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主人公は今日も妄想が暴走する、、、。
12月も半ばになり、さすがにコートに身を包みながらの出勤となる。
駐車場には、車にたっ君を乗せる森田の姿があった。
「森田、おはよう。今朝も寒いね」
森田の車の前を通りすぎながら、声を掛けた。
「おはようございます。……あ、神崎さん。今日の忘年会楽しみっすね」
「楽しみ」?? 森田も楽しみなの? こっちはもう楽しみ過ぎて、忘年会の話聞いた時から、妄想が暴走してやばいんだよ。森田と飲み会って、何年ぶりかな。
そんなに楽しみなら、森田、私は今夜あなたのお酒に夜通し付き合うよ。
「転勤してから職場全体の飲み会って、僕、初なんで」
「そ、そっか。そうだよね。楽しみだね。じゃ、またあとで」
私は笑顔を作り、軽くひらりと彼に手を振って自分の車に向かった。
忘年会の後、二人で夜の闇に消えるとか、あり得るかな。
ふふふ。妄想は、自由だぁ!
ご存じの通り、毎朝の森田との会話だけを楽しみに生きていた幸せな日常は、森田が私の職場に転勤してきたことで非日常になった。
朝の駐車場以外でも森田の顔を拝見できる。声も聞こえてくる。なんて幸せな日々だ。
日常が非日常になったことで、非日常が日常になってしまった。
いや、日常ではない日常が日常になったのだから、それが日常。
訳わかんないけど、そんな今の日常を受け入れようと必死です。
なぜって、あの森田が転勤してきた日以降、私の妄想は暴走し続け、彼の昼間の姿に翻弄されて、私の平常心が乱れてしょうがないからです。
あ、なんか妄想し過ぎてか、頭痛くなってきた。今夜の忘年会に向ける気持ちが高まり過ぎて頭もぼーっとしてきたような。
ん?また、視線を感じる。
その視線の先は……、やはり、山代主任。
また、睨まれてる。
あの雨の日の傘を断ってからというもの、山代主任の視線を頻繁に感じる。そして、いつも無言で睨まれている。何か言いたいことがあるなら、はっきりいってほしい。
あの雨の日のことを根に持っていらっしゃるのだろうか……。
いやいや、わたしは次の日、朝イチで謝りましたよね。
「昨日の帰り、すみませんでした。あの、一緒に傘に入るのが嫌だったんじゃなくて……その……とにかく、すみませんでした」
「いや、気にしなくてもいい。俺の方こそ、すまなかった」
って、言ってましたもんね。
そして夜。
40人ほどが集まって鍋料理を囲む忘年会スタート。幹事でなくて良かった。ゆっくり料理とお酒を楽しもう。
私はひとり一番隅の席を陣取ってすわる。こういう席が落ち着くよね。
「前、いいっすか?」
はっ、として正面を見ると、
「森田……。あはっ、どうぞ、どうぞ」
何という幸運。向かいに森田が来たー。こんなことある? あっていいのか。幸せ、ハッピーだ。顔がにやけてしまう。
今日はこの席、誰にも譲らんぞ。動かんぞ。お偉いさんにもお酌は無しだ、無し!
そんな感じで私はひとりで気持ちが昂っていた。そのため、左隣に山代主任が座っていたことに気付いたのは、乾杯でグラスを交わした直後だった。
「宴もたけなわ」の時間が迫る中、森田はお酌に回ってからというもの帰ってこない。
仕方なく、隣の山代主任とボソボソと会話をしている。のだが、この人は、無口だから会話が弾まない。弾みたくもないけど。
「山代さん、最後までビールでいいんですか?」
「そうだな。」
特に話題もないので、お酒を勧めてみる。
私は山代主任の少なくなったジョッキにピッチャーからビールを注いだ。
「神崎……、社宅出てからどするんだ?」
唐突な質問に一瞬、何を聞かれたのか理解できず、固まってしまう。
社宅を出る……。
そう。年が明けて3月は私の35歳の誕生日がくる。そのため、4月からは社宅には居ることが出来ない。独り身の35歳以上の者は社宅を出て行かなければならないのだ。
分かっていますよ。年が明けたら、部屋探しを予定していたのだから。
「いや、一応、上司としてだな。生活面も……」
私が質問に対して黙り込んでしまったのを気遣ったのだろう、山代主任は慌ててその場を取り繕おうとする。
「まぁ、いい年なんで実家にも帰れないですし、どっか部屋を探すつもりです」
「え? 神崎さん、社宅でちゃうんです?」
話に入ってきたのは、森田だった。
これには、かなりびっくりした。そして、森田には、あまり聞かれたくなかった。
私自身もなるべく考えたくない案件だったのだ。
森田との朝の会話が無くなる現実を私自身が受け入れたくない、からかもしれない。
「社宅の定年きちゃったから、ははは。社宅出なきゃなのよ」
「そぅなんすか。社宅からいなくなっちゃうんですか。寂しいなぁ」
森田が「寂しい」って言った。
森田、あなたはどうも今日、酔ってるね。
少し顔が熱ってる森田をみるのも久々だ。
それでも「寂しいなぁ」とか言われたら涙がちょちょぎれるよ。
私は、軽く一度瞼を閉じ、深い息をひとつ吐いて落ち着いてから森田と目を合わせた。
「社宅出るの、寂しいよ」
寂しいよ。本気で寂しいよ。
朝の森田との会話が無くなるんだよ。二人きりの時間が無くなるんだよ。
私は笑顔でそれだけ伝えると、目の前のまだ口を付けていない自分のグラスの中身を一気に口から流し込み、飲み干した。
いやだ。この話題いやだ。
悪酔いしそうだ。
「ちょっと、トイレにいってきますね」
誰に向かって言うでもなく、すっと席を立った。
あれ?
