差別は損をするが、区別は益を生む
真田男爵が手配してくれた応援の文官たちは、確かに、皆訳有りの者ばかりだった。
しかし、その「訳」はほとんどが同じだった。
女性なのに執事にあこがれる男装令嬢。
夫の仕事に口出ししてしまい、離縁された有能なご婦人。
いつまでたっても出世できず、単純な計算ばかりさせられていた、有る商会の女弟子。
自分の店を持ったが、部下に侮られ命令無視ばかりされて、夢潰えた女性。
永遠と下働きをさせられていた、女板前見習い。
そう、彼女たちは女性と言うだけで、正当に評価されなかった人達だった。
皇国に限らず、この世界ではまだまだ男尊女卑が一般的だ。その為、女性だからという理由が正当な理由として扱われることがある。
俺の副将軍をしてもらっている、楓さんもその一人だった。
しかし、俺はそういった事は気にしない。
というか、そんなどうでも良い理由で人を選べる余裕などないのだ。優秀であれば、女性だろうと、子供だろうと、奴隷だろうと、重職に付ける。
そういった俺の考えは、俺の騎士団ではかなり浸透しているようで、女性差別はほとんどなくなった。
まあ、副将軍の1人が女性で、さらに、副官も女性なので自然とそうなったみたいだ。
もちろん、彼女達が実力を兼ねていた為でもある。誰もが、彼女たちの実力を認めるほど、彼女たちの腕はたしかだからだ。
最近は、重京の街の人達にもそういった思想が広がりつつあるみたいだ。
市場での出店者にも女性がちらほら見られるようになってきた。
理由としては、騎士団と似たようなところだろうか。桜香がかなりの権力を持っているように見えるのもその内の1つかも知れない。
実際は、俺の命令伝達や、お使いをしているだけなのだが、俺の書状を持っていると分かっている役人たちは、桜香に頭を下げる。どんなに傲慢な役人であろうともだ。
市民にはそれが、女性でも、奴隷でも重職に付けると思われたみたいだ。
そんな訳で、真田男爵からの文官達は、それぞれ特技を生かせる部署へと配属した。
それによって、領主館のコックや執事といった職から、鉄道局の長や領内の経理全般を扱って貰う、勘定奉行といった重職まで、多くの職が埋まって、領地経営がかなり楽になった。
そして、たった今、秋美さんに皇都での奉行職をお願いして送り出したところだ。護衛に大地殿をつけて。
秋美さんは、華の皇都の舞踏会や夜会を好きなだけ堪能できると聞いて、かなり乗り気で出発していった。
もちろん、しっかりと、各侯爵をはじめとした貴族たちの相手と、政界の情報収集、更には、わずかばかりの情報操作もするようにお願いしておいた。
それに対して、秋美さんは「そんな事、簡単ですわ。」と軽く請け負ってくれた。
少し不安があるが、俺よりかははるかに政界に慣れている事が確実なので、任せる事にした。
すこし、経費が掛かり過ぎる気がするのも心配ではあるが。
そして、護衛として送り出した大地殿であるが、秋美さんと一緒と聞いて大変嫌がっていたが、舞踏会で若い女性の相手を出来ると秋美さんに耳打ちされて、すごすごと後を付いて行った。
まあ、姉弟だし、生粋の貴族だし、うまくやってくれるだろう。
応援の文官達の配属先はあらかた終わったのであるが、ここに後1人、配属先が定まらない人物がいた。
その人物は、応援の文官の中で2人いた男性の内の1人だ。
未だ旅に合うような厚手の服装をしている、まだ幼さが残るその容姿は、どことなく小春ちゃんに似ている。
それもそのはずで、彼は小春ちゃんの兄である。
秋美さんや大地殿と違って、小春ちゃんと同じく、真田男爵の側室の子だ。
真田男爵と小春ちゃんの歳の差が、少し気になっていたのだが、側室の子なら理解できた。正室の子である秋美さんは俺よりも年上であるし。
その、お兄さん。俺よりも年下だが、彼の名は「真田空」という。
彼の配属先が決まらない理由。それは、彼の性格にあった。
俺の執務室に入って来て、礼儀正しい60度のお辞儀をしてくる空君。
彼も剣を帯刀していたが、剣はきらびやかな装飾などなく、それといって実用一辺倒でもない。どちらかというと、儀礼で付けているといった感じだ。
