第一章 紫色の〝獏〟 ~拾い物の正体~
「☆※*◆‡#%!」
あたしは、一気にパニックに陥ってしまった。腰を抜かしてへたり込んだまま、言葉にならない声を上げてベッドの上を後退さった。
――は、はんとうめいのむらさきいろのかたまりっ!
「あ……あ……あ……」
驚きの余り、言葉が出てこない。
ベッドの上に前足をきちんと揃え、少し首を傾け、半透明の紫色の塊は真っ黒な目であたしを見上げていた。
(ということは、こっちが前だ)
疑問のひとつが解決したな――こんな状況なのに、あたしは頭の隅で悠長にそんなことを考えていた。
あたしと『それ』はじっと見詰め合った。
『それ』は少し変わった顔をしていた。
鼻が伸びて口を覆っている。頭の中で、つい先刻まで見ていた図鑑の中の動物に照らし合わせてみる。象ほど鼻は長くはない。鼻が短ければ……何か、そう――角の無い犀とかいう動物に似ている?
思わず鼻に皺が寄った。
あたし達はお互いに、ずいぶん長い間見詰め合っていた。
時間が経つにしたがって、あたしは落ち着きを取り戻していった。
「何、これ……?」
呟いて、あたしはその紫色の塊を爪先で突いた。
「やめて下さい」
と、『それ』が言った。
あたしは恐る恐る訊ねた。
「あんた、何者よ?」
「それを調べていたんじゃないんですか?」
『それ』はディスプレイの方へ顔を向けた。
そうだった――あたしは再びディスプレイの前に座ると、保留を解除した。
今度は色を無視して、姿形の方から捜してみる。全体像が分かっているから、先刻のように盲滅法に捜さなくて済む分マシだ。
しばらくして、あたしはよく似た外観の動物を見つけた。見たことがないのも当たり前だ。《自然区》を含めても二十頭ぐらいしかいない珍獣、〝獏〟と書いてあった。
「あんた、〝獏〟なの?」
あたしはベッドを振り返った。〝獏〟はゆっくりと頷いた。
「そうですよ」
「でも……」
あたしはもう一度ディスプレイに向き直ると、キィを叩きながら続けた。
「色と大きさがずいぶん違うんじゃないの?」
「そりゃあ、厳密には私は動物の〝獏〟ではありませんから……。もう少し〝獏〟について調べて御覧なさい」
〝獏〟は少し笑いを含んだ口調で言った。言われるまでもない!
調べ出してすぐに、あたしは目当てのものを見つけた。
「……なるほど。ねえ! あんたはこっちの〝獏〟なの?」
あたしはディスプレイに映った『想像上の〝獏〟』を見ながら言った。
――〝獏〟。
古代中国というところで、悪夢を食べるといわれた想像上の動物。
『想像上』と言われるだけあって、いろんな動物の寄せ集め。鼻は象、足は虎、身体は熊、尾は牛、目は犀――一言で言ってグロテスク。
「正確には違いますが、まあそんなところでしょう。ごらんのとおり、外観は実在の方に似ている、『想像』って言うところと夢を食べるところはそっちに似ていますから。まあ、体の大きさと色はどっちでもありませんけどね」
何だか悟りきったような口調で〝獏〟は言った。あたしは肩越しに振りかえると、ベッドの上にいる〝獏〟を見た。
「『想像』なの?」
「あたりまえです。こんな色した半透明な生物がいるわけないでしょう」
今度は馬鹿にしたように言われてしまった。
「じゃあ、誰の『想像』?」
「……知りたいですか?」
少しあたしを見詰めていたと思ったら、口の両端が攣り上がった。何だか背筋が寒くなって、あたしは慌てて首を振った。そしてあたしはもう一つ気になった事を、恐る恐る訊いた。
「……ところで、本当に夢を食べるの?」
「正確には夢を食べるのではありません。レム睡眠中――夢を見ている状態ですが――に限り脳から特殊な脳波が出てくるんです。私は、それをエネルギーに換えて摂取しているんです。それを人間の言葉で『夢を食べる』と言うんです」
「……それじゃあ、今、あたしが眠った時……に?」
「はい。おかけで助かりました」
〝獏〟はぺこりとあたまを下げた。
「何しろエネルギー不足で餓死寸前でしたから……。『夢を食べた』から、こうしてあなたと対話できるんです」
一旦言葉を切った〝獏〟は、あたしをじっと見詰めた。真っ黒な瞳は底が見えないほど深く、吸い込まれそうな気がした。
「しかし、あなたの脳波って強いですね。たった二時間の浅い眠りでこれほどのエネルギーになるなんて……。滅多にいませんよ、あなたみたいな人」
〝獏〟はそう言うと、今度は口元を歪めてにやりと笑ったようだった。
「ええと、ちょっと訊きたいんだけど」
「何ですか?」
あたしは肩越しではなく体ごと〝獏〟の方を向くと、顔の横で手を上げた。〝獏〟は少し頭を傾けて、あたしを見た。
「特殊な脳波って、それも脳波に含まれてるんでしょ? だとしたら、それを取られても人間の身体に影響ないの? 大丈夫なの?」
あたしの問いかけに、〝獏〟は小さな子供を見る大人のように目を細めて答えた。
「大丈夫ですよ。実はその脳波は、人間には感知できないものなんです。レム睡眠に入ると脳は働きますが、身体は――筋肉は働きません。この時に体内のエネルギー分布にムラができます。エネルギーはいつでも釣り合おうとしますから、脳波の一部は運動エネルギーとして使われます。眼球の動きや金縛りなどですね」
「金縛り?」
「意識はしっかりあるのに、体が動かない現象です」
「……わかんない」
あたしは『金縛り』なんて言葉、聞いたこともないから、どんなものか見当もつかない。
「とにかく私は、その脳波を運動エネルギーに流れる前に摂取しているんですよ。まあ、別にあったからどうだ無くなったからどうだってシロモノじゃあありませんから、安心して下さい」
「へええぇ……」
ディスプレイのスイッチを切ってベッドまで行くと、腰をかけたあたしは間の抜けた声を出した。意味はよく分らないけれど何だかスゴイ話みたいで、あたしは感心して紫色の〝獏〟の話を聞いていた。
脳波の件は、創作です。突っ込み入れないでください。