第三話「書斎の隠し棚」
ザック副団長の館に忍び込んだベアータと圭は、館内の騎士たちに気づかれることなく隠し棚がある部屋までたどり着いた。何度か騎士とすれ違うことがあったが、皆一様にして圭達に気づくことはなかった。あまりに気づかれなかったため、ベアータは騎士たちが自分をからかって気づかないふりをしているのではという妄想をするくらいだった。
件の隠し棚は書斎にあり、部屋の入り口は開いたままになっていた。しかし、中では騎士が待機しており、棚を動かしたりなどすればさすがに気付かれてしまうだろう。よって、2人は騎士がいなくなるまで待つことにした。
すぐ近くにベアータと圭がいるのに、気づかずに休憩をしている騎士は非常にシュールな存在であった。しかし、それと同時にいつ気づかれるかわからないという緊張感が疲弊を募らせる事となった。
ベアータはちらりと横目で圭を見た。圭は気負おう事なく、じっと騎士が去るのを待っていた。圭が耐えているのだ、自分が音を上げてどうすると、ベアータは心の中で自分を叱責した。
長く感じる時間だったが、実際のところは半刻もたたないうちに騎士は書斎から出て行った。
「ふう……」
「疲れたな」
思わずため息が出たベアータと同様に、圭も疲労をにじませて肩を落とした。あまりに圭が超人じみていたため、隔意をベアータは抱いていたが、疲れた彼の様子は親近感を覚えるものだった。
「よし、さっさとここから去りたいところだ。
隠し棚の中身は全部回収してくれ」
「はい」
圭から出た新たな指示は至極当然なものだった。ベアータもこれまで住んでいた家だったのに、なにも安らぎを感じさせなかった。ただ、苦痛と哀愁だけが漂っていた。
早く出たい、それはベアータも急ぎだったため、物音を立てないように歩きながら、隠し棚がある机へと近づいた。隠し棚というよりは、隠し収納と言った方が適切だろうなと、圭は思った。
ベアータが隠し棚を開く間は、圭が外を警戒することにした。理想を言えば書斎の入り口を閉じたいところだったが、違和感を抱かせてからドアを開けると『隠密』の効果が薄れる可能性が強かったため、閉めることができなかった。
この『隠密』という魔法の特性から、圭はこの魔法は意識の空白を利用しているのではないかと考えていた。視界の端に映っていても、認識をしていなければ意識に残ることはない。つまり『隠密』とは、そんな所に人がいるわけない、という脳の認識を利用しているのだ。光を操る魔法を使用するラーサス神殿ではなく、精神的な魔法を得意とするエルドラード神殿で『隠密』の魔法が教われるのも関係あるかもしれない。
なお、この魔法はエルドラード神が結婚前に、ラーサス神をストーキングするのに使用したといわれている。
ベアータは机の引き出しの底で何かを行ってから、引き出しをひらいた。カタンという音が書庫に響くと同時に、引き出しの底板が抜けて、下部に仕掛けられたスペースが露わになった。
「空きました」
「よし、中身を全部回収しよう」
隠し棚は机に仕掛けられており、引き出しを開ける前に底の鍵穴に特定の鍵を差し込んでから開くと、底板がずれて隠されていた収納スペースが開かれる仕組みだった。知っていれば簡単な仕掛けであり、ベアータはさして苦労することなく、隠し棚の中身を回収できた。
隠し棚の中には長方形の箱が入っていた。箱の大きさは掌4つ分よりやや小さく、厚みは指の関節2本程度だった。重みが感じられたが、持ち帰るのに差支えがあるほどではなかったため、ベアータは両手でしっかりと握った。
「用事は済んだし、早いところここから出よう」
「わかりました」
目的の物が発見でき、ほっとしたのも束の間、廊下を歩く足音が聞こえた。足音はだんだんと書斎へ近づいてくる。圭はベアータに向かって手招きをすると、意図を理解した彼女がゆっくりと近づいてきた。
