1 旅立ち
薄暗い森を抜けると、明るい平原が広がっていた。死に場所を探す身ではあるが、周囲が一気に明るくなったことで、歩調も軽くなったような気がした。
「おおきい! ひろい! でかい!」
隣で平原の広さに感服するこいつは、スライム。なんと、人語を理解できるとのことだ。
「ところで、おまえ、なまえなんていうんだ?」
スライムが突然俺に聞いてきた。そういえば、まだ名を名乗っていなかったか。
「俺の名前は、クレイ・シューマン。クレイって呼んでくれ。」
「そうか! クレイ! クレイ!」
スライムは嬉しそうに俺の名前を繰り返している……が、今伝えたのは俺の本名ではない。迂闊に本当の名前を伝えて、こいつ伝手で俺が元勇者であったことがばれるのを避けたいからだ。それに、魔物であるこいつにとって、勇者という存在は……あまり、気持ちのいいものではないだろう。
「次はお前の方だな。なんていう名前なんだ?」
俺は、スライムに聞いてみた。
「ぼくの、なまえ……?」
スライムはしばらく黙ってから、話し出した。
「ぼくには、なまえない! ぼくは、スライム。そんだけ!」
なるほど、まぁ魔物だからな。特にスライムのような魔物だと、知性を持っているものも少ないし、他の動物たちと同じように、個体を識別する名前は持ち合わせないということか。
……しかし、それでは、あまりにも……。
俺はしばらくしてから、口を開く。
「そうか、じゃあ俺が名前をつけてやる。お前の名前は、モルンだ。」
***
さっきまで進んでいた森とは違い、この平原には街道がしっかり整備されている。大都市リンドエルムへの道なのだから、当然といえる。
さっきから何人かの行人とすれ違っているが、みな、スライムを連れた俺を怪訝そうな顔で見てくる。これもまた当然だろう。俺でもそうする。
「クレイ! みろ! あれみろ!」
突然スライムのモルンが叫ぶ。その視線の先には、一面が黄色に染まった、花畑が見えた。
「ああ、花畑だな。そういえばこの辺は、花の名産地だったか。」
「ハナ! ハナ! ハナだー!」
スライムは街道を逸れて花畑の方向へ駆け出した。スライムの年齢感覚がどれくらいかはわからないが、人間にあてはめると、精神面は幼さを感じる。子どものようだ。
俺たちが到着すると、きれいな花々が出迎えた。一面の黄色。モルンは随分興奮しているようだった。
「クレイ! これハナ! キレイなハナ!」
モルンは液状の体を器用に変形させて、花の一本を摘み取った。……スライムって、意外と便利な体してるんだな。
「クレイ、これやる! これハナ! キレイなハナ!」
モルンは摘んだ花を俺に差し出した。なんということはない、珍しくもないただの花だ。そう、ただの花——。
「……ありがとう。」
その後も花園を満喫するモルンを眺めていると、
「クレイ! あれみろ! でかい! でかいハナー!」
モルンは突然大声を上げ、走り出した。
モルンが向かった先に目をやる。平原の中に佇む数本の木、そしてその間には、大きな花があった。そう、大きな花。全長は、人間1.5人分にも相当するような、大きすぎる花——
……いや、あれは。
「モルン、危ない! 離れろ!」
俺が叫んだときには、既にモルンは花弁の一端に触れていた。
次の瞬間、その花はうねりを上げて動き出し、大きな花弁をさらに大きく広げて、モルンを飲み込もうと襲い掛かった。
「ギエピーーーーーーーー!!」
モルンの叫びと同時に、俺は腰の剣に手を当てた。
地面を強く踏み込み、姿勢は低く。照準を、巨大花に定める。
刹那、俺の体は弾丸のように飛び出した。一瞬にしてモルンたちの下へ到達すると、剣を抜き、あっという間に巨大花を真っ二つに斬り捨てた。
斬られた花はやがて灰になって消滅する。そして、モルンは唖然とした表情で俺を見つめていた。
……少し、驚かせてしまっただろうか。それなら申し訳ないが……。
しばらく、静寂が辺りを包む。
「クレイ…………
スゲーーーーーーーーーーーーー!!!!」
