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その後、私は仕方なく、行きつけのバーで飲んでいた。
もうアルコールの力を借りるしか自分を慰める術を知らなかった。
「マスター、マスターなら傷ついた女の人をどうやってなぐさめます?」
「マスター、もっと元気の出るもの下さい」
「マスター、この歳で独り身って寂しいです。婚活パーティーにでも参加すべきだと思います?」
私はカウンターを陣取り、マスターに話しかけ続けた。ひとりでまったり飲むお酒という気分ではなかったからだ。
そんな私にマスターは、ただ軽く返事を返してニコリとするだけだった。
それだけでも私は救われた。
今夜は完全に酔って帰りたかった。ただ、それだけだったから。
「マスター、絶対に叶わない片思いの末に私はどうすべきだと思います?」
なぜか、マスターはその質問には顔をあげ、「そうですねえ……」と話し出した。
「僕は最近ある男性からも、それと同じような質問をされましたよ」
そうマスターは話を切り出し、10年以上ある女性に片思いしている男性の話を聞いた。
その人は、今度、海外へ転勤になるそうで、想い人についてどうしようかと相談されたそうだ。
諦めるべきか、思い切って想いを伝えるべきかと。
「僕は、彼にそれは伝えるべきだ、と助言しました」
私はすでに結構飲んでいたし、ただ酔って帰りたかっただけで、そのマスターの話に余り興味も無かった。そのため、その話に私はただ相槌だけ返していた。
そうしているうちに、新しく男性客が一人店の中へ入ってきた。
その男性客は、事もあろうに酔いつぶれかけた私の隣にやって来た。
「隣いいですか?」と言われたので、私は相手の顔も見ずに「どうぞ」とだけ返事をした。
「今夜はとことん付き合ってやる。ここでならいいだろう?」
は?
その男性客は、山代主任だった。
———-森田と出会ったばかりの若い頃だ。
そう思ったとき、これが夢の中だと把握した。
何人かの気の合う若者が集まり、海にキャンプによく遊びに行ったものだ。
この頃は森田と私、いい感じだったのになあ。
私は、ベッドの上で森田とキスを交わし、上半身を撫でられる。
「神崎さん、好きです……」
そう言われると私は彼に体を預けた。
「もりた……」
トーストのいい匂い。
目を開けると……。
ここはどこだろう?
「おきたか」
寝返って声の主を見る。
「山代さん?」
ここは、山代さんのマンションの部屋か。
そして、ここは彼の寝室だろうか。
ベッド近くのテーブルに彼が食事を運んで来たところのようだ。
はっ! 朝?
私は、かばっと上半身起き上がる。
頭がきーんと痛み、両手で頭を抱える。
良かった服は着てる
下着も着てる
?
……いや、ブラをしてない
よく見たら、服が男物のパジャマだ
「大丈夫だ、安心しろ、何もやましい事はしてない。おれはそこのソファで寝たから。全く眠れなかったがな」
山代主任は、前半はこちらを向いてハッキリと後半は俯いて口をもごつかせながら事実を訴えた。
「でも、この服、しかも、、し、下着が…」
「全然覚えてないのか? バーでかなり酔って、閉店間際で口から汚物をだな……。とにかく、汚れた服は今洗ってる」
ああ、この歳にもなって、やらかしてしまった。
ちょっと待て待て。
山代さんが着替えさせてくれたってこと?
「ってことは……み、見たんですか。その、体を…」
「じゃないと、体を拭けなかった。俺にかなりの苦行を与えてくれたがな」
「……ご迷惑かけたのは、すみません。謝ります」
って、何で私はいつもり山代さんに謝ってばかりなんだろう。迷惑を掛けっぱなしだ。
「いや、別にいい。気にするな。俺の望み通り、神崎を一晩部屋に置けたからな」
「山代さん、何か一人ですっきりしちゃってません?」
「すっきりしたように見えるか? 全然すっきりしてないぞ? 惚れた女が俺のベッドにいるしな」
山代主任は、そう言いながらこちらに身を乗り出し近づいてくる。
「ちょっ、そういう意味じゃないです。一人で告ってすっきりしてる、って意味です」
「わかってる」と言いながらも彼は私の方へ顔を近づけてくる。
「まって下さい」と私は手で山代の顔を押し返すした。
森田の方がいい。
反射的にそう思ってしまった。
「山代さんとは、まだそういう関係は考えられません」
「まだ? それは前向きに期待して良いってことか?」
山代主任は、またぐっと、私の方へ顔を近付けて来る。
山代さん、本当に何かが吹っ切れたようにあからさまに攻めてくるなあ……。
「期待しないでください。こんなんでも私はまだ、森田のキスの方が欲しいんです!」
また、キスをされそうになり、焦った私は、山代主任から顔を思いっきり背けて言い放つ。
私はどうにかして、この状況から脱したかった。
すると、私の視線の先のテーブルにトーストやスープなどの朝食が二人分並んでいるのが目に入った。
「あ、朝食用意して下さったんですか? 美味しそう。山代さん、食べましょうよ。私、お腹ぺこぺこなんですよ」
山代主任からそれに対する返事はない。
近付いていた彼とは視線を合わせず、顔を逸らしたまま私はベッドから降りて、食卓へ向かうべく立ち上がった。
しかし、食卓へは辿り着けなかった。
立ち上がった瞬間、山代主任が大きな力強い体で私をがっちり覆ったからだ。彼は私の肩に顔を埋め、私の首には彼の吐き出した息が荒々しく当たる。
「俺じゃダメなのか?」
「…………」
山代主任の声が耳元で震えているのが分かった。
元々口数の少ない山代主任だ。しかし、今の一言だけで何か胸の奥を掻き回されたようで、私の心にグッと込み上げて来るものがあった。
そのため、私は強く抱きしめられた彼の体を振り解く意欲も無くした。
彼に返す言葉も思いつかない。
さらに、そんな彼の背中に自分の腕を回す勇気も無かった。
ただの同情から来る感情で彼を慰めることなど出来ない。
「山代さん、らしくないですよ」
「……もう少しだけ、このままでいさせてくれ」
山代さんも私と抱き合ったり、キスしたり……色んなこと沢山妄想してたのかな。
私でさえ妄想するぐらいだから、男性なら当然だろうか。
私は抱きつかれたまま山代主任にこの体制でいることをしばらく許すことにした。彼が顔を落としている肩に生暖かい水分が染みていくのを感じたことも原因の一つかもしれない。
でも、やっぱり森田に抱きつかれたかった……。
こんな状況でもそんな風に思ってしまう私って、きっと罪な女の部類に入るのだろう。
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