「『光あるところに夜が生まれる。夜が身を隠してくれる。隠密』」
距離が離れたことによって魔法が途切れたことを警戒し、圭は再び『隠密』の魔法を使用した。この魔法の最大の弱点は、自分の姿を自分で確認できるため、本当に効果が出ているのかわからないことだ。
書斎の中に入って来たのは若い男の騎士だった。黒髪が特徴的で、軽装をしている。黒髪、すなわちエルドラード神の加護を示す色を見て、圭は嫌な予感がした。ジャケットの内側に縫い付けてある術符入れに指を突っ込み、目的の術符を指に挟んだ。
若い男はきょろきょろと左右を見回し、圭と目があった。
「──ッァ!!」
警戒していた圭の動きは迅速だった。若い騎士の目が見開かれるのと同時に、素早く近づくと、腹を鋭い拳で打ち抜いた。鍛えられた圭の拳が、騎士のお腹にめり込んでいく。
「がっ!」
若い騎士は口の中にあふれる酸の味を味わいながら、腹から広がる痛みに悶えた。圭は容赦なく、前かがみになって低くなった顎を蹴り飛ばした。
「──ゴフゥ!」
顎を蹴られた衝撃でバランスを崩した騎士は、したたかに地面へ倒れた。ドンという鈍い男が屋敷内に広がっていく。仰向けに倒れた騎士は、腕を使って上半身を起こすと、苦しそうに嘔吐した。吐瀉物は胃酸と昼食の一部であり、血が混じっている様子はなかった。
圭は素早く騎士に近づき、指に挟んだ術符を顔に近づける。
「『涙を流さないで、私が子守唄を歌ってあげる。安らぎの眠り』」
眠気を誘う魔法を浴びて、意識が朦朧としていた騎士はそのまま夢の世界へと落ちた。吐瀉物がのどに詰まって死んでも目覚めが悪かったため、圭は酔っ払いにする回復体位を取らせた。
「なんで気づかれたんでしょうか……」
「エルドラード神の加護が強かったんだろうよ。
それより、今の音で間違いなく誰か来る。
急いで逃げよう」
ある魔法を使用できる才能があるという事は、その魔法に対する耐性を持つという事でもある。『隠密』という魔法は、エルドラード信徒が覚えやすいため、当然エルドラード信徒は『隠密』に対する耐性を持っていた。
だが、それだけで気づかれたのは説明ができないため、恐らくこの騎士は物音でも聞きつけて様子を見に来たのだろうと推測できた。先ほど、ベアータが隠し棚をひらいた際に響いた音を聞きつけたに違いなかった。所詮は意識の狭間を利用して隠れる魔法だ。耐性を持っている上に、警戒もされてしまったら、あっさりと気づかれてしまうものだ。
むしろ、良く持った方だと圭は思っていた。
圭はベアータの手を引いて廊下に出た。どこから逃げようかと考えていると、目の前にはちょうど良く窓があった。目的の物は手に入れたので、強引に外へと逃げても問題はない。圭は窓から脱出することにした。
「よし、窓から行くぞ」
ベアータのほうを向き、圭が方針を話すと、彼女は廊下の先を見ていた。圭もそちらを見ると、何の変哲も無いように見えた。しかし、良く目を凝らしてみると、床が黒く変色しているのがわかった。そこは、ベアータを逃がすために執事が道をふさぎ、切り殺された場所だった。
彼女のために立ちふさがった使用人が助からないだろうとベアータは分かっていたが、その痕跡を目の当たりすると辛いものがあった。
圭は唇を強くかみしめているベアータの腕を強く引いた。
「死んだ人間の意志を継ぐのは、生きた人間だ。
立ち止まっている暇はないぞ」
「は、い」
圭とベアータは窓から館を出て、そのまま大通りへと姿をくらませた。
幸いなことに、逃げるところを見られることはなかったが、何者かがザック副団長の屋敷に忍び込み、騎士を襲った情報はすぐさまヴァディムまでに知らされることとなった。




