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夏のころの恋の鐘

挿絵(By みてみん)



 花屋に就職したての夏。

 私が、初めてタカハシ先生に花を届けた日に事件は起こった。

 玄関先で迎えてくれた先生に、注文の花束を渡すやいなや、私は涼しい玄関先で目を回して倒れてしまったのだ。

 エアコンの壊れた営業車で散々迷ってしまったがゆえの熱中症。生理中で貧血気味なのがなお悪かった。幸い熱中症は軽症で、貧血の方もすぐに意識は戻って労災案件を免れたけれど。

 手を痛いほど握って声をかけられ、ふと目を開いたとき、目の前にあった切なげで必死な先生の顔に――。


「あ、あれ? 花束……」


 私は――。


「貰っている。気にしなくて良い。意識はあるな。名前はいえるか。吐き気があるなら救急車を呼ぶがどうだ。鐘ヶ江には連絡してある。起き上がれそうか?」

「大丈夫、名前……葉月、ルリです。いえ、なんか涼しくなって大丈夫になってきました。すいません――あの、帰りま」

「無理はいけない、まだ休んでいなさい。すぐに迎えを呼ぶ」


 おだやかな声が胸に染みとおる。

 私を見下ろす眼差しに目を奪われる。

 端正な顔立ちの年上男性に浮かぶ焦り、まなじりに浮かぶ苦しそうな色を作ったのは私だ。なでつけられた髪が乱れ、ひと筋額にかかっているのが魅惑的でうっかり口元に浮かんだ笑みを、あの人は一体なんだと思っただろう。

 笑われるべきは私だって気づくまで、物語のヒロイン気分でいた。 

 手のひらサイズのアイスノン一対が脇の下、厚地の作業エプロンは腹までめくり上げられていて、デニムの太ももの付け根にも、てぬぐいにくるんだアイスノン。汗びっしょりのおでこにはカールしたはずの前髪が根こそぎ張り付いて念入りなブローも見る影なし。

 先生の的確な処置に感謝しつつ、今思い出してもあわれな寝姿に、私は顔を覆いたくなる。

 出会い頭の醜態を私はきっと忘れない。

 でも、それと同じぐらい強く、あの人の心からの安堵の顔を胸に刻んだ。

 壁一面の、花びらのような羽根にかこまれて。

 私はこの日、鷹觜(たかはし)先生に恋をした――。



◇◇◇

 

 このあたりで一番大きな樹のある家。

 どこかの大学教授。気難しい横顔。キレイな歩き方。テラスのある緑あふれる庭から、いつも鳥を見ている人。

 鷹觜先生は夏のビーチの申し子のような花屋(うち)の鐘ヶ江店長と正反対で、森の中で静かにたたずむのが似合う人だ。

 比べると落ち着いた印象が過ぎて、店長より年上にみえるのがもったいない。でも銀色にチラチラ光る若白髪は、染めるよりそのままの方がいい。金属の細いフレームのメガネも先生の硬質な雰囲気に似合っている。ガラス越しに深い色の瞳がくっきり映えて好きだ。

 あの人は、抱えきれないような花束を頼む人。


「ルリちゃん、これタカハシの家に配達よろしく」


 店の掃除の手を止め、振り返ると腕の中に大きな花束が飛び込んできた。

 時計を仰げば十六時。約束の時間まであと三十分。

 また真っ白な花束を届ける日がやってきた。


「了解です。配達、これで最後ですよね」

「もう鷹觜の家、迷わず行けるよね? あと、悪いけどアイツ元気にやってるか確認してくれる?」


 最後のお願いごとはいつもだ。新人の頃ならまごつきながら「ハイ」としか言えなかったけれど。この店長の下で一年半勤務した私は、だいぶ心臓に毛が生えた。


「たまには店長が自分で行ったらどうですかー? タカハシ先生も『アイツは元気にしてるか』って仰いますよ」

「なんだその低い声、全然似てねえ! いいのいいの、人越しにでも消息聞ければ十分なんだよオレらは。くそ真面目なむさいおっさんの顔なんか、わざわざ拝みにいきたかないんでね。ルリちゃん鳥好きなんだろ? タカハシ教えたがりだから、生徒が来るとよろこぶよ」


 鐘ヶ江店長と鷹觜先生は古い友人らしい。「俺は焼き鳥しか好きじゃねえから」と笑いながら、店長は夕方便で着いた生花をステンレスのバケツに活け替える。その手付きは丁寧だ。

 仲がいいのか突き放したいのかわからない物言いに以前はよく困ったものだけど、今では深い絆あるゆえだと感じている。

 ふたりが大学の同期だったか詳しくは忘れてしまったけれど、社会に出てからも繋がれる関係っていいなと思う。


「帰りはゆったり戻ればいいから。オレはじわーっと閉店準備してるからさ」

「閉店十九時なのに、さすがに早くないです?」

「ゆったり働こうぜ~。オレ、必死に働くの好きじゃないんだ。四十路はくたびれるのも早いんだよ」

「知ってます~」

「あー、理解ある弟子を雇えてオレ幸せ。じゃ、いってらっしゃい」


 いい年してどこかチャラさのとれない鐘ヶ江さんは、花屋フローリスト・カンパニュラの店長にして一流のフローリストだ。

 生花業界を目指して就活していた私は、フラワーアーティストの集う展示会で店長の作品にひと目惚れし、頼み込んで雇ってもらった。


『弟子ねえ……。ウチ、新卒で来るようなとこじゃないんだけどね』


 店の裏の喫煙所。持参した自作アレンジメントのポートフォリオをしげしげと眺め、緊張と不安でカチコチの私を上から下まで値踏みした店長は、咥えたばこをピンと指ではじき飛ばすと、


『採用! オレ、美人過ぎないコ好きなんだよね。よろしく、葉月ルリさん』


 セクハラをぶちかましてニッと笑い、


『あと、君のアレンジすごくいい。勉強したら早く独立しなよ。オレ弟子とかいるのくすぐったいから』


 後半の台詞がついていたので、苦虫はかみつぶして「よろしくお願いします」を言えた。集合写真や教室でも隅っこに居るタイプの私からすると正直苦手なタイプだけれど、嫌味のない明るさで憎めない店長だ。仕事に手を抜かない職人気質も尊敬している。今日の花束はスイートピーとバラ。「清楚」と「豪奢」の狭間を白のトーンでキレイに埋め、ロイヤルブルーのリボンでまとめたどこか神聖さを感じるアレンジだ。

 まるで神様に捧げるような純白の花束を、店長は友人のために毎月作り上げて届けている。

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