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ただ少し会話をするだけでよかった

その日常を変えるつもりもなかった


ずっとその距離を保って

ずっとその場に立って

くれるだけでよかった


雨が降ったせいで

わたしは あなたに傘をさしに

近づいてしまっただけ


何も求めないし

何かをしてあげたい訳でもない


ずっとその距離を保って

ずっとその場に立って

くれるだけでよかった


これ以上近づく つもりはない

この日常を変えるつもりもない


ただあなたにずっと恋していたい……それだけ


おはようございます、みなさん。

私、神崎光かんざきひかるは、今日も今日とて朝のルーティンをバッチリこなしていきます。


朝食はサッとシリアルです。

洗濯物をすばやく干し、ワンルームの床をワイパーで一気に拭き上げます。

次に着替え。淡い色のスカートスーツ。ジャケットの中はまだノースリーブでいいかな。

長い髪は横髪だけ後頭部でくくり、シンプルに。

メイクはナチュラルで派手すぎず、と。


よし、いざ出勤!!


もう30代も半ばなのに、出勤は早め、と心がけています。職場一番乗りの気分って最高なんだよね。なんか、天下取ったみたいな清々しさがあるというか。

まぁ、実はもう一つ理由はあるんだけど。


外に出ると、晴れ渡る青い空が出迎えてくれた。10月だと言っても、まだ昼間は残暑を感じさせる気温になる。


今日も暑くなるのかな。


出勤のため駐車場へ向かいながら、今日もランチは外へ出ずに社食で済まそう、と自分に提案する。


神崎かんざきさん、おはようございます」


この声は!


声を掛けられて、私は最高の笑顔で振り向く。


きたきたー。

朝の楽しみ、癒し。

今日も爽やかだ。イケメンだ。

低過ぎず高過ぎない明るい声。

大きな瞳。

すらっとスリムな体格。

黒髪の短髪は、柔らかい毛先が風に揺れている。

全てが私のタイプにドンピシャ、ストライク。性格も人懐っこいうえに優しい。

しかも、毎朝スーツ姿がたまりません。

と、内心思いつつ、表情は冷静を保ちます。


もう、何年あなたに片思いしてんだろ、この私。

彼は、森田満弥もりたみつやくん、五つ下の後輩君です。

同じ社宅。もちろん部屋は別ですよ。んで、彼も車で出勤です。


「おはよう、森田。……今日はたっ君の送りかぁ」


彼は保育園用お昼寝セットの大きな荷物を肩から下げ、もう片腕には森田のご子息、拓弥たくやくん2才を抱いている。


「たっ君、おはよう」


「……」


高めのテンションで挨拶してみたけど、さすが2歳児。朝からご機嫌斜めなのでしょう、顔を背けられるおばちゃん。


「ははっ、すみません。朝はいつも機嫌悪いんで」


「いや、いや……」


大丈夫よ。こんなことぐらいでくじけはしませんので。でも、軽く悲しい。


一番悲しいのは、たっ君が私の子じゃないことよ。ははは……。

そう、森田は妻子もちのれっきとした既婚者。あぁ。そして、その森田を想い続ける悲劇のヒロインがこの私です。


「今日って雨降るんだっけ?」


森田が手に持つ紺と水色のストライプのお洒落な傘が気になってたずねた。


「この天気で雨降るか? って思うでしょ。けど、つばさが、今日は降る、って言うから、傘もってきたんすよ」


「まじか。つばさちゃんが言うなら、間違いないか。まぁ、私、車に置き傘してるから大丈夫だけど」


などと、少し日常会話を森田と交わすのが私の毎朝のパワーチャージタイムなのです。


しかし、私と森田は別々の店舗での仕事なので、毎朝この駐車場でお別れです。これまた、悲しいけど。




……ところが、今日はお別れじゃなかったのです!


「本日から、こちらの店舗でお世話になります。森田と申します。宜しくお願いします」


は???森田が我が職場にいる。

いるよ。本物がいるよ。いるよ。

まじか。まじか。まじか。

転勤してきたよ!!

