ある少女の証言
<とある少女>
ゲート反応が感知されて緊急アラームが鳴り響き、私は逃げ惑っていた。予報の中心地からも、都心からも外れている住宅街だ。
しかしすぐ目の前に太く大きな棍棒を持った緑色の肌を持つ屈強なオーガが、いきなり十体も現われるなんて思ってもいなかった。
その魔物は鋭い牙を突き出して目の前の獲物に興奮したように鼻息を荒くし、大きな巨体を揺らして、ゆっくりとこちらに歩いて来る。走ってくるわけではないけど、小学生の私とは明らかに歩幅が違うので、ウカウカしていると追いつかれてしまう。
しかも十体のオーガは明らかにこちらを狩りの獲物と思っているのか、楽しんで追い立てているような気がする。
その証拠に動きの鈍い人を標的に選んで、奴らは笑いながらゆっくり一歩ずつ距離を詰めているのだ。緊張や恐怖、または疲労で足がすくんで倒れるか、何処かの壁に追い詰められるか。どちらにせよ私たちが生きていられる時間は、もうあと僅かだろう。
それでも最後の最後まで希望を捨てたくなかった。国内で上位の実力を言われる魔法少女、光の聖女の一ファンとして、こんなところで諦められないのだ。信じていればきっと助けに来てくれる。そう思って走り続けていたのだけど、とうとう限界が来て足がふらつき、情けなく道端に倒れて膝を擦りむいてしまった。
「こっ…来ないで!」
後ろから迫るオーガに近くに落ちていた石を拾って投げつけるが、当たる少し手前で何かに弾かれたように明後日の方向にそれていってしまう。
魔法障壁があるため最初から石を投げても無駄なのはわかっていた。そして都合よく光の聖女が助けに来てくれないことも、強制的に理解させられてしまった。
魔法少女があと一歩で間に合わずに、国内だけで毎年数多くの犠牲者が出ているのだ。今回はたまたま自分がその番だった。そう、ただ運が悪かったのだろう。
「たっ助けて、聖女様…神様…誰でもいいから…お願い…!」
興奮しているためか荒い呼吸をしながら、オーガがこちらへと距離を詰める。あと三歩で棍棒を振り上げて、あと二歩で嫌らしくニヤついてヨダレを垂らし、あと一歩で棍棒を思いっきり振り下ろす。その瞬間まるでスローモーションのように、私の周りの時間が止まった。
もう自分は助からない。これから死ぬんだ。父さん、母さん、おじいさん、おばあさん…今まで育ててくれてありがとう。恩を返せなくてごめんねと、一人で諦めて目を閉じる。
しかし十秒、二十秒過ぎても何も起こらない。ひょっとしたら痛みもなく死んでしまい、あの世に逝ったのではと、恐る恐る目を開けると、私はまだ現世だった。
「えっ? 黒い…鎖?」
その証拠に目の前のオーガはまだ生きており、何故かはわからないが地面や空中から伸びている謎の黒い鎖により、体中をがんじがらめにされて、動きを封じられていたのだ。
さっきまで私を殺そうと喜びに打ち震えていた顔には、今は苦悶の表情が張り付いていた。
そして他にも私と同じように逃げ惑っていた人たちが、今は一様に空を眺めていることに気づいた。
「おい、誰だあの子?」
「魔法少女に決まってるだろ? でも見たことない子だな」
「新しい子かな? 何だかすげえ可愛いじゃん」
皆が注目する魔法少女は一人で空に浮いていたのだ。黒髪ストレートと黒目で全体的に黒い魔女の三角帽子、そして肌に吸い付くような刺激的な衣装と抜群のプロポーション、その背後にはさらに半透明の黒い翼をはためかせて、私たちを静かに見下ろしていた。
すると突然、目の前のオーガから声が漏れる。
「ぐがあああああああっ!!!」
私のすぐ近くのオーガが黒い鎖を引きちぎろうと雄叫びをあげて、激しく暴れようとする。町の各所からも残りのオーガたちと思わしき荒々しい雄叫びがこだまする。
しかし大きな声が響き渡るものの、実際には指一本動かせてはいなかった。動いているのは口と目だけである。
そして夜空に浮かんだ彼女も、私たちではなく鎖で繋ぎ止めているオーガに視線を移した。
「この程度でも動けない? これも不意打ちのおかげ…そろそろ終わらせる」
殆ど聞き取れないような小声で魔女の衣装を身にまとった妖艶な少女が呟くと、オーガたちを締め付ける鎖が太さを増した。そして断末魔の悲鳴と骨が軋むのではなく、砕け散るようなボキボキという音を響かせて、目の前の凶暴な魔物は口から泡を吐いて白目を向いたまま、殆ど外に血を流すことなく絶命したのだった。
あまりに壮絶な最後だったせいか、私だけでなく皆の視線もそちらに映る。やがて完全に命が潰えたことを確認したのか、黒い鎖も夜の闇に溶けるようにかき消えると、先程まで二本の足で立たされていたオーガは、為す術もなく地面に崩れ落ちた。
「あっ…! さっきの魔法少女にお礼を…! えっ? いない?」
私だけでなく他の皆も空を見上げたが、黒い翼で浮遊していた謎の魔法少女は何処にもいなくなっていた。辺りには夜の街の明かりと、暗い夜空が広がるだけで、影も形もなくなっているのだ。
「夢? 幻? ううん、そんなことないよね」
目の前の道路に横たわっているオーガの死体という動かぬ証拠があるのだ。そしてその日から私は、光の聖女のファンを止めた。次に追いかけるのは、勿論黒い衣服を着た超絶美人の謎の魔女さんである。別に本人が嫌がるのならファンにならなくてもいい。ただ、直接会って命を助けてくれたお礼を言わなくては気が済まないのだから。
私だけではなく、十体のオーガに追いかけられて命を救われた人たちは、皆多大な感謝をしているだろう。一体あの魔法少女は何処の誰なのだろうと、その考えばかりが私の中で大きくなってしまう。彼女の情報を得るためにも、今日は絶対にニュース番組を見逃すわけにはいかないと、そう心に決めたのだった。