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火曜日

「あの後何もなかったよな?」

「あの後何もありませんでしたよね?」


 ホームルーム開始のチャイムギリギリに教室に入った俺が、ドアを開けて最初に聞いた言葉は、麻生と岩崎のハモった上記の台詞だった。


 俺は自然とため息が出る。やれやれだ。こうもこっちの思惑通りに動いてくるとはね。しかしここは返事をしないと何かあったことにされかねない。


「ああ。何も、が何を指しているのか解らないが、いつも通りだったよ」

「本当ですか?何か隠してませんか?」

「何も隠してない。ほら、もうホームルームが始まるぞ」


 岩崎と麻生はチッと舌打ちをすると、昼休みは事情聴取だからな、となんとも不吉な捨て台詞を吐いて席に着いた。面倒だとは思うがこれは説明しなきゃいけないだろうな。どっちかっていうと俺より麻生のほうが当事者だからな。


 席に着いた俺は昨日のことを思い出していた。二人が言う、あの後、とは昨日の出来事の続きである。


 結局俺は二人を家に呼んだのだ。それは俺一人じゃどうしようもないからではなく、要するに隠しておくともっと面倒なことになると思ったからである。今も面倒だがやはり俺は最善から二番目くらいのことをしたんだと思う。最善がなんだか解らないが・・・。




 笹倉の驚きの一言を聞き、俺はしばらく茫然自失状態だったが、秋の夜風のおかげでオーバーヒート寸前だった俺の頭は冷え、どうにか落ち着きをとり戻し、笹倉を部屋の中に通した。そして二人に連絡を入れた。


 二人に連絡した三十分後、先に麻生、それにちょいと遅れて岩崎が登場した。なにやら困惑しているようだ。


 俺は二人への連絡手段としてメールを用いた。送った内容は、急いでうちに来い、とただ一言。電話も考えたが説明が面倒だし、どう説明してもよく分からないことになりそうだから、とにかく来てもらって自分の目で状況を見てもらおうと思ったのだ。俺の要請どおりに急いで来たようだが、現状が理解できていないらしい。


 二人はリビングの椅子に座った。俺一人が立っているという状態になる。そして待ちわびたのか岩崎が、確信に迫る質問をしてきた。


「急いでうちに来いってどういうことですか?」


 さっそくだな、と思ったが俺は呼んだ理由を完結に分かりやすく説明した。


「笹倉京子を発見した」

「えっ!」

「本当ですか?」

「本当だ。しかし少々厄介な状況になってるな」


 二人はいったん喜んだ表情を見せたが、一気に複雑な表情になった。気持ちは解るけどね。


「どういうことだ?怪我でもしているのか?」

「いや、外傷はない」

「どういうことですか?もったいぶってないで説明して下さい」


 俺がどう説明したらいいか悩んでいると、二人の視線が凍りつく。見ているのは俺じゃない。俺の後ろに二人の口を黙らせた元凶がいるらしい。俺にはなんとなく予想が付く。


 俺が振り返ると、偶然か、それとも俺のまどろっこしい説明に見かねたのか、わざと状況を混乱させようとしたのか分からないが、本人が登場した。明らかに風呂上りの格好で。いったいなんでこの状況で上がってくるんだ?わざとじゃないのか?


