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緑の魔王と奇跡のパン  作者: たき
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(10)

 翌朝、登校したシータは学院長室へ向かった。奇跡のパンで元に戻ることはできなかったが、方法を見つけたことを報告すると、学院長は笑みを浮かべ、シータを励ました。そしてシータができあがった奇跡のパンを手渡すと、礼を言って口にした。次にシータはロードン教官とシャモア教官のもとへパンを届けた。そして最後に一緒に現れたウォルナット教官とヒドリー教官に約束どおりパンを渡した。

 想像よりパンが小さかったのだろう。二人はやや気抜けしたようだったが、同じ大きさのパンでシータに起きた奇跡のことを説明すると、その効き目に納得した。そして今度は互いのパンの微妙な大きさのことで言い争いを始めたため、シータは巻き込まれないうちにさっさと避難した。

 一限目は初級歴史学である。シータが教室に入ると、生徒たちがいっせいにふり返ったが、シータは同期生たちにいつもどおりあいさつをしてパンテールの隣に座った。

「出てきて大丈夫なのか?」

 気づかわしげなパンテールやエイドスたちに、シータは微笑してうなずいた。奇跡のパンを食べて自分の身に起きたことを話す。今週末に『風の踏み台』に行けばすべて解決するはずだというシータに、パンテールたちもようやくほっとした表情を浮かべた。

 ピュールのいるほうから視線を感じたが、シータはそちらに目を向けなかった。そしてこの一週間はできるかぎり平穏に過ごせるよう心がけた。もう自分を守っている膜はきっとぎりぎりの状態だ。感情が高ぶることで体調に影響が出れば、膜にもよくないとイオタたちから注意されていたのだ。

 カーフの谷へ向かう三日前に、シータは祈りの言葉が書かれた紙をファイから渡された。できるだけ暗記しておくようにと言われ、長い言葉にくらくらしたが、シータは必死になって頭にたたき込んだ。

 そしていよいよカーフの谷へ出かける日がやってきた。町の闘技場に集合した七人は、荷物を確認してからローの家の荷馬車に乗って出発した。

 途中で休憩をはさみながら日が暮れる前にカーフの谷に到着した七人は、前と同じ洞穴で一夜を過ごすことにした。明日は『風の踏み台』に登っていくが、谷へ向かうよりはけわしい道だという。シータはファイからもらった紙をもう一度読み返してから、眠りについた。

 翌朝早くに、七人は荷物をまとめて崖を目指した。道幅はせまく、生い茂る木々も枝を垂らして行く手をふさいでいる。祈りを捧げる場所に通じる道なのだから、もっと人が通れるよう整備されていてもよさそうだが、聖域を人間の都合で整えるのは悪しきこととされているため、いつもこんな状態なのだとシータはファイに教えてもらった。

 と、先頭を歩いていたタウが不意に立ちどまった。

「何か聞こえないか?」

 シータも耳をすました。確かに、風を切るような鋭い音が近づいてきている。周囲を見回していたファイがはっとした容相になり、叫んだ。

「頭を下げて!」

 全員がその場にかがんだ。とたん、七人の頭上を風が吹き抜けた。空をあおぐと大きな鳥の姿が見え、青々とした羽が何枚もゆらゆらと舞い落ちてきた。

「走って! あの羽に触れたらだめだ」

 言われるまま七人は駆けた。だが逃げていたシータの背中に一枚の羽が張りついた。

 ものすごい力に引きずられて上空へ浮かび上がったシータに対して、イオタより先にファイが炎の法術を放った。小さな炎はシータにへばりついていた羽を燃やし、地上へ落ちてきたシータをラムダが受けとめた。

