第50話 基礎戦闘
雨夜がゆっくりと前に進み、皆を見渡した。
穏やかだが、芯のある声が響く。
「では、説明しますね。
皆さんにはまず武器有りの実戦訓練を行ってもらいます。ただし、魔力の使用は禁止です」
言った瞬間、周囲の空気がわずかに変わる。
ざわめきではなく、意識の揃う音だ。
その言葉に、千景が真っ先に手を挙げた。
「ちょっと待ってください。
私、魔法使わないと武器出せないんですけど」
たしかに千景の武器は魔法で作る前提だ。
武器を出せなければ素手で殴り合う事になる。
だが雨夜は柔らかく微笑んだ。
「安心してください、千景さん。
そのためにこちらでもいくつか武器を用意しています」
雨夜が右手を軽く振ると、壁際のラックが音を立てて開いた。
中には、一列に整然と武器が並んでいる。
剣、木刀、刃潰しの金属刀、短剣、棍、棒術用の棒、拳具、盾まで。
陽翔は思わず目を瞬いた。
「武器屋じゃん」
千景はラックに歩み寄って目を走らせる。
「……こういうのあるなら先に言ってくださいよ」
文句を言いながらも、指先は短い片手剣とナイフへ伸びていた。
雨夜は淡々と続ける。
「ご自身の体格・得意な距離を考えて選んでください。もちろん不慣れな武器で挑戦しても構いません」
その言い方はあくまで選択させる形で、強制ではない。
雨夜は続ける。
「武器訓練は基本的に《武器あり vs 武器あり》ですが、当然、武器を持たない方と当たる場合もあります。
実戦では何があるかわからないので」
姫華が刀を手に取りながら呟く。
「基礎戦闘を磨くって訳ね」
雨夜は頷いた。
「この訓練の目的はシンプルに基礎戦闘能力の上昇です」
桜庭はむしろ楽しげに目を輝かせた。
「私こういうのやりたかったんだよね〜」
「……脳筋」
千景のボソッと言った悪口に反応する桜庭。
「も〜それ言わないで〜!」
対照的に灰音は静かに息を整える。
呼吸一つに無駄が無かった。
「おっ、クナイあるじゃんラッキー」
凛はクナイを見つけて喜びながら2本のクナイを手に持つ。
そのとき、別方向から明るい声が飛んだ。
「はーい、もう半分はこっち来てー。
まずは全力ダッシュ100本から始めるわよ!」
烈が顔色を変えた。
「は!?マジで言ってんのか!?」
「待て待て、センスが無さすぎる」
綾瀬もやれやれと首を振る。
「なぁ澪姉!マジで100本!?殺す気かよ!!」
「殺さないわよ。動けなくなる程度よ」
「それ殺すのと大差ねぇだろ!!」
そのやり取りを横目に、雨夜は苦笑しつつこちらを向き直る。
「では、こちらは始めましょう。
あ、ちなみに1時間後、メニューをあちらと入れ替えるのでそのつもりで」
驚愕する桜庭に凛。
「そんなぁ、走るの苦手〜」
「とんでもない場所に来たかもしれない」
雨夜は静かに指を立て、淡々と指示を続ける。
「魔力を封じた状態での経験はとても貴重です。
魔法は強力ですが、便利すぎるものは人を怠けさせます。依存すれば、それがそのまま弱点になります」
その言葉は誰に向けたわけでもないのに、全員の胸に落ちた。
(依存……)
思い当たる奴ばかりだ。
特に千景と姫華あたりは露骨だった。
雨夜は一拍置き、皆の視線を確かに集めてから結論を落とした。
「ではまず、ペア同士で戦いましょう」
空気がさらに締まる。
「その後はシャッフルして再度行います。
これを時間が許す限りひたすら続けます」
姫華が肩を回しながら小さく呟く。
「こっちも中々ハードね……」
「それに終わったらダッシュだよ」
淡々と返す灰音は既に心拍も呼吸も整っていた。
桜庭は軽く跳ねながら一回り小さい斧を握る。
普段の奴ではなく、ラックから取ったものだろう。
「うん、これなら振れるね」
凛はクナイを胸元で逆手に構えながら頷く。
「よし、準備万端!」
陽翔も呼吸を整える。
だが烈の叫び声がし後ろを振り返ると、
地獄みたいな光景があった。
「はい!全力で100本よー!休むなそこの2人!!
