第一話「騎士の娘、逃げる」
連合王国の1国である、ソロヴァ王国には梅雨がある。六神教の世界において、梅雨は主神ラーサスと、その妻エルドラード神の夫婦喧嘩を表している。クレイジーヤンデレストーカーな妻は、この時期になると夫を独り占めにしようとし、分厚い雲で地表を隠してしまう。この雲は、エルドラード神がマラリーナ神に頼んで用意させたものだ。嫉妬深くてどうしようもないエルドラード神ために、マラリーナ神はいやいや地表を雲で覆う。雲でラーサス神の加護を覆う代わりに、せめてもの慰みにと、マラリーナ神は雨を降らすことで地表へ恵みを与えている──と、神話ではなっている。
そんな恵みの雨が降る中、1人の少女が走っていた。
「ハア、ハア──」
少女は長い髪を頭頂部でまとめ、ポニーテールにしていた。雨の中で走り続けているため、服や髪はびっしょりと濡れていた。ポニーテールの一房が緩み、こめかみから垂れ下がっていた。そこから、彼女が長い時間、この王都を走っていることが伺えた。
走るたびに、左右へ水滴を降らせるが、それよりも多くの雨が彼女の体に降りかかっている。この国は、梅雨の時期も気温も高いため、めったに風邪をひくことはない。しかし、全身ずぶ濡れになっているだけでも大きく体力を消耗していた。
「逃げないとッ……!」
少女は必死な気持ちで、雨の町を駆け抜けていった。彼女の服は質が良く、育ちの良い娘であることが分かった。そんな少女を追いかけるものは、如何なるものか。走り去った数分後に、男たちが現れた。彼らも全身を雨に濡らしながら、ずっと走って来たため息が荒くなっている。彼らは一度落ち着くために、足を止め呼吸を整え始めた。
「糞、どこに行きやがった」
「逃がしただなんて知られたら事だぞ」
「ザック副団長、娘さんにどんな育て方をしているんだ」
「元副団長だ。元々、従卒にするために引き取ったって聞いてたぞ」
「じゃあ、お転婆で正解ってわけか……」
彼らはある貴族に仕える騎士だった。極秘の任務を受け、自分たちの上司だった副騎士団長ザック=チェスティの娘である、ベアータを追いかけていた。ザックの家でベアータを確保したまでは良かったが、馬鹿のせいで逃がすことになった。
「あの馬鹿は、いつうちらの騎士団に入って来たんだ?」
「ヴァディム副団長の縁故だよ」
「納得いった」
ヴァディム副団長とは、彼らが所属する騎士団で自己掲示欲が強い男だ。そんな自己中心的な男が入れた騎士ならば、太鼓持ちか似たような者になるだろう。馬鹿と呼ばれた者は、騎士というよりはチンピラとしか言いようがないくらいに粗野な男だった。
「……ザック副団長が、騎士団長を殺しただなんて信じられねえよ」
「元だ……。俺もそうだが、そうである以上、娘も確保しなければならない」
「……いっそ逃がすか?」
「良い、アイディアって言いたいところだけど……間違いなくあの馬鹿じゃなくて、娘を逃がしたのは俺らの責任になるぞ」
騎士団内には大きく3つの派閥があり、中立派、ヴァディム派、ザック派に分かれる。ザックが死んだ以上、ヴァディム派の勢力が強くなるだろう。そして、ザック派だった騎士たちは閑職へ追いやられていくことになる。この二人は中立派だったが、これからはヴァディム派が一強になっていくに違いない。揚げ足を取られないためにも、少しでも経歴に傷になりそうなことは避けねばならなかった。
「……それに、あの馬鹿が先に娘さんを捕まえたら何をしでかすかわからんぞ」
「そうだな……急ぐか」
あまり愉快な話ではないが、中が娘を見る目は若干の劣情が混じっていた。何をしでかすかわからない。
2人は聞き込みをしながら、雨の中を走っていく。そして、それがある場所へと近づいていくのにつれて困惑を強めていった。西南地区の暗部、通称迷路横丁、一般的な女性だったらまず近寄らない場所へとベアータは逃げ込んでいた。
詮索無用、厄介ごと持ち込み禁止、無法ではなく、迷路横丁の法が支配する裏社会。存在する刑法はただ一つ、私刑のみである。当然、騎士の娘が逃げ込むような場所ではなかった。
*****
騎士たちに追われていた少女、すなわちベアータは混乱しながら逃げていた。逃げねばならないことは確かだが、なぜ自分が逃げなければならないのか、どこに逃げればよいのかわからなかった。
始まりはほんの数時間前、養父と同じ騎士団に所属しているという男たちは、突然家に上がり込んできた。
「ザック=チェスティの娘、ベアータだな」
「はい、そうですが……」
その男たちは、突然現れた。従卒になるために、日課の体力作りを終えて、家で養父の帰りを待っていたベアータに対して、家に勝手に上がり込むと、乱暴な口調で誰何した。
「貴様の父は騎士団長を殺した容疑で処断した。
証拠の確保に家宅捜査を行う」
「そんな……何かの間違いです!」
「どけ!」
騎士とは思えない粗野な男が言いたいことだけ言うと、ベアータの反応も聞かずに中へと入って来た。咄嗟に道を防いで抗議を続けるが、粗野な男はベアータを突き飛ばして、中へと入って行く。しりもちをつき、床へと伏す彼女を気遣いもせず、ずかずかと家へ入っていった。
騒ぎを聞きつけた、使用人が奥から出てきた。初老の使用人は、ザックに恩義があり忠誠を誓っている。養女であるとはいえ、大事な当主の娘を突き飛ばしたのを見て、怒りながら奥から飛び出してきた。
「お嬢様?! 大丈夫ですか!」
初老の使用人はベアータに駆け寄り、彼女の背中を支えて体を起こした。怪我が見られないのを確認してから、粗野な騎士をにらみつける。
「何をするのです! それが騎士のすることですか!?」
「犯罪者の娘につける気遣いなんぞないわ」
吐き捨てるように言った騎士に対して、使用人は絶句してしまう。そんな様子を見てられなかったのか、後ろからついてきた別の騎士が、粗野な騎士の肩をつかんで抗議した。
「モヒーナ! いい加減にしろ。市民に手をあげるのが騎士のやる事か」
「犯罪者は市民なんかじゃねえよ。それになれなれしいぞ、お前?
