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緑の魔王と奇跡のパン  作者: たき
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(7)

 サルムの森はフォーンの町の西にある。ローの家の小さな荷馬車に早駆けの法をかけて乗り込んだローとファイは、昼前には目的地に到着した。

「シータ、どうしてるかな」

 肩やひざに乗ってくる小鳥たちにパンをわけてやりながら、木陰で黙々と昼食をとっていたファイは、パンを飲み込んだローの言葉に目を上げた。

 今朝それぞれの場所へ旅立つ六人を、シータは寂しそうに見送っていた。自分も行きたいと何度も粘って、それでもタウが承知せず、最後は半分ふてくされたようにうつむいてしまったので、ローも気になったようだ。

「一緒に来てもよかったんだけど……何?」

 レオニス火山やエルライ地底湖よりは楽な道のりだから、今のシータでも参加できないことはない。気晴らしが必要なら一声かけてやるべきだったかとぼんやり思っていたファイは、ぽかんと口を開けているローに首をかしげた。

「いや、だって、出会った頃はシータに対してあまりいい印象をもっていなかった君が、まさかそんなことを言うなんて」

「普段は遠くからでも声が聞こえるくらいにぎやかなのに、あんなにおとなしいと逆に落ち着かない感じがしない?」

 後先考えない彼女の言動には時々あきれるが、学院内で見かけるシータはいつも同期生たちと笑ったりふざけあったりしている。体格のいい男子に囲まれても気後れした様子がなく、そこにいるのが当たり前のようになじんでいるのが不思議と視界に入ってきていた。それだけに、ここ数日のふさぎ込んだ姿がどうもしっくりこなかった。

「でも今のシータは体を動かすだけでもつらそうだから、今日は留守番で正解だったと思うよ。そんなに気になるなら、今日の帰りに寄ってみる?」

 ファイは別に気にしていないからと言いかけてやめた。にやにやしているローにはどう弁解しても都合よく解釈されそうだ。ファイは返事を避けて残りの弁当をたいらげた。

 食事を終わらせ準備を整えたところで、ファイは自分とローに鎧の法をかけて防御力を高めた。今回は守ってくれる武闘学科生がいないので、常よりも法術の詠唱時間を考慮に入れて行動しなければならない。突発的な危険が生じたときにどこまで対応できるかが問題だった。

 さらにむだな時間をはぶくため、ファイは風の神の使いを召喚してオオミツバチの巣を探すことにした。

 オオミツバチのハチミツは非常に美味なことで有名である。オオミツバチの体長は人間の大人ほどあるが、普通のミツバチと違い、集団ではなくつがいで巣を作る。巣自体も体のわりにそれほど大きくはない。また巣を守るのは雌で、雄はえさをとりに行く。巣に近づかないかぎり、人間に対して攻撃的にはならない。

 作戦はいたって簡単だった。雄が出た後にタウからもらった『酔蜂香』という香りを放ち、雌が酔っている間にハチミツを奪取するのだ。オオミツバチのハチミツをとることを専門にしている人間が使っている手で、さほど難しくはない。むしろ一番の注意点はオオミツバチではなくオオハチトリバチだった。

 オオミツバチよりもう一回り大きいオオハチトリバチは肉食で、他のハチを主食としている。そのため彼らはしばしばオオミツバチの巣にも出没し、また人間や獣をも襲う。

 オオハチトリバチの性格は攻撃的で執念深く、狙った獲物は捕まえるまで追いかけると言われている。たいてい五匹一組で動き、別巣のオオハチトリバチ同士が会うと互いに殺し合い、負けたほうはえさとなる。まさに同種族殺しのハチである。

 森はほどよく木漏れ日が差し込み、また涼しかった。風にさざめく木の葉の音色に鳥たちが唱和する。のどかな曲に耳を傾けながら、二人は風の神の使いを追って奥へ奥へと踏み込んでいった。

