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はじめに

「勝利の女神」はこうして私に微笑みかけた


 突然の電話


私がハーバードの大学院を卒業した翌年の1997年の10月、ある一通のメッセージが家の固定電話に録音されていました。


私はその日、いつものようにセントラルパークの外周をジョギングし終えると、ロウアーマンハッタン14丁目にある自宅に戻りました。そして、留守電を再生し、そのままバスルームに向かいシャワーを浴びていました。


メッセージの送り主は当時つき合いのあった、ゴールドマンサックスのCEO、ジョン・S・コージーンや共和党の連邦下院議長を務めていた、ニュートギングリッチでしたが、その中に聞き覚えのない声がひとつだけ混じっていたのです。


話の内容は、私と直接合って意見を聞かせて欲しいという趣旨のものでした。


そのメッセージを聞いた時、私は耳を疑いました。なぜならその相手は、当時、マイクロソフトの会長兼最高経営責任者を務めていた、ビルゲイツ本人だったからです。


当時のマイクロソフトといえば、Windows 95が世界中で大成功をおさめ、97年当時、ゼネラルエレクトリックやロイヤルダッチシェルに続き、時価総額は世界第3位でした。


ゲイツは私がワイアードに載せた、ソニー躍進のレポートを読み、プレーステーションの対抗馬として何かできることはないかと、相談してきたのです。当時、マイクロソフトはダイレクトエックスという、ゲームやグラフィックなどを高速に動かすためのAPI 技術を開発済みだったため、私はコンソール市場に参入することを強く勧めました。


そしてそれから、4年後の2001年、マイクロソフトは初代Xboxを正式に発表し、本格的にゲーム業界に参入を果たしました。


その後、私はビルゲイツに招かれ、ニューヨークで開かれたレセプションパーティーに参加しました。会場はタイムズスクエアにあるトイザらスでしたが、そこには多くの著名人が集まっていました。


ビルゲイツは多くの参加者の中から私を見つけると、すぐさま近くまで駆け寄り、こう言ったのです。


「君の助言なくして、この成功はなかった」


この言葉は今でも私の原動力になっています。人は一人では決して成功することはできません。それは、ビルゲイツのような天才にも言えることです。


現在、世界をみても新自由主義の勢いが強くなっていることは事実だと思います。しかし、私はこの経験から、成功をつかむためにはエゴを捨て、団結することが何よりも大切だと考えるようになりました。


「勝利の女神」は決して誰か一人に微笑みかけることはないのです。


私の経歴はみなさんと違いとても複雑で、一言で表せるものではありません。私はハーバードの大学院を卒業すると外資系の投資銀行に勤め、その後はコンサルタントとして、ベンチャーやIT、教育、など幅広い職種の方々に直接アドバイスをさせていただきました。


現代は膨大な量の情報で溢れかえっており、何が正しく何が間違っているかを判断するにも一苦労です。私はそんな情報化社会の波に日本のみなさんが呑まれることのないよう、世界で培ってきた経験やそこで身につけた知恵をここに書く事を決めたのです。

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