 鳥が大きく半円を描きながら戻ってきた。ラムダに腕をつかまれたまま、シータはみんなの後を追って走った。

「何あれ!?」

 鳥かと思ったが、鳥ではなかった。翼はあるが体は獅子で、長い尾はうろこに覆われている。そしてたてがみをなびかせる顔は老人だった。

「ビーブテイン。風の神に祈るためにやってきた人間を食らった獣が、姿を変えたものだ。あの羽がつくと体が浮いてしまう。それを空中でむさぼり食うんだ」

 ファイの答えにラムダの表情もけわしくなった。

「倒せないのか?」

「とりあえずもっと広いところに出ないと。体は大きいけど素早いから、急いで」

 前方にひらけた場所が見える。最初に到着したタウがふり返り、イオタ、ミュー、ローも順番にたどり着いた。

 心臓が破れそうだったが、シータは必死にラムダについていった。そして最後の最後で転びかけたのをラムダに引き上げられ、どうにか広場に逃げのびた。

「要害を司りし大地の女神サルム。女王の眷属たる我と我に与する者たちに、盤石の大盾を!!」

  迫りくるビーブテインに対して、ファイが盾の法を唱えた。まだ余裕があると思っていたが、ファイの言うとおりビーブテインの速さは予想以上で、盛り上がった大地の壁はぎりぎりで七人を守った。

 はね飛ばされたビーブテインが顔をしかめながら再び空へ昇っていく。舞い散る羽は地面に落ちると雪のように溶けて消えていった。

「急所はどこだ?」

 武器を構えながらタウが尋ねる。

「首を切り落とせばいい。でもかなりぶあついし、動きが速いから難しいよ。それと、ビーブテインの吐く息を吸い込んだら体がしびれるから、近づくときはできるだけ息をとめて」

 貫くなら槍が有利だが、切り落とすとなると剣でなければ難しい。シータはタウの援護をしようと自分の剣を抜こうとしたが、ラムダにとめられた。

「シータは出るな」

 反論しようとしてシータは口をつぐんだ。悔しいが、今は自分が参加すればかえって邪魔になる。

「嵐の法は?」

 地下水路で巨大ネズミを切り刻んだように、ビーブテインの首を落とすことはできないのかと聞くタウに、ファイはかぶりを振った。

「同属性だから効かない。でもうまく地に足をつけてくれれば、枷の法を使える」

 足どめができれば、ビーブテインの素早さも怖くはない。

「幾多の生命の預かり手にして守護者たる大地の女神サルム。今ひととき、不壊の鎧を我と我に与する者たちに」

 ファイは戦いに出ないシータとローも含め全員に防御力を高める鎧の法をかけた。タウたちが逃げないのを見て慌てる必要はないと考えたのか、ビーブテインは悠々と上空を旋回している。

「いくぞ」

 やがてビーブテインが七人を目がけて下りてきた。タウのかけ声にあわせて五人は前へ出た。

ビーブテインは低空飛行でタウたちに襲いかかった。タウとラムダはたくみにビーブテインのかみつきや鋭い爪をよけながら武器を振るったが、巨体に似合わぬ速さでビーブテインはかわしていく。時折翼からこぼれて舞う羽にも妨げられ、二人は思うように近づけないらしい。

 ファイは攻撃と治癒をイオタとミューに任せ、、枷の法の準備をしていた。後は大地の女神の紋章を描くだけの状態で待っている。確かに、素早いビーブテインを抑え込むには、普通に法術をかけていたのでは間に合わない。しかもビーブテインは下りてきてすぐ地に足をつけるのかと思っていたが、常に地面すれすれを滑り飛んでくる。まるで自分の弱点がわかっているかのようだ。

 そのしわだらけの老人の顔は笑っていた。たくさんの獲物が手に入ることを確信しているのかもしれない。だが、タウたちが圧倒的に不利だとも思えない。最初にファイが作った大地の壁の奥で、シータは皆の戦いぶりに見入った。