 やがてオオミツバチの巣が遠くに見えた。いい具合に雄のオオミツバチが巣を離れていく。ファイは召喚していた使いを元の世界に戻すと、ローとともに低木の陰に身をひそめた。

 雌のハチが巣の周りを飛んでいる。中には幼虫もいるのだろう。彼らがせっせと作りあげたハチミツを横取りするのは気がひけたが、奇跡のパンに必要な材料である以上、手に入れなければならない。

「実物を見たのは初めてだけど、本当に大きいね」

 隣のローが暗青色の瞳を輝かせた。

「ランパスやウィータの土産にしたいけど、食べきれないだろうな。ヘイズルみたいになっても困るし」

 真顔で言われ、ファイはどう答えてよいかわからなかった。ランパスもウィータも、ローが飼っている蜥蜴の名前である。

 結局聞かなかったことにし、ファイは自分の荷物から『酔蜂香』の瓶を出した。

「いくよ」

 ファイは瓶のふたを開け、法術で小さな風を起こした。香りはファイの操る風に乗って巣のほうへ流れた。

 それまで時計回りに巣の周囲をめぐっていた雌の動きが不意に乱れた。雌は酔っぱらいのように左右に揺れはじめたかと思うと、ゆっくりと、めちゃくちゃに飛んだ。自分が巣から離れつつあることにも気づかないらしい。その間に空瓶を手に巣に近づいたローは、腰の短剣で巣のあちこちを削ってハチミツのある部分を見つけだすと、瓶へ詰め込んでいった。しかしとろとろと流れるハチミツを瓶いっぱいにする作業は、予想外に時間がかかった。

 そのとき、かすかな羽音が聞こえた。雄のオオミツバチが戻ってきたのだ。

「ロー、早くっ」

 ハチミツをそそぎ終えたローはふたもせずにファイのほうへ駆けた。雌はあいかわらず奇妙な飛びかたをしている。雄が猛進してきたのを見て、攻撃の法術を唱えようとしたファイは息をのんだ。雄のオオミツバチの後ろに、五匹のオオハチトリバチの姿があったのだ。

 ファイの待つ木陰へたどり着くなり、ローは急いで瓶にふたをして袋にしまった。ファイはオオハチトリバチの一匹が雄のオオミツバチを、一匹が雌を捕らえるのを目の当たりにした。オオハチトリバチは尻の巨大な針でつがいのオオミツバチを一突きのもとに倒し、さらにもう一匹がオオミツバチの巣に乗り込んで丸々とした幼虫を引きずり出した。

 穏やかだった森が殺戮の場に変わり、ファイはやりきれなさに顔をそむけた。自然の摂理だとわかっていても、あまりにもむごい光景だった。

 逃げる二人を、残り二匹のオオハチトリバチが追ってきた。耳ざわりな羽音が迫ってくる恐怖と戦いながら、二人はひたすら走った。あれほど大きな針で刺されれば間違いなく即死だ。幼虫をくわえた強いあごでかまれるのも遠慮したい。

 森の入り口に置いてきた荷馬車を目指して脇目も振らずに疾走していた二人の眼前に、不意に別のオオハチトリバチの集団が出現した。きっちり五匹そろっている。はさまれて急停止した二人の後ろで、オオハチトリバチがひときわ高く羽音を鳴らした。えさを奪われないよう仲間を呼んだのだ。

「大気を司りし風の神カーフ。我は請う、我に仇なすものどもに疾風の爪牙を!!」

 ファイはまず正面の五匹を嵐の法で蹴散らした。直撃を受けた三匹の体は空中でばらばらに砕け、二匹は片羽を失った。粉となった羽や触覚が舞う中、よろめく二匹の真横をすり抜けると、背後で二対二の争いが勃発した。結果を見届ける余裕はないが、羽をなくしたオオハチトリバチが不利だろう。先に追ってきた二匹がそのえさで満足して帰ってくれればいいがとファイは祈った。

