第一話
我ら神の代行者、復讐を為す者也──
神に代わりて、裁きを与える──
咎人を、が鍛えし刃で屠り──
風のごとくに消え去りぬ──
悲しみに打ち震える心に、癒しの水を──
犠牲者に安らぎを与えてくれ給え──
-----
連合王国とは、5つの国が巨大な帝国と相対するために作り上げた同盟である。その中でもソロヴァ王国は、技術の発展と安定した食料の供給から、豊かな国として知られていた。
100年の歴史を持つこの王国は、大陸でも有数の歴史を持つ国家だ。なにせこの世界の国家は戦争以外にも、モンスターの大量出現や、疫病の発生、ドラゴンの通り道になるだけで滅びを迎える。100年も国家としての体裁を保てば、良いほうだと言われている。
だが100年も国が続けば、知らぬところで澱みがたまり、汚職や悪党がはびこるようにもなる。ソロヴァ王国も御多分に漏れず、闇を覗けば悪党たちが蔓延っていた。
とはいえ、表向きは平穏な日々を謳歌する王都だ。穏やかな陽の光が街並みを照らしている。
しかし、そんな陽気な天気にもかかわらず、ルーファスの気分は最悪だった。
「はぁー、もう、辞めたくなりますよ。仕事」
憂鬱な気分を乗せたまま、ため息と共に、思わず愚痴が出てしまった。ルーファスは慌てて誰かに聞かれていないかと左右を見回す。往来は少なくないが、皆一様にそれぞれの目的に向かって歩いており、ルーファスを注目しているような者はいなかった。
ルーファスはほっと息をついた。どうやら、誰にも聞かれていなかったようだ。彼はラーサス神を信仰する神官であり、神殿で奉公──すなわち仕事をしている。今日は神殿の業務の一環である見回りに出かけていた。そのため、彼は神官服を着用し、さらに首からは聖印をぶら下げていた。
神官であることは疑いようもない格好をしているにもかかわらず、仕事をやめたいだのという、信仰心のないことを言ってしまった。万が一にも神殿にその報告が行ったら、破門される可能性もある。いや、流石に破門まで行かなくとも、ただでさえ遠のいている出世の道が、より絶たれてしまうだろう。少なくとも白い目で見られることは間違いない。
そう、出世。そもそも、そのような言葉があるため、ルーファスは苦しんでいた。神に仕え、その信仰心は教皇だろうが、ただの平信者だろうが、差はないはずだ。にもかかわらず、神殿に関する貢献度だけで役職を分けるだなんて、もってのほかだろう。そのようにルーファスは自分を慰めてみても、ちっとも慰みにならなかった。
「元々、俺は才能がなかったからな」
ルーファスは忌々しそうに、自分の髪の毛を引っ張ってその色を見た。彼が信仰するラーサス神の加護を強く受けているものは、体色が薄くなっていく。白い髪、白い肌、赤い瞳が、最も強い加護を受けている証で、現教皇であるユイスティヌスはまさに、白い髪、白い肌、赤い瞳の女性だ。そのあまりに強い加護ゆえに、若干12歳という若さで教皇の座についている。幼女を教皇にするだなんて、危険な教団と見られても仕方がないだろう。
一方のルーファスは、薄い緑色の髪、肌色の体、緑色の瞳、28歳の年齢で、15歳から信仰の道に入ったにもかかわらず、平信者の一つ上の階級である侍祭止まりである。18歳の若造が助祭になり、上司になったときは思わず神を呪いそうになった、緑髪なだけに。
なお、緑色はラーサス神の従妹であるメリル神の加護を示している。ただし、ラーサス神ほど体色に加護の強さは現れない。もっとも、ルーファスはメリル神の強い加護を示す、【矢避け】の加護を持っているので、色の通りに強い加護を所有している。
どう考えても、メリル神の信徒になるべきだったルーファスが、ラーサス神の信徒になった理由は教義である。光にして秩序を司るラーサス神は『法』の神である。悪を懲らしめ、正義を貫く。そんなヒーローに憧れた彼は、周囲の説得を振り切ってラーサス信徒の道を歩んだ。
「素直に、メリル信徒になればよかったのかなあ……」
──あんた、大丈夫なの?素直にメリル信徒になった方がいいわよ。
幼馴染の少女に言われた言葉が、ルーファスの頭を過ぎった。今や彼の妻となったその少女は、結婚後も正論という名のナイフで、彼の心を滅多刺しにしてくる。