 三人はそれぞれ違う表情で笹倉を迎えた。岩崎は驚愕&怒り、麻生はショック百%。俺はため息。


 空気が違うのを感じ取ったのか、笹倉は俺の背中に隠れた。風呂上りなだけあって、顔はほんのり上気していた。髪はしっとり濡れていて、ノーマルな状態より大人っぽい。


 だが、笹倉の大人の色香もこの状況には対抗できなかったらしい。驚愕の部分がなくなり、純度百%怒りモードの岩崎が殺意交じりに俺に質問。


「成瀬さん!どういうことですか?行方不明者捕まえて家に連れ込んだ挙句、お風呂にまで入れるなんて!何考えてるんですか!この後何をしようとしたんですか!」

「少し落ち着いて俺の話しを聞け!」

「これが落ち着いてられる状況ですか!不潔です!汚いです!最低です!」


 ふぅ・・・。これじゃ話も出来ないね。ここは元凶であるこの人にこの状況を打開してもらいましょうかね。


 俺は、俺の背中に隠れたままの笹倉に問いかけた。


「この二人のこと覚えているか?」


 この質問に岩崎は、あからさまに何言ってんだこいつ?という表情になった。いつの間にか復活している麻生は笹倉のことを見つめていた。


 そして笹倉の返答。


「ごめんなさい、覚えてません」


 唖然。二人の表情はまさに唖然としか言いようがなかった。やっとまともに話ができる状況になった。




 この笹倉の一言でやっと事態の深刻さに気付いたようで二人の表情が変わった。

真剣になったようだ。


 ちょいとまじめな話をするため、笹倉には席をはずしてもらった。


「どういうことなんですか?本当に記憶喪失なんですか?成瀬さんと何か企んだりしてるんじゃないんですか?」


 さっきの風呂上りの登場がよっぽど利いているらしい。俺と笹倉との間に何かあったと思わずにはいられないようだ。しかしそう考えるとおかしくなる。


「もしそうだとしたら、どっからが狂言になる?」


 学校に来なかったことや家にいなかったこと。一番は家に母親までいなかったことだ。笹倉の家に行こうと言い出したのは岩崎である。なのに俺がここまで仕込むのは少々無理がある。


「そうですよね。成瀬さんはそんな面倒なことやらないですよね」


 変なところで納得されたようだ。ま、当たってるけどね。


「そうすると本当に記憶喪失なのか?」

「さぁな。ただすべての記憶をなくしてしまったわけじゃなさそうだ。記憶障害とでもいったらいいのか。俺たちにはなんとも言えないだろう。専門家じゃないし。まぁ笹倉が嘘をついている可能性はなくはないな」

「そんなことは絶対ない。笹倉さんは嘘をつかない人だ」


 こいつの言っていることは理想とかそんな感じのニュアンスが含まれている気がする。が、俺もその辺は同意できる。俺の場合は勘だけど。


「とりあえず今のところはなんとも言えん。もっと状況を理解しないと」


 情報が足りなさ過ぎる。これではどれだけ話し合っても憶測の域を超えない。なら、話し合いに意味はない。今日のところは解散だな。


「また明日にでもいろいろ調べてみよう。今日は解散」

「笹倉さんはどうするんですか?」

「うちに泊めるしかないだろう」


 こう言うと二人はものすごい反対してきた。衛生上とか教育上とかいう単語を使ってもっともらしいことを言っていたが、最終的に俺のこと質問で黙らせた。


「じゃあ他にどこにやるんだ?」

「それは・・・私は寮ですから無理ですし、麻生さんは実家暮らしで説明するのが大変だし。じゃあホテルとか?」

「金は一銭も持ってないそうだ」

「私たちが貸して差し上げればいいんじゃないですか?」

「俺は遠慮する」


 そして岩崎は、うーん、と苦悩の声を上げてしぶしぶ了承した。麻生は納得できないようで自分の家に連れて行くと言っていたが、そっちのが絶対に危ないと岩崎に阻止されていた。


 さっき二人が俺に聞いていた、あの後、とはここから先の話である。




 午前中の授業は、なんとも退屈だったが、昼休みの事情聴衆のことを考えると長く続いてほしいと思った。しかしこういうときに限って四限が自習になってしまうのである。これは儲けたとばかりに二人は俺の席の周りを囲む。


「さぁさっきの続きをしましょう!」

「ごまかしたりしたら即逮捕だからな」


 やれやれ。他人のことにやたらと首を突っ込みたがる奴らだ。麻生はいいが、岩崎はなんでそんなに燃えているのだろうか。いまいち不明だが、当初の通り黙っていると後々面倒を引き起こすことは火を見るより明らかなわけだし、別段隠さなくてはいけないようなこともないので、俺はのんびり話し始めた。



 二人を見送ると、俺は重い足取りで家の中に戻った。するとリビングがなにやら暗い。いや、照明が点いているのだが、照明の問題ではない。要はそこにいる人物の気分の問題である。俺も気分的にはうつむきたいのだが、俺のことは置いておいて、笹倉がそうしていた。


「どうした?」

「あの、お二人ともすごい怒られていたようですが、やはり私のせいなのでしょうか?」


 俺の問いかけに笹倉はうつむいていた顔を上げて答えた。どうやら俺が怒鳴られていたことに対して責任を感じているようだ。


「気にするな。それより本当に俺ら三人に、いや誰か一人でもいい。見覚えないか?」


 笹倉は申し訳なさそうに一言、すみません、とだけ言った。


 話を聞いてみると、自分の記憶には曖昧なところが多々あり、その曖昧な記憶も映像ではなく、静止画のように断片的にしか思い出せない。


 俺が思うに最近、何かとてもショックな出来事があり、その出来事を脳が覚えることを拒否し、その副作用か何かでいろいろな記憶を巻き込み、忘れてしまった。そんな感じだと想う。