 タウとラムダの息はぴったりだった。さらにイオタの炎のつぶてが、二人の攻撃のあいまにうまく入り込み、ビーブテインに休むひまを与えない。タウもラムダも、イオタの詠唱時間と法術の効果が現れる頃合いを把握しているように見えた。三人の誰かだけがあわせているのではなく、三人ともが互いの攻撃のしかたや速さを知っている、そんな動きだった。またミューの治癒も絶妙だった。ちょっとした傷ではいちいち唱えない。タウとラムダに影響が出るけがの度合いを認識しているのだろう。それに、小さな傷を受けるたびに治していては、いざ深手を負ったときに間に合わなくなるし、ミュー自身の消耗も激しくなってしまう。

 タウやラムダとは攻撃をそろえても、神法学科生と本当の意味で行動をあわせるということを考えたことはなかった。地下水路で動きたいように動いていた自分を、イオタやファイ、ミューは戦いの慣れからくる勘で援護してくれていたのだ。そう気づき、シータは自分勝手だったことを恥じた。

 まだまだ学ぶことはたくさんある。この集団で得ることはいっぱいある。シータは腰に下げた剣の束をにぎりしめ、仲間の戦う姿の一つ一つをしっかり目に焼きつけた。

 つとビーブテインの眼光がシータをとらえた。なかなか食いつくすきを与えないタウたちより、シータとローのほうが楽にしとめられそうだと思ったらしい。ビーブテインは羽ばたくと、まっすぐシータたちのほうへ突っ込んできた。タウたちも急に狙いを変えたビーブテインの行動に反応が遅れ、イオタが慌てて剣の法を唱えはじめた。

 大地の壁は一度ビーブテインに体当たりされているため、二度目は破壊されるかもしれない。壁を信じるか、それとも逃げるか、ローをかばって剣を抜きながらシータは一瞬迷ったが、枷の法の準備をしたまま緊迫した表情で唇をかむファイを見て、シータは大地の壁を信じた。

 ビーブテインが壁に激突する。衝撃が地面を伝ってシータたちの足元をぐらつかせた。ローが背後で尻をつく。シータもよろめいたが、ファイの壁は亀裂を生じながらもビーブテインをはね返していた。よほど勢いをつけていたのか、ビーブテインが横倒しになった。

 すかさずファイが杖で宙に正方形を描き、枷の法を発動させた。起き上がろうとしたビーブテインは動きを封じられて高く吼え狂っている。そこへタウとラムダが駆け寄ってきた。ビーブテインはまだ使える片側の翼を広げて羽を散らそうとしたが、ラムダが翼を地面に縫いつけるように槍で貫き、抑え込んだ。タウが剣を大きく振り上げる。ビーブテインがしわがれた叫び声を放った。

 一度ではやはり切断できなかった。結局タウは三度剣を振るい、ついにビーブテインの首が大地に転がった。

 かすかに揺れていた翼の先もしなびたように動かなくなり、ビーブテインは絶命した。タウは長く息を吐き出すと、剣についた血をぬぐって鞘にしまった。ラムダも槍を引き抜く。七人はぴくりともしなくなったビーブテインを囲んだ。

「手強かったな」

 タウの言葉にラムダもうなずく。

「急いだほうがいい。ビーブテインは一頭だけじゃないから」

 ファイの忠告に六人はそろって渋面した。また戦うよりはと、休憩する間もなく移動を始める。広場から目的地まではそう遠くなかった。『風の踏み台』に入ってしまえばビーブテインは近づかないからというファイの話を聞き、皆の足も自然と速まった。

 そして七人は『風の踏み台』に到着した。祈りを捧げる場といっても、崖の手前に大きく平らな石が一つあるだけで、祭壇らしきものはなかった。しかし、風がかなり強い。油断すれば谷底へ真っ逆さまということになりかねない。

 シータは背負っていた荷物を地面に置くと軽く両肩を回した。祈りの文言は何とか頭に入っている。ファイが寄ってきて、一枚の鳥の羽をシータに渡した。祈りの最後に空へ放つために必要なものだ。鳥の羽であれば何でもいいらしいが、ファイがくれたのは、どうやらヘオースの羽のようだ。ファイの飼っている凛々しい鷹の姿を思い出すと力がわいてきた。

