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緑の魔王と奇跡のパン  作者: たき
1/10

(1)

「遅くなっちゃったわ……」

 薬屋を出た少女はそうつぶやいて頭上をあおいだ。赤から紫へと移りゆく空に緑色の瞳を細める。母に頼まれた薬を買いに来たものの、あいにく一軒目にはなかった。それほど珍しくもない咳どめなのに、今日にかぎって品切れだったのだ。二軒目も三軒目も不思議なことに置いておらず、四軒目にしてようやく手に入れることができた。

 急がなければ夕食の支度に間に合わない。足早に歩きはじめた少女は、つと肩ごしに薬屋をかえりみた。特別異常を感じたわけではない。何気ない行動だった。

 バサアァァッ、バサアァァッ、ガッ

 少女は目を大きく見開いた。「ひいぃぃっ……」と引きつった悲鳴は、降りかかる羽音と周囲の叫び声にかき消された。

 置き去りにされたかごから、買ったばかりの薬瓶が地面に転がり出る。瓶はゴロンゴロンと重く鈍い音を立てながら、少女を追いかけるようにどこまでも転がり続けた。



 週のなかばの日、生徒会の役員が『ゲミノールムの黄玉』の投票用紙を集めに来たため、シータはタウとイオタの名前を書いた紙を投票箱に入れた。結果は数日中に発表されるらしい。

 それから、午後からの合同演習に出るため、シータたち剣専攻一回生は闘技場に入った。今日は槍専攻一回生と初めて一緒に演習する日であり、闘技場にはすでにピュールたちが来て鎧を着用していた。

 槍専攻生はあいかわらずピュールを囲むような形でまとまっていた。いくつかの小さな集団に別れて面々が好きなようにしている剣専攻生たちも、互いに行き来しあうので別に仲が悪いわけではないが、槍専攻生のそろった行動には目をみはるものがある。それだけピュールの影響力が強いということなのだろうが、いったい彼らがどんな話をしているのか、シータは少し気になった。

 誰かが冗談を言ったらしく、槍専攻生たちの輪が笑いで揺れる。みんなと同じように相好を崩していたピュールと、つと目があった。

 人を小馬鹿にしたようないつもの冷笑が、ピュールの口元に浮かぶ。シータはむっとして唇をとがらせた。

 入学して早々に喧嘩をして以来、ピュールはことあるごとにつっかかってくるようになった。それを聞き流せない性格のシータもまたついつい受けて立つため、二人が近くにいるといつも周囲に緊張が走る。手を出すことをシータなりに我慢するようになったので、とっくみあいに発展するのは四回に一回の割合だが、ピュールの態度が変わらないかぎり、槍専攻生と仲良くなる日はきっとこないだろうとシータは思っていた。

 パンテールたちと一緒に武具庫となっている闘技場の三階へ上がり、自分の体型にあう鎧をまとって一階へ下りたところで本鈴が鳴り、剣専攻担当のラーヴォ・ウォルナット教官と、槍専攻担当のカウダ・フォルリー教官が現れた。大柄で寝ぐせのついたようなボサボサ髪のウォルナット教官とは対照的に、フォルリー教官は厳格そうな顔立ちで、茶色い短髪もこぎれいに整えている。ウォルナットよりやや小柄で、武人としては細身なほうだが、かもしだす威圧感はウォルナットにひけをとっていなかった。

 噂では、二人は時々放課後に闘技場で打ち合っているらしく、しかも実力はほぼ互角だという。国王の剣術指南候補だったウォルナットと対等に勝負できるということは、フォルリーも相当な槍の使い手に違いない。

 一回生たちは全員二人の教官の前に整列し、ピュールの号令であいさつをした。それからウォルナット教官が注意事項を大声で話し、まずはそれぞれ同専攻内で肩慣らしをした。ほどよく汗をシータたところで再び集合がかかり、いよいよ槍専攻生と打ち合うことになった。

 二、三回生との合同演習のように、希望する相手に申し込んでいくのだろうか。シータがそうぼんやり考えていると、ウォルナット教官に呼ばれた。一方フォルリー教官はピュールの名を告げている。どうやら代表戦のようなものをおこなうらしい。剣専攻代表はパンテールだが、剣の腕はシータのほうが上なので、ウォルナット教官はシータを選んだのだ。