 そこで素朴な疑問を思い出す。


「なんでここに来たんだ?」


 笹倉は俺の部屋の玄関の前にいた。マンションの前ではなく、俺の部屋の前に。つまり俺の部屋を目指していたんだろう。


「ここのことは覚えていました」


 確かに以前笹倉はここに来たことがある。麻生が、焼肉パーティーをやるから一人暮らしである俺の部屋を貸せ、というかなり強引で一方的だったが、ここが会場になったことがある。そこに笹倉もいた。だから前世(ここでは記憶障害になる前のこと)の笹倉はここを知っているはずだ。


「結構鮮明に覚えていたからここが自分の家なのかと思って・・・」


 なるほどね。なんとなくだが、状況が分かってきた。よく知らないが、こういった場合、勝手に思い出すのを待つしかないような気がする。しばらく待ってみてそれでも記憶が戻らなければ病院に行こうかな。


 俺が考え込んでいるのを見て不安になったのか、笹倉が声をかけてきた。


「あの、やっぱり私がここにいちゃ、迷惑ですよね・・・?」


 まぁまったく迷惑じゃないといったら嘘になる。しかし追い出すことはできないし、追い出して本格的に失踪されても困る。本来の家の鍵は持っていないようだし、記憶が戻るまではうちに置いておくしかないだろう。


「とりあえず記憶が戻るまでここにいていいよ。狭い家だが好きに使ってくれ」


 俺がそう言うと、申し訳なさそうにしていた暗い顔からとてもいい笑顔になった。なんだかんだ言って心配していたらしい。やはり記憶がないのは不安だろう。彼女にとってうちは唯一の手がかりだったに違いない。そこを追い出されたら彼女は後がない。とはいえ、全く知らない(ちなみに前世もお互いよく知らない)男の家に簡単に泊まっていいのだろうか。岩崎じゃないが、そんなことを考えてしまった。


 それから笹倉はとてもいい笑顔のまま顔を近づけてきて、私とあなたたちはどういう関係なの?と聞いてきた。面倒だったが、ここに来てからずっと借りられて来た猫のように不安そうな顔しかしてなかったから、断るなど思い浮かばなかった。


 しばらく笹倉が質問して俺が答えるという簡単な質疑応答が続いた。何回かそれを繰り返したあと、適当に寝た。俺のベッドは笹倉に貸し出し、俺はソファで寝た。




「話は以上だ」


 つまらない話を終え、俺はペットボトルのお茶を口に含んだ。しゃべるという作業は本当にのどが渇くな。


 ふと二人を見るとなにやら不満そうである。


「なんだ?不満でもあるのか?」

「今の話で全部ですか?」

「どういう意味だ?」

「大事なところを割愛してないですか?隠してないですか?」

「なんか隠しているのか?そうなのか?」


 絶叫したのは麻生だ。昨日から精神状態が芳しくない。情緒不安定である。しかも寝不足なようだ。クマできてるし。こいつは意外にもネガティブ思考なようだ。


「割愛してないし、隠してない。今の話はかなり忠実なノンフィクションだ」


 二人は信じられないようだが、しぶしぶ納得した。


「それで笹倉さんの様子はどうですか?原因とか解りますか?」

「俺にはさっぱりだな。全く思い出さなそうでもあるが、あっさり思い出しそうでもある」

「つまり全く解らないと?」


 岩崎の声には非難の色が混ざっている。どう答えようか迷ったが、素直に答えることにした。


「しょうがないだろ。今俺が言えるのは、外傷が全くないから原因は精神的なものだということくらいだ。外的要因ならば外科処置を施すことで何らかの変化があるかもしれないが内的要因にはそれは無意味だ。できることは待つことしかない」


 催眠術という手があるかもしれないが思い出したくないから記憶を奥の引き出しにしまいこんでしまったのだ。無理矢理思い出させるようなマネは好ましくないような気がする。それに催眠術師に心当たりがない。


「まぁ完全に記憶がなくなったわけじゃない。そのうち思い出すだろ」

「じゃあ待っているだけなんですか?」

「たぶんな。原因が解ればあるいは・・・」


 何とかなるかもしれないこともなくはないだろうよ、と言いかけたところで、バン!という音に遮られた。音のした方を見ると岩崎が立ち上がり、机に両手を置いている。おそらくバン!という音は岩崎が机をぶっ叩いた音だろう。