 つと、頭が急に熱をおびはじめた。これからシータがしようとしていることがわかり、少女たちの魂が騒いでいるのか。

 うまく解放できれば、呪いは解ける。しかし失敗すれば、自分の命はおそらくついえる。シータは一度深呼吸してから、ゆっくりと石へ向かった。

 横なぐりの風が、シータをぐいぐい押し流そうとする。突風によろめいたシータの腕をタウがつかんだ。シータは礼を言うと、タウの手を借りて石の前まで進み、あぐらをかいた。

 頬をなぶる風が痛い。目を開けていると涙があふれてきた。シータはふっと一息つくと、青々とした空をあおいだ。

「天空の王クルキスの庇護下にありし小さき星。そは風の王カーフの御手にて地に降り、カーフの御手にて地よりすくいあげられん」

 一言ひとことをかみしめるように、しっかりと、丁寧に言葉をつむいでいく。やがて鼓動が速まり、息苦しくなってきた。めまいがしそうなほど頭が熱い。

「されど今ここにこぼれしものあらば、我が身に流れしカーフの恵みを標とし、風の道をひらかん」

 単語一つ間違えただけで、法術の効果は消えてしまう。運が悪ければあらぬほうへ力が働き、惨事を引き起こすこともあるという。武器を振るう自分たちも戦いの際は気が抜けないし、命がけでのぞむことが多々あるが、神法学科生もまた常に身の危険と背中あわせなのだとシータは知った。

「天に戻るは約定なれば、己が輝きを誇りし星、皆たどる道なり」

 悲鳴や叫び声が頭の奥で渦巻き、こだまする。膜となっていた精霊ベルデがシータの送魂の法に呼応して、魂を抑え込んでいた力を少しずつ弱めはじめたのだ。シータは額に汗の粒を浮かべながらぎゅっと目を閉じた。少女たちの悲痛な思いがしだいに重くのしかかってくる。緑の魔王はとても長い間、この声に耐えてきたのだ。気が狂ってもおかしくはない、幾多の主張を。

 何かが下りてくる気配を感じ、シータは目を開けた。薄青い光の帯のようなものが空からのびてくるのが見える。道がひらこうとしているのだ。

 光の帯はゆらゆらと波打ちながら風に乗ってきた。しかしはるかに遠いのか、なかなかこちらへたどり着かない。いらつきかけたシータは、いつの間にか斜め後ろにファイが座っているのに気づいた。ファイは別の文言を唱えている。どうやら自分の魂が少女たちと一緒に行ってしまわないよう、つなぎとめておくための法術を使っているらしい。

 安心感が生まれ、シータは自分の仕事に集中した。ファイだけでなく、後ろではみんなが見守ってくれている。だからきっと大丈夫、必ず成功する。

「カーフにすがりて導きを受けよ。さすれば天空の王の名のもとに、続く世のまたたきを守られん」

 ふっと、何かが体に触れた。ひんやりとしているような、それでいてあたたかいような、不思議な感覚が自分の体内に溶け込んでいく。ついに道がつながったのだ。

 とたん、精霊の膜が破れた。噴き出した少女たちの魂が四方八方に飛び回る。髪どころか頭をわしづかみにされたかのごとき痛みが走り、せりあがる吐き気にのどが詰まった。そのとき、少女たちの魂を風の道に押しやろうとしている存在を感じた。九百九十九人の魂を一人で抑えてくれていた精霊は、今もシータを助けようと力を奮ってくれているのだ。シータはぐっと唇をかみ、身を引き裂きそうな痛みと苦しみに耐えた。

 徐々に少女たちの魂が天へ通じる道に乗りはじめた。そうなると後は早かった。皆、他の魂に誘われるようにして道をのぼっていく。自分の中で暴れていた魂の数が減るにつれ、体が楽になってきた。

 怒りの強いいくつかの魂は、シータを一緒に連れて行こうと引っ張った。しかしファイががっちりとシータの魂をつなぎとめ、離さない。やがて彼女たちもあきらめ、おとなしく他の魂の後を追った。最後の一人が風の道に入るのを見て、シータはヘオースの羽を放った。羽はくるくると回転しながら風に乗り、九百九十九人の魂とともに空へ吸い込まれていった。

