第53話 星空と胸の内
回復装置に浸かってどれくらい経ったころだろう。
晴れた空の夢を見ていた気もするし、ただ沈んでいた気もする。
「……そろそろ、時間だよ」
雨夜の声が聞こえた。
液体の温度がゆっくりと下がり、身体が浮き上がってくる。
目を開けると、透明な粘性の液が剥がれるように離れていった。
光に目が慣れていく中、数人の姿が視界に入った。
最初にコンテナから身を起こしたのは影野だった。
髪が濡れてもいないし、呼吸も落ち着いている。
「……体が軽い!」
言葉はそれだけだが、妙に説得力がある。
綾瀬もゆっくり身体を起こし、肩を回した。
「筋の張りが無くなってるな……これは良い」
桜庭は容器から立ち上がりながら、ぽふんと声を漏らした。
「……すご〜く良い!……これ……最高〜……」
烈は起きた瞬間から元気だった。
「おいこれ家に欲しいんだけど!高ぇの!?」
千景はタオルで腕を拭きながら淡々と分析する。
「なんか魔力回路がスッキリした気がするわ」
灰音は周囲を見ながら小さく息を吐いた。
「……生き返った」
そして陽翔も身体を起こす。
皮膚の内側に温かい火が灯ったみたいだった。
筋肉の重さが消え、魔力が脈動している感覚がある。
自分だけ特に長く浸かっていたせいか、全身が軽い。
「どうかな?」
雨夜が問う。
陽翔は正直に答えた。
「……動ける気しかしません」
雨夜は少し笑った。
「それなら充分。また明日も動けるってことだね」
澪がストップウォッチを止めて手を叩く。
「これで今日の訓練は全部終了です。お疲れ様でした」
その言葉に全員の顔が一瞬ほころぶ。
明確に“終わった”と告げられる幸福は、こういう場では貴重だった。
そして次の言葉はもっと良かった。
「この後は食堂で夕食。好きなだけ食べて」
烈がそのままの勢いで立ち上がる。
「最っっ高じゃん!」
桜庭も元気を取り戻して手を上げる。
「はーい!はーい!はーい!行きます!」
影野は静かに、だが早い歩幅で出口へ向かい、
千景は髪を整えながら後に続いた。
陽翔も自分の身体の変化を確かめるように指を握ったり開いたりしながら、食堂へ歩き出した。
訓練棟の食堂は、思ったより広かった。
長机がずらりと並び、壁際には温蔵器付きのバイキング台。
白い湯気と香ばしい匂いが混ざって、胃袋を直接殴ってくる。
「……種類多っ」
烈は迷う時間すら惜しいらしく、皿に肉と揚げ物をガン詰めしていた。
影野は逆に、必要な栄養素だけを計算したような量で戻ってくる。
桜庭はサラダ→デザート→サラダ→パンという謎ルートを辿り、灰音は慎重に一品ずつ選んでいた。
席についた頃には、それぞれの皿に性格が出ていた。
「んでさ——」
烈が口に放り込みながら切り出した。
「みんな、どこ所属なんだ?」
唐突だが確かに疑問だ。
昼間の訓練中、俺や姫華は隊服だったが、彼ら四人は隊服じゃなかった。
桜庭がフォークを振りながら答えた。
「私は所属してないよ〜。派遣っていうか、個人契約っていうか」
「派遣?」
「うん。特定のクランに属さず、必要な時だけ呼ばれる感じ〜」
と言いながらスイーツに手を伸ばす。
灰音も続いた。
「……私も、正式所属はありません。派遣扱いです」
簡潔だが、それ以上喋りたくなさそうだ。
次に影野。
「私は家がクランみたいなもんなんだよね」
烈が目を丸くした。
「家が?」
「うん。家は代々、情報収集、潜入とか裏方の依頼をこなしてんのよ」
そう言って淡々と味噌汁を飲んだ。
確かに、使う武器はクナイに手裏剣。
なんか忍者っぽいなとは思ってたから納得だ。
最後に綾瀬。
「俺は新宿にある王狼に所属している」
「王狼?」と陽翔は聞き返した。
千景が補足する。
「名前は聞いたことあるわ。東京の上位クランでしょ?」
綾瀬はナイフで肉を切りながら軽く頷いた。
「まぁ上位……かどうかは知らんが、設備は整ってるな」
会話の区切りがついたところで、烈が陽翔に視線を向ける。
「んで俺たちは暴黒の獅子」
影野は野菜をつまみながら笑った。
「なんか評判と違ってちゃんと強いよね」
桜庭もすぐ乗る。
「わかる〜。もっと治安悪い感じだと思ってた〜」
灰音も淡々と付け足す。
「粗暴、横暴、危険……みたいな」
烈が箸を天に向けて抗議する。
「おい待て、なんだその三拍子」
千景が苦い笑いで肩をすくめる。
「事実、昔はそういう時期もあったらしいわ」
烈は「昔は」を強調するように指を立てた。
「そう、“昔は”な。今は違ぇよ」
綾瀬も頷く。
「まぁ確かに、評判と中身がズレてるクランって感じはあるな、特にあの3人」
姫華がジュースを飲みながら言う。
「近衛さんも、雨夜さんも、澪さんも、正直どのクランに行ってもエース級よね」
灰音が短くまとめる。
「噂とは別物ってこと……ね」
烈はニッと笑って胸を張る。
