私の大切な友達
<ユリナ>
ヤミコちゃんの言葉通りに、黒猫バスは速度を緩めることなく、フロントガラスに表示される、半透明な赤点のオーガと白点の民間人の距離がもっとも近い場所を目がけて、脇目も振らずに突っ込んでいく。
「突撃後に、すぐ戦闘行動に移る」
ヤミコちゃんがそう言ったので、私は地上との距離がみるみる近くなっていくのを窓から確認してしまい、絶叫マシンさながらのあまりの恐怖のために目も口も閉じてしまった。
そして次の瞬間、ドンッという何かが当たるような音がした。その音が気になって、私はゆっくり目を開くと、いつの間にか地上に到着しており、黒猫バスもその場に停まっていた。
まるで呼吸をしているかのようにバス全体が穏やかに膨らんだり縮んだりしているので、魔法障壁やその他の機能を維持するアイドリング状態ということだろうか。
さらに人工重力が働いているせいなのか、急ブレーキを押した体が引っ張られる感じも、何かに当たった衝撃も感じもせずに、本当にただ柔らかなクッションに座っていたら、いつの間にか地上に着いていたとしか思えなかった。
「あっ…あれ? ヤミコちゃんは?」
「安藤ならオーガを轢き殺した後に、すぐ外に出ていったぞ」
「えっ? オーガを轢き殺した? えっ? でも普通は車のほうが逆に…」
あまりの事態から置いてけぼりになってしまったせいか、タツヤ君の答えをなかなか受け入れられなかった。オーガは強力な魔法障壁があるので、戦車で踏み潰しても全くの無傷だったはずだ。私が混乱している間にも、黒猫バスの周囲に避難してきた民間人が少しずつ集まり、バス内に残った魔法省の職員さんが無線で現場に指示を出したりしていた。
「ええと、タツヤ君…そのオーガは何処なの?」
「あの壁の下のがそうだ。原型はあまり残ってないけどな」
何にせよ、まずは目の前の状況を把握しなければいけない。私はタツヤ君が指差す方向に視線を向けると、フロントガラスの遥か向こうの壁にめり込むように、無残なオーガの死体が横たわっていた。腕や足も首もちぎれて胴体すら裂けかかっており、それ以上に半分潰れているような悲惨な状況だ。
私も魔法少女として何度か戦闘経験があるので、魔物の死体を見ても平気だが、普通の人が見たら間違いなく嘔吐するか気を失うだろう。
「物凄い速度で民間人を襲う寸前のオーガに突っ込んだんだが。魔物は黒猫バスの周囲に展開している魔法障壁に弾かれたらしく、こっちには何のダメージもなかった。
乗っている俺たちも小揺るぎもしなかったからな。あっちはズタボロだっていうのに」
もう一度正面のオーガを見てもボロ雑巾のような死体があるだけだ。確か肉体の強靭さと戦闘能力の高さが危険視されている、カテゴリー2の魔物だったはずだ。
私も何度か戦ったことがあるけど、元々戦闘はあまり得意ではないので、かなり苦戦した覚えがある。それを手段はどうあれ、あそこまで簡単に倒すなんて…。
「あっ…ところでヤミコちゃんは? 外に出て行ったんだよね? 一人で大丈夫なの?」
「それならほらっ、あそこを見ればよく分かるぜ」
私はまたもタツヤ君が指差す方向を見上げると、ヤミコちゃんが半透明の黒い翼をはためかせて、闇夜に一人静かに浮いていることがわかった。一体何をしているのだろうか。と言うか、本当に単独でも空を飛べたんだ。
「えっと…あれは何を?」
「俺にもわからないけど、ユリナの父親に聞けば…」
彼が続きを話そうとする前に、オーガたちの怒りに任せた雄叫びが夜の町を震わせた。私とタツヤ君は安全な黒猫バスの中だというのに、びっくりして身を強張らせてしまう。
「あれはヤミコちゃんの魔法の耐久テストらしい。オーガ九体に黒鎖の魔法が有効か確かめるとのことだよ」
「耐久テストですか? それって一体…」
パパの説明を詳しく聞こうと思ったところで、今度は夜の町中から一斉にオーガの断末魔が響き渡る。これはわざわざ説明を聞かなくてもわかる。
ヤミコちゃんがたった一人でカテゴリー2の全ての脅威を排除し終わったのだ。どういう魔法を使ったのか、まるでわからなかったけれど。
と言うかこんな強力な黒猫バスを維持したまま、他の魔法を使うことが出来るのだろうか。しかも空を飛びながら離れた位置にいる九体のオーガを同時に相手をするのだ。そんな規格外の魔法少女は聞いたことがない。
パパから色々と説明を聞いて余計に混乱してしまった私に、今回の中心人物が黒猫バスに向かってゆっくりと降下し、長方形の入り口から顔を覗かせて私に声がかけた。
「んっ…戻った。ユリナちゃんに後は任せる。私、回復魔法は苦手だから」