「剣専攻生は代表が一番強いわけじゃないのか。情けないことだな」

 槍専攻生の集団から出てきたピュールが鼻で笑う。パンテールの顔がこわばるのを横目に見て、シータはピュールをにらんだ。

「総合的に見たらパンテールが代表にふさわしいのよ。それのどこが悪いの?」

「ふん。つまりお前は剣を振るうことしか自慢できるものがないってことか」

 それなら納得だとさらにからかわれ、シータは歯ぎしりした。

 入学式の代表戦で剣専攻は槍専攻に負けている。ここは何が何でもピュールに勝たなければ。抜いた剣をにぎる手に力を込め、シータはピュールと少し距離をあけて向き合った。

 闘技場内が静まり返った。剣専攻生も槍専攻生も息を詰めて見守っている。剣専攻生たちからの期待と祈りをシータは全身に感じた。

 教官からのかけ声はない。武器を構えていた二人は互いにすきを探りながらじりじりと動き、まずピュールがしかけた。

 ガキィィンッ

 最初の突きをシータは剣ではね返した。手にびりっと刺激が走る。入学式で見たときは速さと技しかわからなかったが、予想以上に攻撃が重い。舌打ちしたシータは負けじと剣を突き出した。それを今度はピュールが槍ではじき、すぐさま反撃がくる。

 キィィン、ガッ、キィィンッ

 押して引いてのせめぎあいに、一瞬たりとも気が抜けない。周りの生徒たちも二人の気迫にのまれたかのように立ちつくしている。いつも人をなめたような物言いをするピュールだが、槍を振るう姿勢にふざけた様子はまったくなかった。勝負へのこだわりに共通点を見つけ、シータはますますこの一戦に神経を高ぶらせた。

 ふところに入りにくい。穴はないのか。弱点は――めまぐるしく重なり離れるピュールの槍の動きに、シータは必死にあせりを抑えた。じきにピュールの呼吸に乱れが生じはじめ、シータは徐々に一振り一振りを強めた。いける!

 ついにピュールにわずかなすきができた。思い切って踏み込んだシータは、しかしぎりぎりのところで防がれた。

 ビュッ

 体勢を崩しながらもピュールがシータの右足に槍先を向ける。ピュールの鋭い一突きが勝負を決めた。

「勝者、ピュール・ドムス!」

 ドッとシータの尻が床につくと同時に、ウォルナット教官が右手を挙げて宣告した。一呼吸おいて槍専攻生がおたけびに近い歓声をあげた。

 負けた――剣専攻生たちの目に見える落胆ぶりより何より、ピュールに敗れた自分に対する怒りでシータは震えた。合同演習でタウに負けたときはすがすがしさを覚えたが、今回はむかつきと情けなさでいっぱいだ。

入学前の鍛錬でも、入学してからの演習でも、こんなに悔しく、ふがいないと思ったことはない。

 最後に少し離れて互いに胸の前で武器を立ててから、シータはうつむいて唇をかみしめた。ピュールをほめそやす槍専攻生たちの明るい声がひどく耳ざわりに響く。パンテールたちは「惜しかったな」となぐさめてくれたが、シータは返事をしなかった。

 本気の勝負に『惜しい』などという言葉は意味がない。勝つか負けるか、二つに一つしかないのだ。

 その後、剣専攻生と槍専攻生は自由に組んで練習した。シータも少し休憩してから数人の槍専攻生と打ち合ったが、ピュールのときほど手ごたえを感じられなかった。

 何人かと武器を重ねてみてあらためてわかった。ピュールは群を抜いて強い。だからといって、自分が負けて当たり前だと素直に納得することもできず、シータは一人悶々とし続けた。

