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緑の魔王と奇跡のパン  作者: たき
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(9)

 予定では、帰りは何事もなく平穏無事な道のりになるはずだった。希望に満ちた旅に影がさしたのは、トレノ市の中心地カラザーンに入ってからのことである。

「だめだ、手に負えない。欠けた部品さえ取り替えれば何とかなるんだけど。どこかこの近くで馬車を扱っているところを探して、部品をわけてもらおう」

 じりじりと照りつける太陽の下で、知識と技術をしぼるだけしぼったローがついに降参する。馬車を囲んで見守っていた六人はいっせいに肩を落とした。

 石を踏みはじいた衝撃で左側の車輪がはずれ、馬車は傾いて停車した。おかげでうたた寝をしていたシータは見事に転げ落ち、荷物の下敷きになってしまった。ここで荷台までのしかかっていれば、すり傷程度ではすまなかっただろう。運がいいのか悪いのか、微妙なところである。

「壊れた馬車を押しながら探すのは効率が悪い。俺がローと一緒に行くから、みんなはここにいてくれ」

 ローを自分の馬に乗せたタウが店を求めて離れる。とりあえず一番近い木陰にまで馬車を移動させた五人は、言われたとおり二人の帰りを待つことにした。

「今日中に帰れるかしら」

「最悪の場合、また野宿ね」

 イオタとミューが荷台にもたれて座る。ラムダは与えられた時間を昼寝に使うつもりなのか横になり、ファイは荷物から小さな瓶を取り出した。昨日から見ていると、ファイの袋から出てくるのは水筒や瓶ばかりだ。今度は何だろうとシータが不思議に思っていると、ファイが近寄ってきた。

「ちょっと頭を見せて」

 かつらは『悪夢の花』に食われたときに花の体内に落としてしまったので、今は帽子をかぶっていたシータは、おとなしく頭頂を差し出した。ファイが残り少なくなったシータの髪をそっとかきわける。

「もししみるとか痛いとか感じたら教えて」

 ファイが小瓶のふたを取り、中の液体を手に取ってちょっとずつ頭皮に塗りはじめる。ひやりとした手と液体の感触にシータは一瞬身を縮めた。

「ファイ、それ何?」

「塗り薬。中庭で会ったとき、抜けたところが荒れてるように見えたから持ってきた」

 自分では状態がわからないので、ファイの言葉にシータは驚いた。

「そんなこと気にしてくれてたの?」

「解決したら育毛剤もあげるよ。君がくれたチカラグサはそれで全部使い切ったから」 

「あんなにたくさんあったのに、すごいね……もう一度採りにいこうか?」

「次は、欲しいものはちゃんと指定するから」

 予防線を張られた。シータがまた何か見当違いのものを持ってくるのを見越したファイの返答に、「信用ないなあ」とシータは苦笑した。

 まもなく、タウたちが戻ってきた。部品を調達できたとローが笑顔で報告してくる。

 ちょうど塗り終えたのか、ファイがシータのそばを離れる。しかしローは二人でいるのをしっかり目撃していたらしく、ファイに何やら話しかけた。

 ローがにんまりしているように見えるのは気のせいだろうか。ファイがかぶりを振り、一度シータをかえりみてから顔をそむけた。

 無事に馬車の修理を終えた七人は、少し遅い昼食をとるために料亭に向かった。部品をもらうついでに、馬と馬車をとめられて、かつ値段も高くない店をローが先に聞いておいたのだ。

 最後のシータが荷馬車から降りるのを待って、全員で店に入っていく。そのとき、荷馬車に落ちていた黒髪を馬番が見つけた。しかし馬番は叫ばなかった。ただ、帽子をかぶっているシータの後ろ姿をじっと凝視していた。

 地元の人間が勧めるだけあって、店の料理はおいしかった。食欲をそそるにおいに頭痛も多少やわらぎ、シータは注文したものをきれいにたいらげた。あと少しで呪いが解けるという期待もあり、元気を取り戻しつつあるシータに、皆が向けるまなざしも優しい。そして全員が食べ終わり、店を出ようと立ち上がったとき、背後にいた店員とシータはぶつかった。