気合いよ気合い!」
「いや無理!!普通に無理!!死ぬ!!!」
綾瀬も後ろで息を切らしている。
「ナンセンス!俺は根性論が1番嫌いなんだ!」
「はーい、そこの2人、10本追加ー!」
もはや烈と綾瀬は言葉も出ないみたいだ。
(あっち地獄じゃん……)
「ほらほら、陽翔!こっちに集中」
「はい、すんません」
凛がクナイを軽く回しながら笑う。
俺は刀を下段から上げ、呼吸を整えた。
雨夜の手が静かに振り下ろされる。
「では、始めてください」
瞬間、凛の足が滑り込むように動いた。
軽い。低い。近距離を取りにきてる。
凛は体術とクナイ。
確実に距離を詰めてくるはず。
俺は半歩引いて刀を構えなおす。
刀の間合い──俺にとってまだ“慣れない距離”。
凛は躊躇なく踏み込む。
クナイは角度が鋭い。真正面じゃない。
打撃じゃなく“切りに来る”軌道。
刀を下段へ滑らせて凛の軸足へラインを通す。
「っ……!」
踏み込みが止まった。
刀は当てなくても“通すだけで入口を潰せる”。
「……よし!」
凛は一瞬間合いを測り直す。
止めた分だけ攻めのテンポがズレる。
そして次の瞬間、凛の体が沈んだ。
「下か……!」
同じラインを通すと思わせて、
クナイを内側から跳ね上げる角度。
下から顎のライン、狙いが綺麗だ。
今度は刀を深く引かず、前に突き出す。
突きは切りより速い。
「っとと!」
凛は肩をひねって何とか躱す。
避け方が体術のそれだ。無駄が無い。
「詰められたらマズイな……」
でも、踏み込む。
凛が想定してなかった形で俺が前へ入る。
凛と距離を潰すのは本来は逆の選択。
けど今は訓練。
色々試すにはいい機会だ。
凛の目が僅かに驚いた。
「へぇ、詰めてくるんだ」
クナイが横手から滑ってくる。
距離が近いから軌道が読めない。
なら体術で少し介入する。
刀の峰を凛の手首に当て、
それ以上の角度を殺す形で押し付ける。
「ちょっ……!」
姿勢が崩れる。
体を入れ替え、刀を肩口へ乗せる。
そのまま振り下ろせば決着になる距離。
「これで……!」
凛も即座に足を払ってきた。
崩された姿勢からでも蹴りが出るのは素直に上手い。
払う前に刀を軽く引き、払い足を空振らせ、
最後は喉元に刃を指し当てる距離を取った。
雨夜が手を挙げる。
「そこまで。決着です」
凛は息を整えながら笑った。
「まさか……距離潰してくるとは思わなかったよ」
「最初は距離取ろうとしたんですけど……
訓練なんで思い切ってみました」
でも距離を潰した瞬間、刀の角度の自由度が一気に減った。
まだ上手く扱えてないのが、嫌というほどわかる。
勝てたのは偶然に近い。
雨夜がこちらへ歩く。
「陽翔くん。今の選択は悪くないよ。
むしろ正解。これは訓練だから思い切って挑戦する事は大事だよ」
雨夜は優しい声で締めた。
「他の皆さんも、どんどん積極的にチャレンジしてみてくださいね」
雨夜はすぐに次を促した。
「ではどんどん行きますよ、次のペア、準備してください」
視線の先には桜庭が斧を担いで待っている。
(色々でけぇ……)
思わず心の中で漏らした。
雨夜が手を上げる。
「始め」
桜庭は一歩も動かずに構えたまま。
無駄な助走も、フェイントもない。
「……振りかぶるだけで圧あるな」
斧は片手では扱えない重量。
動きは確実に遅い。
でも、当たったら終わりなのは目に見えてる。
速さは陽翔が有利のはずだが、
今は属性付与が使えない。加速も無し。
純粋な体術と刀だけ。
「さて……どうしようか」
桜庭が低く息を吐く。
「いくよ」
予備動作は肩だけ。
次の瞬間、斧が横薙ぎに走った。
「うおっ!」
振りは大きい。速くはない。
けど範囲が広い。
範囲が広すぎて、回避の選択肢が限られる。
陽翔は前じゃなく後ろに跳ぶ。
中途半端に横に逃げると捕まる。
「避けないで〜」
桜庭が怖い事を言いながら距離を詰める。
「んな無茶な……」
足取りは重い。速くない。
けど止まらない。真正面から圧が来る。
掠めるだけでも致命。ならカウンターを狙う。
陽翔は斧の振り上げを見て詰める。
攻撃の“戻り”に入った瞬間だ。
斧を戻す動きは重い。
だからそのタイミングが一番狙いやすい。
桜庭もそれを知っている。
だから浅めに構えて軌道を伏せた。
「意外とちゃんと考えてる……!」
速さじゃなく“軌道の嫌らしさ”で差してくる。
重武器らしからぬ綺麗なライン。
