歩くのは嫌だ
水路と水車小屋を作った俺は、その後も村長さんの家に厄介になりながらも、主に村の土木作業を一手に引き受けていた。
手始めに行ったのは村の周囲の塀の増改築だ。
これまで村の民家周辺にしかなかった土塁を村全体が囲えるように増築して行った。
高さも1m位に統一し、これまでよりも強度をまして固い土塁とした。
ただし、土塁上部の柵は民家回りだけにした。
また、土塁の無かった部分は土塁を作るために土塁の外側の土を使ったので、ついでに掘りもできてしまったが、堀がある事で動物避けにはなっても村人には害がないのでそのままにした。
村長さんが困っていた村の門の竹林は、竹林と村との境目に石の板を1m位打ち込んで竹の根が村側に広がるのを防いだ。
そのうえで、その部分だけは土塁ではなく煉瓦の塀を造ったので、土塁の中を竹の根が進んで村側に進出するような心配もない。
村の土塁の他にも、俺が作った水路が水車小屋から水田の脇の水路に連結する際に、村長さんの家から木材の加工場へつながる道を横断しているのだが、初めはここには丸太の橋が架けられていた。
だが、この橋が木材運搬馬車の重みに耐えられなくて壊れた事があったのだ、なのでこの橋を石橋に架け替える事もした。
裏山への門を出て直ぐの所にある岩(臼を作る際にも使った) からいくつか円柱形に石を切り出して、その円柱を水路の側まで転がしてくる。
これを輪切りにする感じで少しずつ両手サイズの石にして、その石をさらに変形させて台形にする。
そして、その台形を組み合わせてアーチ状の石橋を造った。
この石橋は、その後何度も巨木を積んだ馬車が行き来してもビクともしなかった。
その他にも、村から港町ヅルカに通じる村唯一の対外交通路の道が土砂崩れで通れなくなった際にも、
速やかに流れてきた土砂を石に変えて、その石で崩れた部分に石垣を設置と、速やかな復旧を行った。
因みに、この際、土砂を石に変える事で道は直ぐに通れるようになったのだが、その後、もう一度崩れないように出来た石で石垣を作っていくのは大変な時間と疲労が掛かった。
なんせ両手で持てるくらいの石を組上げたので、上に積むにしたがって持ち上げるのに苦労したのだ。
最終的には左端から階段状に組んでいき、最上部にはこの階段を使って石を持って登っていくという事として何とか自分の背丈位の石垣を完成させた。
そんな村の土建屋をやってしばらくして、ついにこの村の一大イベント、『作物の収穫』の時期がやって来た。
この時ばかりは村人総出で稲と麦の収穫をするので、もちろん俺も参加した。
生れてはじめての麦刈り。
それも機械ではなく鎌による完全手作業でのそれは一週間ほど続いて、その後3日程は腰痛に悩まされた。
収穫が終わり、俺が作った水車もなんとか脱穀と精粉をしているある日、
村長さんと仲の良いブレードヒル村の村長の息子で、富吉という人が訪ねて来た。
その時俺は、収穫の終わった麦畑を水田に改造する為に、水路の変更と拡張などを行っていた。
もちろん周りでは、かなりの人数の村民が麦畑を水田にするために耕していた。
そんななか、弥々子さんが来客だと俺を呼びに来たのだ。
初めはこちらに来てから村民以外の知り合いなどいるはずもないので
(村民なら弥々子さんが呼びに来なくても自分で俺の所に来るはずである。)
何かの間違いではないかと思ったが、村長さんの家で事情を聴いて納得した。
実は、村長さんとブレードヒル村の村長さんは、同じサウザンエメラシー皇国の南西部の村という事で、
色々な場面で出会ってかなり仲が良い間柄だそうだ。
そして、ブレードヒル村がゼノンの街のすぐ近くにある関係で、村長さんがゼノンの街に用事があるときは必ずブレードヒル村の村長さん家に泊めてもらうそうだ。
なんでもゼノンの街に馬車で行って用事を済ませた帰り道、丁度夕方ごろにブレードヒル村に着くそうだ。
なので、いつも行きしなに今日泊めてくれと言ってからゼノンの街に向かうのだそうだ。
そんな親密な間柄のブレードヒル村の村長さんに、うちの村長が水車小屋を自慢しないはずがない。
しかも、ブレードヒル村は麦の一大生産地らしく、近いこともあって「ゼノンの街の食糧庫」とも言われているとの事。
因みにブレードヒル村の名前の由来はブッレッドヒル(パンの丘)が訛ったらしく、ブレードヒル村の特産品も各種のパンだというから、まさに水車小屋は自慢された通りの性能ならぜひ欲しい一品なのであった。
という訳で、この度わざわざ村長さんの息子である富吉さんが、ジジカ村までやって来たのである。
俺が村長さんの家に到着する前に、どうやら富吉さんと村長さんの間で話はもうついていたらしく、俺が到着すると村長さんは俺に事情を説明して
「と言う訳だから、ちょっくら行って水車小屋を造って来てくれ。」
とさらりと言われた。
まあ、特に断る理由もなかったのでそのまま快諾したが。
俺が快諾すると富吉さんは直ぐに帰り支度をはじめて、そのまま馬に跨って帰ってしまった。
なんでも、ここからブレッドヒルまでは馬車や馬で半日かかるらしい。
ってあれ?じゃあ歩いたら?