 店員が手にしていた飲み物がかたむいてシータにびしゃりとかかる。幸い冷たい果汁だったのでやけどはしなかったが、派手に服が汚れたことに店員が慌てたさまで頭を下げた。

「申し訳ありません。すぐにお着替えをご用意いたします」

「いえ、大丈夫です。もう帰るだけなので」

 平謝りの店員にシータは笑って遠慮したが、せめて拭くだけでもと食い下がられたので、馬車で待っていてくれとタウたちに言って、シータは店員とともに店の奥へ入った。 



「シータ、遅いわね」

 馬車を引き出して待っていたのにいっこうにやって来る気配のないシータに、イオタが首をかしげた。

「結局着替えさせられてるんじゃないのか?」

 ラムダの返事に、しかしタウも周囲を見やってからこぶしをあごに添えた。

「馬番がいないな」

 まだ客の馬はあるというのに、店の者が誰もいない。休憩を取るなら誰かと交替しているはずだとタウがいぶかったところで、残飯の入った甕をかかえた店の者らしき男が通りかかった。

「おや、お客さんたちまだいらっしゃったんですか。あれえ? あいつどこに行ったんだ?」

 眉をひそめてあたりを見回す男に、ローが尋ねた。

「もしかして馬番の人のこと?」

「ええ、たまにふらっといなくなるんです。本当に困った奴でして」

「……イオタ、ミュー。悪いがシータを迎えにいってくれるか」

 もしまだ着替えている最中なら、タウたちが入るわけにはいかない。タウの指示にイオタとミューも表情をかたくしてすぐに店へ走った。

 ファイが風の神の使いを召喚するために詠唱を始める。右肩上がりの『Z』の輝きをくぐり抜けて半透明の鳥が出現したとき、イオタとミューが戻ってきた。

「タウ! シータがいないわっ」

 イオタの手には、シータのかぶっていた帽子がにぎられていた。無理やり押し入った店の奥の部屋に落ちていたのだという。

「どういうことなの? どうしてシータが……」

「理由は後だ。イオタたちはここで待っていろ。馬車より馬で捜したほうが早い。ファイ、ラムダ、行くぞ」

 騎乗するタウにうなずいてラムダも馬にまたがる。飛んでいく風の神の使いを追って馬を駆るタウたちに、翼の法で宙に浮いたファイが続いた。



 祈り、それともただの喧噪か。聞いているだけでむかむかする声に、シータは重いまぶたをあげた。

 建物の中ではあるようだが、昼か夜かの判断がつかなかった。どれくらいの間、眠っていたのだろう。

 たなびく灰色の煙がよどんだ空気をさらににごらせている。暗いのか明るいのかすぐにわからなかったのは、周囲を取り巻くたくさんの蝋燭のせいだった。闇の下りた館内で、おびただしい数の小さな炎が身を揺らしていたのだ。

 そしてシータは、自分が豪奢な椅子に座らされていることに気づいた。両手はひじかけにくくりつけられ、髪はいつの間にか染料を落とされて黒色に戻っている。

 一つ一つのことを考えるのにずいぶん時間がかかった。記憶が断片的によみがえるため、つなぎあわせるのがとても難しい。それでもシータは自分の名前と仲間の名前、カーフの谷からの帰り道であることは思い出した。