空から降りてきた彼女は、黒い翼を消して黒猫バスの中に入って来る。当然周囲に集まっていた大勢の避難民から注目されることになる。そこで私は重大なことを気づいてしまった。
「わっ…私、何度もヤミコちゃんの名前を…!」
「大丈夫。黒猫バスの車内の声と様子は外には絶対に漏れない。でも外からの情報や、害のない電波等はあらかじめ入るように設定してる」
私は先輩なのに後輩のヤミコちゃんに気を使われてしまったようだ。かなり恥ずかしい。頭を冷やすためにも癒やしの聖女らしく、オーガに襲われて大怪我をした人たちを回復魔法をかけに向かう。
「はぁ…ちょっと行ってきます」
「んっ…お願いする。これで私の役目は終わり」
「いや、ヤミコちゃん。役目はまだ残ってるよ。それに今回は軽傷がいくつかあっても、重傷者と死傷者はゼロだから、ユリナが動く必要はないよ」
カテゴリー2はヤミコちゃんが単独で全滅させたし、早くに駆けつけたおかげで軽傷者のみで、誰も亡くなっていないのだ。こんないいニュースは久しぶりである。しかし、パパは他にも役目が残っているという。
「ヤミコちゃんには、魔法少女の二つ名を決めてもらいたいんだ」
「二つ名?」
「普通ならそれに相応しい実績を上げるまで、こんなことは言わないんだけどね。
今回で実績は十分というか明らかに過剰だし、何よりバスの外でヤミコちゃんだとわかる名前を呼べないと、今後の活動に支障が出る」
確かに今回は黒猫バスの中で騒いでいたからよかったものの、ヤミコちゃんだとわかる二つ名を呼べないと、これから先の意思疎通が不便になってしまうだろう。
せっかく頼りになる後輩魔法少女が出来たんだ。私もこれからは先輩として頑張らないと。そしてゆくゆくは魔法少女だけではなく、リアル生活でも友情を育んで一緒に遊んだりお出かけしたりするのが目標である。
「受けた恩は今回で十分返した。明日から私は普通の女の子に戻る」
「うわああんっ! ヤミコちゃああぁんっ! せっかく魔法少女の友達が出来たと思ったのにいいいっ!」
無情な一言に私は思わずヤミコちゃんの足にすがりつく。外から中の様子が見えなくてよかった。もし見られていたら、癒やしの聖女の株が大暴落するのは間違いない。
若干引き気味になって表情も困り顔のヤミコちゃんだが、私を振り払ったりは絶対にしなかった。そんな不器用で優しい彼女が、魔法少女としても女友達としても大好きで堪らないのだ。
「元々魔法少女として活動するつもりはなかった。今回は特別」
「そっかー魔法少女辞めちゃうんだね。残念だけど仕方ない。でも二つ名は今のうちに決めておいたほうがいいよ。
これを決めなかったせいで、ヤミコちゃんが変な名前で呼ばれたら恥ずかしいからね」
「んー…一理ある」
パパも他の部下の人たちも皆、口や表情では残念そうに言っているものの、誰一人諦めていないことを感じる。何かと理由をつけては、ヤミコちゃんに魔法少女活動を続けさせるつもりなのだろう。
しかし人のいい彼女はまるで気づいていない。自分の良心がズキズキと痛むが、これも世界の平和のため、魔物で苦しむ人たちを減らすため、何より私とヤミコちゃんが幸せに生きるためもである。
そう、一周回ってこれは彼女のためでもあるのだ。こんなに優しいヤミコちゃんを、あんな劣悪な家庭環境や中学生活をそのまま続けさせるわけにはいかない。
これにはパパとママ、それにタツヤ君の両親、それに魔法省の職員の皆も賛成してくれたのだ。もちろん今二つ名を可愛らしく小首を傾げながら考えている、稀代の天才魔法少女のヤミコちゃんには内緒で。さらに今回の件で協力者が激増するのは間違いないだろう。
「駄目」
「えっ!? なっ何が駄目なの!?」
顔をあげて一言漏らす彼女に、まさか頭の中で考えていた皆の計画がバレてしまったのだろうかとビクついてしまう。だがこれはヤミコちゃんが幸せになるためでもあるので、どうか納得して受け入れて欲しい。
「二つ名が思い浮かばない。ユリナちゃん、代わりに考えて」
「あっそっちなんだ。いいよ。でもヤミコちゃんの二つ名かぁ」
一瞬私の考えが見透かされてしまったのかと驚いたけど、杞憂でよかった。それよりも今、ヤミコちゃんから友達として頼られてとても嬉しく感じている。
今までの自称友達は、癒やしの聖女の力と家の権力が目当て、もしくはひたすらゴマすりでご機嫌取りか、お嬢様の私を求められるかのどれかだった。
魔法でも権力でもなく女友達として純粋に頼りにされるなんて、はじめての経験である。
「ヤミコちゃんの属性は闇だよね。得意な魔法とかはあるの?