 授業終了後、「お前の自慢できるものがなくなったな」とピュールに嘲笑された。だがシータは反論できないまま、ただピュールをねめつけ、闘技場を出た。



 放課後、シータが町の闘技場内の控え室に入ると、すでにタウとファイが来ていた。タウは中央の円卓に腰かけて剣の手入れをしている最中で、ファイはすみの椅子に座ってぶ厚い本をめくっている。窓から差し込む陽射しを受け、タウの金髪とファイの青銀の髪は静かにきらめいていた。七人集まればにぎやかになる控え室も、この二人だけだと別室のように落ち着いた部屋に見えるから不思議だ。シータがしばらくぼんやりと二人を眺めていると、タウが赤い瞳に不審げな色を浮かべた。

「どうした? 元気がないな。昼に悪いものでも食べたのか?」

 シータはかぶりを振って円卓に近づくと、そばの椅子にどさっと腰を落とした。けっこう大きな音がしたのに、ファイは本に夢中なのか視線を投げてくるそぶりもない。

「今日、槍専攻生と初めて合同演習があって、ピュールにやられたの」

 輝きを取り戻した相棒を鞘におさめたタウは、シータの報告に眉をひそめた。

「負けた? お前が?」

「途中は優勢だったのに、最後の最後でピュールの一撃をかわしきれなくて」

 円卓に頬を押しつけ、シータは歯がみした。

「お兄さんのつてで冒険に参加しているのかと思ってたけど……強かったなあ」

 何度思い出してもむかむかする。きっと今夜は眠れないだろう。だが負けたのは事実だ。やり場のない憤りを解き放つためには、再戦の日まで今より技を磨くより他ない。

「その最後の最後でピュールに突かれたのは右足か?」

 今度はシータが驚く番だった。どうしてわかるのかと顔を上げたシータに、タウは苦笑をにじませた。

「お前は右足に来た攻撃への反応が微妙に遅いからな。一番最初の合同演習で手合わせしたとき、そう思った。ピュールがそれに気づいてわざと突いてきたのかどうかはわからないが」

 タウが円卓を部屋の端に寄せたため、シータも椅子を片づけた。中央で向き合って剣を抜く。

「ラムダがいればわかりやすいんだが……槍相手なら間合いはこれくらいだろう。そして相手の体勢を崩すには、最低でもここまで入る必要がある」

 タウが剣を構えた状態で大きく踏み込んでくる。心配は無用とわかっていても、その迫力にシータはつい身を引いた。

「だがお前は右足を狙われたとき、剣で受けるか体をそらすか一瞬迷うような動きがある。そのわずかな空白時間のせいで結果としてよけいな衝撃を吸収するから、反撃に出るのも遅れる。剣同士より余分に踏み込まなければならないのに、この遅れはかなりのむだだ」

 それからシータはそのくせをなおすため、うまいかわしかたをタウに教わった。実際に剣を重ねてみる。せまい室内で二人が武器を振り回しても、ファイはやはり見向きもしない。そこへイオタがやってきた。

「ちょっと、危ないじゃない。するなら外でしてよ」

 露骨に眉根を寄せるイオタにあやまり、二人とも剣をしまう。イオタは赤い法衣を脱いで近場の椅子の背もたれにかけると、あきれ顔でファイを見た。

「あんたも、こんな状況でよく本が読めるわね……えっ、ファイ、それ」

 イオタに本を奪い取られ、さすがにファイも顔を上げた。

「家にあったんだ。返してくれ」

 読書を妨げられたうえに横取りされたファイが不機嫌な容相になる。しかしイオタはファイを押しのけて椅子に座ると、そのまま本を読みはじめた。ファイがため息をついたところで、ラムダとミューがかんばしい香りをまとって入室してきた。ラムダは右手に槍を、左手に大きな紙袋を抱いているが、両手で紙袋をかかえるミューはいつも学院で着ている銀色の法衣をまとっていない。どうやら一度帰宅してからここへ来たようだ。

「ミューの家から差し入れだぞ」

 ラムダが紙袋を軽く揺さぶる。袋からまっすぐ上に突き出たパンに、シータは生唾をのみ込んだ。ミューの家はパン屋なのだ。

「いつもすまない」

 タウが中央に円卓を戻す。ラムダとミューが袋を置くと、パンくずが円卓を埋めつくすほどに舞い落ちた。

「帰りにラムダに会ってよかったわ。私一人では運べなかったから」

 微笑みあう二人は何だかいい雰囲気だ。そういえば武具屋を営んでいるカラモスのところに行ったとき、ラムダにはもう決まった相手がいるとカラモスが言っていた。もしかしてその相手とはミューのことなのだろうか。