立ち上がった瞬間、視界がぐらついた。
やばい、倒れる。
大丈夫だ、まだ意識はある。
私は、目を閉じ、その場にしゃがみ込んだ。
意識がとばないように必死にしっかり呼吸を繰り返した。
しかし、その努力も虚しく、私は妄想と夢の入り混じった世界に陥って行った。
ここは……書庫……?
目を開くと目の前にスーツ姿の男性の胸板。
私はその正体を伺うためにゆっくり顔を上げた。
「……森田」
「神崎さん、大丈夫っすか」
「えっ?」
状況が飲み込めない。
ただ、書庫に森田と私は二人きりでいるらしい。
「山代さんに何か言われたんすか? 神崎さんが涙浮かべて廊下に出て行くのが見えたんで、僕……ほっとけなくて」
ああ、山代主任に社宅退去の話を持ち出されて、トイレに逃げ込もうと……、そうか、それは忘年会のこと、今は書庫にいるのだから、これは夢の世界と言う訳か。
「森田、ありがとう。大丈夫だよ。別に何か言われた訳じゃないから。ちょっと、気分転換に、ね。優しいんだから、森田は」
「本当です?」
「ホント、ホント。それより森田、書庫に二人きりってやばいんじゃないかな。誰かに見られたら……その……つばさちゃんにも迷惑かかるし」
次の瞬間、何が起こったか分からなかった。
森田が私を……私をきつく抱きしめてきたからだ。
「何言ってんすか。つばさとは、もうとっくに終わってるの知ってるくせに。僕たち、付き合って1ヶ月経つじゃないですか」
「へっ?」
何?何?何が起こってる?
いやいや夢だとしても、でき過ぎでしょ。
いや、むしろ夢だから身を任せてもバチは当たらないか。
そうだ、そうしよう。
この夢のような夢を満喫しよう。
私は、森田の言葉に対して素直に向き合うことにした。
「そうだね。ごめん、何言ってんだろ、私」
「そうですよ。何かあったら、何でも僕に言ってください。神崎さんのこと大事にしたいんで」
森田は、そう言うと両手でわたしの顔を上に向かせ、唇を重ねた。
なぜか本当に唇同士が触れ合ったような感覚だった。唇から人の体温を感じる。
ただ、数秒重なり合っただけの口づけだった。
何年振りのキスだろう。
幸せだなぁ。
「森田、ありがとう。私、本当に大丈夫だから、先に仕事に戻って。後でいくから」
「分かりました。じゃ、また今夜寄りますから、その時にさっきの事情、詳しくちゃんと教えてくださいね」
「うん、わかった」
そして、森田は書庫のドアの前で一度振り返り、私に笑顔を見せると書庫から出て行った。
私は、急に体のチカラが抜けてその場に座り込み、暖かかった唇を確認するかのように指で唇に触れてみた。
「森田と書庫でキス……森田と……もりた……」
「もりた……」
「神崎さん?」
「森田?」
目が覚めると、横に本物の森田がいた。
どうやら、タクシーの中らしい。
「神崎さん、気が付きました? 気分は、どうっすか? 熱あるみたいですけど」
「熱?」
なるほど、通りで頭痛がしたり、頭がボーっとする訳だ。
「ごめん、森田、迷惑かけちゃって」
「そんなこと気にしないでください。僕は、タクシーに乗り込んで、送っていってるだけですから。お礼なら山代さんに言ってあげて下さい」
「そうなんだ……。分かった。山代さんにお礼言わなくちゃね」
頭が機能してない。せっかく二人で森田とタクシーに乗ってるのに、気分は最悪だ。
「山代さんが、倒れた神崎さんを抱えて、空いてる部屋に運んで、それからしばらく付き添ってましたし。
で、そのあと、同じ社宅の僕にタクシーで送るようご指名がかかったんすよ」
「そうなんだ……」
森田の話が全然頭に入ってこない。
「ごめん、この辺で私、降りるね。社宅の部屋まで送ってもらうわけにはいかないし。さすがに人の目もあるしさ」
「本当に大丈夫っすか」
さっき、夢の中でも言われた森田の言葉と重なった。
思わず私は森田の顔を凝視してしまう。
二人の目がかち合ったが、それ以上何も起こることはない。当然か……。
森田には、つばさちゃんと言う素晴らしい奥様がいるのだから。
我に返って、私は森田からサッと目をそらした。
「神崎さん、大丈夫っすか」
「だ、大丈夫。すみません、そこのバス停のとこで止まってもらえますか」
もう一度問われた私は、慌てて森田に返事をし、後半はタクシーの運転手さんに向かって呼びかけた。
最寄りのバス停からなら、社宅まではなんとか歩いて帰れるだろう。
「じゃ、僕、また戻って神崎さんのこと、山代さんに報告するよう言われてるんで、このまま戻りますね」
私がタクシーから降りると、開いたドア越しに森田は告げた。
「うん、本当にありがとね」
「いいえ。お大事に。じゃ」
「じゃ」
二人は、お互いに軽く手を振ると別れた。
寒い。
急に体の節々に寒さを感じた。
社宅までは徒歩5分ほど。熱のせいなのか、その道のりが、とてつもなく遠く感じた。
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