「え?」
「クレイ、スゲー! つよい! つよい! さいきょう!」
モルンは興奮気味に飛び跳ねながらそう繰り返す。喜んでくれたのか……? それならよかったが。
『クレイジーフラワー』の討伐なんて、俺にとっては、朝飯前とすらいえないくらい簡単なことなのだが。これが料理店なら、お通しの前の水を提供したくらいの段階なものだ。ま、楽しそうだしそれが何よりか。
しかし、興奮するそいつを見ていると……やっぱり、精神的には随分子供なんだと思った。
その後、俺たちは街道に戻り、リンドエルムへの旅を再開した。
「クレイ、つよい! クレイ、さいきょー!」
モルンは相変わらずそんなことを繰り返している。随分気に入ってもらえたようだ。
しかし、得体のしれないスライムとはいえ、ここまで喜んでもらえて悪い気はしない。自分の実力を評価されるのには慣れているつもりだったが、なんだか今までとは違う嬉しさが、俺の胸には満ちている。……勇者の旅をしていた頃は、他人からの賛辞を素直に受け取れなかったことを思いだす。
そんなこんなで進んでいるうちに、リンドエルムが近づいてくる。魔術の聖地ともいわれる都市ならば、死の呪いを解くカギも見つかるのではないかと思ってはいるが、元勇者の身元不明の男と、人語を話すスライムの二人組。変に怪しまれないかは心配だ……。
「クレイ、あれみろ! なんだあれー!」
モルンが不意に大きな声を上げる。前方に見えるのは、連なる壁と、門。傍には詰所のような建物も見えた。
「ああ、あれは関所だな。リンドエルムに悪人が入ったり、変なものが持ち込まれたりするのを防ぐために、検問をする場所だ。」
「ぼくは、わるいスライムじゃないよ!!」
「……お前のことは、俺がうまく説明するよ……。」
しかし、関所の様子がなんだか変だ。人が集まっている。それになんだか騒がしい。普段なら、関所にあそこまで人は溜まらない。番人が仕事をさぼっているのか、あるいは……。
関所の方に足を進めると、集まった人々の声が聞こえてきた。
「ふざけるな! ここが通れないと、荷物の搬入が間に合わないだろうが!」
「早く通してくれないと仕事が間に合わないだろ、頼むよ!」
「私は大丈夫です! ですから、私だけでも通してください!」
内容を聞くに……この関所は通れないのか? それは困るが……。
近くにいた商人のような男に声をかけてみることにした。
「すみません、ちょっとよろしいですか? この関所は今通れないのですか?」
俺の言葉に、男は振り返って答えた。
「ああ、あなたも旅の方ですか?」
「たびのかただ! そして、たびのスライムだ!」
突然モルンが出張る。商人の男は、驚いた顔を見せる。
「え、ええ? スライム、ですか? しゃべってる……?」
「ああ、すみません。俺は旅の魔物使いでして、このスライムは、訓練して人語を話せるようになった特殊なスライムなんですよ。」
男は相変わらず驚いた顔をしている。
「魔物使い? そうですか、人語を話せるとは、すごいですね。」
「すごい、すごいよ!」
モルンは得意げな顔をしている。
「はは、それで、この関所では、一体何が起こっているんですか?」
そこで、俺は改めてそう聞いてみた。
「ああ、そうでしたね。今ですね、この地方で、ある『感染症』が流行していまして、感染力の高い凶悪な病だそうです。ですから、この方面からリンドエルムへの通行は強く制限されているんです。」
なるほど、それでああいう騒動になっているわけか……。
「やばい! やばいじゃん! やばいじゃん!」
モルンはヒステリックにそう繰り返すが、まずい状況なのは事実だ。ここが通れないとなると、リンドエルムに入るには、かなり遠回りした別の関所を経由しなければいけない。それに―—
「そちらのお二人、すみません、少々お時間よろしいですか?私、検問官のストラーダという者です。」
「……はい。」
検問官を名乗る男が俺たちに話しかけてきた。やはりか……。
