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弐:神隠し

(弐)


「おいおい、大丈夫かよ、あんた?」


 だが一瞬後には、その人影は男のものに変わっていた。

 眼鏡を掛けた、少し痩せ身のその男は、呆れた口調で声を掛けて来る。年は私と同じか、少し上だろう。服に付着した花びらを払いながら、私が「大丈夫です」と応えると、男は視線を滝桜の方へと転じた。


「それにしても、ごつい桜もあったもんだな、おい。滝桜とはよく言ったもんだ……災難だったなあんた。見た所画家のようだが、絵でも描くつもりかい? よしなよ、カンバスに入りきらないぜ、こいつは? ははははは」

「貴方こそ、単なる観光客には見えませんね。取材ですか?」

「ご名答。フリーのジャーナリストってヤツでね。食うものに困った挙句、ゴシップ記事に手を出したが運の尽きだった、って訳さ」

「……は?」

「ほら。つまりその、何だ」


 言うだけ言って、男は腰に吊るしていたカメラを手に取り、写真を撮る振りをしてみせた。

 つまりはこういうことなのだろうか、取材をするだけのつもりだったのが、滝桜の魅力に取り付かれて離れられなくなった、と。

 私と同じように、彼もまた感じたのかも知れない。滝桜の中に潜む、底知れないモノの存在を。


「此処に滞在してもう七日目だ。いい加減見飽きないかと思うかも知れないが、ところがどっこい、こいつは見る者を飽きさせない演出をしてくれるんだ。

 毎日、見る度に増えてやがるのさ。どんどん増えていくんだ、見物だぜ? まだ満開じゃないんだ、ってな。ぞくぞくしちまうぜ……果たして満開になったらどうなっちまうんだろうな、こいつ」

「えっ? 満開じゃないんですか、これで!?」


 男の衝撃的な言葉に、私は驚きの声を上げた。幾ら何でも、これ以上花を付けるとは思えなかった。もし男の言うようにこれが満開ではないのだとしたら、その時滝桜はどうなってしまうのだろう。とても想像できなかった、満開になった滝桜の像など。


「あんたも、知りたいと思うだろう? どうにも気になるんだよな、こいつが」


 そう言って、煙草を口に咥える男。私も勧められたが、丁重に断っておいた。生まれつき肺に欠陥のある私にとって、煙草は毒劇物以外の何物でもなかったのだ。美味そうに煙草を吸う男の様子を見ていると、吸いたくもなって来るが。


「それに、例の神隠しのこともあるし、な」

「──神隠し、ですか?」


 何気無く男が放った非科学的なその一言が、皮肉にも滝桜に呑まれてしまっていた私の意識を現実に引き戻すことになった。

 覚醒した意識で改めて桜を見てみると、先程まで感じていた圧力のようなものは特に感じなかった。確かに馬鹿でかいことは馬鹿でかいのだが。あくまでそれは桜としてはの話で、これより大きい木も沢山ある。


「知らないのか? 毎年桜の花が咲く頃、この三春町で起こる失踪事件のことを。地元じゃ結構有名な話なんだぜ。……って、あんたはこの地方の人間じゃなかったっけか」

「ええ、私は此処にはさっき来たばかりで。それより、その失踪事件のことをお聞きしても宜しいでしょうか?」

「ああ、いいぜ。と、その前に自己紹介といこうか。俺の名は滝沢。滝沢栄一たきざわ・えいいちだ。宜しくな、画家さん」


 滝沢と名乗って、男は煙草の火を消した。それを無造作に投げ捨ててから、彼は鋭い視線を此方に送って来る。無言で催促されているのだと気付き、私は仕方なく口を開く。得体の知れない男に本名を告げるのはいささか抵抗があったのだが。咄嗟に偽名が思いつかなかったこともあり、渋々正直に名乗った。


