第八話「ベアータの手紙」
「おい、ケイ。どういうことなんだ。もう一度言ってみろ!」
信じられないことを聞かされたアニェーゼは激昂した。顔を真っ赤に染めて圭の襟元をつかむと、壁へと押し付けた。かなり激しい動きだったが、圭は抵抗することなく、甘んじてその攻撃を受け止めた。
壁にぶつかった衝撃が振動となり部屋に伝わる。振動は入り口の燈明の炎を揺らした。影がゆらゆらと踊り、畳の上につかみかかったアニェーゼと圭を映している。
揺らめく炎に照らされたアニェーゼの顔は真っ赤に染まっていた。炎による赤以上に、その顔は真っ赤に染まっており、その怒りが深いことを示していた。
ヴァディムの屋敷で行った『復讐代行』は無事に完了した。総勢12人殺した4人は、肉体的にも精神的にも疲弊していたが、足早に屋敷を後にした。そして、アジトに集まっていった。いつもならば仕事が終わった後は、そのまま解散なのだが、今回は圭がアジトに戻るように指示を出した。
激昂したアニェーゼを見ながら、ルーファスは嫌な予感が当たったと顔を顰めた。
今回の『復讐代行』はかなり性急に事を進めていた。普通の『復讐代行』は、定まった曜日ごとに『龍の会』を開催して、競りを行うはずだ。しかし、今回のケースでは明らかに定められた日程による競りではなかった。つまり、特例ということになる。
そんな普段と違った仕事だったうえに、圭から全員でアジトに戻る指示を受けた時は、何か問題があったのだとすぐさま分かった。
ルーファスの予感は的中した。アジトに戻った圭は、なぜベアータがいないかを告げた。すなわち、今回の依頼費で足りない分を、ベアータ本人の体をもって支払ったと告げた。
どこからそんな大金を用意したのだろうと、疑問に思っていたルーファスは氷解するとともに深いため息をついた。指名手配されているベアータを買うような奴隷商、それはろくでもない奴だろうという事が手に取るようにわかったからだ。
奴隷と一言で言っても種類がある。普通の奴隷は本人の意志を確認し、どういった奴隷になるか決める。一方で、闇で取引される奴隷は別だ。最悪の労働環境である『鉱山夫』だけでなく、戦争時に使われる『肉壁』という可能性だってある。ベアータは騎士の従者だったため、せっかくの利点を活かさないような仕事にはつかせないだろうが、間違いなくろくでもないことになるという事は否定できなかった。
ラーフィリスは両手で顔を覆って沈黙を保っていた。今回の仕事はいつもと違うとは気づいており、予感はあったため驚くことはなかった。ただ、ベアータの行く末を思うと、かなりショックだった。
最も劇的な反応をしたのはアニェーゼだった。信じられないと口を半開きにして、呆然としていたかと思うと、突如眉を吊り上げ激昂して圭につかみかかった。
「言ったとおりだ。ベアータは依頼費を稼ぐために自分を売る決意をした」
圭はアニェーゼに掴まれたまま、胸元の内ポケットからベアータからの手紙を取り出した。アニェーゼは圭が取り出した手紙に目線を落とす。
「なに、それ」
「ベアータから手紙を預かっている。中身はまだ読んでいない」
その言葉を聞いて、アニェーゼはひったくる様に手紙を受け取った。圭はアニェーゼに掴まれて乱れた襟元を正しながら、片膝立ちで畳の上に座った。
「なんて書かれているの?」
顔から掌を離したラーフィリスがアニェーゼに問いかける。アニェーゼは乱暴に封蝋を取ると、内容を読み上げた。
「『皆さん。勝手な真似をして申し訳ありません。特に、アレスさん、ラーフィリスさんには大変お世話になったのに、相談もせずにごめんなさい。
素直に、皆さんを頼れば、きっと私だけは助かることができたのかもしれません。
でも、自分だけが助かることは許せなかったのです。ザック=チェスティの養女として、一矢報いてやらねばならなかったのです。
わがままばかりで本当にごめんなさい。皆さんがくれた温かさは忘れません。
せめて、私の依頼費がお役に立ってくれることを祈っています。ベアータ』……」
手紙を読み終えたアニェーゼは膝から崩れ落ちた。ラーフィリスは膝を抱えて体を丸め、顔をうずめた。付き合いがほとんどなかったルーファスだが、後味の悪い話に顔を顰めた。
そんななか、圭だけは無表情でじっとアニェーゼを見ていた。
「なんで止めなかったんだよ……」
膝立ちのままアニェーゼは顔をあげて圭を睨みつけた。瞳は充血しており、わずかに涙が浮かんでいた。
彼女にとって、ベアータはあまりに類似事項が多かった。救うことができれば、裏社会で生きるしかない自分も前を向いて歩けるのではないかと、そう思っていた。アニェーゼは、ベアータ自分を投影していた。それが、この結果となり口惜しさと悲しさで胸がはちきれそうだった。
「本人が決めたことだ。俺が止める事じゃない」
感情的になっているアニェーゼと異なり、圭はいたって平静だった。冷酷と言ってもよいくらいに感情を見せない圭を見て、ルーファスはいぶかしげな顔をする。
「こんなことなら……。さっさとヴァディム達を殺してしまえばよかった……」
「金にならない殺しはご法度だぞ。お前も、殺しをやるならわかってるだろ」
あまりに冷酷な圭の言葉に、アニェーゼは怒りで頭が真っ赤に染まった。「ベアータとアニェーゼはそういう運命なんだ」と言われたような気がした。
アニェーゼは膝立ちのまま圭へ飛び掛かった。圭は避けることができず、押し倒される。圭に馬乗りになったアニェーゼはボロボロと涙をこぼしながら怒鳴り散らした。
「金が入ればいいっていうのか!? 『龍の会』を通さなきゃいけないっていうのなら、僕たちが出してもよかったじゃないか!」
「自分の感情で殺すようになったら、俺たちはただの悪鬼だ」
「うるさい、この金の亡者が!
