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斎藤さんと一週間彼女  作者: 美木 大清
19/19

そして開かれた扉の先に④

高速を降り、暫く走ると右手に海が見えてきた。


 道の少し先では湘南名物の灯台が光を放っている。

 たしかこの辺は弘樹くんの地元だったかな、前にバスの中で聞いた気がする。


 海では白波が月の光で照らされてキラキラと光っていた。

 浜辺にはサーフボードを手にした黒い影がちらほら見える。


「愛子、休憩してもいいか」

 兄はそう言うと小回りを利かせ海側の反対車線にバイクを停めた。


 クラッチを切り、キルスイッチに指を掛けるとエンジンはその振動を止めた。

 ボタン一つで心臓が止まり、それでも燃料があればまた動き出す。


 一連の動作にそんな比喩を私は考えていた。


 先に降りた兄に手を借りてバイクから降りる。

 ヘルメットを外すと、普段は嗅ぎなれていない磯の香りがした。


 私を待たずにすたすたと浜の方に行ってしまう兄を追いかけようとするが、砂に足を取られてうまく前に進めない。


「ちょっと待ってよ」

 兄はこちらを振り返ることなくその場に座り込んだ。

 やっと追いついた私は兄の横に座った。


「お兄ちゃん、どうかしたの?」

「どうだろうな」


 悲しげなその笑顔は、家族に心配をかけさせまいと笑うあの時と同じだった。


「私分かるよ。お兄ちゃんが無理してるの。誰かに話を聞いて欲しかったんでしょ?」

 兄の顔からぼろぼろと何かが剥がれていくような気がした。

「そうか、そう見えるか」


 儚く、そして強く。今度は凛とした表情で兄は答えた。

 そして顎に手を付けしばらく考えるような仕草を見せると、兄はその口を開いた。


「俺が大学に入ってすぐの時、新入生の歓迎の場があったんだ。それで俺もサークルに興味があったから行ったんだけど、そこでいろんな人に話しかけられて・・・」


「最初はよかったんだけど、いろんな人から一斉に話しかけられることがだんだんと怖くなってきて。そしたらその時にその輪の中から俺を離してくれた人がいたんだ。『あんまり話しかけるから怖がってるだろ』って」


「その先輩は誰も嫌な思いをしないように最適な方法で俺を救ってくれたんだ。久しぶりに誰かに助けられて俺はその先輩と知り合いたいと思ったんだ」


「連絡先を聞いて、遊びに誘ってもらって、そこでバイクを教えてもらって。この辺はその先輩とよく走ったところなんだ」



 あまりよく知らなかった兄の話。バイクに急に乗りだした理由。楽しそうに話すその先輩の話。

 それを知れたことがうれしくて私は舞い上がってしまった。


「そっか、私も会ってみたいなー その先輩に」


 何も考えずに発した言葉に兄は顔を曇らせた。


「それは無理かな」

「えーどうしてよー ケチだなあ」


 ぶっきらぼうに答えた兄に少し腹が立って、思わず食い入ってしまった。


「亡くなったんだその先輩。一昨年、バイク事故で」


 放たれたその言葉は、鋭く尖って舞い上がっていた私の心を突き刺し、そのまま地面に押し付けた。


 身動きが取れなくなった私の心が裂けるように痛む。


 この痛みは私の痛みじゃない。兄の痛みだ。

 そしてこの怒りは私に悲しい話を聞かせた兄に対するものじゃない。

 舞い上がって思わぬ形で言わせた私に対する怒りだ。


 兄に話すように促したのは私。おそらくどこかでその話はしたであろう。


 ただその順序はあったはずだ。

 兄にも私にも心の準備をする時間が必要だったはずだ。


 目の前の景色が滲む。

 本当は兄の方が泣きたいはずなのに、私が泣いちゃダメなのに・・・



 頭の上に温かいてのひらが置かれる。


「別に気にしなくていいんだ。それに俺もいい加減立ち直らなければならない。今日はそのことを先輩に伝えに来たんだ」


 聞くと兄の言う先輩はこの辺りの出身らしい。

 だから兄は彼の地元でそのことを伝えに来たのだ。


 そっと立ち上がると海の方へ歩いて行った。


 空を見上げているその様に、なんだか月へ帰ってしまうような、そんな気がした。

 だけども私は何も言わず、絶えず揺れる水面に反射した月の輪郭を追っていた。


 夜の太陽が空高く上がったころに、彼は帰ってきた。


「帰ろうか」


 私は黙ってうなずき、その後ろをついていった。

 帰りは一言も口を利かなかったが、それが逆に心地よかった。


 分からなかった心の感情に名前が薄っすらと浮かび上がる。

 ただ浮かび上がった文字に私は後悔の念を抱いた。

 知らなければよかったかもしれないと鍵を掛け、心の奥にしまおうと思った。


 後ろに流れていく景色と共に風が熱を帯びそうな気持を冷ましてくれる。


 ―――――――――――――――――――――――


 家に帰るといつもは暗いはずの部屋が明るく灯されていた。

 その理由に僕は少々の苛立ちを覚える。


 リビングのドアを開けると、ソファに座ってテレビを見る母の姿があった。

「おかえり」

「ただいま」


 短い会話を終えると僕はそそくさと自分の部屋に逃げていった。


 なぜ自分の家なのに逃げ回らなくてはならないのか。

 先ほどまで良い気分だったのが一瞬にして崩れる。


 自分の家なのに他人の家に来たみたいだ。


 急いで部屋のドアを閉めその前に座り込んだ。

 その後も母は何も言わず自分の部屋に帰っていったようだ。


 僕と母の関係はずっと昔に崩れかけていたのかもしれない。

 ただ大きく変わる引き金となったのは一昨年のあの事がきっかけだろう。


 彼女はきっと昔の家族には興味がないに違いない。

 家に帰ってくることはほとんどないから僕は、この広い一軒家に一人暮らしをしているようなものだった。


 立ち上がりベットに寝転がると家の外から聞きなれたバイクの音が聞こえてきた。


 ああ、久しぶりに聞いた。

 前はよく聞いてたんだけどなあ。


 来週から6月か………


 兄のいなくなって2回目の6月が始まろうとしている。

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