 シータの体とつながっていた光の帯がするすると上へ巻かれていく。あおむけに倒れるシータを、後ろからファイが支えた。

 疲れきって指一本動かせない。口をきくこともできなかった。意識のとぎれかける中、シータは精霊が微笑むのを見た気がした。ありがとう、と優しい声が聞こえた。



 伝わってくる振動に目覚めると、すっかり日の暮れた空が視界に入った。

「起きた?」

 一番に声をかけてきたのはイオタだった。次にミューも顔をのぞかせる。

「今、馬車で帰っているところよ。よく眠っていたわ。気分は悪くない?」

 シータはゆっくりと上体を起こした。

「……えっと、私……」

「送魂の法なら成功よ。よくがんばったわね」

 珍しく穏やかに笑うイオタをぽかんと見つめ、それからじわじわ実感がわいてきた。 

 あれから精霊も姿を消したという。その後どうなったのかはイオタたちにもわからないらしい。だがすでに魔王に食われた身であるため、もうこの世に現れることはないだろうとのことだった。

 精霊がいないということに、シータは寂しさを覚えた。少女たちが自分にとりついたというだけで、それまで関わりのなかった自分を精霊は最後まで守ってくれたのだ。満足に礼も言えず、見送りもできなかったことが悔やまれる。

 いつか魔王と精霊が再会する日は来るのだろうか。天空神のもとで、二人はもう一度出会うことはできるのだろうか。そして、魔王に食われた少女たちは――次こそは幸せな生を迎えられることを、シータは祈った。