お前は金が欲しかっただけだろ!」
「おい、そのぐらいにしろ!」
再び襟元をつかみ、アニェーゼは圭を揺さぶる。ボロボロとこぼれる涙が圭の服を濡らしていく。ルーファスが落ち着く制止するが、一向に聞く様子が見られなかった。
そんなアニェーゼを止めたのは予想外の人物だった。ラーフィリスはアニェーゼの言葉に反応して立ち上がると、彼女に駆け寄った。
「止めっ!」
つかみかかったラーフィリスをアニェーゼが振り払う。しかし、ラーフィリスは意に返さず、彼女の顔を殴った。
──ボゴッ、という大きな打撃音が部屋に響き渡る。かなりの力で殴ったのか、馬乗りだったアニェーゼは吹き飛ばされた。
突然行われたラーフィリスの暴挙に、ルーファスは目を丸くして驚いた。さすがあの圭も驚いたのか、能面のように取り繕った無表情がはがれ、同じく目を丸くしている。
「ララ、何を!?」
「圭さんを悪く言うんじゃない!!」
驚いてアニェーゼがラーフィリスを見るが、大きな声で怒鳴られた。ラーフィリスはふぅーふぅーと荒い息を整えながら、目が真っ赤に充血している。
「アニに圭さんの何がわかるっていうんだ!
圭さんを悪く言うな!」
なぜラーフィリスがそこまで怒るのか、ルーファスやアニェーゼにはわからなかった。ラーフィリスにとって、圭は全財産を使って自分を救ってくれた人物だ。そんな彼の事を知らずに、金の亡者だなんていうのは我慢できなかった。
「なんだよ、なんだよ……」
そんなことを知る由もないアニェーゼは、自分が悪者にされて悲しくなった。嘆くようにつぶやくと、ベアータからの手紙を握りしめた。
目を赤くはらせながら、アニェーゼはアジトを飛び出していった。入り口近くに座っていたルーファスは、彼女を止めずにそのまま通した。
バタバタと外に出ていくアニェーゼを圭はぼんやりと眺めていた。ラーフィリスはそんな様子を見届け、畳の上にへたり込んだ。
「『流れる涙は雨となり、すべてを流すだろう。水精製』」
『水精製』の術符を取り出すと、圭は布を魔法で作った水で濡らした。濡れた布を丁寧にたたみ、ラーフィリスの目元に押し当てる。
「泣くな、ラス。俺は気にしていない」
「ごめん、ごめんね……ケーちゃん」
涙をぬぐわれたラーフィリスは、出会った頃のような呼び方をした。圭はラーフィリスを胸元に引き寄せると、子供をあやすように背中を撫でた。
「……アニェーゼにヴァディムをやらせたのは、このことを考えたのか?」
「これでヴァディムですら他のやつがやったら本当にやりきれないだろ」
「不器用だな」
ルーファスは顔を逸らしながら、圭に質問をする。予想通りの返答が帰ってきて彼は苦笑した。圭が無表情を繕い、冷酷な態度を取っていたのは、アニェーゼが怒れるように悪役を務めたのだとわかった。
「アニの奴、戻ってくるかな?」
「さぁな……」
アニェーゼが折り合いをつけるのか、それとも許さないのか、それは誰にも分らなかった。
こうして、『復讐代行』の夜は終わった。




