第6話 強くなる為に②
コンコン、と控えめなノック音が病室に響いた。
「……はい」
陽翔が顔を上げると、扉が静かに開き、雨夜が中へ入ってきた。
いつもの穏やかな表情だが、どこか様子を窺うような目をしている。
「邪魔じゃなかったかな」
「いえ……千景さんも、ぐっすり眠ってるみたいです」
陽翔の視線を追うように、雨夜もベッドに横たわる千景を見る。
静かな寝息、安らいだ表情。
「……よかった。本当に」
そう呟いてから、雨夜は一拍置いた。
────
「昨日のことなんだけど」
その一言で、陽翔の背筋がわずかに強張る。
「君が、澪の治療を断った理由……」
雨夜は責めるでもなく、ただ静かに続ける。
「痛みを忘れたくない、って言ってたね」
陽翔は視線を落とし、拳を握る。
「……はい」
沈黙が流れる。
雨夜は少し考えるように目を伏せ、それからゆっくりと口を開いた。
「無茶を止めるつもりはないよ。君の覚悟は、本物だと思う」
陽翔は思わず顔を上げる。
「ただ────その覚悟を、独りで抱え込む必要はない」
雨夜は一歩近づき、穏やかな声で告げた。
「修行、しようか」
「……え?」
「君が“強くなる”ためのやり方を、ちゃんとした形で」
その言葉は押し付けでも命令でもなく、
“提案”として、静かに差し出されたものだった。
「君が誰かを守れるようになる為の修行だ」
陽翔は息を呑み、胸の奥が熱くなるのを感じる。
「……お願いします」
短く、しかし迷いのない返事。
雨夜は、少しだけ微笑んだ。
「じゃあ、決まりだね」
病室の静寂の中で、
新たな一歩が、確かに踏み出された。
「じゃあ……早速、始めようか」
雨夜のその一言で、空気が少し引き締まった。
「はい」
二人は病室を後にし、ビルの奥へと向かう。
暴黒の獅子の拠点、その地下にあるトレーニングルーム。
────
重い扉が開くと、広い空間が姿を現した。
前回、烈に負けた苦い思い出がある場所だ。
「ここは……」
陽翔が思わず呟くと、雨夜は小さく笑った。
「派手さはないけどね。ここは“積み上げる場所”だから」
そう言って歩き出した雨夜が、ふと足を止める。
視線は、陽翔の腰元。
「……その刀」
陽翔は一瞬、反射的に手を添えた。
雨夜の目が、わずかに見開かれる。
「へえ……そうか。君も刀を……」
驚きはあったが、否定や戸惑いはない。
むしろ、納得したように小さく息を吐いた。
「実はね」
雨夜は自分の腰に手をやる。
「僕も刀を使うんだ」
カチリ、と留め具を外す音。
「二刀流だけど」
青い鞘と黒い鞘から抜かれた二振の刀が、静かに姿を見せる。
一振は、淡い青。
澄んだ夜明け前の空を思わせるような刃で、光を受けるたびにひんやりとした輝きを放っている。
鋭さの中に、どこか静謐さを宿した色だった。
もう一振は、深い黒。
光を吸い込むような刀身で、輪郭さえ曖昧に見えるほど暗い。
しかし、その奥には確かな重みと圧があり、近づくだけで空気が引き締まるのが分かる。
対照的な二振。
だが、どちらも雨夜の手の中では不思議なほど自然に収まっていた。
「……え」
「意外?」
「正直……はい」
雨夜はくすっと笑う。
「よく言われるよ。見た目で判断されがちだから」
そして、少しだけ真剣な表情になる。
「刀はね、人を〝殺す〟為に作られた武器だ」
「でも――」
雨夜は真っ直ぐに陽翔を見る。
「正しく積み上げれば、“守る力”になれる。
────だからこそ、君の修行は僕が見る」
陽翔は、腰の赫月に触れながら、力強く頷いた。
「……お願いします。雨夜さん」
「こちらこそ」
雨夜は一歩前に出て、穏やかに、しかしはっきりと言いった。
トレーニングルームに、静かな緊張が満ちる。
雨夜は軽く肩を回しながら、陽翔に向き直った。
「よし。じゃあ、まずは基礎からいこうか」
「基礎……ですか?」
「うん。修行って言うと、派手な技を思い浮かべがちだけどね」
雨夜はにこりと笑って、ぽん、と自分の胸を指差した。
「──僕を殴ってごらん」
「……え?」
思わず聞き返す陽翔。
「い、いいんですか?」
「大丈夫大丈夫。ほらほら、遠慮しない」
軽く手招きされ、陽翔は一瞬迷ったが、赫月の柄から手を離し、拳を握る。
「……行きますよ」
踏み込み、拳を突き出す。
ドンッ、と鈍い音。
雨夜の体は、ほとんど揺れなかった。
「……っ」
陽翔は目を見開く。
「やっぱりね」
雨夜は腕を下ろし、穏やかな声で続けた。
「陽翔くん。身体強化魔法は知ってるよね?」
「はい。もちろんです」
基礎中の基礎。
魔力を身体に巡らせ、筋力や反射、耐久を引き上げる魔法。
「じゃあ、烈や……昨日のあの男と戦った時を思い出してみて」
雨夜は一歩近づき、低い声で言う。
「相手の攻撃、やけに“重い”って感じなかった?」
「……感じました」
思い出すだけで、拳が疼く。
「それはね」
雨夜は自分の拳を軽く握り、陽翔の拳と並べる。
「陽翔くんの身体強化魔法が、原因なんだ」
「……え?」
「魔法ってね、ただ使える・使えないだけじゃない」
雨夜は床に指で線を引く。
「強さには段階がある。
弱い順に──Lv1からLv5まで」
陽翔はごくりと喉を鳴らす。
「Lv1は、いわば“基礎”。
烈がハンマーに魔力を付与して、爆発させるだろ?」
「はい」
「アレは典型的なLv1の魔法だよ。
単純、分かりやすい、でも十分に実戦的」
雨夜は次に、拳を自分の胸に当てる。
「身体強化魔法も同じだ。
Lv1なら、筋力が少し上がるだけ」
「でもね」
雨夜は視線を鋭くした。
「Lvが上がるほど、強化の“質”が変わる」
「質……?」
「筋力だけじゃない。
衝撃の伝わり方、耐久、魔力の反発──全部だ」
雨夜は、さっき殴られた場所を軽く叩く。
「さっきの一撃。
僕は受け流したんじゃない。弾いたんだ」
陽翔は、ハッとする。
確かに、拳に残った感触は“当たった”というより、“返された”感覚だった。
「つまり」
雨夜は穏やかに結論を告げる。
「陽翔くんの身体強化は、まだまだ未熟だ」
「だから、相手の攻撃は重く感じるし、
逆に相手から見れば──君の一撃は、想像以上に軽い」
陽翔は自分の拳を見つめる。
雨夜は柔らかく微笑んだ。
「まずはそこからだよ」
「身体強化のLvを上げること。
修行は、そこから始まる」