 と、そのときミューが顔色を変えた。

「イオタ、それまさか……」

「僕の家の」

 イオタと同じように本に手をのばしかけたミューは、ファイの言葉にほっとした表情を浮かべた。

「ごめん、遅れたっ」

 ラムダとタウが椅子を円卓の周りに並べていたところで、仲間内では唯一の教養学科生であるローが駆け込んできた。役員会でもあったのか、生徒会議事録を持っている。

 ローは卓上のパンを見るなり満面に笑みを広げた。

「もしかしてミューの店のパン? よかった、腹ぺこなんだよ」

 肩で息をしながら一番に席を確保したローは、みんなが順番に椅子に座りだしても一人動かないイオタをかえりみた。

「珍しいね、イオタがこんなところでも読書しているなんて……ああ、取り上げられたのか」

 隣に座るファイがぶすっとしているのに気づいて、ローはくすりと笑った。

「あれってそんなに問題がある本なの?」

 シータの質問にミューがうなずいた。

「六賢者が残した高等神法書の一つよ。あれは虹色の五芒星が描かれてあるから天空の書ね。学院の図書館にもあって、普段は無許可では入れない奥の部屋に置かれているの。卒業の数日前に、成績優秀で素行も問題なしと先生方に認められた三回生だけが読むことを許されるそうよ。でも本自体に法術がかかっているから解呪しなければ読めないし、一度本を閉じればまた鍵がかかってしまうしくみになっているの。それに学院で読むときは監視がつくから、内容を写すことももちろんできないわ。文字も古代語で書かれているから、短時間では三回生でもほんの一部しか解読できないでしょうね」

 六賢者とは、炎の神レオニス、水の女神エルライ、風の神カーフ、大地の女神サルム、天空神クルキス、暗黒神アルファードから、それぞれ最初に法術を使う能力を授けられた六人のことだ。そしてその六賢者が各々法術についてまとめた神法書の原本は六冊存在する。六冊とも神法院に保管されているかどうかはわからないが、原本を書き写した複本は何冊かあり、国内の学院や大きな礼拝堂で管理されているため、人目に触れることはあまりないという。

 だからファイは脇目も振らずに読んでいたのかと、シータは納得した。

「どうしてまた、そんな本がファイの家にあるの?」

「わからない。昨日書庫をあさっていたら出てきたんだ」

 どちらにしてもとても大事なものに間違いはない。ファイは早く返してくれとばかりにイオタに催促の視線を何度も送っているが、イオタのほうは知らん顔だった。あるいは没頭していて本当に気づいていないのかもしれないが。

「それにしても天空の書とは、いい方向に進んでいる気がするな」

「虹の森は天空神クルキスの守護領域にあるって言われているからね」

 タウの言葉にローが同意する。シータも胸を高鳴らせた。

 冒険者なら一度は夢見る幸福の地、虹の森。しかしどんなところか、どうすれば行けるのか、詳しいことは知らない。わかっているのは、国内にある天空神の神殿から見つかった石版に書かれていた「七つの星がたどる道 先に見えるは虹の森 宝の欠けることなかれ 宝の欠けることなかれ」という一文。解釈によると七つの星は七人を指し、おそらく宝も七つあるだろうと言われている。

 町の大人の中にはたどり着いた者もいるというが、語ろうとすればなぜか抑止力が働くらしい。彼らは虹の森について言葉で形容することができなくなるため、神法院でさえ虹の森については正確な情報をつかんでいないという噂がある。だから神法院は虹の捜索隊を結成したのだと。

「ちょっとファイ、先が読めないんだけど」

 ずっと神法書にかじりついていたイオタの呼びかけに、ファイが肩ごしに見やった。

「解呪しないと無理だよ」

「これもなの?」

 うんざりした顔つきで文句を言うイオタに、ミューが笑った。

「イオタ、休憩にしましょう」

 控え室に備えつけられている棚には、七人が家から持ってきた皿や杯などが置かれている。七人分の杯を出したミューが果汁をそそぐのを見て、イオタは宙に向かって息をついた。本を閉じ、あいている場所に椅子を引きずっていく。