「私、頭良いんだよ〜」
陽翔は無理に横に抜けず、刀で角度を殺す。
刃じゃなく峰で受ける。
が想像以上の威力に手が痺れる。
「くっ……!」
重量が腕に乗る。
力じゃ勝てないから“流す”。
そこから逆手に構えて足を狙う。
狙いは踏み込み。動きを削る形。
刃が太腿の側面へ入る……が。
「やるね〜。でも浅いかな〜」
桜庭が笑った。
当たりはした。
けど純粋に浅かった。
斧を受け流したときに手が痺れて上手く力が入らなかった。
桜庭は止まらない。
そのまま斧が振り下ろされる。
軌道は短い。回転を省いた切り落とし。
「ヤバっ!」
陽翔は即座に距離を切る……が。
遅い。
“加速できない”っていう縛りが重くのしかかる。
刀で受けてもまた痺れ反撃に繋げれない。
回避も間に合わない。
「なら……!」
陽翔は刃と斧の柄を交差させる形で滑り込む。
衝撃は肩と腰で受けて転がる。
土が跳ねる。
「……っは……!」
呼吸が一瞬止まる。
雨夜はまだ止めない。
まだ“続行”の判断。
陽翔が立ち上がると同時に桜庭が前に入ってくる。
斧を低く構えたまま。
「次で決めるよ〜」
二段階のフェイント。
最初の振りは囮。次が本命。
陽翔はカウンターを狙う。
本命の振り下ろしの直前、
刀を逆サイドから差し込む。
膝関節の内側。
「これなら決まる……!」
入る。
桜庭の膝が一瞬沈む。
重心が落ちる。
「すごいね〜……でも止まらないよ〜」
でも止まらない。
そのまま斧を地面から振り上げる形で当ててくる。
避ける余裕はない。
斧の面が脇腹に直撃する寸前、
桜庭がほんの少し力を抜いた。
ゴン、と鈍い音。
陽翔は軽く吹っ飛んで転がる。
雨夜が手を挙げる。
「そこまで。桜庭さんの勝ち」
陽翔は立ちながら息を吐く。
「カウンター、上手だね〜」
桜庭はいつもの調子で言った。
「桜庭さんも、強かったです」
「えへへ、ありがと〜」
嬉しそうに微笑む桜庭。
そんな桜庭を横目に雨夜は陽翔に声をかける。
「刀で重武器相手とまともにやり合うのは難しいでしょ。良い経験になったね」
そして次のペアを呼ぶ。
その先には灰音が腕を回して準備している。
確か……姫華とペアの子か。
破壊魔法を使ってたけど、武器は持っていない。
つまり体術のみか。
雨夜の号令がかかる。
「始め」
灰音は最初から距離を詰める。
迷いの少ない踏み込み。動きに無駄がない。
陽翔は刀を構えたまま最小限で応じる。
拳が胸元へ。
陽翔は刃の側面で軌道を逸らし、肩に線を入れる。
灰音は表情を変えず二撃目、三撃目と繋ぐ。
真正面から、真っ直ぐ、綺麗な動き。
陽翔は後ろに抜けず、逆に少し踏み込む。
刃が脚へ流れるように走る。
太腿へ浅く切れ線。
灰音の脚が一瞬沈む。
その一瞬で距離が決まる。
陽翔は刃先を喉へ、寸前で止めた。
「……これで終わりです」
灰音は息を整え、少しだけ拳を握った。
雨夜が手を挙げる。
「勝者、陽翔くん」
陽翔は刀を納めて灰音へ向き直る。
「霧崎さん……ですよね?」
灰音が目線を上げる。
「動き、すごく綺麗でした。
まっすぐで、無駄が無いって感じで」
灰音はまばたきを一つ。
「……ほんと?」
灰音の声は思ったより小さかった。
陽翔は頷く。
「ホントです、少なくとも今日戦った中では1番かも」
灰音は一瞬だけ呼吸が止まったような顔になり、
そのあとで小さく息を吐いた。
「……そっか」
その空気を切らずに陽翔が続ける。
「でも俺は逆で……余計な動き多いってよく怒られるんですよね」
灰音はほんの僅かだけ目を開いた。
「……へぇ」
その“へぇ”は笑いではなく、ちゃんと興味の方向。
そしてようやく頷く。
「……ありがと」
陽翔は軽く笑って頷いた。
「また一緒にやりましょう」
灰音はほんの少しだけ目線を逸らしながら。
「……うん」
またも雨夜の号令が響く。
「次のペア準備してくださーい」
それから先は、もう数える気にもならないくらい戦った。
刀を抜いて、構えて、踏み込んで、避けて、当てて。
息が上がって視界が揺れても、訓練は止まらなかった。
何度目かわからない号令が終わった頃、雨夜が手を叩く。
「よーし、ここまで!では次の訓練に移りますので、皆さん続いて澪さんの方へ移動してください」
どうやら地獄が始まるらしい。
烈と綾瀬は既に床に倒れた状態で、
澪は満面の笑みでストップウォッチを構えていた。