「なんだ?」


 と聞くと岩崎はゆっくり俺のほうを見る目が輝いている。その顔は退屈していたときに不可解な事件の依頼を受けたシャーロック・ホームズのようだった。


 俺はその顔にいやな予感を感じざるを得なかった。


「なにか思いついたのか?」

「ええ!とてもいい事思いつきました!」


 誰にとっていい事なのかは不明だが、なんとなく俺にとってはよくないことである気がするね。


 結果からいうと俺の当たってほしくない予感は見事に的中して岩崎は俺にとってよくないことを提案した。

 

 岩崎はこほんと咳払いを一つして、自慢げにこう言い放った。


「私たちで原因を探し出して笹倉さんを救出してあげましょう!!名づけて『笹倉さんの記憶傷害の原因を探し出し笹倉さんの記憶を取り戻そう大作戦!』」


 ・・・。呆れて何も言えん。こいつはバカか?突っ込みどころが多すぎて突っ込む気にもならないね。とりあえずこれだけは聞いておこう。


「その作戦は誰がやるんだ?」

「もちろん私たち三人に決まってるじゃないですか!」

「その三人の中には俺も入ってるのか?」

「当たり前じゃないですか!なに言ってるんですか!麻生さんも当然やりますよね?」

「おう!その作戦乗った!」


 ・・・。もはやため息すら出ない。なぜこの二人はこうまでやる気なのか。考えてみたが五秒でやめた。いくら考えてもこいつらの思考はトレースできないのである。できないことをやるのは時間の無駄だ。


「じゃあまずは本人に話を聞きにいきましょう」


 岩崎のその言葉に麻生が、そうしよう、と賛成した。


「話って何を聞くんだ?」

「いろいろですよ。じゃあ今日は成瀬さんちに泊まりで」

「なんでそうなる?」

「時間はたくさんあったほうがいいんですよ」


 興奮し暴走した岩崎をなだめて説得した結果、なんとか泊まりだけは回避したが、その代償として夕飯を作ってやることになった。


 よく、一人分作るのも二人分作るのも大して変わらないというが、さすがに二人分と四人分ではかかる手間も材料の量も違う。


 麻生と岩崎は一回帰ってから来るということで俺は現在一人で近くのスーパーにきている。ずうずうしくも二人してメニューに注文をつけてきたので買い足さなければいけなくなった。俺の料理のレパートリーを知っているのかと思うくらい、二人とも俺が作れる料理ばかりを注文してきた。ちっ、作れないものだったらよかったものを・・・。


「ただいま」


 俺は鍵を開け、家の中に入った。もう空は暗くなり始めた午後五時前。部屋の中は一つの明かりもついておらず、外と同じく、闇に包まれていた。


 俺は明かりをつけて部屋の中心に向かうと、リビングのソファで寝息を立てている笹倉がいた。

 あの頬には一筋涙のあとがある。泣き疲れて眠ってしまったのか、あるいは夢の中で泣いているのか、俺には確かめようもないが、その姿を見て俺は記憶を取り戻してやりたいと思った。こいつはたくさんのことを忘れてしまった。普通に振舞っていたが、どこか心の奥深いところで苦しんでいる。忘れてしまったことを悲しんでいるのだ。


 俺はつけた明かりをまた消し、そこらへんにあった笹倉の上着をかけてやった。せめて寝ているときくらいいい夢を見てもらいたいね。


 俺は寝室に行き、制服から家着に着替えた。そして暗いままのリビングに行き、笹倉の泣き寝顔を見ながら考えた。やはり記憶を取りもどすための鍵は原因にあるはずだ。だが俺は笹倉についてほとんど何も知らない。おそらく原因であろう、見たり聞いたりして精神的ショックを与えた内容は想像もつかない。


 友達や家族関係なのか、勉強なのか、それとも笹倉にしかわからないことなのか。どれかジャンルが特定できればあるいは突破口になるかもしれないのだが・・・。


 ピーンポーン


 そこまで思案したところで玄関のチャイムが鳴った。誰が来たのか、おそらく二人のどちらかもしくは両方だろう。インターフォンには出ずに直接玄関に向かい、ドアを開けると予想通りの二人がいた。


「あーーーーーーーーーーーーーー」


 突然岩崎が叫んだ。やめろ、近所迷惑だろ!