今朝教えてくれてもよかったんじゃない?森田っ。

あぁ、でも神様ありがとうございます。


てことは、もしかしたら……

誰もいない書庫で森田と二人きりになったりとか。

その書庫でキ、キスできたり。

いや、その前に抱きしめられて「神崎さん、好きです」とか言われたらどうしよう。

わー、やばいやばい。

あと、帰りが、たまたま一緒になって、「飲んでかえりませんか?」って誘われて、ステキなバーに行って、二人だけで遅くまで飲んで、その後は……ふふふ。


「神崎さん、何か今日顔がずっとにやけてません? 大好物のパスタが冷めちゃいますよ」


「は、え?? にやけてた? ははっ、気のせいだよ、気のせい。ははは」


「もう、しっかりして下さい」


しまった。

後輩に指摘されなかったら、妄想が暴走するところだったわ。もうしてたけど。

しかし、午前中は妄想しすぎて、仕事した記憶がない。これではいかん。

後輩の清水ちゃん、助かったよ。今日はあなたに感謝します。

社食で後輩とそのままランチを済ませた後、清水ちゃんには何となく缶コーヒーをおごらせていただきました。


とはいえ、森田はほとんど営業で外回り、私は事務職だから一日中内勤。会社でゆっくり会話もできない現実。


しかし、夕方になり、私の席から後ろを振り返ると、フロアの奥の方に、外回りから帰って事務処理に没頭中の愛する森田の姿。


ふっと、こっちを向いてニコっ、とかないかな。

ないわな。ない、ない。


……ん?


何か左の方から視線を感じると思ってそちらを向く。


げっ、山代やましろ主任!

睨まれてるよ。

「さっさとその資料完成させろよ」的な鬼の形相でにらまれてる。


「ははは」


私は山代主任の鬼形相に必死で愛想笑いを返し、終業まで仕事に集中する決意をするのでした。



「あー、降ってるわ」


終業まで仕事を頑張り、帰宅しようと社屋を出ようとすると、目の前にはざーっと音を立てて地面に降り注ぐ雨。

傘はあるけど、案の定、車に忘れている私です。

さぁどうする。


走って行こうか否かと思案していると、ふと傘立てに目が向いた。


森田のストライプオシャレ傘発見!

森田は、まだ帰ってないんだ。


こんな時、後ろから森田が声をかけてくれて「傘、車に忘れたんすか? よかったら一緒にこの傘で車まで送りましょうか?」とか言われたり……起こり得るよね。実際起こりませんけど。ははは。


「何、不気味な笑いしてるんすか、神崎さん。」


「へっ」


振り向くと森田がいた。


「あーもっ、森田。びっくりしたじゃん」


「へっ、て、何すかその反応。相変わらず面白いっすね。って言うか、傘、車に忘れたんすか?」


「あー、今探してるとこ。どこ入れたっけな」


ごそごそとカバンの中を探ってみる。あるわけないけど。


「じゃ、お先です。拓弥のお迎え行かないとなんでっ。お疲れ様でした。」


「あ……」


あのストライプの傘を颯爽とさして森田はザーザー降りの雨の中へかけて行き、消えた。


妄想通り、相合傘なんて無理だわ。まず、私が耐えられないし、周りの目もある。

既婚者と相合傘なんて、無理ですよね。

こんな臆病な自分にしょんぼりするよ。

いやいや、何がしょんぼりだ。

もう、叶う恋ではないのだから。


私は負の思考回路を停止させようと、深い息を吐き、自分を落ち着かせた。


「神崎さーん」


呼ばれて顔をあげると、雨の中から、ストライプの傘がこちらへ向かってくるのが見える。


え?森田?戻ってきた?

もしかして、傘に入れてくれようと?

なんて優しいひと。

相合傘が現実になる。

ドキドキする。緊張する。


こちらに来る森田に気を取られていて、後ろから声を掛けられているのに気が付いたのは、肩に手を置かれた後だった。


「おい、神崎。さっきから何度もよんでるんだが?」


「え? 山代さん…」


「傘……忘れてがっくりしてるのか?」


山代主任は、こちらに向かっている森田を一瞥すると、おもむろに自分の傘を傘立てから取り出した。黒い大きめの傘だ。ちっともおしゃれではない。


「森田、急ぐんだろ。こっちは大丈夫だから」


山代主任が雨の中へ叫ぶ。


「分かりましたー。お疲れ様です」


森田は、それに答えると体を翻してまた雨の中に消えていった。


何が「こっちは大丈夫」だ。

森田と私の相合傘の時間を奪いやがって、この独り身おっさんめ。


私の視線は、もういない森田の後ろ姿を雨の中に追っていた。


「神崎、入るのか? はいらないのか?」


山代主任が私の二、三歩前に立ち、さした傘の下、首だけでこちらをうかがっている。


何なのだ、このひとは。

どうゆうつもりでそんな事が言えるのか。


「入りません。走れば大丈夫なので。お疲れ様でした。失礼します」


私はなるべく平静を保とうと、ゆっくり言葉を紡ぎ、最後に山代主任に向かって丁寧に一礼をした。そして、山代主任をその場に残し、私は雨の中へ駆けた。

目から涙が溢れそうで雨の中に行かずにはいられなかった。


相合傘ごときでなんで泣いてんだよ私は。


最後まで読んで下さりありがとうございます。


評価や感想など頂けたなら、作者は大変喜びます。


宜しくお願いします。


この小説の連載の投稿は、基本的に一日おきになります。

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