立花京介からの手紙6
世界の終わりは、存外に早かった。いや確かに、僕が死のうと、世界は決して停止するわけではないのだけれど、僕にとっての世界は、もう終わった。
面白いぐらいに、色の消えた世界。モノクロ映画を観ているような、そういう感覚だ。色も味も匂いも手触りも、よくわからない。僕はただ、部屋にこもって、ベッドに寝転び、天井を見つめることだけに没頭する。母が作ってくれる食事は、ちゃんと食べはするのだが、不味いとも美味いとも思わず、何かを食べているという感じがしない。
今日で何日目だろうか。
僕の命日から、どれくらいの月日が経ったのだろうか。
数日、もしくは数週間、はたまた数か月にも及ぶのかもしれない。いずれにせよ、僕は生きたまま死んでしまい、当然ではあるが、死んでいるのだから生きている理由もなく、やはりボーっと天井を眺める他なかった。
しかし、死んでもなお人様に迷惑をかけるのは、いかなものだろう。僕が引きこもりと化したことで、母は一気に十歳ぐらい老け、二人の姉もどこか落ち着きがない。
ああ、嫌だ嫌だ。せめて迷惑をかけぬよう、学校ぐらいには行こうかしら。もう死人である僕は、仮面をつける必要もなく、嘘を吐く必要もなく、ああそれなら、学校にでも顔を出そうかしら。どうせやることはないのだから、それがいい。
フラフラと立ち上がって、制服を着て、学校へ向かってみる。すると、どうしたものか、校門が閉まっているではないか。困った困ったと、僕は裏口の方へ廻ってみたけれど、こちらもやはり閉まっている。学校のまわりをグルグルと歩いていると、どうやら僕が不審者に見えたらしく、自転車をこいでパトロールをしていた警察の人が、「ちょっといいかな」とたずねてきた。
「はい、なんでしょうか」
「こんなところで、なにをしているんだい? 忘れ物かい?」
おかしなことを言う。制服を着て、学校の前までやってきたのだから、授業を受けにきたに決まっているではないか。僕が顔を顰めていると、同じように警察官も顔を顰める。
「こんな夜中に、制服で、なにをしてるんだい?」
はて、夜中と言われたけれど、今は夜間帯なのだろうか。
「いまは夜ですか」と聞いてみると、ますます警察官は顔を顰める。ああ、そうか。しばらく引きこもり生活をしていたものだから、僕は時間の感覚をすっかり忘れてしまったのだろう。「ああ、すいませんね。死んでからというもの、色々と判然としないことが多くて」と、僕が言ってやると、警察官は何故かギョッとしたような顔で、僕を見る。それから、怯えた瞳で僕の顔を捉えると、一目散に逃げてしまった。
別に、だからと言って、無礼なやつだとは思わない。人間なんて、礼儀があるかないかの、二択に限られるのだから、さほど気にする必要はない。
しかしまあ、夜に学校に来てしまうなど、僕はとんだ間抜けである。頭をコツンと拳で叩き、僕は家へと帰る。
次の日になって、今度こそちゃんと、朝から学校に行こうと思い、家を出ようとしたら、母が心配そうに言ってきた。
「しばらく行ってなかったけど、もう大丈夫なのね」
「うん。そうだよ。大丈夫だよ」
そこで会話が終了するかと思ったが、母はなおも質問をする。
「いったい、何があったの」
「何もないよ。大丈夫だよ」
「何もなかったら、引きこもったりはしないでしょうに」
「何もないから、僕は学校に行くんだよ」
「いじめ?」
「違うよ。いじめじゃないよ」
「トラブル?」
「違うよ。トラブルじゃないよ」
「じゃあ、何なのよ」と、上擦った声で聞いてきた母が、なんだか酷く惨めに思えた。せめてもの、親孝行として、僕はありのままを伝えることにした。
「僕はもう、死んだんだよ」
そう言った僕を、母は悲しそうな顔で見つめていた。脱力し、その場に崩れ落ちてしまった母に、手を差し伸べようかと思ったけれど、気分が乗らなかったのでやめておいた。
そうして、学校に行き、クラスメイトから心配され、色々と話を聞かれ、その都度僕はありのままを伝える。僕は死んだと言えば、みな顔を顰めて、そうなのかと、言う。
やはり秋山も、同じような質問を僕に浴びせてきたが、僕も同じような答えを返す。
しかし、他のやつらとは違い、秋山は妙に嬉しそうな顔をしていた。
「立花はもう、変わったんだな。俺は安心したよ」
「変わった? 僕は死んだんだよ」
「そうだな。もう昔のお前は死んだ。ああ、そうだよ」
「うん。そういうこと」
その日が終わり、翌日を迎え、また終わり、迎えと繰り返し、あっという間に時は過ぎる。秋山は常に僕と一緒にいるようになり、しかし僕も、それを拒んだりはしない。
高校一年。高校二年。高校三年。もう、卒業だった。
大学に行くことが、母への最高の親孝行だと、担任に言われていた僕は、それならばと思い、適当な大学を受験し、そして合格した。
これでもう、僕の役目は終わったと思った。親孝行が出来たのであれば、後は死ぬだけであろう。しかし、そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、母が、成人するまで元気にいてくれと言ってきたので、僕は二十歳で死ぬことを決意した。
十八を過ぎ、十九が過ぎ、そして、二十歳になった。
僕は――




