プロローグ ~逢魔ヶ時~
昔考えた話で、ネタは古いと思います。自分としては珍しく長い話です。最後まで書き切る事が出来るか、少々不安でもあります。
『それ』を見付けたのは、いつものようにロードウェイで学校から帰宅する途中だった。腕時計のデジタルは、5時20分を表示していた。地下都市の照明は、天井の日光灯と道端の街路灯が交代しつつあった。
あたしはぼんやりと、ロードウェイに乗って動く人々の流れを見ていた。
少し足早に歩く程度のスピードで動くロードウェイの上で、何を考えているのだろう。彼等は全員姿勢を正して、無表情に真っ直ぐに前を見つめてただ立っているだけだった。まるで人形を並べてあるみたいだ。
そんな人の群れを見ているのにも飽きて、あたしは、視線を対向するロードウェイから戻しかけた。その時、安全帯の植え込みの下に奇妙なものを見つけた。
赤紫の半透明をした『それ』は、低木の茂みの影で小刻みに震えていた。
あたしは人並み外れて好奇心が旺盛で、時々――いつも、先生から注意を受ける。
「多少の好奇心は自分自身の向上にも繋がってよいのですけれど、あなたの場合は度を過ぎていますね。おまけに自分の限界を無視する傾向がありますから、いずれ身を滅ぼしますよ。気を付けなさい」
と、こんな風に。
その時も好奇心がムクムクと頭をもたげ、あたしはその不可思議な物体の二メートル手前で、安全帯の方へロードウェイを降りた。
しばらくそこに立って見ていたが、『それ』は動き出す様子も、爆発する様子もなかった。あたしは意を決すると、慎重に一歩ずつ『それ』に近づいていった。
『それ』は両掌にすっぽり入ってしまうくらい小さかった。恐る恐る手を出し、指先に触れると手を引っ込める。この動作を何度か繰り返した後、思い切って掬い上げるようにして両掌に乗せた。
見かけは赤紫色の半透明、前後左右上下の区別がつかない。手触りはブヨブヨして生温かく、絶えずブルブル震えていた。
(……生き物だ……!)
あたしは直感した。
とは言え、あたしにこの生物の名前が分かるはずはない。何しろ動植物の類は、フィルム学習や動物園・植物園などで数回見ただけだ。触れたことに至っては二回しかない。
最初は小学校の低学年の体験学習で、先生が持ってきたマウスを撫でた時。二度目は友人が自分のユニットで飼うことになった仔猫を触らせてもらった時。
それらが柔らかくふわふわしていたのに比べると、今、手の中にいる生物はずいぶん感触が違っている。
今の時代は、地上がすっかり荒廃し、人々が地下都市を造り、そこで生活するようになって一千年以上になる。
人類が地上で生活していた時は『国』という組織があって、対立したり手を組んだりしていたと授業で習った。地下に降りた当初はその名残で、どの『国』がリーダーシップを取るかで一触即発の事態になったらしい。少しでも『自国』を優位にしようと『政治家』と呼ばれる人達が暗躍し、地下都市がいくつか消えそうな憂き目にあったらしい。
結局そう言う事をしていると共倒れになると気付いて、地下都市では限りある資源を無駄にしないため、すべてコンピュータによって管理する事になった。今では『国』の代わりに『地区』という区分になっている。あたしがいるのは『ユーラシア属日本地区』。この地区ごとにメインコンピュータがあって、そこから《シティ》のコンピュータへいろいろな指示が出されている。人口・食料生産・気象などから個人のプライバシーに関する事まで事細かに管理されている。
無論、地下都市にいるのは人間だけではなく、幾種類かの動植物も一緒にいることはいるが、数はとても少ない。何でも「絶滅の危機がある」とかで、《中央政府》の監視下の元、厳重に管理されているらしい。そもそも『絶滅』ってどういうことか、よく分からないけど……。あたしに分かるのは、政府が監視しているのは、人間だけじゃない、ってことだ。
とにかく、あたし達が目にできる動植物は、少ない。それでも植物に関しては、ロードウェイの安全帯や、公園などちょっとしたスペースに植えられているから、そんなに珍しくはない。けれど動物に至っては、許可されたごく一部の人が自分のユニット内で飼っている他は、決められた場所以外では見る事が出来ない。動物園や一般人の立ち入りが禁止されている《自然区》と呼ばれる所だ。
かつて地上で生活していた頃には、どこの家でも見たという『ゴキブリ』という昆虫や、『ネズミ』とかいうげっ歯目の哺乳類もどこにもいない。いたら絶っ対、飼うのに!
その為二・三百年前には、極端な人は生きた動物を見ずに一生を終えたらしい。これは『生体保護』の観点からすると非常にマズイ事で、見た事もないものに愛着を感じたり、保護欲は起きないから、と言う事らしい。
それで今では、小学校の低学年に体験学習の時間を設けて、小動物を見せたり触らせたりさせてくれる。また、見学学習の時間には動物園や植物園に行くこともある。
どの位立っていたのか、あたしは我に返ると周りを見回した。ロードウェイを行く人々が奇異の目で見ているかもしれない。
しかし、ロードウェイで行きかう人々は、まっすぐ前を見て立っているか、隣の人と談笑しているかのどちらかで、あたしのことなど気にも止めていなかった。
あたしは安心すると同時に、少々寂しい気がした。周りにたくさんの人がいるはずなのに、この世にたった一人きりのような気がする。身体の奥にある穴のようなものに吸い込まれる感じがして、あたしは慌てて頭を振った。こういう考え方もよくないと先生に注意を受ける。
そうだ、今はこんなことをしている場合じゃない。
あたしの他にこの紫色の塊に気付いた人とか、今のあたしを見ていた人が《センター》へ連絡していないとも限らない。
《センター》とは地下都市のコントロールと治安を管理しているところの総称で、それぞれの《シティ》の中心部にある。いろんなセクションに別れているらしいが、あたし達はよく分らないので、単に《センター》と呼んでいる。
《センター》の局員の行動は、驚くほど早い。どんな所から連絡しても、到着するまでに二分とかからない。連絡されていたらもう到着するだろう。あたしは大急ぎで、他人に見られないように紫色の塊を抱え込むと、ロードウェイに乗った。
それから自分のユニットに着くまでは、びくびくのし通しだった。途中で《センター》の局員とすれ違った時なぞ、心臓が飛び出すんじゃないかと思った。
急に彼が、
「おい、ちょっと待て」
とか言って、こっちへ乗り換えて、あたしの隣へ来て、
「今、連絡を受けたんだが、お前何を持っている?」
とか言われて、無理矢理取り上げられて、
「許可証無しに生物を飼うとどうなるか知らんわけじゃあるまい」
とか言って『これ』を《センター》へ持って行く。
《センター》ではこれの正体を探る為にいろいろ実験するだろう。そんなことをしたら……死んでしまう! 今でさえ充分弱っているのに、こんなに小さいのに……!
死んだらきっと解剖するだろう。そしてホルマリン液の中に入れて、市民の前に晒すだろう。
その時あたしは開きになってホルマリンに浸っている紫色の元生物の前で茫然としているだろうか……? それとも、自分の無力さに泣いているだろうか……?
いろんな考えが頭の中を駆け巡った――この想像力過多も先生から受ける注意のひとつだ。
だから、ユニットに入って、ドアを閉じて、ようやくあたしは心の底から安心した。気がつくと、足がガクガク震えていた。
科学的におかしい所があっても許して下さい、文系脳なので…