 そこへ一人の人間が歩み寄ってきた。黒い法衣の人物は、頭巾を深くかぶっていて顔がわからない。かろうじて誰何したシータに、相手は口元をほころばせた。

「私が夢に見たのはまさにこの娘だ。あふれんばかりの怨嗟の魂を宿した黒い髪の娘。まこと、供物となるにふさわしい」

 男の言葉に、「導師様」「導師様」と称賛を込めた幾多の声が広がる。

 暗黒神の信者だ。ここは、暗黒神をあがめる信徒たちの礼拝所なのだ。

「主神は必ず満足してくださる。この娘は崇高なる九つめの『心臓』として生まれ変わる」

 逃げなければ――だが体が動かない。まったく力が入らなかった。

 男のそばに別の人間が近づき、盆に乗せた黒いかたまりを差し出す。黒い液が滴るそれは心臓のような形をしていた。男はかたまりから垂れる液を指ですくうとシータの額に触れた。暗黒神の紋章を描いているのだと、指の動きでわかった。

 心臓から垂れ続ける黒い液体は他の者が杯に受けていく。そして「導師」と呼ばれた男は、黒い汁の満たされた杯を手にし、「さあ」とシータの顔をあおむけた。

 無理やりのどに流し込まれたどろりとした液体に、シータはむせた。しかし口を押さえられ、吐き出すことをとめられる。

 人々に向かって男が片手を挙げる。呼応した人々の言葉が一つになり、繰り返し繰り返しつむがれるうち、足元から腐臭とともに黒い煙がたちのぼり、シータの体をはい上がってきた。

 それが煙ではなく暗黒神の手だとわかったとき、額に激しい痛みが走った。まるで雷が体内に侵入したかのように、しびれをともなったうずきが全身をめぐりはじめる。

 悲鳴は声にならなかった。数えきれないほどの魂が暴れ、膜がきしんでいる様子がはっきりと脳裏に浮かぶ。

 このままでは本当に暗黒神の手先になってしまう。髪だけでなく、心まで黒く染まってしまう――。

 あえぎもだえ、暗黒神の支配から必死にのがれようとしていたシータが最後のうめきをあげかけたとき、光が差した。開かれた扉の先からほとばしる虹色の光がさらにふくらんでシータを包む。とたん、シータの体内でうごめいていた闇が逆流をはじめた。

 額が裂けそうだった。のどを食い破る勢いでもがいていた闇が、ついにシータの体から抜け出した。

 がっくりと首を垂れるシータの足元でうごめいていたいくつもの手は、名残惜しそうに床に沈み、消えていった。



 意識が戻ったとき、シータはゲミノールム学院の中庭にある噴水池につかっていた。あふれる水音の優しい響きが心地よくて、夢の世界にいるようだった。

 それとも本当に夢だったのか。七人でカーフの谷に行ったのはすべて幻で、自分はまだこの池のそばにたたずんでいただけなのか。

 すくった池の水は、あたりが薄暗いせいかやや黒ずんで見えた。黒い筋を描いて流れる水をぼんやり眺めていたシータは、急に咳き込んだ。口を押さえたものの、耐えきれずに吐き出す。黒い汁が唾液とともに伝い落ちて、池をにごらせた。

「まだ残っていたみたいね」

「全部吐き出してしまわないと後遺症が出るかもしれないから、苦しいでしょうけどがんばって」

 背中をさすられる。ミューとイオタが縁にひざをついて、シータを介護していた。その後ろにローとタウとラムダの顔がのぞく。

「シータ、大丈夫?」

「今、ファイが薬を取りに行っているからな」

「私……助かったの?」

「どうにかな」

 ラムダはここにいたるまでの経緯を簡単に説明した。

 シータがなかなか出てこないことを不審に思ったタウがイオタたちを迎えにやったが、シータは店員とともに姿を消していた。そこで風の神の使いを呼んでシータの行方を追ったタウとラムダとファイは、町はずれにある廃屋にたどり着いた。見張りに立っていた信者たちの妨害を打破して駆け込んでみれば、シータが今しも闇にのまれようとしていたため、ファイが退邪の法を使ったのだ。

 相手が神であるため消滅させるのは不可能だったが、うまく撤退させることはできた。聞けば、家にあったといって少しずつ読み進めていた天空の書に載っていた法術で、詠唱は今回が初めてだという。成功したからよかったものの、度胸がいいというか何というかとラムダは苦笑した。

