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午後からの授業は選択制となっている。
ポリーヌはセシルの顔色が悪いのを気にして保健室まで連れて行った。
セシルは大丈夫だと言ったのだが、ポリーヌは強引だった。
その代わりポリーヌには付き添わないで授業に出てもらった。
ポリーヌの次の授業は刺繍だったので、セシルの為にポリーヌの好きな刺繍の授業を休んで欲しくなかった。
セシルの午後からの授業は美学だった。
貴族としての美的センスを磨く為、美術鑑賞をしながら自分の意見を述べたり人の評価を聞いたりする授業だった。
正にセシルが悪点を稼ぎまくった授業だ。
(初めて授業をサボってしまったわ)
真面目なセシルは授業をさぼってしまったのは初めてだった。
セシルは美学の授業から逃げた。
美学の授業では高価な美術品を見ることもあったが、ほとんどは同じ生徒が書いた絵、奏でる音楽、詩の感想を言い合う。
何かを評価する練習どころかセシルにとっては批判する為だけの授業のようなものだったので、おそらくとんでもない悪点を稼ぎまくっている。
絵を見れば「普通。誰かの真似をしたようなつまらない絵」だと評価した。
音楽を奏でる生徒には「綺麗な音だけど、ただ綺麗なだけ。心に響くものがない」と分かったふりして直接本人に悪評を浴びせた。
セシルは頭が良い訳ではない。
評価する言葉もただ文句を言いたいだけのつまらない言葉だった。
酷い時には詩を読んで「字が汚すぎて内容が頭に入ってこない」と評したこともあった。
まさか字が汚いと評した詩の作者がエミールだった時は、セシルの心臓は止まりかけた。
エミールから簡単な手紙を貰ったことはあったが、いつも代筆されたものだったことが判明した。
完璧に見えるエミールにも字が汚いという弱点があったのだ。
授業が終わる時間を見計らって教室に戻ったのだが、同じ美学を選択している生徒はセシルが授業に来なかったのを知っている。
同じ美学の授業を受けている生徒が集まって話している声が聞こえてきた。
「今日のアンリ様の演奏もとても素晴らしかったですわ。音楽も分からない誰かは酷い評価の仕方をされていましたけれど」
「あの方のせいでアンリ様はしばらく不調になってしまったのよ」
「アンリ様の演奏が聴けなくて寂しかったですわ」
セシルはすぐにそれが自分のことだと気付いた。
まだ学生ながら素晴らしいピアノの演奏をすると話題のアンリ・ロイドールの演奏を「綺麗なだけ」と言い捨てたのはセシルだ。
皆が「素敵だ」「素晴らしい」と好評価をする中でセシルの酷評はとても目立った。
そして実際その後アンリは不調になり、しばらく人前では演奏をしなくなった。
セシルも自分のせいかもしれないと密かに気にしていた。
アンリが演奏家として戻ってきたと聞いてセシルは心の中で安堵した。
(私の適当な言葉なんて気にしないでくれていいのに)
本当にセシルは大した事など考えずに悪点稼ぎをしてきたのだ。
その言葉に深い意味などなかった。
ただ苛立ちをぶつけるように批判する言葉を吐いてきただけ。
そう、それはエミールと上手くいかない八つ当たりの愚かな行為だった。
けれど、批判した者よりも批判された方が言われた言葉をより覚えているのだ。
正直、セシルは自分が吐いた悪点をそれ程覚えてはいない。
なにせ息をするように吐いてきたのだから。
アンリが演奏家として戻ってきたことはセシルにとって喜びだった。
ポリーヌと久し振りに話せたことと重なり、涙腺が弱くなったセシルは嬉しさから涙を流した。
アンリは戻ってきた。
セシルは、ムリだった。
1度自分の描いた絵を酷評されてから、描く気力を失くしてしまった。
絵を悪く言われたことで、自分の全てを否定されたような気がして立ち直れなかった。
趣味で描いているだけで、上達することすら目指していなかった。
ただ、自分の表現の1つとして絵を描くのが好きだったのだが、1度否定されただけで全てが嫌になってしまった。
それから絵は描いていない。
まだ学園に入学したばかりの時だったか。
セシルは自分の表現する方法を無くしたのだ。
あの時、セシルの絵を酷評した者は、セシルのやる気を全て削いでいったあの者は、本当に心からセシルの絵を酷評しただろうか?
きっと違うのだろう。
もしかしたらセシルのようにただ何かを否定したいだけだったのではないか。
わざわざ悪く言わなければならない程、セシルの絵に価値は無かっただろう。
その時のセシルはまだ知らなかったのだ。
ただ悪く言いたいだけの人がいるということを。
悪点稼ぎが趣味な人がいるということを。
絵という表現方法がセシルに残っていたならば、もしかしたら何かが違っただろうか。
(どうにしても、私がそちら側になっているんだから本物の大バカ者よね)