戦争は政治の一部です。
騎士団の編成が一段落したころ、思いもよらない人物から呼び出しを受けた。
その日俺は執務室で各種情報の再確認と整理をしていた。そこに正装の執事がやって来て、直接手紙を渡して来たのだ。
その手紙はご丁寧に蝋で封印されていた。
蝋に押されていた家紋を小枝子さんに尋ねると、それは伊勢侯爵の物だと教えてくれた。
手紙の内容を要約すると、出来るだけ早く皇都の伊勢家別邸まで来るようにと書かれていた。
その日の午後は訓練の視察以外の予定は入ってなかったので、午後から伺うと伊勢侯爵の執事に伝え、昼食後伊勢侯爵の別邸に向かった。
伊勢侯爵の別邸は赤穂将軍の別邸とは異なり、洋風の屋敷だった。広い庭園にはバラの生垣に花壇、噴水もあり、かなり豪華だ。
屋敷も白い石造りの2階建てだ。太いギザギザの柱が玄関の屋根を支えており、装飾を施した大きな2枚扉が鎮座していた。
中に入るとこれまた外国のホテルに来たのかと錯覚するような吹き抜けのロビーで白魔晶石を加工したであろうシャンデリアが光り輝いていた。大きさは小さいが皇城にも匹敵しそうだ。
そんな屋敷を案内され大きな応接室に通された。
今回もここ1カ月ですっかりそれらしくなった秘書の桜香を連れて来ていた。
彼女は初め俺の座ったソファーの後ろに立ったのだが、俺が無理やり隣に座らせた。
その様子を見ていたのだろう。メイドさんが紅茶を2人分持って来てくれて、1つをきちんと桜香の前に用意した。
さすがは侯爵のメイドさんよく分かっておられる。
これが加賀将軍だったら、水も出さないどころか、ソファーに座るなとか言いそうだ。
そんな訳で、気を良くしながらたっぷりと砂糖を入れた紅茶を飲んでいると、伊勢侯爵が入って来た。
2人して立ち上がり伊勢侯爵にあいさつする。
「侯爵様、この度は御招きいただきありがとうございます。」
「いやいや、こちらこそ突然来て貰ってすまなかったな。まあ、まずは座って楽にしながら話そうか。」
伊勢侯爵が着席を勧められたので2人共着席する。伊勢侯爵も俺の前に座った。
「そちらが今皇都で噂になっている五十嵐将軍の美人秘書さんかね。確かに見目麗しいですね。」
「ありがとうございます。この娘は桜香と言いまして、ご存じのとおり奴隷ですが、頭が良く、読み書きも直ぐに覚えましたので重宝しております。」
「うむ、容姿だけでなく頭も良いのか。それはそれは結構な事で。」
「はい、桜香に代わってお礼申し上げます。」
俺の言葉と共に、桜香も頭を下げている。出来た娘だ。
「して、今日お招きいただいた用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「うむ、その件なんだが、五十嵐将軍はいったい何時になったら帝国侵攻を開始するのかね?」
「侵攻時期ですか?」
「そうだ。話を聞く所によると、1カ月で帝国を占領できると言ったそうではないか。」
「1ヶ月で帝国を占領ですか。それまたご冗談を。
準備に最低でも1カ月は掛かると言った覚えはありますが、1カ月で帝国を占領など、とてもとても。」
「ん、そうなのか?たった10日で鷹ヶ城を占領したからてっきり本当だと思っておったが。」
「いったい誰がそのような事を?」
「加賀侯爵だよ。彼は将軍も務めておるからな。彼が出来ると言うならそうなのだろう?」
