木曜日
昨日までとなんら変わることなく、今日も滞りなく授業が終了し、下校のチャイムが若干生徒の少なくなった校内に響き渡っていた。部活のある生徒は、活動場所に向かうために、部活のない生徒は、帰路に着くためにそれぞれかばんを持ち、教室から出て行った。
俺はというとそんな生徒と混じらずにホームルームが終わってもしばらく教室に残っていた。
窓から外を見ると、授業を終えたたくさんの生徒たちがいくつもの輪を作って下校を開始していた。日常の風景だった。こういう風景を見ていると俺が今週の頭からエンカウントしてしまった事件など夢の中の出来事に思えてならない。なんでこんなことに・・・。なんてことを考えんのはもういい加減にやめておこう。どうせならさっさと事件を解決してしまったほうがよっぽど気持ちがいいだろう。
今日は一日ずっと考え事をしていた。その内容はもちろん授業のことなんかではあるはずも無く、例の笹倉記憶(ほぼ全部)喪失事件のことである。これからやることなど限られているのだが、どうやっていいものか、結構悩みものなのだ。
「どうしたんですか?誰か探しているんですか?」
相変わらず窓から外を見下ろしていた俺に話しかけてきたのは、他でもない、岩崎・麻生ペアだった。
「別にあんたには関係ない」
「またぁ!教えてくれたっていいじゃないですか!別に成瀬さんがどんな女の子が好きでも私には関係ないですけどね、まぁ私と成瀬さんの仲ですからそれくらいのことは教えてくれてもいいんじゃないですかね、別に興味ないですけどね!」
岩崎はろくに息継ぎもしないで一気にしゃべった。勝手に怪しげな関係にしないでもらいたいね。まぁどうでもいいのだが。とりあえず俺が今することは・・・。
「麻生。今日も先にうちに行っててくれ」
「ん?あぁ分かったよ」
麻生がうちに向かってから大体三時間後に俺たちは学校を出た。家に着いたときにはすでにもう八時を回っていた。
「遅かったな」
「ちょっとな」
麻生と笹倉はそろって俺たちを迎えてくれた。
「とりあえず腹が減ったな。まず夕飯にしよう。お前らまたうちで食べていくんだろ?」
この俺の問いかけに二人は無言でうなずいた。こいつらはうちで夕飯を食べることに対して、なんら疑問を抱かないらしい。少しは相手も迷惑と言うものを考えてもらいたいね。まぁ今日に限ってはそっちのほうが好都合なんだが。
それからまたいつものように俺と岩崎が二人で夕飯の準備に取り掛かる。リビングにいる麻生と笹倉は、聞こえないがなにやら話をしているようだ。これは俺の勘だが、事件とは関係ない話だと思うね。何となく楽しそうだしさ。
こっちは食事を作っている最中、終始無言のままだった。
「なにか言いたそうだな。俺と、笹倉に」
岩崎のそんな雰囲気を感じて、そう問いかけた。岩崎は今までせわしなく動かしていた手をはたと止め、そのままうつむいてこう答えた。
「言いたいことも聞きたいこともたくさんあります。この時間じゃ足りないくらい。でもとりあえず成瀬さんの考えに従います」
こう言ってからまた作業に取り掛かり始めた。それから、でも、と言い、こっちに体後と振り向いて、
「首尾よく全て終わってからきちんと説明してもらいましょう!」
と言っていつものように満面の笑みで微笑んだ。そのとき俺は、残念ながら、岩崎の物分りのよさに感謝してしまった。そのあと岩崎は何もなかったように普段の岩崎に戻った。まったく、こいつには敵わないな。
準備ができ、食事が始まると、リビングは麻生と岩崎の独壇場と化した。今日の学校での話を面白おかしく語り始めた。その会話は漫才のように、見事にボケと突っ込みに分かれ、ハイテンポなリズムを刻んでいた。二人の漫才に、笹倉は終始笑い続けていた。
俺はぼーっと周りからその様子を見ていたが、その光景はこの三人の本当の姿のように見えた。月曜なんて、それこそ本当の他人のようにどこかよそよそしかったが、ここに来てきちんとした友達以上の関係になれた気がした。