「何だよ」

「何で電気つけてないんですか!真っ暗な部屋で年頃の男女が二人で何をやっていたんですか!」


 なにを意味不明なことを・・・。


「てめぇ、成瀬このやろ!」


 これに麻生が乗ってしまった。こいつは笹倉絡みになると本当に冗談が通じなくなるな。


「不潔です、汚いです、最低です!」


 こいつもなんでいつもそっちの方向に持っていくんだ。というか持っていけるんだ?関心に値するね。


「勘違いするな。笹倉が眠っているからつけていないだけだ」


 俺がこう言ったのとほぼ同時に、んーーーー、という声が部屋の中から聞こえてきた。どうやらこいつらの絶叫のせいで笹倉が起きたのだろう。


 部屋の中に入ると笹倉が笑顔で迎えてくれた。


「お帰りなさい。夕食の準備とかしようと思ったんですけど寝ちゃってました」


 言い終わると同時にあっといい俺の後ろに視線を送った。どうやら二人に気付いたらしい。


「あなたたちは昨日の・・・」





「昨日はすみませんでした。突然のことで私たちも混乱しちゃいまして」


 挨拶もそこそこに俺は二人を家の中に入れた。キッチンでコーヒーを入れている俺の耳に、リビングにいる岩崎が笹倉にこう言ったのが聞こえた。


「いえ!私のほうこそあなた方のことを覚えていなくて申し訳ありません」

「そんなことないよ」


 笹倉の言葉に応対したのは麻生だ。麻生の声はいつもの声と違って真剣みを帯びている。

「記憶がないっていうことは本当につらいことだと思う。それに比べたら俺たちはつらいなんて言えないよ。笹倉さんの気持ち全部解ってあげられないけどなにかあったら力になるから」


 くさいね。聞いているこっちが恥ずかしくなるようなくさくてどうしようもない言葉だが、こいつは本心で言っている。そして本当に笹倉の力になりたいと思っている。それが解るくらい麻生は真剣だった。


「・・・」

「・・・」


 沈黙。解るけどね。あれだけこっ恥ずかしいせりふを真顔で言われたら、もう黙るしかないでしょ。言ったほうもおそらく羞恥心があとから出てきたのだろう。二の句をつなげないようだ。しかしそれでは何のために来たか分からんだろう。


「なに黙り込んでるんだよ。今日は何しに来たんだ?」

「そうでした!」


 何がそうでした!だよ。あほか。


「笹倉さん。私たちはあなたが記憶を取り戻すためのお手伝い、その名も『笹倉さんの記憶傷害の原因を探し出し笹倉さんの記憶を取り戻そう大作戦!』を決行するために今日ここに来ました」

「は、はぁ」

「今からいくつか質問をさせていただきます。解らないものは解らないとおっしゃっていただければけっこうです」

「解りました」


 岩崎はこう断りを入れるとなにやら手帳のようなものを取り出してさっそく質問を始めた。質問の内容は簡単なものばかりだった。好きな食べ物や好きな教科、小学校のこと中学校のこと、そして高校のこと。


 自分の性格や好みに関しては全く問題ないほどすらすら答えていた。日常生活に支障をきたすような喪失は全くなかった。 


 問題は記憶の部分だ。思い出と言い直してもいい。すべてを忘れているわけではない。だが、映像として覚えている部分はほとんど無いという。その数少ない映像としても記憶がうちまでの道のりだそうだ。もっと他に忘れてはいけないことがあったと思うが。覚えているもののほとんどが静止画や写真のようにある一部分を切り取ったような風景だそうだ。旅行先の家族の笑顔とか、小学校の屋上からの風景とか、そういうのだ。


「昨日や今日のことははっきり覚えているのか?」

「はい。完璧に復唱できないけど・・・」


 俺の質問に笹倉はこう答えた。そりゃそうだ。正常な人間だってそんなことできない。そんなことできたらある意味異常だ。昨日の夕飯だって忘れるやつがいるわけだし。となるとやはり、


「日曜日に何をしていたかが鍵ですね」


 岩崎が俺の考えを代弁してくれた。その辺に異論はないようだ。


「日曜のこと、覚えてないよな?」


 これで覚えていたら飛躍的に前進するんだが、残念ながらというかやはりというか笹倉の答えはNOだった。


 三人は仲良く黙り込んでしまった。


「まあ今日のところはこんなもんでいいんじゃないか?何か聴きたいことがあったらまた来るってことで」


 この俺の案に三人は同意した。それから俺は夕飯の支度をし始め、その間三人はなにやらとても盛り上がっていたようだったが、内容はあまり良く聞こえなかった。なんとなくだが俺のことのような気がするね。


 俺の料理を綺麗に平らげた三人は、今度は俺を交えた雑談に花を咲かせ、最終的にうちに泊まって行った。


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