第四話「アニェーゼ、ラーフィリスを頼る」
王国全土を覆った雨は夜中のうちに止み、朝方に冷やされた大気が濃霧を生んだ。アニェーゼはベアータを変装させると、裏稼業の仲間の一人であるラーフィリスの家に向けて足早に向かった。朝霧が二人の姿を隠し、誰かに見咎められることはなかった。
昨日まで後頭部でまとめられていた長い髪はバッサリと切られ、ベアータはベリーショートの髪型になっていた。さらにアニェーゼの手でボーイッシュなメイクを入れられており、くすみのあるアッシュグレーの髪色と合わせて、男性的な雰囲気を出していた。よほどしっかりと見なければ、彼女がベアータと気づくものは少ないだろう。
「こっちだ」
「はい」
先導するアニェーゼに、ベアータは素直についてきている。わがままを言わないのは幸いだとアニェーゼは思ったが、よくよく考えてみると厄介事を押し付けられた上に、わがままを言われたらたまったものではない。
「アレスさん、どこに向かっているんですか?」
「知り合いのところさ、お嬢さんがいるにはあそこは適切じゃないからな」
昨晩のうちに、アニェーゼはアレスという男性名で自己紹介をしていた。その際にベアータの事情は聴いており、できる限り彼女の力になろうとアニェーゼは思った。
ベアータを救うと決めた以上、行動は迅速に行わなければならない。そこで、新たな潜伏先として、ラーフィリスの家に向かった。迷路横丁は追手が入りにくいという意味では潜伏先として最高だが、裏社会を知らないベアータに留守番をさせるには不安がある場所だ。それに、迷路横丁の法が追手を排除する方に行くか、アニェーゼとベアータを排除する方に行くか読めないこともある。というよりも、ベアータを騎士たちに売りつけるくらいのバイタリティがある人間が大半であり、危険性の方が高い。
2人は西南地区でも、比較的治安が良い上に良心的な金額で住居や店を構えられる場所についた。迷路横丁に住居を構えているような人間が知り合いを持っているとは思えない場所であり、ベアータは意外そうに周囲を見る。まだ早朝であることもあり、普段は様々な店が開いているが、今は閑散とした様子で、朝霧が深いことからまるでゴーストタウンのようだった。
アニェーゼは1階がパン屋になっている高層住宅の中に入って行く。ソロヴァ王国では限られた空間を有効活用するために、住宅は高層化することが多い。また、職人や商人といった商売人がほとんどなため、1階はその商売人の店で、2階以降が住宅になっていることが多い。
この住宅は、老夫婦が運営しているパン屋で、子供も弟子もいないため、使用していない3階の住居をラーフィリスが賃料を払って住み込んでいた。アニェーゼは知らないことだが、ケイがこの老夫婦の知り合いであり、そのコネを使ってラーフィリスを住まわせている。
慣れた様子で開店前の準備をしている老夫婦に会釈する。老夫婦は人のよさそうな笑顔で挨拶を返し、ラーフィリスは3階にいると告げた。頻度良くラーフィリスのところに遊びに行くため、アニェーゼは顔を覚えられていた。
3階へと昇り、ラーフィリスの部屋をノックすると、中から返事が返って来たので、部屋の中へと入った。
「あれ……?ア──」
「やあ、ラーフィリス。元気だったかい?」
「──どうしたの、アレス?」
アニェーゼと声をかけそうになったが、気取った男の喋り口調で声を被されて、部外者がいることをラーフィリスは気づいた。廊下の奥を覗き込むと、ベアータが不安そうにこちらを見ていた。
「なに? 誘拐でもしてきたの?」
「そんなわけあるか」
ベアータが緊張している様子だったので、解きほぐそうと思い、アニェーゼは軽口をたたく。内容が気に入らなかったのか、アニェーゼは面白くなさそうに反論した。
「じゃあ、誘惑でもしてきたの?」
「違うよ。頼みがあって来たんだ」
真面目な顔で頼みこむアニェーゼの様子に、ラーフィリスは厄介ごとの臭いを感じて渋い顔をした。そんな彼女の様子を見て、ベアータがアニェーゼの服を引っ張って制止する。
「アレスさん、いいです。申し訳ないですよ」
「大丈夫だって、彼女はラーフィリス。見ての通り頼りになるやつだ」
「見てもわかりませんよ、じゃなくて……
だって、アレスさんの彼女じゃないんですか?」
「違う、断じて違う」
てっきりラーフィリスはアニェーゼの恋人かと、ベアータは勘違いをしていた。そのため、恋人のところに別の女を預けるという、男として最低な行動をとろうとしているかと思ってしまったのだ。一方で、見当違いな推測をしているベアータに対して、アニェーゼは強く否定をした。彼女は女好きではない。
