個室
<ヤミコ>
影から本体に意識を戻した私は、お座敷で待機状態の本体に戻るが、その途中で何故か上着をかけられ全身が火照り、少し揺れていることに気がつく。
「ただい……あれ?」
「ヨミコちゃん、起きたのか?」
戻ってきたことを知らせるために口を動かし、ゆっくりと両目を開くと、夏の眩しい日差しが飛び込んでくる。さらには何故か石川君の後頭部が凄く近い。と言うか地面に足がついておらず、何やら背負われていることに気づく。
「ここは?」
「昼の混雑時に、いつまでもお座敷を占領するわけにはいかない。今は上着で全身を隠したまま実家に向かってる。
しかしいざ移動するにしても、眠ってるヨミコちゃんを起こすわけにはな」
つまり私を起こさないように石川君が丁寧に背負い、実家に移動中ということだろう。どうやら多大な迷惑をかけてしまったようだ。さらに上着一枚追加とは、道理で暑いと思った。
「ごめん。それと上着を返す」
「ヨミコちゃんが謝ることじゃない。俺がやりたくてやったことだ。だから気にしなくていい。それに…こうして背負っていると…その」
後ろ側からなので表情はわからないが、何か妙に顔が赤いような気がする。もしかしてこの炎天下で、熱中症にでもなってしまったのだろうか。
確かに私も何となくだが、体の隅々が熱くなっている気がする。しかしこの感覚は、現実の肉体もそうだが、魔力の流れも関係している気がする。
思えばどのぐらいの時間かは知らないが、私をおんぶしているのだ。荷物はユリナちゃんとホノカちゃんの二人が受け持っているとはいえ、自分は決して軽くない。
年頃にしては無駄に胸とお尻が育っているせいで、彼にいらぬ重荷を背負わせてしまったのかもしれない。
「私はもう自分で歩ける。タツヤ君の顔が赤い。熱中症かも知れないから無理せず休んで」
「いっ…いや、俺は大丈夫だ。むしろもう少しこのまま…」
「兄さん! もう十分だよね! ほらほらっ! さっさとヨミコちゃんから離れて!」
これ以上彼に負担をかけるのは悪いので、地面におろしてもらおうと声をかけたら、石川君は調子が悪いのを隠して続行を申し出るが、妹のホノカちゃんは体調不良を見抜いているのか、半ば強引に間に入って二人を離れさせた。
ようやく上着を返して地面に足をつけた私はあちこち確認すると、こちらでは殆ど眠った状態だったとはいえ、やはり猛暑のせいか少し汗ばんでいるのを感じる。
「汗で気持ち悪かった? 不快な思いをさせてごめん」
「いっいや、むしろ柔らかくていい匂い…じゃなくて! ヨミコちゃんは気にしないでくれ!
それはともかくとしてだ! そっちはどうなったんだ?」
石川君も私の体が汗だくで、べったりと密着していた不快感を思い出したくないのか、慌てて話題を変えてくれた。そんな中、私たち四人は実家に向かってゆっくりと歩きながら、質問に答えていく。
「ん…ありがとう。カテゴリー3のレッドドラゴンは奇跡的に討伐出来た。後のことは現場の人たちに任せた」
「それはヨミコちゃんのお手柄だったな」
現場報告としてはそれ以上言うべきことはないのだが、何故そうなるのか。今回はたまたま奇跡的な幸運に助けられて、辛うじて撃破出来ただけで、全てが私の手柄ではない。
「運がよかっただけで、私は大したことはしていない」
「そっか。まあヨミコちゃんならそう言うだろうな。とにかくお疲れ様」
「どういたしまして」
形式通りの返答を行い、石川君との会話は終了する。四人とも何も喋らないが、周囲の町の景色を興味深げに眺めながら、居心地のいい空気が流れる中で、ゆっくりと元来た道を戻って行く。