 ローの操る荷馬車は最初にシータの家でとまった。そこでファイがシータに一本の瓶を差し出した。

「育毛剤、使ってみて」

「ファイの手作りか?」とラムダが尋ねる。

「即効性重視だけど頭皮に優しい配合にしたつもりだから」

「もしかして試作品? 大丈夫なの?」とイオタが眉をひそめる。

「普通に売られている育毛剤だと、のびるのが遅いから」

 たしかにシータの髪はもうほとんどない。それこそ武具屋の店主のカラモスと張り合えるくらいで、ある程度のびるまではかなり時間がかかりそうだ。

「いきなり使うのが怖いなら無理しなくていいのよ」

 とめようとするイオタにシータはかぶりを振った。

「ううん、せっかく作ってくれたし、ファイのものならきっとすごく効くと思うから」

 体力回復剤も、見た目はともかく味と効果は抜群だったのだ。

「そうね……じゃあ、今ここで塗ってみて。何かあったらすぐ対処できるから」

 どこまでも疑り深いイオタに、ファイが不本意そうにむっと口の端を下げる。シータは笑って瓶のふたを開けた。

「ちょっと貸しなさい。私が塗ってあげるわ」

 イオタが瓶を取り上げ、中の液体を自分の手に垂らす。しばらくじっと見つめてから、イオタはシータの頭に丁寧に塗りはじめた。

「刺激はない?」

「うん、まったく……」

 シータがイオタの問いかけに答えかけたところで、頭がむずむずしてきた。次の瞬間、イオタの悲鳴と同時にシータの髪がズバッと一気にのびた。

 肩越しにふり返り、腰のあたりまで届いている髪に目をみはる。効き目の強さに驚いたシータは、騒ぎ続けるイオタを見てさらに言葉を失った。

「何なのこれは!? ファイ、絶対変よこれっ」

 ぎゃあぎゃあわめくイオタの手が、れんが色の毛に覆われている。どうやら育毛剤がついたところならどこでも毛がはえるらしい。

「ヒドリ―先生が知ったら飛びつきそうだな」

 同じく瞠目していたラムダがぼそりと言う。互いを見合い、どっと爆笑がわいた。

「ファイ、最高……!」

 ローが涙目でひいひい笑っている。タウですら顔をそむけ、肩を震わせていた。

「ごめん、ちょっと効き方に問題があったみたいだ」

 もう少し調整しないととつぶやくファイに、シータもおかしすぎて涙がこぼれた。

「いいよ。切ればもとの長さになるから。ありがとう、ファイ」 

 本当に、この仲間に出会えてよかった。隣でぶりぶり怒っているイオタにもたれ、シータは長い間笑い続けた。



 朝、シータは腰にはいたカラモスの剣を鳴らしながら、胸をはって登校した。まずは学院長室に行き、元の姿に戻ったことを伝える。無事に解決できたことを学院長は手放しで喜び、シータと仲間の六人をほめたたえた。

 一限目は初級植物学だった。教室に入ったシータの姿を見て、剣専攻生も槍専攻生もざわめいた。

 パンテールが最初に駆け寄ってくる。続けて剣専攻生に囲まれたシータは、槍専攻生にも聞こえるような声で、どうやって戻ったかを詳しく語った。

 そして昼休憩の時間、シータはピュールを探して校舎内を歩いた。

 シータが倒れた日、家にかつらを持ってきたピュールの行為が自発的だったとパンテールに聞いたのだ。

 落ちていたかつらを拾ったピュールに、自分が預かるとパンテールが声をかけたのだが、ピュールが自分で届けると言って持ち去ったらしい。不機嫌そうではあったが反省の色も顔に出ていたと最初パンテールから知らされたときはまさかと思ったが、休み明けからピュールはシータをあおらなくなった。すれ違っても一瞥するだけで嫌味も文句も口にしない。他の剣専攻生のことは今までどおり時々からかうので、たしかにシータへの態度だけが変わったようだ。

