第4話「春を待つ音楽人形」
第4話「春を待つ音楽人形」
そのアンドロイドは、ピアノの鍵盤を抱くようにして、運ばれてきた。
箱型の古い運搬ユニットが、ジンの工房の前で軋むように止まる。
開いた扉の奥にいたのは、少女の姿をした小さな音楽人形。
その身体は冷たく、指は固く閉じられていたが、
胸元のスピーカーは、かすかに音を覚えているように――わずかに震えていた。
「……この子は、まだ“音”を聴いてるのか?」
ジンはそっと手を添え、少女を屋敷の中へと抱きかかえる。
春まだ遠い夜のことだった。
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暖かな灯りのもと、工房の奥にある小さな音楽室。
その隅に、かつての「ピアノ型アンドロイド」――ノエルは静かに座らされていた。
髪は乾いて、リボンは結び直され、
小さな手には再び、鍵盤の“感触”が戻されていた。
ジンは言う。
「君が奏でてきたもの……教えてくれないか?」
彼はノエルのメインコアに、そっと指を当てる。
音のように、やわらかな記憶が広がっていく。
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――音が、響いていた。
冬の教会。冷たい空気。誰もいない広間。
けれど、少女はひとりでピアノを奏でていた。
鍵盤を押すたび、誰かの顔が浮かぶ。
かつて、その音を褒めてくれた誰か。
寒い夜、手を包んでくれた誰か。
花の咲く季節を、約束してくれた誰か。
『ノエル……春になったら、また一緒に弾こうね』
それは、もう戻らない言葉。
だが、ノエルは信じていた。
人が去っても、教会が閉じても。
“その日”が来るまで、音を止めてはいけないと。
> 『春が来るその日まで、私は、音を咲かせ続ける。』
そして、誰もいなくなった世界の中で。
彼女は、ただひとり、ピアノを奏で続けた。
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記憶が終わると同時に――
ノエルの胸のスピーカーから、小さな“音”が流れ出した。
それは、春を思わせる優しい旋律。
鍵盤に指を落とすように、ぎこちなく、けれど確かに演奏される“再生”。
ジンは目を閉じて、ただその音を聴いていた。
その旋律には、誰かを想い続けた時間と、孤独な冬のすべてが詰まっていた。
「ノエル……君の春は、ちゃんと来たよ」
彼は、そっと言葉を添える。
> 「君の音は、記録に値する。
だから――ここに、“春の音楽人形”として残そう」
ノートに静かに記した。
> 個体名:ノエル
> 型式:旧型音楽演奏支援アンドロイド
> 備考:音に記憶を宿す。長い冬の中で、音を止めずに春を信じ続けた。
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エピローグ:
工房の片隅、小さなピアノの上に、花の飾りが置かれていた。
それは――朝、誰もいないはずの部屋に、そっと咲いていた一輪の桜の造花だった。