俺はヴァディム副隊長の直属だぞ? 立場をわきまえろよ」
モヒーナはそういうと、窘めた騎士の頭を人差し指でついた。騎士はむっとしながらも言い返すことをしなかった。圧倒的な力関係の差がそこにあると、手に取るようにわかる。
そんな様子を見て、使用人はベアータに耳打ちをする。
「お嬢様……状況はあまりよろしくないようです。
ご存じでしょうが、ヴァディムは当主様の政敵……。処断したという言葉が事実なら、もはや、我々に未来はないでしょう」
ベアータの父ザックと、ヴァディムという騎士は、次期団長の座を競い合う政敵であった。ザックが処分され、騎士団長が殺されたのならば、騎士団の力をヴァディムが掌握したに他ならない。必ずやザックや、ベアータ、彼らにかかわる者は共犯として処断されるだろう。
「どうしろというの……?」
「お逃げなさい。私は当主様に返しきれぬ恩があります。
せめて、お嬢様だけでも守れなければあわす顔がございませぬ」
「できないよ」
「お願いします。私を救うと思ってお逃げください」
懇願するように使用人はベアータに頭を下げる。長い関係が、使用人の覚悟を感じさせ、ベアータは涙をこぼした。彼がい死ぬ気でベアータを逃がそうとしているのがわかったからだ。
「……わかった、ありがとう。本当にお世話になった」
「勿体ないお言葉です、さあ!」
力強く、使用人に背中を押されてベアータは立ち上がると、玄関に向けて走り出した。揉めていた騎士たちは、ベアータの突然の動きに反応できず、逃がしてしまう。
「まて!」
モヒーナが制止し、追いかかけるがベアータは止まらない。また、モヒーナの進路を邪魔するように使用人が行く手をふさいだ。
「ザック様不在の間は、私が家を守る者です。これ以上の狼藉は許せません!」
「ほざけ!」
頭に血が上ったモヒーナは剣を抜くと、使用人を袈裟斬りにした。鮮血が飛び散り、壁を汚す。使用人は致命傷を受けて崩れ落ちる。一矢報いるためか、玄関をふさぐような形で倒れ伏して、死んだ。
「くそ、邪魔だ」
「モヒーナ! 貴様何をしている!」
「捜査の邪魔をするからだ! どうせ、重罪人として死ぬんだ。今だろうが、後だろうが一緒だろうが」
逃げながら背後に聞こえた声で、ベアータは使用人の死を悟ったが、彼の思いを無駄にしないためにも、振り向かずに逃げて行った。
*****
そして使用人の勇敢な犠牲のおかげで、ベアータは王都西南部の暗部、迷路横丁まで逃げ出すことができた。養父、使用人の無念を晴らすためにも、捕まるわけにはいかない。迷路横丁は犯罪者の巣窟で、騎士の娘が行くような世界ではない。しかし、今まさに犯罪者の娘として追われているベアータが逃げ込むにはふさわしい場所だった。
問題としては、ベアータに迷路横丁のコネがないという事だ。
依然として、雨がベアータに降り注ぐ。日の光、すなわちラーサス神の加護がないから、自分は無実の罪で追われているのだろうかと、ベアータは嘆きたかった。さらに、足音が近づいてくるのをベアータは感じた。このままでは捕まってしまうだろう。
一か八かの、賭けに出る必要があった。
「ここは……」
目の前にある店の表には、櫛とイヤリングを模した木製の模型が置かれていた。これは、装飾類を売る、細工師が営む店であることを示している。すくなくとも、中に入っていきなり殺されたり、争いになったりすることはないだろう。
悩んでいる時間はない、ベアータは意を決しその家に飛び込んだ。
第二部開始です。
よろしくお願いします。