「違うよ。アレスはただの友達だよ」
「そうなんですか……」
必死に否定するアニェーゼに対して、ラーフィリスは苦笑しながら否定した。ラーフィリスは地球で言う所の中東風の顔立ちがくっきりとした美女で、アニェーゼと並ぶとまさに美男美女のカップルに見えた。お似合いとしか言いようのない二人に、ベアータは間違いなく恋人なのだろうと思っていた。
「それで要件なんだけど……
すまないけど、彼女を匿ってくれないか? 彼女はベアータ」
「べ、ベアータです」
「匿う……ねえ……」
ラーフィリスはじろりとベアータを値踏みした。女性にしては珍しいくらいに短い髪型に、普通の市民のような恰好をしている。しかし、動きや仕草が作法を習っていたことを感じさせ、どことなく育ちが良い匂いがした。
それだけではなく、鍛えられたとみられる体つきもしていた。おてんば娘か、女従卒かそこらへんだろうとラーフィリスは予想した。
「アレス、わかってると思うけど。面倒事はご法度だよ」
「彼女は騎士に追われてたんだ、仕方ないだろ」
「普通は逆だよね。騎士に追われてたんなら差し出すべきだ」
騎士に追われていたという事は犯罪者という事だ。そんな相手を好き好んで匿うだなんてどうかしている。アニェーゼのあべこべともいえる思考回路にラーフィリスは呆れてしまった。
差し出すという言葉に反応したのか、ベアータがびくりと体を震わせた。そんな様子を見て、ラーフィリスはため息をついた。
(これじゃあ、私が悪者じゃない)
ラーフィリスが思ったことは、奇しくもアニェーゼがベアータを匿うことを決心した直前に思ったことだ。バツが悪そうなアニェーゼを見て、ラーフィリスは彼女の気質を何とかしないといけないなと思っていた。
アニェーゼは騎士やラーサス神殿を嫌う。正確には体制を嫌うといったところだろうか。彼女の過去に起因するのか、治安維持といった国が支配する部分を妙に嫌うのだ。生粋のアウトサイダーというわけではないと思われるが、初めてルーファスが仲間になった時は、それは嫌がったことをラーフィリスは覚えている。
かといって悪党というわけでもなく、考えようによっては、白の神官であるルーファスは清濁併せ持った気質も持っているため、彼よりも正義といったものを信じているたちでもある。
純粋さと反骨精神、その両面を持っているのがアニェーゼという女だった。
それ故に、一度こうすると決めた限りベアータを見捨てるという選択肢を彼女はもっていないだろう。それがわかっている以上、ラーフィリスはせめて被害が広がらないようにするしかなかった。
「どうしてアニェーゼがそういうことをするのかは詮索はしない。
詮索はしないけど、厄介ごとを自分から引き寄せるのはやめてほしい」
「転がり込んできたんだ」
「自分から匿っているじゃないか」
言い訳をするアニェーゼを呆れた顔で見ていると、ベアータはアニェーゼの前に出て頭を下げた。
「迷惑をかけてごめんなさい。お願いです。
私は養父の濡れ衣を晴らしたいんです!」
必死に頭を下げてお願いをするベアータに、ラーフィリスも無下にはできないと感じた。また、父親の濡れ衣という言葉はアニェーゼだけでなく、ラーフィリス自体も感じ入る言葉だった。
「しょうがないなぁ……」
「あ、ありがとうございます!」
仕方が無さげに諦めた笑顔を浮かべるラーフィリスに、ベアータの笑顔があふれた。アニェーゼはそんな様子を見てほっと一息をついた。
「わるいな、ラス」
「ケイさんには話すよ」
「……マジで?」
アニェーゼにとって最も避けてほしい名前が出されてうめき声をあげた。ラーフィリスを協力者に選んだのは、どちらかというと許してもらえる可能性が高かったからである。裏社会に精通しているケイの方が、能力的には断然頼りになったが、間違いなく事情を話せば怒られ、場合によっては切り捨てられる可能性が高いと思っていた。
だが、ラーフィリスにとっては当然であり。ケイに協力を要請するのは必然とも言ってよかった。
一方で、初めて聞く名前にベアータはきょとんとした。
「ケイという方は……?」
「私にとって一番頼りになる人だよ、ベアータちゃん。
アレスが私を頼ってきたのはうれしいけど、ケイさんが一番頼りになるよ」
「なんで、ララは圭をそんなに信用するんだ」
自信たっぷりに言うラーフィリスに、アニェーゼは理解ができないといった様子だった。アニェーゼにとってケイは、闇の仕事をする香具師である。それに裏社会で生きるような女性ではないラーフィリスを巻き込むような男だ。
「詮索しないでよね」
ラーフィリスのケイに対する信頼は揺るがないようで、悪戯気に微笑んだ。