だが俺にはこの関係がただ単純にそれぞれの心の壁がなくなってできた関係ではないと知っている。皮肉なことに今日のこの会話が俺の確信を高めていた。
もったいない。本当にもったいないと思う。もっと違う出会い、きっかけだったならとてもいい付き合いができたに違いない。悪夢がきっかけなんだ。これからもいい関係が続けられないのは明らかだった。
知らず知らずのうちに俺は暗い雰囲気を作っていたようだ。
それを心配したのか、三人が俺に注目していた。
「どうした、成瀬。そんな怖い顔して」
「どっか痛いの?」
こう問いかけてきたのは、笹倉と麻生だった。岩崎は黙ったままだった。俺が岩崎のほうを見るとぎこちない笑みを作ってこう言った。
「何か悩みですか?話してくださいよぉ。私たちの仲じゃないですかぁ」
「勝手に親しげな関係にするな」
おそらく、悩み、と言う言葉で思い出したのだろう。麻生がはっとしたような顔になり、例の事件のことについて聞いてきた。
「そういえば今日もなにか調べてきたんだろ?なにか収穫はあったのか?」
「あったな。いくつか」
「どんな情報だ?」
「詳しいことは私がお答えいたしましょう!」
身を乗り出してきた麻生に対して、岩崎が答えた。岩崎は近くにあった自分の学生バッグから手帳のような物を取り出して、わざとらしく、こほん、と小さく咳払いをした。
いつの間にか笹倉も身を乗り出して、一言一句逃さないように岩崎の言葉に集中し始めた。
「今日は笹倉さんの担任の先生に話しを聞いてきました。どうやら先生は警察と接触していたようです」
岩崎は手帳をちらちら見ながら、とてもテンポよく話を進めていく。
「私たちは、最近学校に来ていない笹倉さんのことについて、先生に話を聞きに行きました」
もちろん、学校に言っていない理由など、とっくに理解している。いわゆる口実というやつだ。担任は、連絡が来ていないから分からない、と答えた。
次に、例の社長との関係が原因なのでは?と聞いたところ、担任は、そのことを知っていたのか、と答え、警察から聞いたことを話してくれた。
「警察は、昨日言ったとおり、笹倉さんのお母様を犯人だと思っているそうです。お母様の居場所を聞くために笹倉さんを探していたようで、学校にはその用事で来ていたみたいです」
笹倉の母親の犯行はほぼ確実で、社長宅の防犯カメラにもその姿が捉えられていて、推定の犯行時刻と一致する。残念ながら、社長の書斎にはカメラは設置されておらず、犯行現場をカメラで捉えることはできなかったが、状況証拠は十分すぎるほど整っているようだ。
「動機の件ですが、やはり養育費のことで間違いないそうです。先生が警察の人に尋ねたところ、はっきりした肯定は得られなかったが否定はしなかった、とおっしゃっていました」
「うそ・・・」
岩崎の情報に笹倉が力なくそうつぶやいた。
「だがまだ状況証拠だけしかないんだな?それだけじゃ起訴まで持っていけないはずだ!」
「しかし状況証拠だけでも任意同行はできます。細かく取調べを行えば、矛盾した回答を得られるかもしれません」
「だが・・・」
麻生の質問に丁寧に岩崎が答える。麻生はまだ食い下がろうとしているが、言うべき言葉が出てこないようだ。
そこに追い討ちをかけるように岩崎が、それに、と付け足しをする。
「実は物的証拠も出てきたそうです。実は社長さんの書斎に家の誰のものでもない指紋があったようなのです。それが昨日、お母様のものだとわかったらしいのです」
「えっ!?」
「そんな指紋があったなんて昨日は言っていなかったじゃないか」
「私たちも今日初めて聞きました。たぶん結果待ちの段階だったのでしょう」
「そんなはずない」
しばらく呆然としていた笹倉がボソッと言った。
「今なんて言ったんですか?」
「そんなはずないって言ったの!」
「どういうことですか?」
「お母さんは昔、仕事先で両手に大やけどをしたの。それ以来いつも薄手の手袋をつけているのよ。だから指紋なんて残るはずがないの!」