ちなみに私は属性が水で、回復魔法が得意だから癒やしの聖女が二つ名だよ」
「んー…魔法をあまり試す機会がなかったから、何が得意かわからない」
何となくシュンと落ち込んでいるように見える。きっと今まで誰にもバレないように隠れてこっそり使っていたのだろう。今回のように魔物を相手に試す機会もなく、得意な魔法もわからないとなると。
「じゃあ、前半ではなく後半から決めようよ。私は聖女だから、ヤミコちゃんは…魔女かな?」
「魔女?」
「うん、何だかシンデレラに魔法をかけるおばあさんが着てるような衣装だしね」
本当は物語の魔女のおばあさんよりも、むちむちの太股とお尻、さらによく弾む胸の視覚効果はとても高いし、少女にしては明らかに大人びた妖艶な色香により、男女問わずに皆が見惚れてしまうのだが。それらも相まって、ヤミコちゃんはあらゆる人々を虜にする、魔女という呼び名が相応しいのかも知れない。
「あとは得意な魔法か属性を、今決めた後半の魔女の前につければ二つ名の完成なんだけど」
「闇属性、得意魔法は不明」
「じゃあ闇か、それとも黒猫バスを呼び出してるし、黒猫の魔女にする?」
「うん、それでいい」
それは私に全幅の信頼を置いてくれているのか、それとも二つ名にこだわりがないのかのどちらだろう。前者なら私が嬉しいんだけど。多分後者なんだろうなと、何となく察してしまう。
「じゃあパパ、ヤミコちゃんの二つ名は黒猫の魔女でお願いね」
「ああわかった。ニュースサイトで早くも話題になっているからね。すぐに公式発表させてもらうよ」
そう言ってパパは他の職員にいくつか指示を出して、その人たちは慌てて外と連絡を取りはじめた。きっと他の偉い人に今回の件を報告しているのだろう。
「これでヤミコちゃんの今回の役目は終わりだけど、しばらく黒猫バスを現場の拠点として魔法省の職員の皆に貸してもらえないかな?
あと一時間以内には他の部署への引き継ぎを終わらせるから」
「別に構わない」
パパの言葉を受けて、これで自分の役目は全て果たしたと思ったのか、ヤミコちゃんは運転席へと戻り、何やら足元をまさぐりはじめた。
私とタツヤ君、そして何故かパパとママやその他の手の空いている職員は、彼女のその行動に興味を示してじっと成り行きを見守る。
「予習復習は大事」
実はヤミコちゃんの足元の目立たない位置には自分の学生鞄が置いてあり、その中からノートと教科書と問題集と筆記用具を取り出して、黒猫バスの床から机のようなものをニョキニョキを生やす。
そのまま細く短い猫毛の生えた机の上にテキパキと問題集を広げ、慣れた手つきで美しい魔法少女は宿題に取りかかる。その姿に疑問を抱いたのか、ママが私に質問してくる。
「ねえユリナ、調査した資料からだと、ヤミコちゃんの勉強の成績は…その」
「それはミツコちゃん以上の成績を取るわけにはいかない、複雑な家庭の事情があったからです。
三年後には県外の高校に入学して親族から離れ、一人暮らしをする予定らしいですよ。親族からは色々と便利に使い潰している彼女を手放すことに、大反対しそうですけど」
きっとカースト最下位だと考えているヤミコちゃんにアレコレ命令することで、自分たちを優れた人間だと思い込みたいのだろう。何しろ彼女はどのような命令であっても、反対せずに素直に従うのだ。さぞかし自尊心をくすぐられるだろう。