ルーファスが最も憂鬱になっている原因は、まさにそんな妻の言葉だった。4年前に恋愛結婚した妻だが、結婚後は小言も多くなり、自分の昇進や還付金──給料の事である、名目上は給料をもらわないためこういう呼称だ──の低さを理由にいじめられている。
確かに、侍祭なんて役職は5年も神殿で奉公すれば、自然となれる役職だ。彼は15歳で神殿に入り、13年間も奉公しているのに、さらに上の階級である助祭になれていなかった。
その上、ルーファスが所属する地区の神殿は腐敗していた。軽犯罪なら、袖の下で目をつぶり、力を持つ者にはこびへつらうようなありさまだ。最も還付金は非常に安いため、そうしないと生活が厳しいという事実もある。
正義感をもって入った神殿は腐敗しており、生活のためにルーファスも袖の下を受け取る始末だった。内部で比較すれば彼はまじめな方で、凶悪な犯罪は袖の下で許すことはなかった。最も犯罪に大小なんてないが。
そのため、大した金を得ることもできず、結果的には金回りの悪さを妻に指摘されてしまっている。
「いやだねえ、何のためにこの道を選んだのだか……」
こんな自分だからあんな連中と付き合ってしまっているのだろう。
いつまでもそのことを考えているとどんどん気分が落ち込むため、ルーファスは考えに区切りをつけてぶらぶらと街を歩いた。
「ん?」
何か事件の1つでも解決すれば、妻の小言も減り、奨励金ももらえるのではないだろうか。そう思って、いかがわしい店が立ち並ぶ地区の見回をやっていた。その甲斐もあったのか、男女が人目を避けるように道の端を歩いているのが目についた。
ルーファスはじっくりと見るために、左手の人差し指と中指を右手で包み、印を結び呪文を唱えた。
「『ラーサス神よ、光の加護を、深淵を覗く目を与えてくれたもう。遠視』」
ラーサス神への祈りを唱え、祝福を祈祷する。これはラーサス教徒の基本的な呪文である『遠視』だ。効果は視力を強化し、遠くまで見通すことができるようになる。ルーファスは加護が弱いため、詠唱も長く、しっかりとした印を組む必要がある。そのうえ、せいぜい遠くが良く見えるようになるだけだ。持続時間も短く1分程度で効果がなくなる。強力な加護を持つものは1km先まで見通すことができるらしい。
ろくな質ではないフードをかぶってはいるが、女は下に見えている服の生地は上品で、つぎはぎが一切なく、古着ではない。
恐らく良いところのお嬢さんだろと思われる。
(男のほうは……ただの市民じゃねえな)
男の体格や足運びから、傭兵など戦いに身を置いている人物だと推測した。
「『耳を』」
今度は印を一切結ばず、力ある言葉をルーファスは一言だけつぶやいた。男女の息遣いまではっきりと耳に届くようになった。これはメリル神が授けてくれる呪文で、遠くの音が聞こえるようになる呪文だ。これに関してはラーサス神の呪文とは異なり、簡単な言葉と印なしで強力な加護が生まれる、つくづくメリル信徒になればよかったと、ため息をつきたくなった。
そのとき、風が吹いて女性のフードを巻き上げた。
美しい女だ。赤みかかった茶髪は絹の様で、風によって舞った髪がまるで一本一本の糸のように見えた。普通の娘にはできない手入れから、それなりの良家なのではないかと推測された。
男女は立ち止まると、外れたフードを男が直した。その時、女は嬉しそうに男に向かってほほ笑んだ。
『ありがとう、カイル』
女の甘えた声が直接耳に入り、ルーファスは顔をゆがめた。
『どういたしまして、アメリア』
さらに親愛の情がこもった声が耳元に届く。
「けっ」
最後に悪態が聞こえたが、それはルーファスが思わず放ってしまった言葉だった。
かどわかしだったら、逮捕して点数稼ぎにしようと思っていたが、どうやらただの逢瀬のようだった。そのまま、男女は如何わしい利用ができる宿に入っていった。
(ただの、身分差の恋ってところか……)
女に比べて男の方は粗野な様子だった。服もつぎはぎの古着で、使い古した印象を受ける。
如何わしい宿に入る前に、男がフードを外していた。顎に刀傷があるが、大層な優男であったのが印象的だった。
(あー、やだやだ)
ルーファスはさっさと忘れることにして、その場を後にした。後でルーファスは、万が一ここで声をかけていたら未来が変わったのだろうかなどと、詮無き事を思ったりもした。
17/4/06 表現を変えつつ、改行等の体裁整理