「空兄様を連れてまいりました。」
「将軍様がお呼びと聞きまいりました。」
後から入って来た小春ちゃんに続き、頭を下げていた空君が口を開いた。
とりあえず、応接セットに座って貰ってから、要件を切り出した。
「ご足労頂いてすみませんね。要件ですが、空殿。特技をなにか思いつかれましたか?」
「は、はい。その、私の特技ですが、すみません。やはりこれと言って皆よりも秀でている物はないと思うのです。
で、ですが、教えていただければ、何でもやらせていただきますので、どうか、私もここに置いてください。お願いします。」
と、俺の問いにやはり前回と同じ答えを返す空君。
真田男爵が応援に寄越してくれたのに、何のとりえもない息子を俺の所に寄越すとは考えにくい。
そこで、前回はとりあえず、他に大勢いる事だし、考えておいてもらうように言って、下がって貰っていたのだ。
しかし、ここでも同じ答えをもらったので、今回は隣の小春ちゃんに聞いてみた。
「颯太様。空兄様は、いつも口ではそう言いますが、文武共にかなりの実力者でおられますわ。」
「え、そうなのですか?」
「いえいえ、とんでもない。小春はいつも僕の味方してくれますが、本当に僕はたいした事無いです。」
「そんな事ありませんわ。空兄様は軍棋の腕はお父様以上ですし、剣も大地お兄様から1本取られてたではありませんか。」
「小春。軍棋みたいなゲームを出されても。それに、あの試合は大地兄さんが手加減してくれたって言ってたじゃないか。」
「でも、それ以降試合をなさっておりませんわ。」
「大地兄さんもあれで結構忙しいからね。」
「そうではないと思いますが……」
俺もそう思う。たぶん、大地殿の負け惜しみだろう。
軍棋がどのような物かはわからないが、頭はよさそうだな。
なるほど、これは原石の様な気がしてきた。
いろいろ教えていくと、とんでもない将に化けそうな気がする。
「解りました。後程、仕事内容を伝えます。」
そう言うと、空さんは綺麗な一礼をして、出て行った。
帰り際に、小春ちゃんが、「空兄様は本当に優秀な方ですわ。」と俺をうるうるした目で見つめて来たので。
「もちろん、分かっています。」と言っておいた。
次の日から、仕事が劇的に減った。
俺の所にまで回ってくる書類が半減したのだ。さらに、回ってくる書類も、「どうしたらよいのか?」といった内容から「このようにしたいがどうか?」といった内容の物の方が多くを占めるようになったのだ。
これには、公徳さんの仕事もかなり楽になった、という事も影響している様だ。
とにかく、これまで滞っていた仕事が、文官のそれも上級者の多数の応援で一気に進み、それに伴い街の発展もその速度を速めて行く事になった。
そして、俺は空いた時間で前の世界の知識を、特に軍略と経済政策についての知識を、文章にまとめていた。
その文章にした物は、出来たそばから空君の所に送った。
空君に与えた仕事は、この文章の内容を理解し、自分なりの解釈をする事。それと、この文章をまとめて本にする事である。
なにせ、俺は思いついたものから文章にするので、順番もカテゴリーもバラバラだ。それを、空君の勉強がてら製本作業をしてもらおうと思ったのだ。
出来た本は、今後の騎士や文官の教育に使用するつもりであった。
1週間後に、気まぐれで試験をしたところ、良い意味で俺を驚かせるような解答をして見せた空君は、その日から、俺の弟子として製本作業以外に、俺の仕事の補佐もするようになった。
剣の腕も、大地殿に比べてはるかに良く、俺の親衛隊として本部要員に参加してもらうことになったし、今後の活躍が期待できる。
空君の将来に期待を見い出したここ2,3日の間に、更に良い知らせがいくつも飛び込んで来た。
まず初めに飛び込んで来たのは、ドンガガル氏からの手押しポンプ量産の成功報告だった。
あまりにも使い勝手の良い物であったので、鉱山村でも湧水の排水用にと多数が使用され始めているそうで、生産量もかなり期待が出来るそうだ。
まもなく、重京にも出荷されるそうである。