 その後シータを連れて逃げようとした導師にタウとラムダが迫り、シータを奪還した。大地の神法士が混ざっていたものの、信者のほとんどは戦うすべをもたない者だったようで、ファイの放った嵐の法にひるみ、方々に散っていったという。

 しかしシータの体は暗黒神アルファードの邪気にむしばまれ、衰弱していた。そのせいか膜も弱くなり、シータの髪がまた一気に抜けはじめたため、エルライ湖の水をためている学院の噴水池に運んで治療にあたったのだ。

「馬番と店員の一人は、暗黒神の信者だったようだ」

 本当に彼らは周りに溶け込んでいると、タウが小さくため息をつく。隣でラムダが首をひねった。

「しかし、なんだってシータが狙われたんだ?」

「導師が私の夢を見たって言ってた。恨みのこもったたくさんの魂を宿した黒い髪の娘だって……私を暗黒神の供物にしようとしてて」

 思い出し、シータは身を震わせた。もし皆が助けに来てくれなければ、今頃自分は暗黒神に捧げられていたのだ。

「戻ってきたな」

 タウが上空をふり返る。中央棟の屋根を越え、ファイが地上へ降りてきた。

 ファイはシータが目覚めているのを見て、具合を観察するかのようにわずかに瞳を細めた。

「『アペイロンの心臓』の血は全部吐き出せた?」

「ほとんど抜けたと思うけれど……まだ気分が悪い?」

 心配そうなミューの問いかけに、シータはかぶりを振った。

「もう吐き気はしなくなったよ。『アペイロンの心臓』って?」

「あのとき君の近くにあった黒い心臓。本物なら、暗黒神から最初に法術の力を授かったスキアー・アペイロンの心臓だ」

 暗黒神を崇拝する信者たちの一番の宝だという。彼らはあの心臓から垂れ落ちる血を使って呪物をつくっているらしい。

 ファイが袋から飲み薬の小瓶を取り出し、シータに渡した。

「飲んでみて。まだ体内に血が残っていたらお腹が痛くなるはずだから」

「倒れたりはしないのか?」

 警戒するタウに、ファイはうなずいた。

「下剤だから、出しきるまではちょっときついけど……問題なければ何の症状も起きないよ」 

 吐くのもつらいが下痢も嫌だなと、シータはためらった。

「あんたたち、ちょっと離れてなさいよ」

 女の子に恥ずかしい思いをさせないでよねと、イオタが男子四人をしっしと手で追い払った。

 タウたちが一度中庭を出ていくのを見送り、シータは覚悟を決めた。せっかくファイが持ってきてくれたし、今後のためには飲んだほうがいいのだ。

 ふたを取り、生唾を飲み込む。シータは目をぎゅっとつぶって一息に瓶をからにした。

 沈黙が落ちる。しばし待ち、異状がないことにほっと肩の力を抜いた。

「大丈夫みたいね」

 イオタとミューも安堵の容相になり、ついでにとずぶぬれになっているシータを着替えさせてから、離れた場所に立っていたタウたちを呼び戻した。

 憂いがなくなったことで、七人は奇跡のパンを作るため、ミューの店へ向かった。



 到着したときにはすでに深夜近くなっていたが、七人は休みもせずにさっそく作業にとりかかった。生地に火の鳥の卵、エルライ地底湖の霊水、オオミツバチのハチミツ、そして祈りの歌を歌う花をまぜてしっかりとこね、好きな形に仕上げる。まるで泥遊びのようにはしゃぎながら、七人はパン作りに没頭した。十二人分に生地を分けるとパン自体はとても小さくなったが、それでも楽しいことに変わりはなかった。

 かまどに入れて焼けるのを待つ間も落ち着かず、全員が入れかわり立ちかわり様子を見に行った。

 とても長い時間に感じられた。もしパンを食べても呪いを解くことができなければ、永久にこのままか、早死にするかもしれない。のしかかる不安とあせりにおびえながら長椅子に座っていたシータに、ミューが杯を差し出した。