「そうなんですか?」
「だったらそれは警察の捜査ミス。あるいはたちの悪い誘導尋問だ!」
突然の展開に岩崎がたじろいだ。そして俺のほうを見る。麻生はこの答えに、助けに船とばかりに飛びついて、笹倉の援護をしている。
「だが、母親のものと見られる毛髪も発見済みだという」
「えっ!?」
「だ、だが、それだって間違いだっている可能性もあるじゃないか!」
「警察が二度も簡単なミスをするとは思えない。仮に誘導尋問のネタだとしたら指紋一つでいいはずだ。わざわざ二つの作る必要はない」
「でも・・・可能性はあるはずだ」
「可能性の話をしたらキリがないだろう。さぁ話を続けよう」
そういうと俺は岩崎のほうを見た。岩崎の顔が先ほどのようなたじろいだ顔から、いつもの自信にあふれた顔になった。岩崎はゆっくりうなずいて、話を戻します、と言って再び報告を始めた。
「警察はこれらの物的証拠、状況証拠を元に逮捕状を請求したそうです。罪名は強盗殺人で」
「強盗殺人?」
「どういうことだ?」
「死体発見時、書斎が荒らされていたそうです」
岩崎は手帳のページをめくり、詳しい説明を始めた。
発見時、書斎は荒れ放題で、足の踏み場もなかった。社長は几帳面で書斎はもちろん、家の中や車、ホテルまでも、いつも整理整頓を心がけていたそうだ。会社にいたっては部下に対しても、整理に関しては厳しくしていたそうで、デスク周りが片付いていないやつは、減給を命じていたようだ。
問題は荒らし方だが、被害者の抵抗にあったわけではなく、犯人が意図的にやったようだ。それも探し物をしていて、部屋をひっくり返していたわけではなく、ただちらかした、という感じらしい。警察は本来の目的物が何だったのか、混乱させるための工作だと考えているという。
「金庫が開いていたことから、おそらく金目的だったと考えているようです」
「うそよ!」
岩崎がいい終わらないうちに笹倉が叫んだ。
「うそよ!そんなわけない!!」
そういう笹倉に俺はこう質問した。少し意地悪な気もしたが、こう聞かないことには話が進まない。
「なぜそう言い切れる。根拠は何だ?」
「それは・・・。でも・・・そんなわけないんだもん」
「なぜだ?なにか知っているのか?」
「だって・・・・・」
俺の質問に笹倉は押し黙ってしまった。この時点で俺は確信していた。この沈黙が何よりも俺を確信させた。俺の推測でほぼ間違いない。これ以上は無意味だ。今日はここまでにしよう。まだ分かっていないこともたくさんあるが、それは明日になれば分かることだ。
「とにかく今日の報告はこれでおしまいだ。というか、この事件に関わるのも今日でおしまい」
「なんで?」
「逮捕状が出れば俺たちにすることはなにもない」
「・・・」
「少し休憩したら今日はもう解散だ」
「あのー今日も泊まっていってもいいですか?」
「んー。まぁいいけど」
「じゃあ決まりです!麻生さんも泊まっていきましょう!今日はもう事件の話はなしにして、楽しみましょう!」
食事が終わり、片付けに入る。片付いた食器を持ち、台所に向かうとあとから岩崎が同じく食器を持って、台所にやってきた。麻生と笹倉はまだ食卓にいる。特に会話はしていないようだ。
「これでよかったんですか?」
「ああ。これで問題ない」
「決着は明日ですか?」
「そうだな。明日全部終わる」
「ハッピーエンドになればいいのですが・・・」
「ならないだろうな。これは殺人事件だからな」
「これから麻生さんと笹倉さん、気まずくならないですか?」
「なったらそれまでの関係だったと言うことだ。さっきから質問ばかりだな?」
「そうですか?」
「まぁべつにいいけど」
「じゃあ最後にもうひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「これから私たちはどうなってしまうのでしょうか?」
「It’s only God Knows….それは神だけが知っている」