「そーゆーこと。悪評だけ拾われんのは仕方ねぇけど、これからは変わってくぜ」
桜庭が口を尖らせる。
「噂の更新が遅いんだよね〜、クランって」
影野も小さく同意する。
「それはあるよね。大きい戦果があると一気に知名度でるけど」
桜庭は飲み物を置いて言う。
「コツコツは時間かかるからね〜」
会話は自然に途切れ、しばらくは食事の音だけが広がった。
温かい湯気。
銀のカトラリーが皿に触れる音。
回復後の空腹を満たす幸福な沈黙。
それぞれ違う場所から来て、違う立場で、違う事情を抱えているのに。
今は同じテーブルを囲んでいる。
その事実だけで、少しだけ力が湧いた。
────────
バイキング形式の食事が終わると、施設側の係が前に立ち、簡潔な説明が入った。
「部屋は四人一組です。男女で棟が分かれます。大浴場は——」
説明が終わるやいなや、足早に影野と桜庭は席を立つ。
「よし、じゃあみんなおやすみ!」
「おやすみ〜」
早く寝たいのか、一足先に影野と桜庭は部屋へ向かっていく。
そして廊下に流れができ、皆、荷物を抱えて棟へ向かう。
陽翔と烈は男子棟へ、姫華と千景は女子棟へ向かう動線。
曲がり角に差しかかったところで、姫華が陽翔を呼び止めた。
「——陽翔」
「ちょっと……いい?」
声量は控えめだが拒否の余地がない。
烈が振り返るが、千景が即座に腕を掴んで引っ張った。
「ほら、いくわよ」
「いや、でも……いてっ、引っ張んなって!」
文句は千景の背中に吸い込まれ、扉が音を立てて閉まる。
廊下に残ったのは陽翔と姫華だけ。
姫華は周囲を一度だけ見回し、小さく指で先を示した。
「こっち。外に出よ」
施設の脇にある通用口を抜けると、夜風が頬を撫でた。
山の空気は冷たく乾いていて、吐息が白く溶ける。
そこは合宿施設の裏手、斜面の途中に造られた小さな展望スペースだった。
灯りは少なく、上空は遮るものもない。
視界が暗闇に慣れると、遅れて星が浮かび上がる。
冬の山空は驚くほど澄んでいて、街では見ない色の星が硬質に瞬いていた。
「……ここ、すげーな」
陽翔が知らず呟くと、姫華は手すりに寄りかかりながら答えた。
「ホント、綺麗ね」
風が髪を揺らし、星が二人の上に降る。
施設の灯りも会話も届かない、小さな隔離空間。
夜の匂いと星の光だけが残っていた。
そして姫華が横目で陽翔を見る。
「——で。本題」
そこから話の内容に入る直前で、時間が止まる。
「魔眼のことだけど」
姫華は地面ではなく空を見たまま続けた。
「私は実際には見てない。だから余計に気になってる」
視線を落としながら言葉を並べる。
「とても強大な力……なんでしょう?」
姫華は少しだけ陽翔を見る。
「ねぇ、……制御できるようになるの?」
それは好奇心ではなく、判断のための質問だった。
陽翔は言葉を探すように黙った後、短く返した。
「……使わないよ」
姫華は目を瞬く。
「使わない?」
陽翔は空を見た。
星の光が目の縁に反射する。
「制御とか……そういう問題じゃないんだ。俺は魔眼を使わない」
そう、使わない。
あの後から俺は感覚でわかっていた。
〝魔眼〟の発動の仕方を。
姫華は真っ直ぐ陽翔を見た。
「何故?」
陽翔は答えないわけにはいかなかった。
逃げれば質問が増えるだけだと知っていた。
少しの呼吸の間があった。
「……あれは人が使っていい力じゃない。使ったら取り返しがつかない気がするんだ」
姫華の問いは止まらなかった。
「危険だから?」
陽翔は首を横に振る。
「あぁ、危険だしそれに……問題は暴走する可能性があるって事」
風が一度吹いて、二人の間を冷やした。
姫華はそれを理解するのに数秒を使った。
そして小さな声で言う。
「だから封じるの?」
陽翔はそれだけは即答だった。
「封じる。俺は〝あの力〟が怖いんだ」
もし暴走してしまって、人の命を奪ったら?
それが仲間であれ、知らない人であれ、俺はその恐怖に耐えられない。
姫華は息を吐いた。肯定ではなく、評価でもなく、整理のための呼吸だった。
星を見たまま言った。
「……でもね陽翔。〝七瀬〟は絶対狙ってくるわよ」
陽翔は苦く笑うしかなかった。
「だよなぁ」
姫華は少しだけ肩を竦めた。
「でも意思は変わらないのね?」
「魔眼を使わなくてもいいくらい強くなるさ」
沈黙。
でも重くはなかった。
姫華は踵を返しながら言った。
「まぁいいわ。聞きたいことは聞けたから」
数歩歩いたところで振り返る。
「でも陽翔。もし制御できる可能性があるなら、私はその方がいいと思う」
そこで言葉を止めて、こう付け足した。
「別に強くなれって話じゃない。“暴走しない”ためにも制御は必要だから」
陽翔はその意味をすぐには咀嚼できなかった。
姫華はそれ以上踏み込まなかった。
「………戻ろっか」
そう言って歩き出した。
山の上の夜は静かで、星は変わらず瞬いていた。