重京では、山からの湧水を利用した上下水道が整備されつつあるので、井戸で使う手押しポンプはあまり需要がないと思っていたのだが、後日、それは誤りだと気付かされた。
なぜなら、高層建築の多い重京では、水を上層階に運ぶのに多数のポンプが使用され始めたからだ。たしかに、重たい水を桶で3階まで運ぶのは大変だ。
このため、ポンプによる外貨獲得は少し後になった。
その代り、外貨を稼いでくれたのは鉄道だ。
ポンプの量産成功の報と前後して、鉄道が何とかゼノンの街までつながったのだ。
しかし、ゼノンの街は城壁に囲まれた街で、駅を城壁内に設置する事は出来なかった。
だが、街最大の門である東門のすぐそばに駅を設置、乗客や貨物はそこから重京の街中まで運ばれることになった。
注目すべきは荷物で、ゼノンで鉄道に預ければ重京まで届くというシステムは、 商人達にうけ、重京の街中が馬車禁止ということも相まって、貨物輸送はかなり好調だ。
それに伴い、かなりの収入があった。まさに、金のなる木となる様相だ。
それに加えて、一度鉄道に乗ってみたいという、旅行者が重京の街に訪れるようになり、近代的な重京の街並みもゼノンの街の人々を魅了し、観光客も来るようになった。
中央大通り沿いの大石で造られた3階建ての宿など、連日満員御礼だそうである。
そしてついに、待ちに待った報告が袁芳さんから届いた。
届いた小包には、無色といずれも薄い、青、ピンク、緑、黄色の切子細工が施されたグラスが入っていた。
そのグラスはどれも同じ、格子模様であったが、前の世界から持って来たのかと思うほど、洗礼された物で、わずか数か月で完成させられた物とは到底思えない程、完成度の高い物であった。
俺は、直ぐに、この試作品の中の青とピンクの物を1セットとした物を100セット作るように依頼した。
それから、無色の物を国王様に、緑と黄色の物を赤穂様に献上する様に手配した。
気に入った青とピンクの試作品は、俺が貰う事にした。
しかし、この切子のグラス。この世界では絶対に高値で売れる気がする。高級特産品として定着してほしい物である。まねされる前に。
袁芳さんから注文していた品が届いたのは、注文してからわずか10日程しかたっていない日であった。
おりしも、先日完成した領主館のお祝いにと、重京の一等地を競売にかけた皇都の四大店の重京における代表者が、合同で押し掛けて来た日であった。
どうやら彼らには、重京において抜け駆けを防止する協議があるみたいで、この日、全員そろって祝いの言葉を言いにやって来たのであった。
もちろん、それだけではなく、手見上げも1人一包ずつ持ってであった。
特に、競売で一番高値で土地を落札した三島屋は、旦那自らが出向いてきた。
さらに、持って来たのは、甘いお酒『ストラチュード』だ。俺が以前重京の酒場でよく注文していたやつだ。まったくどこでそんな事知ったのか。
三島屋は、旦那自らが重京の商会を取り仕切ってもいて、三島屋の重京に対する力の入れようが見て取れる。
因みにその他の商会は、皆代理の番頭が来ている。
そして彼らには裏があるのは間違いないのだが、それはしばらく世間話をしていた後、突然切り出された。
それは、彼らが扱っている、重京の特産品についてだった。
まず初めに話題に上ったのは、手押しポンプについてだった。
手押しポンプは、鉱山村から届いた量が一定になると、北門の要塞の一角の倉庫で入札を行っている。
取り仕切っているのは、新たに俺の勘定奉行に任命した、杏子さんだ。
彼女は、ランドマークで1,2を争う問屋のご婦人であったが、旦那に離縁された経歴を持つ。
原因は、何かと偉そうな旦那に、帳簿のミス等商売の欠点を一気にまくしたてた為で有るらしい。
普段から、もっと違うやり方で商売をすればうまく行くと思い続けていたのが、一気に吐き出されたためだそうだ。
もっとも、その頭の良さが災いして、離縁されたようであるが、おかげで俺は、金銭に関して限りなく天才に近い頭脳を手に入れる事が出来たのだった。
そんな彼女が行っている競売であるが、当然、輸送費がかさむ皇都の大店達は、そんなに大金で入札できない。