「とんでもありません。加賀将軍が1カ月で帝国を占領できるのなら、加賀侯爵にお任せしたいくらいです。」
「そうなのか?」
「はい。実際、加賀将軍は御前会議の場でシュウ王国の海賊の対応で忙しく、自分は出兵できないと言われていました。」
「うむ、確かに最近シュウ王国の海賊が暴れておるみたいだな。加賀候は度々せん滅作戦を実施すると言って兵糧の無心に来おるわい。」
なんか、その話にも裏がありそうだ。俺の知らない所で利権の駆け引きに使われてないだろうな。
「して、五十嵐将軍は何時頃帝国侵攻を開始するつもりかね。」
「はい、今の所準備が整い次第としか。」
「まだ準備が整っていないのかね。1カ月たったが?」
「最低でも1カ月と言ったのです。まだまだ新兵の訓練も不十分ですし、情報も集まっていません。」
「情報?まあ、良い。それで準備が整うのは何時頃かね?」
「はっきりした事は申し上げられません。」
「それでは困るのだよ。将軍の為に用意する兵糧を準備せねばならないのだから。」
「私の騎士団の兵糧ですか?頂けるので?」
「もちろんそのつもりだ。ただし、条件を飲んでもらえればだが。」
「その条件とは?」
「うむ、今後兵糧を購入する際には備前屋を通して貰いたい。」
「備前屋ですか?」
「そうだ。それから、君が領地を持った場合だが、かの地は芋しか育たない地だそうだね。その芋を買いとってあげるから、私から麦や米を買わないかな。
あまり価値のない芋を主食に交換できるのだ。君にとっては良い条件だろう。」
そう言って明らかに作り笑いする伊勢侯爵。鼻下にはやした白髪交じりの髭が斜めに歪んでいる。
「その条件を飲めば兵糧を都合して頂けるのですか?」
「そうだ。後、侵攻日も教えてもらう必要があるがな。」
ふう、これはかなり厄介な状況になった。裏で色々な事が進行しているみたいだ。
伊勢侯爵の意図は何処にあるのだろうか。侯爵の条件を考えるふりをして、裏を読んでみよう。
まず、しつこく侵攻日を聞いて来るのは加賀将軍と何らかの取引をしているとみて良いだろう。いや、取引材料にするつもりかも。
現在の状況で俺の騎士団の侵攻日を気にするのは加賀将軍位のものだ。きっとまた俺の足を引っ張る事を考えているだろう。
そうすると、伊勢侯爵は俺を生贄に何をしたいのだろうか。
さっきの話から推測すると、兵糧だろう。
伊勢侯爵はなんらかの事情で兵糧を出したくない。だから、兵糧の代わりに俺の侵攻日を加賀将軍との取引材料にするのか。
伊勢侯爵は軍事に明るくない。その情報が人命を左右すること等思いもよらないのだろう。
少し俺に嫌がらせがある程度と考えているのかも。
ならば、同じ国王派と言っても赤穂様の下にいる男爵の一人(つまり俺)に少しばかり害が出るのは許容範囲と考えているのかもしれない。
俺にとってはとんでもない事だが。
備前屋の件は明らかにバックマージンが狙いだろう。
これは解りやすくて良い。たとえ国王派といっても、利権の方が大事と。
次の芋と麦米の交換。
きっと交換比率で儲けてさらに、この芋は飼料として売りさばくのだろう。大量の飼料の納入先を抑えているのかもしれない。
しかし、俺の情報だと、華南部は湿地帯。芋でなく米の栽培の方が適していそうだが、なぜ、芋しか栽培できないと決めつけているのだろう?
そう断定するからには何か信用できる情報があるのか?
