住んでいる集合住宅は、全員の共有物として税を支払っている。
税金は年毎に支払う必要があり、金額は規模に依存している。老夫婦が運営するこのパン屋では、税を押さえるために小さなかまどを用いている。そのため、一度に大量のパンを焼くことができない。
そして、かまどの温度を上げるために一定の薪が必ず必要となる。そのため、一度に多くのパンを焼かないと薪代がかさむことになる。よって、パンを焼く日は、出来上がるそばから次々とパンを焼き続けなければならない。
パン生地自体は発酵に時間がかかるため、前日から用意してある。しかし、天然酵母による発酵は時間だけでなく、安定さも異なるため、起床した段階で発酵状態を判断し、捏ね直す必要がある。また、状態を判断して焼く順番を決めるため、かなりの重労働だ。
半分以上のパンを焼く頃には日も登り、客が来るようになった。そのころには、一定のルーチン作業になっていたため、ラーフィリスは店番を任せられた。
焼き立てのパンを生ぬるいエールで流し込み、ラーフィリスは客の対処をしていた。
このパン屋では当日食べることを想定しているパンは、握り拳大で大銅貨1枚で販売している。小麦をメインにしており、炊き立てのうちに食べればかなり柔らかい。
一方で数日をかけて消費するパンは固く焼き上げられており、小麦とトウモロコシの粉をハイブリットさせたものだ。こちらは保管を考えているので、両手で描く円ぐらいのサイズがあり、大銅貨2から4枚で販売している。
サイズが大きいパンは、発酵状態に合わせて焼き上げるため、大きさがまちまちでありどうしても金額が上下してしまう。
当日食べるパンは値引き交渉を認めていないので簡単に捌けるが、サイズが異なるパンは個々に交渉が入るため、柔軟な対応が必要だ。酒場の店番もするラーフィリスは問題なく、適正な価格かやや高めにパンを売ることに成功していた。
「いらっしゃいませ……」
客足が途絶え、ラーフィリスが一息ついていた時に新たな客が入って来た。挨拶をしたところで、あることに気づき一瞬だけ彼女は言葉に詰まった。入ってきた男は黒色槍騎兵団の文様が入った外套を羽織っていたのだ。
表情を取り繕うことは復讐代行の仕事で慣れていたため、表情にまでは出さなかった。疑問を抱くことなく、騎士はゆっくりとラーフィリスに近づいてくる。若い騎士でしっかりとした旅装束をしており、これから出立することが伺える。
ラーフィリスは知る由もないが、ルーファスが話をしていた騎士であるクロードだった。
「パンを売ってくれ、日持ちがする奴を頼む」
「かしこまりました。こちらにあるのでお好きなのをお選びください」
クロードは悩む様子なく、形がよさそうなものを次々と選んでいく。何度か店番をしたことがあるが、はっきりと黒色槍騎兵団の騎士と分かる人間が入ってくるのは初めてだった。妙な運命を感じて、ラーフィリスは内心緊張していた。
「これをくれ」
「はい、ありがとうございます。大銅貨なら12枚、連合銅貨なら2枚、銀貨なら1枚です」
「じゃあ、銀貨で」
値引きもせずに購入するクロードから銀貨と布を受け取ると、ラーフィリスはパンを布に包んだ。普段なら余計な話を交えなかったが、思わず声をかけてしまった。
「あの…」
「……なんだ?」
「黒色槍騎兵団の方ですよね」
ラーフィリスの問いかけにクロードは一瞬だけ顔を顰めるが、すぐに表情を隠すと「そうだ」と回答した。
「まったく、有名になって仕方がない」
「すみません」
気を害してしまったと思いラーフィリスが謝罪すると、クロードは構わないといった様子で手を振った。
「ヴァディム副団長が悪いのさ」
予想外の一言に、ラーフィリスは表情を取り繕う事も忘れて呆然と目を見開いた。そんなラーフィリスの様子を見て、クロードは苦笑しながら「内緒だけどな」と言った。
「噂じゃあ聞いているだろうけど、一日でヴァディム副団長以下、多くの騎士が死んだんだ。この王都でそんな死に方をするだなんて、まともな騎士じゃなかったのさ」
そう言われて、不思議とラーフィリスは気持ちが軽くなった。ベアータが奴隷として売られ、圭とアニェーゼが仲たがいをした。王都は不安と混乱の渦に叩きこまれ、自分たちがやったことはただ悪戯に混沌を巻き起こしただけ。悪戯に死者を増やしただけ、そう思っていた。
もちろん、勝手な感情ではあった。だけど、意味のない行為ではなかったのだ。クロードの言葉は、確かにラーフィリスを安堵させた。
クロードはラーフィリスと短く会話をして、店を後にした。彼を見送ってからラーフィリスはこれからの事を考えた。
いつかは罰せられるかもしれない。だけど自分たちの行為は無意味なものではない。
後ろめたさや罪悪感が消えたわけではないが、彼女は前を向いて王都の騒動を受け止めた。そうすれば、いつかは圭の本心を知ることができる、そう信じて。