よって、どうしても手に入る量が限られるのだそうだ。
しかし、この件に関しては、あくまで俺は此処、重京の領主として、重京を優先せざるを得ない
重京の街の手押しポンプの需要が一段落するまで、待っていてほしいと言わざるを得なかった。
次に話題になったのは、街の南側、石切り場と街の城壁との間にある急斜面に建造した登り窯の増設であった。
元々は、建築資材用の瓦やレンガを大量に生産する為に作った物で、現在では、街の人々の生活用品である、食器なども生産している。
始めに斜面に登り窯を作るように指示したのは、重京の街で一般的なカマクラのような窯では、大量に生産できなかったからだ。
しかし、この登り窯では、カマクラ型の窯よりも質の良い食器が生産された。理由は良く分からない。温度が高温になるからだの、空気の対流が良いからだの、魔力が浸透しやすい形だからだの、陶芸家たちは色々言っているが、もちろん、俺にそんな知識があった訳では無い。
単に、俺の記憶の中の代表的な窯が、登り窯であり、ちょうど良い斜面があったから作るように指示したまでなのだ。
そんな釜で生産された食器類が、ここ重京周辺のきめ細かい泥で作る事も相まって、かなり高い評価をされているようだ。
結果、思いもしない特産品となって外貨を獲得してくれる事となっていた。
なっていたと言うのは、この時まで俺はその件に関しては全く知らなかったためだ。
窯は、陶芸家たちや建築家たちに貸していただけで、そこで何を作って、それをいくらで何処に売っていた等は、全然関与していなかったのである。
で、話を戻すと、その、登り窯の数がどうやら足りていないそうなのである。
なんでも、かなり順番待ちの状態らしく、結果、彼ら商人も入荷待ちの状態なのだとか。
といっても、この世界では、たとえ何もない空地の斜面とて許可なく使用することは出来ない。
なぜなら、土地はすべて領主様の物、ひいては国王様の物だからだ。
なので、このように俺に対して登り窯の増設の許可をもらいに来ることになったのである。
もちろん、俺は痛くもかゆくもないうえに、外貨を稼いでくれるとあっては二つ返事で了承するしかない。
さて、初めの話題で俺に譲歩しておいて、次の話題では俺にも良い話を持って来る。
そして満を持して彼ら、手練れの商人達が俺に付きつけた最後の話題。
それは、俺にもっとも渋い顔をさせる物だった。
今、この重京の街にはあまり病人がいない。それは、俺が街の中央やや南側に大きな病院を造ったからだ。
始めは占領直後の復興支援策として始めた、仮設テントでの無償の診察であった。
現在では、ほぼ重京中の医師と薬剤師を集めた領営の大病院となっており、重京南駅前に、重京最大の建造物としてその威容を誇っている。
その領営の病院で出される薬草が問題なのである。
何処でその話を聞き取ったのか、この病院で出される薬草は特別なものがあると彼らは聞き及んだのである。
当初、侍所から納入されている近場の山々で採取された物や、子供たちが直接病院に売りに来る薬草が良いのではと考えていたそうだが、これらは皇国でも採れる一般的な物だったそうだ。
しかし、ある商会が月に一度病院に納入する薬草、これが一般的な物より何倍も効果があり、特に、重病の患者に処方されるこの薬草こそ、彼らが求めている物であった。
もちろん、その薬草を納入している商会というのは、エルフの奥さんを持つ、御用商人の劉得さんの商会で、納入しているのは、隠れ里に住まうエルフ達が育てた薬草である。
「つまりですね、その月に一度、病院に薬草を納入しにくる『自称御用商人』の薬草を我々にも売っていただきたいのです。」
それまで、のらりくらりとただ相槌を打つだけだった俺に、しびれを切らしたのか、長門屋の若い番頭が直球を投げてよこした。
「その通りですのじゃ。この『自称御用商人』はどこでその薬草を仕入れたのかさえ教えてくれないですのじゃ。
それも、領主将軍様の許可が必要といいよる。
我らを差し置いて、将軍様のお名前で商売をするなど、ましてや、断る理由に将軍様のお名前を使うなど言語道断ですじゃ。」