「まあ、1昼夜とは言わないが、朝早く出ても着くのは夜遅く。
もしかしたら日付が変わるから途中で野宿かな。」
と村長談。
冗談じゃない。もう秋も終わって今は初冬。
しかも、街道沿いとはいえ魔物も出るかもしれないところで、初めての野宿なんか出来るか。
陸自でたこつぼの中で1日過ごしただけでどれほど苦痛だったか。
しかもあの時のように現代便利グッズなどなしに。
無理だ。
という訳で昼食をとってから、俺はまたまた村の加工場の側の余材置場に籠る事になった。
今度は何を作るかと言うと、もちろんブレードヒルまでの乗り物である。
ここジジカ村には馬車は商店の一台しかなく、
もちろん都合良く「明日商人のおじさんが街に行く」なんてこともない。
また、たかだかブレードヒルまで行くだけで馬車や馬を借りれるわけもない。
木材を出荷するための馬と馬車は明日も村を出るが、それらは港町ヅルカまでである。
結果俺は歩いて行く事しか選択肢がなくなったので、急遽余材置場に籠っているのだ。
現代知識をフル活用して、なんとかここでも作れそうな乗り物を考える。
そして出た答えが『自転車』である。
自転車、前後に車輪がついている人力の乗り物。
それ程早くはないが人が歩くよりはよほど早く、しかも楽。
産業革命以前からちょくちょく話に出て来るので、これならば作れそうだ。
しかし、問題もまた山積みである。書き出してみると…
1、タイヤに使うゴムがない。
2、動力を伝達するチェーンが作れそうもない。
3、後輪の中心にあるハブという部品は進行方向とは逆回転時には空回りする様に作られている。
漕がなくても惰性で前に進みつつペダルは動かないというアレだ。
このハブという部品に至っては作成は考えることすらできない。
というか、俺は構造を知らない。
4、最後に、ブレーキに使うゴムもなければワイヤーも作成不能だ。
など、一見すると自転車の作成を諦めようかと思ったが、何も競輪をする訳ではないので、
とりあえず、乗れて走れる、『歩くよりまし』なのができればいいのだ。
なので、ひとまず代替案を考えつつ作成する事にした。
つまり、歩きたくない。という強い意志の表れだ。
まずタイヤについてだが、ゴムが無理なのでそのまま木の車輪とした。
その分サスペンションを利かせて振動を和らげる事にする。
そのサスペンションだが、車輪を支える台車とハンドル部分との中間、ちょうどシャーシを支える部分の下に鉄製のバネを入れる事にした。
このバネは他にも、後輪の台車とシャーシの間と、サドルの下と計3か所に設置した。
このバネは自分で作成不可だったので、ドクトルさんにこういった物が欲しいと言うと、直ぐに5㎜位の直径の鉄の棒を、炉で熱して赤くし簡単に丸めてバネにしてくれた。
なんだが、簡単に作られ過ぎて拍子抜けだった。
もっとも、ドクトルさんはこのバネをどのように使うのかは分かっておらず、バネの特性を実際に見せると面白いように驚いてくれたが。
次に作ったのは動力部分だ。ペダルから車輪に動力を伝えるのは、結局歯車しか思い浮かばなかった。
歯車と言ってもギザギザの歯車ではなくて、丸太を薄く切って綺麗な円にした物に、外周部に細い角材を打ち込んでいった物を作った。
さすがに、ギザギザに円周を切っていくのは無理だとの判断だ。
これでもちゃんと回転を伝える事が出来た。
ペダルから後輪に直に歯車でつないだので、後輪が回ればその分ペダルも回る。
つまり、下り坂でも常に漕ぎ続けなくてはならないばかりか、自転車がバックした時や、手で押している時でもペダルは回り続ける事になったが、まあ仕方がない。
最後にブレーキだが、ハンドル部分に付けるのは諦めた。