「こちらの関所を通ろうとされていますよね? 聞いての通りかもしれませんが、今ここは通れません。 ただ、魔術判をとることになっていまして。お手を拝借してもよろしいですか?」
魔術判とは、専用の道具を使って人の体内に存在する特異的な魔術回路の一部を記録する、本人照合の手段の一つだ。俺がモルンの呪いを確認するときに使った魔術を応用したものらしい。関所ではこれを使って危険人物の侵入を防いでいるわけだ。つまり、俺の魔術回路を解析されれば、元勇者だという身元がばれてしまうことになるのだが……。
「わかりました、どうぞ。」
俺は検問官に手を差し出すと、彼は専用の魔道具を俺の手に乗せた。そして、しばらくするとそれを回収した。
「はい、大丈夫です、では次にそちらの方も――」
検問に使われる魔道具程度なら、本体の魔術回路を秘匿するのなんて造作もないことだ。俺は剣だけでなく、魔法にも精通している。トップクラスの魔術師ならともかく、この程度なら問題ない。
「はい、お二人とも、魔術判の検出が完了しました。ご協力ありがとうございました。」
「おい! ぼくは? ぼくもいるぞ!」
モルンが視野の下から急に声を上げる。
「ええ……? スライム、ですか? 魔物の判はとりませんよ……。いくら人の言葉を話すとはいえ、あなたは大丈夫だと思います、ハイ。」
「ぼくは、わるいスライムじゃないからな!」
「そ、そうですね……? では、私は失礼します。」
やや動揺しながら頭を下げると、検問官は去っていった。門の近くでは、まだ騒ぎが続いている。
「しかし、困りましたねぇ……。検問官の話からも、ここはやはり通れないようですし……。」
商人の男が呟く。それは俺たちにとってもそうだ。
魔術判をとられたということは、俺がここを通ろうとしたという情報は他の関所にも共有される。つまり、この疫病騒動が収まるまで、他の門を通ろうとしても弾かれてしまうだろう。つまり、どこからもリンドエルムには入れない。
「この門は、一切の人を通さないのでしょうか。それと、終息の見込みは立っているんでしょうか。」
俺は、商人にそう聞いてみた。
「うーん、一切、かどうかはわかりませんが……まぁ我々のような一般人にとっては、一切といって差し支えないでしょう。そして、終息の目安については、未だまったく立っていないようです。」
「やばいじゃん! やばいじゃん! ギエピー!」
モルンが叫ぶ。しかし、やばいのは事実だ。
「私は近くの宿に泊まって時が経つのを待とうと思います。」
商人の男はそう言った。俺は聞いてみる。
「近くの泊まれる場所って、どこがあるんでしょうか。」
「そうですね、最も近いのは、アルバの村でしょうが、あそこは感染症の中心地だと聞きます。そこに滞在するのは危険でしょうから、少し離れた場所にはなりますが、ヘンドリアの町に行こうと思っています。」
「アルバ? ヘンドリア? なんだそれー!」
ヘンドリアの町……か。勇者の旅でも訪れたことはないが、名前くらいは聞いたことがある気がする。まぁ、どこにでもある一般的な町という印象だ。
しかし、アルバの村で感染症が蔓延している以上、ヘンドリアに向かうしかないか。
「なるほど、では私もヘンドリアに向かうと思います。アルバは危険そうですから。」
「ぼくも、危ないの、いやー!」
俺がそういうと、商人の男はある提案を持ち掛けてきた。
「そうですか! ではご迷惑でなければ、ヘンドリアまでご一緒しませんか?私もこの非常時で一人は不安ですし……。」
少し考える。しかし、一人と一匹で不安なのは俺も同じだ。それに、商人は情報に聡い。関係を深めて損はないはずだ。
「わかりました。我々も不安でしたし、ぜひ一緒に行きましょう!」
「パンパカパーン、おとこが、なかまになった! やったぜ!」
モルンも嬉しそうにそう言った。
「はは、よろしくお願いします。私の名前はコートといいます。短い間ですが、頑張りましょうね!」
こうして俺たちは、ヘンドリアの町へ、足を進めるのだった。