「へぇ、芹沢真人さんね。何処かで聞いたことがあるようで無いような名前だな」

「ええ、よく言われます」


 幸子の時のように大騒ぎされるかと少し心配したが、滝沢の場合は違っていた。

 どうやら知られているとは言っても一部に限られているらしい。そのことを安堵するべきか悲しむべきか、私には分からなかったが。

 敢えてそれ以上は突っ込まず、私が黙っていると。


「滝沢さーん。姉さんが呼んでます、直ぐに家に帰って下さーい」


 突然別方向から声が聞こえて来た。聞き覚えのあるその声の主は、先程私を案内し掛けて畑仕事に戻ってしまった少女だ。噂をすれば何とやら、か。

 泥だらけの作業服を着たまま此方に駆け寄って来る幸子を、私は苦虫を噛み潰したような心地で見守っていた。


「って、わっ!? 芹沢先生もご一緒だったんですか! ラッキー!」

「何がラッキーだ、何が。此方は騒がしいのにまた遭ってしまってうんざりな心境だよ」


 私の顔を見るや否やはしゃいだ声を上げる幸子に、今の気持ちを正直に告げてやる。彼女と別れた時は寂しく思ったこともあったが、再会した今となってはただ五月蝿いだけだ。


「何だ、あんたら知り合いなのか?」

「いや、さっき知り合ったばかりです。しかも半ば強制的に」

「うわー、ひっどーい。運命的な出逢いって言って下さいよぉ、せめて」


 滝沢の問い掛けにも正直に応えると。

 何が不満なのか、幸子は抗議の声を上げて来た。


「よく分からないが、なかなか面白い関係のようだな」


 とは、私達のやり取りを見た滝沢が漏らした感想だ。第三者から見れば面白く映るのかも知れないが、当事者からすれば面白くも何ともない。そう言ってやりたいのは山々だったが、私は黙っておいた。幸子が少し傷付いたような顔で此方を見つめていたからだ。

 我ながら、言い過ぎたのかも知れない。


「まぁ、他人のことは言えないけどな。俺だって幸子ちゃんの姉さんにご厄介になってる訳だし。君達には感謝しているよ、本当に」

「そんな……厄介だなんて、とんでもないです。滝沢さんは姉にとって大切な存在で」

「ふふふ。ま、ご厄介になるばかりじゃ申し訳無いから、毎晩夜伽の相手を務めさせて頂いておりますがね? あ、幸子ちゃんも寂しくなったら遠慮無く言ってやってね? 俺で良かったら幾らでも相手になってあげるからさ」


 滝沢が軽い口調でそう言った途端、幸子の顔が茹蛸のように赤く染まった。この場合軟派な滝沢が悪いのか、それとも簡単に引っ掛かる幸子が悪いのか。とりあえずこのままにしておくのはまずいと感じ、助け舟を出してやることにする。


「残念でしたね、滝沢さん。今晩のこの子の相手はこの私です」

「ええええっ!?」

「お、見かけによらずやるねぇ、あんた。もうモノにしちゃったのかい?」


 私の冗談混じりの一言に仰天する幸子と感心する滝沢。いやそんな、本気で取られても困るんですけど。真っ赤になって俯いてしまった幸子を見ていると、罪悪感を感じずには居られない。もしかして私は、彼女を傷付けてしまったのだろうか。


「それじゃ、邪魔者は早々に退散することにしようかね。またな、お二人さん」


 そう言って、気を利かせたつもりなのか、意味深な笑みを浮かべて立ち去る滝沢。その背中を見送りながら、これからどうしたものかと思案する。

 とりあえず見るべきものは見た。滝桜は確かに凄い、一見の価値はありだろう。だが、それだけだ。私を此処に繋ぎ留める程の力は無い。元々日帰りの予定だったし、今から電車に乗れば今日中には自宅に着けるだろう。三春町にこれ以上滞在する意味は無い筈なのだ。


 だと言うのに、私は迷っていた。このまま帰って良いものかと。滝沢の言ったことが気になった所為もある。未だ満開を迎えていない滝桜、そして神隠しと噂される謎の失踪事件のこと。どちらも興味を引く事柄だ。


「あの、幸子……ちゃん」


 だが、それだけではないのだ。私をこの地に繋ぎ止めているものは。目の前の彼女という存在が無かったなら、私はとっくに踵を返していたことだろう。


「悪かったね。ちょっとした冗談のつもりが、君を困らせてしまって。どうやら滝沢さんにも誤解されちゃったみたいだし。その……ごめん。傷付けたのなら謝るよ」

「いえ、お気になさらないで下さい。私、傷付いてなんかいませんから」


 頬を紅潮させながらも、幸子ははっきりとした応えを返して来た。


「大丈夫です。私、芹沢先生のこと、尊敬していますから」


 舞い落ちた桜の花びらが一枚、彼女の髪に付いた。それを手に取り、幸子は「ほら、滝桜様も祝福して下さっています」と嬉しそうに微笑んでみせた。


「あ、そうだ先生。ご案内したい場所があるんです。私と一緒に来てくれませんか?」


 照れながらも精一杯勇気を振り絞って言って来た幸子の誘いを、私は断ることができなかった。どうしてこんなにこの子のことが気になるのだろう。初めて逢った時には別に何も感じなかったのに。滝桜を前にして、感覚が鋭敏になっているのだろうか。

 この感情の正体は何なのだろう。胸の奥底からじわりと滲み出て来るような、この想いは一体。


 この時の私はまだ、自身の中で起こった異変に気付いてはいなかった。

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