「みんながんばったんだもの。きっと大丈夫よ」

 手渡された果汁の甘い匂いに、緊張が少しほぐれた。飲むとみずみずしいうまみが舌に広がる。術でもかかっているのかと見上げると、ミューは温和な笑みだけを返した。

 完成したのは明け方だった。鉄板の上で湯気を放つ十二個のパンを七人は取り囲んだ。

「まだ熱いからすぐには食べられないわ。飲み物を用意するわね」

 ミューとイオタが場を離れる。シータは自分のこねたパンを見つめた。剣を形作ったパンはこんがりふっくらと焼けている。食欲をそそられて何度も唾を飲み込んでいると、ミューとイオタが果汁を運んできた。

 食卓についたものの、七人は皿に取り分けられた奇跡のパンを見つめたまま動かなかった。願いごとを考えているのか、できあがるまでの苦労を思い起こしているのか、緊張した空気が漂っている。

 やがてタウが咳払いをした。

「そろそろ食べるぞ。いいか?」

 さすがにいつまでも眺めているわけにはいかない。タウの合図に全員がパンを手に取った。

 まずタウが目を閉じ、パンを一口で食べる。それからラムダ、ミュー、イオタ、ロー、ファイ、シータが次々に食した。

 熱いパンははじめ甘く、そして不思議な清涼感を覚えた。シータは雑念が入らないよう願いごとに集中しながらゆっくりとかみ砕き、飲み込んだ。

 奇妙な間があった。六人の視線はすべてシータにそそがれている。効果が現れるとすれば、一番がシータなのだろう。

待ち望んでいた変化はなかなか起きない。室内が落胆の色に染まりかけたそのとき、シータは不意に体のほてりを感じた。

 心臓が大きく脈打つ。天井がぐらりと揺れた。

「シータ!」

 近くにいたラムダが、床に倒れかけたシータを支える。ラムダの腕に何とかしがみついたものの、足に力が入らない。そのままずるずると床にへたり込んだシータは激しい息切れの中、自分に呼びかけるかすかな声を耳にして顔を上げた。

 半透明の美しい少女が眼前に浮かんでいた。向こう側のファイたちが透けて見えるほどに薄いが、くるぶしまで届く長い豊かな髪はきらめく緑色をしている。そしてシータを静かに見つめる瞳もまた、引き込まれそうな緑色だった。

「何なの……?」

 イオタが深黄色の目を大きく開いている。ミューもファイも驚愕の容相で少女に視線をそそいでいた。

「何だ? 何か見えるのか?」

 ラムダが神法学科生をふり返る。ラムダには――いや、ラムダとタウ、ローには少女の姿が見えていないらしい。ということは、この少女は人ではないのか。ではなぜ自分には見えるのだろう。ラムダたちと同じく、自分には人外のものを目にする能力はないはずなのに。

『私はベルデ……ゼーロスに死の願いをかなえるすべを教えた者』

 消え入りそうな声だった。少女自身、今にもはかなくなってしまいそうだ。

『あなたが奇跡のパンを口にしたおかげで、何とかこうして話すことが……でも長くは……』

「じゃあ、魔王に最初に食われた精霊って……」

 ぐっと髪が引っ張られた。複数の手が残りわずかな髪をつかんでいる。乱暴な力にシータはうめき声を飲み込んだ。今、大事なところなのだ。邪魔をする少女たちに屈するわけにはいかない。

『ゼーロスが短剣をといだ者たちまで食らったことは、許されることではありません。ですが彼女たちは、ゼーロスの願いの成就と同時に短剣より解き放たれ、先に食われた者たちとともに天空神の御元へ旅立てるはずでした。ところが失敗してしまった……妨げたあなたへの怒りから、あなたにとりついたのです』

「そんな……」

 シータは衝撃に言葉を失った。偽りのあった自分が短剣をといだことで短剣の効果は失われ、犠牲になった少女たちもまた救われなくなってしまった。九百九十九人の少女の魂をこの世にとどめたのは、自分だったのだ。