いや、違うな。これは俺を誘導するつもりだ。
つまり、俺の領地では芋しかできないと。そして、その芋を麦や米と交換すると言いつつ買いたたくつもりかも。
皇国の食糧はすべて自分が把握しておかなければ気が済まないたちなのか。
そういえば、赤穂様がブレードヒル村を麦の一大生産地にした時、かなり対立したと言っていたっけ。
食料を抑えることで俺を赤穂様から引き抜けるとも考えているのかも。
それは少し自分を評価し過ぎかもしれないが、いずれにしてもやっかいな話だ。
ざっと簡単に裏を読んでみたけど、こんなに思い浮かぶとは。本当にうんざりする。
「お話は分かりました。しかし、現時点で侵攻予定日をお伝えする事はできません。
また、ある大店だけを贔屓にするつもりも、ランドマークからだけ食料を調達する気もありません。
ですから、このお申し出は辞退させていただきます。」
「なに?断るというのか?」
「はいそうです。残念ですが。」
「うむ、理由を聞いても?」
「はい、侵攻日に関しては、軍事的な観点からです。
こちらが攻める日を敵方に知られると、待ち伏せに遭う等こちらが著しく不利になります。」
「帝国に知らせる気などないが?」
「伊勢侯爵はそうでしょう。しかし、伊勢侯爵が話した相手はそうかどうかわかりません。
また、その人も話さなくても、誰かが盗み聞きするかもしれません。
どういう経路で伝わるかは分かりませんが、一つだけ言えるのは『知っている人が少なければ、漏れる確率は少なくなる』と言うことです。
「うむ、そうか。」
「はい、後、次の備前屋に関する事ですが。
後々の事を考えると、現時点で備前屋に取引先を絞るのは得策でないと思います。取引先はコネより実利重視。
伊勢侯爵には解っていただけるかと。」
「うむ、まあ、そうだな。解っているのなら無理強いはしないでおこう。」
「最後に、芋と麦米の交換ですが、もし本当に芋しか育たないのなら、その時改めてお願いしにまいります。しかし、現時点ではまだ判断しかねます。」
「分かった。だが、せっかく来ていただいたのだ。ひとつ君にも良い取引をしようではないか。
いいか。河南国には多くのエルフたちが住んでいた。たぶん今もまだ残っているだろう。
儂の情報だと、エルフたちは今あまり優遇されていない。そこでだ。
彼らには儂の領地、ランドマークに来るように伝えたまえ。彼らの移住状況に応じで兵糧をだそう。」
「なぜ突然そんな情報を?」
「うむ、君は普通にはいかないと思ってな。裏を教えてやろうとな。」
「裏ですか。ではエルフ達はどうするつもりで?」
「普通に働いて貰うよ。彼らの植物に関する知識と特殊能力が欲しいだけだ。」
「そんな素直に……。」
「そうだ。これが儂の本音だ。で、君は何時出兵するのかね。出来るだけ早く彼らの知識が必要なんだが。皇国の為に。」
「分かりました。では、2週間以内には皇都をたつ事にします。」
「うむ、分かった。では、そのように。今日はわざわざ来て貰ってすまなかったな。」
「いえ、こちらこそ貴重な情報をありがとうございます。」
これで伊勢侯爵との会談は終わった。
侵攻日が知りたかったのは、加賀将軍と取引をしていた訳ではなく、ただ単に早く侵攻を開始して欲しかっただけかもしれない。
少し読み過ぎたか。
伊勢侯爵の屋敷を出て、すぐに皇城の赤穂将軍の執務室にむかった。
赤穂将軍の執務室では先ほど伊勢侯爵に聞いた事について話し合った。
赤穂様もエルフの知識については知っていたが、伊勢侯爵がその為に帝国侵攻を支持していたのには驚いたみたいだ。
赤穂将軍はその後国王様にもこの話をしたみたいだ。
国王様もてっきり味方だと思っていた伊勢公爵の侵攻支持には疑問だったみたいだが、少しは納得されたみたいだ。
で、俺はといえば、伊勢侯爵に呼ばれた3日後には皇都を後にした。
と言ってもカーラシア村の駐屯地に向かうだけだが。
これは伊勢侯爵に2週間以内と約束したためである。
その時はほとんど口から出まかせだったのだが、これ以上皇都に居ると色々めんどくさくなりそうなので、急いで出発する事にしたのだ。
2週間以内なので、伊勢侯爵との約束違反にはならない。
また、もし2週間ぎりぎりに出発すると、どこからか聞きつけた加賀将軍が何か仕掛けてきそうだったので急いだのだ。
桜香達と別れるのは辛いが、加賀将軍に何かされるのは勘弁してもらいたい。
なので、早期に皇都を離れるという結論に至ったのだ。
俺は新しく入団した騎士団員達を引き連れて3日後にはカーラシア村の駐屯地に到着した。