 ミューにお茶に誘われて断る者はいない。急いでいても声をかけられれば、つい承知してしまうのだ。ある意味この仲間内で一番強いのはミューかもしれないと、シータは思った。

 やっと手元に戻ってきた本を、ファイは開きはしなかった。読もうとすればまた解呪していかなければならないし、イオタに奪われるので、あきらめたらしい。

 ミューが飲み物を用意している間に、ラムダが大皿に次々とパンを乗せていく。目移りして、どれから食べようか迷ってしまう。全部味見することができるだろうか。シータがあれこれ考えていると、隣でタウが失笑した。

「シータ、そんなににらみつけるな。心配しなくても、誰もパンを独り占めしたりはしない」

 笑いの波が起きたところで、ミューが全員の杯を円卓に置いて座った。シータはまず一番近い渦巻き形のパンを頬張った。つやつやとしたパンはとてもやわらかくて、甘さもちょうどいい。それからタウに細長いパンを半分もらって口にする。こちらはかみごたえのあるかたさだった。

「うまそうに食う奴だな」

 がつがつとひたすら食べ続けるシータに、ラムダが感心したさまで笑う。ミューも微笑んだ。

「今日はいい話を持ってきたの。母さんに聞いたんだけど、奇跡のパンというものが存在するそうよ」

 シータは別のパンにのばしかけた手をとめた。指についた油をなめてミューを見る。他の五人の視線もミューに集まった。

「そのパンを食べれば願いがかなうと言われているの。もちろん材料は簡単には手に入らないから、たくさん作ることはできないでしょうけど」

「どんな材料が必要なんだ?」

 二杯目の果汁を口にしながらタウが尋ねる。

「取りに行かなければならないのは、カーフの谷に咲く『祈りの歌を歌う花』、レオニス火山にいる雌の火の鳥の卵、サルムの森のオオミツバチのハチミツ、それからエルライ地底湖の霊水よ」

「休みのたびに出かけるとしても、けっこう時間がかかるな」

「いいじゃない。願いがかなうなら価値はあると思うわ」

 イオタは早くも乗り気の様子だ。冒険ができて夢も実現するとなれば、こんなおいしい話はない。全員賛成で決まり、七人は奇跡のパンの材料を集めることにした。明日の放課後、学院の図書館で四つの重要な材料について詳しく調べる約束をし、解散する。タウがラムダと一緒にカラモスの店に寄るというので、シータもついていくことにした。

 カーン、カーンと、中央広場の時計台が六つの音を響かせる。『風の神が駆ける月』に入ってから、日が沈むまでの時間がずいぶんのびてきたので、路上には三人の影がまだうっすらと映っていた。

「やっぱり願いごとを考えながら食べるんだよね。一つしかかなえてくれないのかな」

 並ぶと、仲間内で一番背の高いラムダの影がやはり一番長い。それを見ながらシータがそう尋ねると、ラムダがあきれ顔になった。

「そんなに頼みたいことがあるのか? あまり欲張るとどれもかなわないかもしれないぞ」

「そういうラムダはどうなの?」

 口をとがらせるシータにラムダはにんまりした。

「俺はもう決めているからな。あとは奇跡のパンを作るだけだ」

「ラムダって悩みが少なそうだよね」

「おいこら」

 ラムダのこぶしが軽く頭に落ちてくる。「こう見えて俺はけっこう繊細なんだぞ」と抗議するラムダをシータが半目で見返すと、タウが微苦笑を漏らした。

「タウももう願いごとは決まっているの?」

「一応な」

 涼しい顔で答えられ、シータはますます悩んだ。やはり自分は欲張りなのだろうか。

「時間はまだたっぷりあるんだ。パンが完成するまでに決めればいい」

 タウの言葉にうなずき、シータは頭上をあおいだ。いい具合に焼けたパンの色をしている空は広くて、どんな願いごとも受けとめてくれそうな気がした。



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