長門屋の若いのに続いて、備前屋の番頭がそう補足した。
「えっとですね。とりあえず、まず、その『自称御用商人』は、私の御用商人の劉徳さんで間違いないでしょう。
彼には、その薬草の売買の専売権を与えましたから。」
「なんですと!それは明らかな契約違反ですぞ!」
「そうです、話が違います。」
備前屋と長門屋の番頭が俺の返答にすぐさま声を荒げた。
「まあ、落ち着いて下さい。別にこれは契約違反ではありませんよ。
まず、話題の彼、劉得さんですが、彼は元々この重京で活動していた商人です。ですから、私との取引の権利をすでに持っている事になります。
それから、皆さんはこの薬草はどこか私の領内に自生していると勘違いなさっているみたいですが、この薬草はある村で栽培されている物です。」
「なんと、この特殊な薬草を栽培している者たちがいるのですか。」
「そうです、浜屋さん。で、劉得さんはこの者達から薬草を買っているので、私との直接取引にも当たらないと言う訳です。」
「では、将軍!私たちがその村から薬草を仕入れても、問題ないと言う訳ですね。」
「まあ、そうなりますね、長門屋さん。」
それを聞いた長門屋の若い番頭は、一気に笑みを浮かべる。
三島屋の旦那と浜屋の番頭は何か思案顔である。
しかし、備前屋の番頭は、俺を睨み返して、ある質問をしてきた。
「では、将軍様。将軍様のお話が本当じゃとしてじゃ、その村は何処にあるのですじゃ?
私が調べた所、将軍様の領地には村は2つしかないはずですじゃ。
ドワーフ達の鉱山村と鉄道の分岐村ですじゃ。
しかし、そのどちらでも、そのような薬草を栽培していると言う話はありませんで。
いったいその村は本当にあるのですじゃ?」
「村は本当にあります。なにせ私が許可した村ですから、ですが、ある事情から村の場所は秘密になっております。
というか、私も、劉得さんを通じてしか、その村の村長さんとは連絡が取れないのですがね。」
「そうですか、あくまでしらを切られるおつもりですか。では言わせていただきますが、そんな村は存在しないのですじゃ。
その劉得とかいう御用商人は、奥深い森の中に入って行って、何処からともなく薬草を手に入れて帰って来おりました。
その森のどこかで薬草が採れるに違いない。
そうですじゃね。」
「それは備前屋さん、あなたが付けた尾行者の力不足ですね。
大方、森の中で劉得さんを見失ったのでしょう。」
「そんなはずはありませんじゃ。その者はその道の玄人ですのでな。」
「ほう、そんな人物と備前屋さんは何の為に抱えているのですか?」
「そ、それは、いや、べつに抱えているのではないのじゃ、そう、臨時じゃ、臨時に雇ったのじゃ。」
「まあ、良いでしょう。
さて、話を戻しますが、この薬草、先も述べたように、栽培している村で直接仕入れる分には一向に構いません。
ただし、あなた方ではたとえ運よくその村に入る事が出来ても、薬草は売ってくれないでしょう。
これは、私が制限しているのではなくて、彼らの意志の問題ですから。」
「つまり、薬草を栽培している者たちは、何らかの理由で、将軍の御用商人にしか薬草を売らないという事でしょうか?」
「その通りです。三島屋さん。残念ですが、村から薬草を仕入れるのは諦める事をお勧めします。
その代わりと言ってはなんですが、病院での薬草の余剰分を調べてみましょう。もしかしたら、あなた方に回せる分があるかもしれません。
それから、劉得さんに頼んで、薬草の増産が可能かどうかも調べてみます。
それで、良いですか?備前屋さん?」
「そうじゃのう、まあ、それで手を打ちますか。
しかし、なるべく早く、結果を知りたいものじゃて。」
「わかりました。では、結果は解りしだい、報告させます。」
それを聞いて、備前屋の番頭は鷹揚にうなずいた。
だが、俺はそれを見てなんか腹が立って来た。
たしかに、エルフの村を隠してはいるが、先ほど言った通り、備前屋が行っても相手にされないだろうに。それどころか、村にたどり着けるかさえ疑問である。
「まあ、備前屋さん、将軍様が、薬草を入手できるか調べてくださるとおっしゃっているのです。そう噛みつくのはどうかと思いますよ。」