気づけば実家の門前に到着して、止まることなくそのまま中に入っていく。手入れの行き届いた広い庭を抜けて、見覚えのある玄関の扉を開ける。
門をくぐる前にお手伝いさんが先に報告に向かっていたのか、お母さんとお父さんがわざわざ出迎えてくれる。
「おかえりなさい。早かったのね。観光はもういいの?」
「ただいま。ちょっと色々あって、しばらく家で休もうかと思って」
「それはカテゴリー3のレッドドラゴンの件か? もう討伐されたと聞いたが、…ふむ」
どんな経緯かは知らなくても、私が現場に行っていたことを何となく察してくれた二人は、石川君の休みたいという言葉を受けて、自ら案内を買って出てくれた。
その際にお手伝いさんが、皆の荷物と麦わら帽子を持ってくれるとのことなので、素直に従う。
エアコンの効いた屋敷の廊下を黙って付いて行くと、とある部屋の前で歩くのを止めて、障子戸をサッと開け放つ。
その畳張りの和室の中央には、艷やかで立派な木で作られたちゃぶ台と、四つの柔らかそうな座布団、そして隅には大きな花瓶に見たこともない綺麗な花々がいけられており、壁には大きなテレビがかけられている。さらに奥には障子戸ではなく窓ガラスで、外の庭の様子が見られるようになっていた。
テレビで見たことのある旅館の客室の間取りに似ているが、それとは段違いな高級感が溢れており、さらに部屋全体がとても広かった。
「旅行中はここがヤミコちゃんの個室になるわ。何か不満があるような気楽に言ってね。
誰か! 今すぐ布団を敷いてちょうだい!」
お母さんの言葉にちょうど近くにいたのか、数人のお手伝いさんが小走りに入室してきて、備え付けの襖を開けて布団を取り出し、慣れた手つきで丁寧に敷いていく。
「ありがとう、お母さん。でも、私一人にこんなに広くて高級な部屋は必要ない」
「ああなるほど、そっちの不満なのね。でも、そうなると困ったわね」
部屋のランクを下げるだけなら困ることはないと思うが、お母さんは頬に手を添えて考え込んでしまう。それを見かねたのか、今度はお父さんが口を開く。
「ならば俺たちの部屋に呼んだらどうだ? 三人部屋なら、狭さも高級感も緩和されるだろう」
「それはいいアイデアね。夜寝るときもヤミコちゃんを中央にして、三人で川の字に寝られるし、誰も損しないわ」
これは名案だとばかりにとんでもないことを言い出した。そうこうしているうちに、布団を敷き終わったのか、お手伝いさんたちが一礼し、個室というのはあまりにも広い部屋から、再び廊下に出ていった。
「遠慮する。お父さんとお母さんに、そこまで迷惑はかけられない」
「迷惑なんかじゃないわ! むしろご褒美よ!」
「そうだぞ。俺たちもヤミコちゃんと一緒に過ごす時間が欲しいからな」
ますます訳が分からず混乱してくる。口下手な地味子の私と過ごして退屈なだけだろうに、何故そこまで構いたがるのか。しかし石川君の両親を止めるには私には難しそうだ。
このままではズルズルと流されて、ご夫婦のお部屋にお泊りという結果になってしまう。
「二人共、ヤミコちゃんは疲れてるんだし、そろそろ休ませてあげないと。
それと彼女とユリナとホノカの三人が、この部屋で寝泊まりすればいいことだろう?」
ナイスアイデアである。三人でもまだ広いが、友達の二人ならよく知っている分、そこまで気を使うこともない。両親の部屋にお邪魔するよりは気分的に楽である。
「ユリナちゃんとホノカちゃんなら、私も安心」
「ヤミコちゃんもこう言ってるし、二人はまだ仕事があるだろう?