で、ペダルと後輪が直に繋がっているのを利用して、サドルの少し前方に木の棒を取り付けて、この棒を前に倒すことで、棒の先端がペダルの回転部分にと擦れてブレーキがかかるようにした。
夕方前には全部の部品が出来上がって、それらを組み立てていく。
そして何とかそれらしい物が完成した。
さっそく試乗してみる。
木のペダルに木の車輪で乗り心地が悪いか、と思ったが、大型のバネのおかげか乗り心地はそんなに悪くない。
ブレーキはテコの原理を利用して、棒を押し込む力よりも強い力で棒が擦れる様にしたのだが、ブレーキの利きがあまり良くなかった。
なので、棒の先に革を巻きつけてブレーキの利きを良くしたのが唯一の改造点だ。
しばらく村の中を自転車で走って確かめた(別に完成してはしゃいでいた訳では決してない)後、夕食に間に合うように村長さんの家に帰った。
夕食時に、自転車という乗り物を作ったので、明日は多分昼食前にはブレードヒルに着くだろうと言うと、村長さんがその自転車に今から乗ると言い出したが、例によって弥々子さんの、
「もう暗いから明日の朝にしなさい。」
という一言でピシャリとおとなしくなった。
村長さん、実は弥々子さんには頭が上がらないのでは…。
豊吉さんが来た翌日の朝。さっそく水車小屋を造る為にブレードヒルに出発する。
もちろん昨日何とか完成させた自転車もどきに跨っての出発である。
出発前に村長さんが何度も自転車に乗ろうとチャレンジしたが、もちろん成功するはずもなく、
肘や膝を擦りむいただけに終わった。
「この乗り物は小さい頃に練習して初めて乗れるようになる物で、大人になってから練習しても乗れるようになるのは難しいですよ。」
と、村長さんがあきらめてくれるまで何度か説得してようやくの出発である。
このため、出発がやや遅れたのは余談である。
しかし、村長さんがあれだけ挑戦して全く乗れなかった自転車を、いとも簡単に乗って村を出て行った俺を、見ていた数人の村人は、「おお~」っと声にならない声をあげていた。
村を出ると、港町ヅルカまでは曲がりくねった下り道が続く。
昨日最後に改造したブレーキの調子は良く、適度に減速しながらも快調に飛ばしていく。
そして、ほどなくして港町ヅルカに到着した。
ヅルカは、ジジカ村と違って石造りの家々が並ぶ結構立派な町だった。
さすがに街中を自転車で通過するのは、周囲の目が多すぎるので、街道を自転車を押しながら進む。
街道が街の中心部を抜ける形で作られていたので、港へは出なかったが、途中途中で港の方には大きな倉庫らしき建物が建っているのや、帆船が入港しているのか、高いマストが見えたりしていた。
ヅルカは低いながら、石壁で町の周囲が覆われていて、ジジカ村へつながる北門とゼノンの街につながる東門、そしてパクトと言う村につながる西門がある。
各門は鉄の扉が付いていて、非常事態には閉める事が出来る様になっていたが、特に衛兵などはおらず、基本通行は自由だった。
そんなヅルカの東門をでて、しばらく歩いて町の中から見えなくなってから再び自転車に乗って移動を開始する。
このまま街道沿いを行けば次の村がブレードヒルのはずである。
ブレードヒルに着くまでに、数人の旅人のような人と1台の馬車とすれ違った。
皆一様に、見た事もない物に乗って、馬車並みの速さで近づいてくる俺を見て、目を丸くして、口は半開きで、呆然と立ち尽くしていた。
馬車に至っては、御者が俺に気を取られ過ぎたのか、すれ違った後、街道から逸れて草地に突っ込んで行ってしまった。
また、途中で追い抜かした冒険者のパーティのような人達、たぶん侍さん達だろうが、彼らは追い抜かされた後、後ろで何か叫んでいた。
俺が自転車に乗っているのを見て止まれとでも言っていたのだろうか。
そんなこんなで、結構沢山の人々を驚かせつつ、予定よりも早い昼前にはブレードヒルに到着した。