「悪いが、今はそういうことに興味がない。何度言えばわかるんだ」

 階段をのぼっていたとき、上から聞こえてきた声にシータは足をとめた。

「付き合えば興味がわくことだってあると思うの。お願い、鍛錬の邪魔はしないから」

「すでに十分邪魔になっているんだが?」

「待ってよ、ピュール。ねえ、本当は好きな人がいるんじゃない?」 

「いいかげんにしろ。仮に付き合うにしても、お前みたいなしつこい奴だけは選ばない」

 二度と俺に近づくなと吐き捨ててピュールが階段を下りてくる。目があい、お互いにかたまる。シータは気まずくなり、すっと視線をそらした。

「盗み聞きか」

 ずいぶん趣味がいいことで、とピュールが舌打ちする。会話していた女生徒は別のほうへ去っていったらしい。

「あんたを好きになる人の気が知れないわ」

 何もあそこまできつい断り方をしなくてもいいのに。同じようによく告白されていても、パンテールなら絶対に相手を傷つけたりしないだろう。

「そういうことは俺よりモテるようになってから言え。それで、何か用か?」

 俺のことが大嫌いなんじゃなかったのかとふてくされた口調で聞かれ、シータは口ごもった。

「落とし物を届けてくれたって聞いたから、一応お礼だけ言いにきたのよ。私は誰かさんと違って、どれだけ嫌な奴でも感謝するようしつけられているから。じゃあね」

「……本当に、もう何ともないのか」

 きびすを返したシータは、呼びとめられてふり向いた。

「ないわよ。私にとりついていた人たちはみんな無事に解放したし。体調は万全だから、悪いけど合同研修にも参加するわ」

「お前の髪、呪いで黒くなったわけじゃないんだな?」

「だったら何? 染めておかないと、どこかの馬鹿槍専攻生たちが騒ぎ立てるでしょ」

「……そうだな」

 素直にうなずくピュールにシータはとまどった。そしてもう一つ、パンテールに教えられたことを思い出した。

 これ以上噂を広めないよう、ピュールが同期生たちに注意したらしいと。

「そういうことなら、また遠慮なくお前を馬鹿にできる」

 少しは良心というものがあるのかもしれないと見直しかけたシータは、にやりと侮蔑の笑みを口の端に乗せるピュールに唖然とした。

「あんたって、やっぱり性格悪いわ」

 いらいらするから視界に入るなって言ったのは誰よ、とシータはにらみつけた。

「お前が俺より強くなったら、見下すこともなくなるんだがな」

 次の合同演習、がっかりさせるなよと片手をひらっと振ってピュールが背を向ける。

 何が何でも次回は絶対に勝ってやる。シータはこぶしをにぎって気合を入れた。



 放課後、町の闘技場に行ったシータは、タウに稽古をつけてもらった。今日も演習はあり武器を振るったが、気力体力ともに満ちていたシータは、授業だけでは満足できなかったのだ。どうしても体を動かしたくてタウに相手を頼んだシータは、思う存分打ち込んだ。

 どれだけ本気で挑んでもタウにはかなわない。だがそれが逆にやる気をぐいぐいわきあがらせた。体が軽い。気持ちがいい。しっかりと手に吸いつく剣の感触が嬉しくて、またぶつかりあったときの金属音が耳に心地よくて、シータは夢中になった。

 もっともっと強くなりたい。この先もずっと剣を振るっていきたい。シータの思いきった踏み込みにタウが眉根を寄せる。タウの攻撃もさらに激しくなった。今度は防戦しか許されなくなったが、シータはねばり強く反撃の機会を待った。

 頭上から降る陽射しが剣先をきらめかせた。まぶしさに目をすがめながら、シータはタウからの一撃をぎりぎりでかわした。飛びすさって構えなおしたところで、互いににらみあう。そのとき、控え室の窓からイオタが叫んだ。

「二人とも、お茶が冷めるわよっ」

 ふっと力が抜けた。張りつめていた神経をゆるめ、シータは大きく息をついた。タウも剣をひき、「休憩にするか」と笑う。終わってみれば、二人とも汗だくになっていた。

「腕は落ちていないようだな」

 歩きながらタウがシータの背中をたたく。シータは「でも、まだまだだよ」と剣をしまった。控え室に入ると、円卓の上はすでに菓子や飲み物が並べられていた。しっかり動いてお腹もすいたので上機嫌で席に着いたシータは、太腿のあたりに違和感を覚えた。何かごろごろした感触がある。ポケットに手を突っ込んで探ると、かたいものが触れた。

「どうかしたか?」

 隣に座ったタウがいぶかしげな顔で尋ねる。シータは緑色に輝く玉を六人に見せた。

「これ、何だろう。いつの間にか入ってたんだけど」

「シータの目の色と同じ玉だね。ちょっと見せて」

 ローに言われてシータは渡そうとしたが、ローのてのひらに乗せたとたん、玉は消えてしまった。

 全員が息をのんだ。シータは慌てて周囲を探し回ったが玉はどこにもない。あせって服の中をまさぐると、またかたいものが指先に触れた。ポケットから出てきたのは、たった今消えたばかりの緑の玉だった。

「どうなってるの?」

 イオタがつぶやく。そのときローが目を見開いた。

「もしかして、宝……?」

 全員の視線がローに集中する。ローはもう玉には触ろうとしなかったが、シータの持つ玉をじっと見つめていた。

「七つの宝……全部集まれば虹の森に行けるっていう……」

 まさか、と動揺が広がる。だがローは机をたたいて立ち上がった。

「そうだよ。きっとこれがそうなんだ。それしか考えられないっ」

室内に沈黙が落ちた。誰一人口を開かず、シータの手の内の玉を凝視している。何より、シータ自身が一番うろたえていた。

 この玉が七つの宝の一つ……虹の森へ行くための鍵なのか。

速まる鼓動が抑えられない。どうして急に現れたのか。なぜ自分の手にあるのか。

 答えはまだわからない。耳の奥で、何かがうねりをあげている――期待と不安が入り交じる中、シータは玉をぎゅとにぎりしめた。





閲覧ありがとうございました。2巻はこれで完結です。次巻はラムダとミューがメインで、11月半ばまでには投稿する予定です。

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