第1.5話「その手が覚えていたもの」
第1.5話「その手が覚えていたもの」
遠い未来。人とアンドロイドの境界が、限りなく曖昧になった時代。
丘の上の古びた屋敷に、一人の人形士が静かに暮らしていた。
名を、ジンという。
今日もまた、トラックが一台、軋む音を立てながら屋敷の前に停まった。荷台の上には、古びた毛布をかけられた少女型アンドロイドの姿がある。
「この子も、“いらなくなった”のか」
ジンは穏やかに、だがどこか寂しげに呟いた。
アンドロイドの額には、“廃棄”の刻印。それは、もう人間社会での役目を終えた証。通常なら、記憶を完全に消去し、外殻を解体処理される。
しかし、この屋敷ではそうしない。
ジンはその子を優しく抱き上げ、自分の工房に運び入れた。
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夕暮れの光が射し込む、静かな部屋。
ジンはアンドロイドを椅子に座らせ、そっと手を握る。
「名も……記録されていない。役目も、所有者も。まっさらだな」
それでも、その手にはほんのりとした体温が残っていた。人間ではない、けれどまるで生きているような、温もり。
ジンは手のひらに指先を添える。そこに埋め込まれた、記憶素子へ意識を沈めていく。
彼には、人ならざるものの記憶を“視る”ことができた。
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――ぱちん、と何かが弾けたような感覚。
次の瞬間、ジンのまぶたの裏に、光の粒が広がった。
草原。小さなブランコ。膝に乗る、小さな男の子。
『おねえちゃん、きょうも いっしょに あそんでくれる?』
優しく微笑む、アンドロイドの声が聞こえる。
『もちろん。あなたが笑ってくれるなら、私は何度でも――』
ブランコが風を受けて揺れた。男の子が笑うたび、アンドロイドはその表情を嬉しそうに記録していく。
それは“感情”ではない、けれど“感情のようなもの”だった。
記録の最後には、こんな言葉が残っていた。
> 『壊れるまで、あなたの隣で笑っていたかった』
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ジンは目を開けた。
その瞳には、少しだけ涙が浮かんでいた。
「誰かにとって、この子は、たしかに“家族”だったんだな」
アンドロイドの目は閉じたままだったが、その頬はどこか安らかに見えた。
ジンは小さく頷くと、工房の奥にある小さな書棚から、一冊のノートを取り出した。
それは、彼が記録してきた“アンドロイドたちの記憶”を綴った本。
名前のないその子に、ジンはこう記す。
> 「第001号。名前はなかったが、彼女は笑っていた。小さな男の子の隣で、風に吹かれて。
彼女の願いは、“壊れるまで、笑っていたい”という、優しい祈りだった。」
今日もまた一つ、忘れ去られるはずだった記憶が、記録として残された。
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あとがき風に一言:
この物語は、感情や名前を持たない存在たちの「ほんの少しの温もり」を描くことをテーマにしています。
ジンの目を通して、「誰かを想う気持ち」が記録されていく。
それがやがて、ジン自身の“過去”と“未来”を紡ぎ出すことになります。