「そうです。備前屋さん、三島屋さんの言う通りですよ。将軍様にも事情がおありなのですから。そんなにがめついていると、帰って損をする事ぐらい、俺にも解りますよ。」
「ですが、三島屋さんに長門屋さん。我々はあの土地を買うのに大金を使っているのじゃよ。その回収をせねばならぬのに、これでは、無理ですじゃ。」
そう言って、再度俺を睨む備前屋の爺様番頭。
何が大金だ、お前の商会は一番少ない金額しか払ってないじゃないか。
ここの領主でかつ将軍たる、この俺に、ここまで不敬な態度に出るこの爺様に、何とか仕返しがしてやりたい。
そう、少し冷静でない頭で思考をめぐらしていると、ある名案が浮かんだ。
未だ何やら言い争いをしている面々に対して、俺は、ある物を机の上に取り出して話しかけた。
「ところで、皆様方。あなた方はこれをどう思いますか?」
その問いに、今まで言い争っていた彼らは息をのんで、その俺が取り出した物を見つめた。
俺が取り出したもの、それは10日前試作品として送られてきた、切子細工が施された薄いピンクと青のグラスだった。
「これと同じものが100セット、用意出来ています。」
4人を前にそう得意げに宣言する。
4人全員の顔が、驚がくに満ちていた。
「そ、そのすばらしいグラスを、我らに売ってくださるのでしょうか?」
いち早く我に返った、三島屋の旦那がそう俺に質問して来た。
「ええ、もちろんです。その為に用意したのですから。ところで、三島屋さんはこのグラスに、いくらの値を付けますか?」
「そ、そうですね。こんな綺麗なグラス初めて見ました。たぶん皇都でもないでしょう。これはこの街で?」
「ええ、そうです。私のお抱えガラス職人に作らせた物です。」
「そ、そうですか。そうですね。これほどの品でしたら、1セット金貨4枚、いや、5枚でどうですか。」
「良いでしょう。で、いくつご入り用ですか?」
「で、出来るなら、全て売っていただきたい。」
「いや、待て!待つのじゃ。儂も金貨5枚だすじゃ。儂にも売ってくれ!」
「わ、私にもお願いします、将軍様。」
「俺も、俺も買いたいです!」
三島屋の買い占め要求に他の3人も慌てて自己主張をする。
「解りました。では、皆さん全員が、100セットを所望という事で良いですね。」
その俺の言葉にうなずく4人。
「しかし、初めに言った様に、このグラスは100セットしか用意できておりません。
したがって、皆さま全員に100セットずつ売るのは無理なのです。
ですから、私が売る量を決めさせていただきます。
まず、三島屋さん。」
「は、はい。」
「三島屋さんには40セット売らせていただきます。」
「は、はい!ありがとうございます。」
「次に、長門屋さん。」
「はい、はい!」
「長門屋さんには30セットでどうですか?」
「そ、それで十分です!」
「では、浜屋さん。浜屋さんには20セットです。」
「解りました。ありがとうございます。」
「最後に、備前屋さん。備前屋さんには残りの10セットです。」
「10……な、なんで儂にはたった10セットなんですじゃ?!
三島屋には40も売るのに。儂にも40いや50売るべきじゃないんですかえ?」
「そう言われましても、残りは10しかありませんので。」
「だから、なぜ、儂が最後なのかと聞いておるのじゃ!」
「それは、優先順位が備前屋さんが最後だからですよ。」
「なんじゃと?」
「それはそうでしょう。重京の土地を使う権利を競売にかけた時、備前屋さんは一番入札価格が低かったのですから。」
「そ、それが関係あるのか?」
「もちろんです。入札金額が多かった順に、商品の購入優先権があります。
ですから、三島屋さんが一番多く購入できるのですよ。」
「だから、儂が、たったの10じゃという事か……」
「納得していただけましたか?」
俺はこの日初めて、いや、ここ最近した事無い位、してやったり顔でそう答えた。
その回答を聞いて、三島屋の旦那は笑みを堪え切れておらず、長門屋は安堵のため息をついていた。
浜屋は、今後の事を考えているのか思案顔で、そして、備前屋は顔面蒼白だった。