 ではどうすればいいのか。罰として、このまま少女たちの魂を体内にかかえたまま過ごせというのか。

『風の踏み台で、風の神に祈りを捧げて彼女たちの解放を……風の神の守護を受けるあなたなら、きっと道をつくることが……あなた自身が引きずられぬよう注意を……』

 少女の姿が煙のようにゆらゆらとゆがみはじめた。声もますます聞き取りにくくなっていく。

『もう時間が……戻って彼女たちを抑えなければ……』

「もしかして魂を包んでいる膜って――」

 限界がきたらしい。ついに少女は空気に溶けるように消えていった。同時に、シータは体が少し楽になった。おそらく、精霊が再び少女たちの魂を鎮めに入ったのだろう。

「シータ、大丈夫か?」

 自分をずっと支えていたラムダが顔をのぞき込む。大丈夫だと答えたものの、全身が汗まみれになっていた。

「いったい何が起きていたんだ?」

「一番最初に魔王に食われた精霊が現れたの。魂を封じている膜もその精霊だったみたい」

 シータはほとんど髪の残っていない頭をそっとなでた。ミューが膜から強い意志のようなものを感じると言っていたが、そういうことだったのだ。

「その精霊は今どうしてるの? またシータの体の中に戻ったの?」

 シータはローにうなずいた。

「私が奇跡のパンを食べたことで、一時的に話ができるようになったって言ってた。でも長時間離れていると魂を抑えられなくなるからって、また……」

元の姿に戻りたいという願いがすぐにかなえられなかったことに、シータはがっかりしたが、希望はできた。それだけでも成果は大きい。

「だけど『風の踏み台』ってどこにあるの?」

「カーフの谷の崖に、風の神に祈りを捧げる場所がある。そこが風の踏み台と呼ばれているんだ」

 ファイの言葉にタウたちが目を見開いた。

「元に戻る方法がわかったのか?」

「うん、精霊が教えてくれたの。『風の踏み台』で風の神に祈れば、私の中にある九百九十九人の魂を解放できるって」

「ということは、もう一度カーフの谷へ向かわないといけないわけか」

 ラムダが褐色の短髪をかきむしる。

「どうする? こうなったら少しでも早いほうがいいんじゃない?」

 明日学校を休んで出発するかというローの提案に、六人がシータを見る。シータは唇を結んだ。

 できればすぐにでもカーフの谷に行きたい。さっさとこの呪いを取り除いてしまいたい。

 自分一人だけなら明日にでも行くところだが、きっと六人はついてきてくれるだろう。自分のためにみんなにまで学校を休ませるというのはどうだろう。

 カーフの谷は日帰りするにはかなりきつい。シータは迷ったが、次の休みまで待つことに決めた。

「いいのか?」

 問い直すラムダに、シータはそれでいいと答えた。

「祈りの方法は僕が調べておくよ。たぶん死者の魂を浄化する法術を使うようになると思う」

「うん、助かる。でもなんで風の神なのかな」

 自分が風の神の守護を受けるからなのか。首をかしげるシータに、ファイが説明した。

「人の生死は天空神が司っているけど、風の神は魂を運ぶ役割を担っているんだ。だから地上をさまよう魂を天へ送るには、風の法を使う。確かに風の行き来が激しい『風の踏み台』でなら、魂を全部まとめて風に乗せることも可能だと思う。シータの体と風の道を結びつけるから、精霊が言ったようにシータ自身が引きずられないよう注意する必要はあるけど、風の神の守護を受ける体なら道をひらきやすい。神法士の能力がなくてもたぶんできるよ」 

シータは納得すると同時に嬉しくなった。自分が風の神の守護を受ける身であることが、こんなところで有利に働くとは。

 浄化のやりかたについてはファイに頼むことにし、今日のところは解散となった。夜も遅いということで、シータはタウに家まで送ってもらった。



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