ここには俺たちが残るから大丈夫だ」
石川君の提案に、お父さんとお母さんは渋々といった感じで、また何かあったらいつでも呼びなさいと言い残し、個室を出ていった。
今の熱烈歓迎もあってか精神的に気疲れしてしまい、せっかく用意してくれたので布団に潜り込もうとするが、そこである重大なことを思い出した。
「休む前に汗を流す」
「えっ? 風呂か? ああ…確かに外は暑かったからな。確かに言われてみれば、汗で色々と…」
また石川君に案内を頼もうかと思ったが、彼は何故か私をモジモジと熱っぽく見つめるだけで、どうにも重い腰を上げてくれない。仕方なくこの家に詳しそうな隣のホノカちゃんに視線を向ける。
「いいよー! 私たちも汗びっしょりだし、一緒にお風呂入ろうよ! 入浴後の着替えはお手伝いさんに頼んでおくからね! 兄さんは少しの間、留守番よろしくね!」
そして私とホノカちゃん、そしてユリナちゃんの三人でお風呂場を目指して廊下に出ていく。石川君はお留守番である。
お風呂場に向かう途中で何人かのお手伝いさんとすれ違ったので、妹さんが三人分の着替えを用意しておくようにと、頼んでおく。
やがて赤と青の湯と書かれたのれんの奥に、さらに女と男と書かれた部屋の前に到着した。
「籠の中に入れておけば、あとはお手伝いさんがやってくれるからね!」
何という至れり尽くせりだろうか。元々そのために雇っているのだから当たり前なのかも知れないが、ただの庶民である私としてはとても信じられない世界だ。
しかし旅行中だけはお言葉に甘えさせてもらおうと思った。先程部屋割りをもっと質素な部屋に変えて欲しいと言っても、結果的に皆に気を使わせてしまったのだから、ここは大人しく従う。
脱衣所で二人に習って、私も黒のワンピースと下着を脱いで籠の中に入れ、専用のタオルを持ってガラスの引き戸を開けて奥の浴室に入る。
予想はしていたが浴室全体がかなり広い。とても個人の家には見えずに、複数の蛇口やシャワーが設置されていることから考えて、テレビで見た健康ランドや温泉のように見える。今使っているのは私たちだけのようで、他には誰もいなかった。
「入り方は知ってるよね?」
「多分」
家ごとに独自の習慣があるならわからないが、大体はどの家でも似たり寄ったりだろう。私は手近な風呂椅子に腰かけて、シャワーの温度を調整し、髪を洗うために置いてあるシャンプーとリンスを使わせてもらう。そして何故かわざわざ近くに移動してきたユリナちゃんとホノカちゃんが、私の左右の席に座る。
「それ家の新商品なんだよ! ヤミコちゃんのビフォー・アフターは宣伝になるかも!」
「確かにボサ髪を改善すれば、多少の宣伝効果は期待出来る」
しかし地味子は所詮何処までいっても地味子である。本当に宣伝したいのならば、もっと美人のモデルさんを使うべきだ。髪についたリンスをシャワーで洗い流しながら会話を続ける。
「もしかして、ヤミコちゃんは宣伝活動に乗り気?」
「石川家には日頃からお世話になっている。魔法少女にならずに役に立てるなら、喜んで協力する」
ただでさえマンションの一室を貸してくれたり、今回の旅行にも石川家にはお世話になっているのだ。もはや返済不可能な程の借りが積み重なっているが、それでも一生かけて少しずつ返していくしかない。
次はボディソープを専用のスポンジに垂らしていると、ユリナちゃんが口を挟んでくる。
「待ってください。宣伝活動を受けてくれるのなら、先に卯月家にお願いします」
「確かに卯月家にもお世話になっている」
魔法少女関連の面倒事を一手に押しつけているのが卯月家なのだ。もはや足を向けて寝られない。しかし地味子が宣伝活動をしても効果があるのかと、そんな疑問が尽きない
「協力する気はあるから、あとは両家で話し合って」
どうせ大した宣伝効果も見込めないとわかっていれば、受ける私も気楽である。卯月家と石川家を代表して、二人が何やら真剣に話し合っている間に体を洗い終わったので、タオルを片手に一足早く浴槽に向かう。
「極楽」
体はあまり疲れていないものの、会う人が皆ヨイショしてくるので今日はやたらと気疲れが激しい。
これでは何のための旅行なのかわからなくなるが、石川家の広いお風呂に浸かるためだと思えば、それもまた悪くないと思えた。
肩まで沈めてしばらく蕩けていると、ユリナちゃんとホノカちゃんもこちらに近寄ってきた。
「ヤミコちゃん、お風呂はどうですか?」
「快適」
「えへへっ、そう言ってもらえると嬉しいよ! いつもお掃除してくれてるお手伝いさんたちにも伝えておくね!」
二人はまるで自分のことのように喜んでくれた。本当にとてもいい子である。そんな彼女たちが地味子の私とお友達になってくれたのが、今でも信じられない。
そんな幸せを噛みしめながら、何となく熱っぽい体をお湯に沈める。
「ちょっ…ちょっとヤミコちゃん! これ、のぼせてない?」
「本当です! いけません! すぐにお湯から出さないと!」
ホノカちゃんとユリナちゃんの声が遠くから聞こえるが、今の私は頭が重くて何も言葉を返せない。風邪や頭痛なんて魔法少女に変身すればすぐ治るので、恐れる必要はないと油断した結果がこれだ。
それでも何とか変身をと鈍った思考を働かせるが、全身がやけに重く感じて意識も暗く沈んでいく。やがて完全に視界が真っ暗に閉ざされ、私は意識を失ったのだった。