 まもなく、それがかなわぬ願いであると知った。先の二匹に呼ばれた味方が、逃げる二人を見つけて追撃を引き継いだのだ。五匹の放つ羽の音は森中にこだまするほどで、聞きつけたオオハチトリバチの集団が次々に現れ、大混乱になった。

 身代わりになってくれそうな獣たちは完全に隠れてしまっている。ファイは嵐の法を連発して道を切り開くことに集中した。後ろの追っ手にかまっていては囲まれてしまう。

 ふと脇からオオハチトリバチが突進してきた。術を飛ばし終えたばかりのファイをローが押し倒し、猛攻をかろうじてかわす。ファイは休む間もなく砦の法を唱えた。

 二人に群がろうとしたオオハチトリバチがまとめてはじかれる。ファイは防御の風をそのままとどめた状態で、ローと身を寄せ合って歩きはじめた。近づけないオオハチトリバチが羽をうならせていらだちを表す。彼らが森の外まで追いかけてくるかどうかはわからないが、荷馬車まで連れていくのは危険だった。へたをすれば馬がやられてしまう。

 ハチ同士の争いはなくなっていた。ファイたちを囲んでいるのは同じ巣のハチばかりなのだろう。その数十五匹ほどか。自分たちよりも大きなハチがひしめきあっているさまに、ファイは胸焼けがした。

「ロー、僕の背中の袋から『酔蜂香』を取ってくれ」

「でもあれはオオハチトリバチにはあまり効かないんじゃなかった?」

「まったく効き目がないわけじゃないし、時間かせぎになれば十分だ」

 風の防御壁を解いた後に再度嵐の法を放つまでもちこたえればいい。

「僕が砦の法を解除したらすぐに走って」

 ローはファイにうなずくと袋から瓶を取り出した。ふたを開け、風の壁の外へ放る。羽音の変化を聞いたファイは防御を解くと、ローと一緒に包囲網を突破した。ふり返りざま、追ってくるオオハチトリバチの軍団に向けて嵐の法を詠唱する。

 オオハチトリバチの大半が瞬時に塵と化した。かろうじて生き残った数匹のオオハチトリバチが、よろめきながらも執念で追ってくる。歓喜するローをせかしてファイは荷馬車へ急いだ。これ以上もたもたしていては、永久にオオハチトリバチに追われる生活を送ることになる。

 どうにか荷馬車にたどり着いたファイは、早駆けの法を馬車にかけなおしてサルムの森を発った。ほっとすると同時に、疲労感がどっと押し寄せてくる。ファイは帰り道をローに任せて荷台のほうへ移動すると、そのまま横になって熟睡の淵に沈んだ。



 髪の毛を引っ張られているような気がして、ファイは目を覚ました。あたりは赤暗い斜光に彩られている。眼前に青い輪をはめた鳥の脚が見え、ファイは視線を上げた。

「ヘオース?」

 雛から育てた鷹がのどを鳴らした。どうやらヘオースが髪をつついていたらしい。

「起きた? もうじき着くよ」

 御者台のローが肩ごしに微笑む。体を起こしたファイは、すでにフォーンの町に帰ってきていることを知った。

「よく寝てたね。途中でヘオースが飛んできたのにも気づかなかったから、ご主人様はどうしたんだってヘオースが心配してたよ」

「ごめん」

 話し相手のいない状態でローはずっと手綱をにぎっていたのだ。あやまるファイにローは笑った。

「サルムの森ではファイにがんばってもらったし、これくらいどうってことないよ。家まで送るから、そのまま休んでいなよ」

「もう大丈夫だから」

 ファイは御者台へ移り、ローの隣に腰かけた。

「この振動の中で眠れるなんて、よほど疲れていたんだね。そういえば、ラムダの背中でもぐっすりだったってイオタが言ってたな。ファイって意外とどこででも寝れるよね」

 と、不意にヘオースが飛び立った。一度上空で旋回したヘオースは飛鳴しながら学院の方角へ翔けていく。腹が減って先に帰ったのだろうと思ったが、馬車が学院に近づいたところでヘオースは戻ってきた。

