第4話 初任務
入団式から、数日が経った。
暴黒の獅子の拠点は、今日も妙に静かだった。
「……暇だな」
烈が大広間の床に寝転がり、天井を見上げたままぼやく。
「暇っていうか、仕事がないのよ」
千景が腕を組み、ため息混じりに言う。
依頼掲示板は、相変わらず空白ばかりだった。
暴黒の獅子――底辺クラン。
その評判は、まだ何ひとつ変わっていない。
陽翔はその様子を見ながら、何とも言えない居心地の悪さを感じていた。
人は揃っている。
やる気もある。
それでも、依頼が来ない。
そんな空気を破ったのは、月島だった。
「あの……ちょっと、いいですか?」
少し控えめに切り出された声に、全員の視線が集まる。
「実は、近所のおばあさんから相談を受けて……飼い猫がいなくなったらしくて」
「猫?」
烈が勢いよく起き上がる。
「依頼ってわけじゃないんです。でも……すごくすごく困ってて」
月島は申し訳なさそうに言ったが、その目にははっきりとした想いがあった。
陽翔は、その表情を見て思う。
断れない。
というより、断る理由が見当たらなかった。
「……探しに行くだけなら、いいんじゃない?」
千景が渋々といった様子で口を開く。
「よし! 決まりだな!」
烈が即答する。
結局、陽翔・烈・千景の三人で探しに行くことになった。
―――――
猫の特徴は、月島から事前に聞いていた。
白と灰色の混じった毛並み。
首輪はなし。
人懐っこいが、驚くとすぐ逃げる。
三人は街を歩きながら、周囲に声をかけていった。
「すみません、この猫見ませんでした?」
だが――
相手の視線が、途中で逸れる。
胸元の紋章に、ちらりと目が向く。
「……あ、いえ、知りません」
明らかに距離を取られる反応。
それが、一度や二度ではなかった。
(……これが、評判)
陽翔は、胸の奥が少しだけ重くなるのを感じた。
千景が小さく舌打ちする。
「……仕方ないわね」
そして、きっぱりと言った。
「こうなったら、広く探すわ。三人で別々に行動しましょ」
烈と陽翔が頷く。
「何かあったら、このアプリ」
千景はスマホを取り出し、画面を見せる。
「緊急事態用。押せば位置情報が送られるから
何かあったらすぐに押して」
「あと、電話はワンコールで出なさい」
「はい!」
「よろしい……いいわね?」
烈を見て、念を押す。
「……はいはい」
烈はわかってますよ、と手をヒラヒラしながら答えた。
三人は、それぞれ別の方向へ散った。
────────────
陽翔は、路地の多い区域を歩いていた。
そのとき。
「……あ」
路地の先を、白と灰色の影が横切った。
「あ、待って!」
猫だ。
陽翔は、反射的に追いかけていた。
だが、猫は細い路地へと入り込み、暗がりへ消えていく。
「……ちょ、待ってって……」
足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
湿った石畳。
鉄のような匂い。
鼻を突く、生臭さ。
「……?」
路地の奥で、人影が見えた。
倒れている――いや、倒されている。
血が、地面に広がっていた。
そして、その向こう。
立っている“何か”。
人の形をしている。
だが、陽翔の本能が叫んでいた。
────ヤバい。
目が合った、気がした。
次の瞬間、陽翔の体は硬直する。
思考が、完全に止まった。
視界の先────
倒れ伏した男の身体から、ゆっくりと血が滲み、路地の石畳を黒く染めていく。
息が、できない。
これは────
見てはいけない光景だと、本能が叫んでいた。
「……あぁ?」
低く、擦れた声。
フードの奥で、何かが動いた。
男が、ゆっくりと振り向く。
闇に溶け込むような黒い影の中で、その視線だけが、はっきりと陽翔を捉えた。
逃げなきゃ。
頭では分かっているのに、足が言うことをきかない。
次の瞬間だった。
地面を蹴る音。
風を切る気配。
男の身体が、一気に距離を詰めてくる。
「……チッ」
短く吐き捨てるような舌打ち。
腕が振るわれる。
ナイフの切っ先が、街灯の光を反射して鈍く光った。
――来る。
ようやく、身体が動いた。
反射的に身を捻り、壁に背中をぶつける。
ナイフは頬をかすめ、冷たい風だけを残して通り過ぎた。
心臓が、耳鳴りみたいにうるさい。
「ほう……」
男は、わずかに口角を上げた。
「硬直してた割には………動けるじゃないか」
感情のない声。
それなのに、どこか楽しそうで――ぞっとする。
逃げ場のない路地裏。
壁と壁の間で、陽翔は完全に追い詰められていた。
(――まずい)
その瞬間、頭をよぎるのは
千景の言葉。
『────何かあったら、アプリを押しなさい』
震える指で、ポケットの中のスマホを探す。
だが────
「……余所見するな……!」
男が、再び踏み込んだ。
殺意が、はっきりと形を持って迫ってくる。
ここから先は、
もう「猫探し」じゃない。
これは────
陽翔が初めて直面する、
────人の形をした〝脅威〟────だった。