 馬車と学院を往復するヘオースの行動にファイは引っかかりを覚えた。そして馬車が学院の門を過ぎたところで、ヘオースが大きく鳴いた。

「ロー、とめてくれっ」

 ファイは馬車が完全にとまる前に飛び下りた。そのままヘオースを追って学院内へ走る。中庭に入ったファイは、そこでヘオースを見失った。代わりに、噴水池の縁に座り込んでいるシータを見つける。

「あ、ファイ……サルムの森から帰ってきたの?」

 噴水池をのぞき込んでいたシータが顔を上げる。その周囲にはたくさんの黒髪が散らばっていた。朝からここにいたのだとしたら、一日でこれほどの髪が抜けるのかとファイも言葉を失った。

 そこへローもやってきた。

「シータじゃないか。こんなところで何してるの?」

「うん……ちょっと」

 シータが目を伏せる。もしかしたら、噴水池の水で呪いが解けないか試していたのだろうか。嫌なことがあったら、ここに来て流せばいいと自分が言ったから――はっきり答えないシータに、ファイは申し訳なくなった。

「君の中にあるものは今、膜に包まれている状態だから、この水が影響を及ぼすことはないんだ……ごめん、もっと詳しく祓いかたを説明すればよかったね」

 あやまるファイに、シータはかぶりを振った。またパサリと黒髪が抜け落ちる。

「痛痒いのはおさまらなかったけど、気持ちは少しだけ落ち着いたから」

 弱々しい笑みを浮かべ、シータは噴水池を一瞥した。

「馬車で送っていくよ。今夜はしっかり寝て、明日がんばろう」とローが明るく声をかける。うなずいたシータは立ち上がり、あたり一面に散っている黒髪に困った顔をした。

 しゃがんで拾おうとしたシータをファイはとめた。

「いいよ。まとめて燃やすから」

 ファイは炎の法術を使い、黒髪を一気に焼き消した。草が少々焦げてしまったが、すぐ生え変わるだろう。

「ありがとう……そういえば、こないだのお礼もまだだったよね。魔王の城まで助けに来てくれてありがとう、ファイ」

 ほんの少し悲しみと苦しみのにじんだ笑みに、ファイはすぐに返事ができなかった。

 もしもっと早くたどり着けていたら。シータが短剣で切られるのをふせぐことができていたら、彼女は今も変わらず活発に動き回っていたはずだ。

 普段は不愛想で何を考えているのかわからないとよく言われるのに、このときばかりは複雑な心境が顔に出てしまったのか、ファイを見るシータが不思議そうに首をかしげた。それからシータは自分自身を奮い立たせるかのように顔をほころばせた。

「明日は気合を入れて最後の材料を集めるわ。そろそろ本当に何とかしないと、ヒドリ―先生どころかカラモスさんみたいになっちゃう」

 完全につるつる頭の武具屋の主を思い出したのかローも笑う。 

 それからシータを連れて、ファイとローは再び馬車に乗った。ファイの家のほうが近かったが、シータを先に送ることにし、ファイもそのままついていくことにした。

 薄闇の迫る町の風景を黙って眺めるシータを、ファイは横目に見やった。たしかに朝よりは少し落ち着いた顔つきをしている。少なくともここ数日のいらだちは減ったようだ。かといって、ふっきれたという感じでもない。

 彼女から大量にもらったチカラグサは研究に使ってほとんどなくなっていたが、残りは本来の用途に使おうと、ファイは思った。

 紫がかった上空を滑るように、ヘオースが自宅のほうへ飛んでいく。それをちらりと見て、ファイも町並に視線を移した。


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