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石川君の実家

<タツヤ>

 数ヶ月ぶりに帰省した俺は一階建ての和式で瓦屋根の豪邸の門をくぐり抜けて、手入れの行き届いた広い庭を横断する。

 あらかじめ到着時間を伝えて父母と、見た目は三十歳代にしか見えない祖父祖母の面会を取り付けておいたので、一面畳張りでエアコンが効いた涼しい居間に移動した。

 そこでは家族四人が高級座布団に座ったまま出迎え、数メートルの距離に敷いてあった同じ種類の高級座布団に座り、言葉も交わさずに向かい合っていた。


 すぐ後ろにはユリナと卯月家の父母、さらに妹のホノカはくつろいだ状態で腰かけており、魔法少女から元に戻った制服姿の安藤だけが、戦々恐々とした表情でうつむいたまま座っている。

 彼女は地位の高い大人と向かい合うのは初めてなので、かなり緊張しているようだ。安藤以外の皆はただの身内の集まりなので、リラックスした状態で互いに交わす言葉も少なく、殆ど動きがない。

 最近調子はどうだ? ボチボチかな…という程度の気軽な会話だ。そのどれもに含みも緊張感もない。


 ちなみに黒猫トレインの二百人以上の乗客は、実家周辺のホテルや旅館に移動し終わっている。豪族の家なので、大人数の集まりに備え宿泊場所は余裕を持って複数建てられている。 もっとも、まさか本当に大規模イベントが起こるとは思いもしなかったようだが。

 俺としては安藤と一緒に旅行は嬉しいが、明らかにギャラリーが多すぎる。


「それで、貴女がヤミコちゃんかしら?」

「はっ、はい」


 俺の祖母が穏やかな表情で安藤に話しかける。父と母と祖父は長年の各国のタヌキ相手の黒い腹の探り合いにより、常時強力な威圧オーラを発散するようなってしまったので、彼らをよく知る身内以外では、日常会話すら困難である。


 敵対者やこちらを舐めている相手との交渉では、その場にいるだけでも圧倒的な優位に立つことが可能だが、よく知らない人や子供や赤ん坊には大いに嫌われてしまうというデメリットがある。

 ちなみにユリナの父母も威圧オーラは出ているが、こちらは控え目である代わりに自らの意思でオンオフが可能なので、相手と信頼関係を築いて温和に交渉を進めたい時には、とても便利である。格上相手には厳しいが、その場合は石川家が矢面に立つ取り決めになっている。

 だが俺の祖母は威圧持ちではない一般家庭の出身なので、安藤も落ち着いて会話することが出来る。


「そんなに緊張しないでもいいのよ。私も石川家に嫁ぐ前は、ヤミコちゃんと同じ普通の家庭で育ったの。それでも今の貴女よりも恵まれていたことは確かですが」


 祖母の一般家庭と安藤の生き地獄のような家庭とは全く違うため、微妙に意思の疎通が困難に思える。しかし後ろを覗いてみるとフムフムと真面目に頷いており、親近感を抱いたようで緊張も解けたため、どうやら掴みはOKらしい。


 父母と祖父も、目の前の可愛い安藤と一分一秒でも早く話したがっているようで、赤ん坊が泣き喚く程の威圧感を発散しながら、ソワソワとしている。

 せっかく異性の俺でも親しい友人関係と認識して、下の名前で呼び合えるようになったのだ。ここで彼女が恐怖を感じて石川家から身を引き、再び出会った頃まで関係を戻されては本末転倒である。


「家の孫と遊んでくれてありがとうね。ヤミコちゃんのおかげで毎日が楽しいと、電話越しに聞いてるわよ」

「私のおかげ?」

「そうよ。孫だけでなく、私やここに居る皆も、とても感謝しているのよ」


 しばらく何を言われているのかわからずに考え込んでいた安藤だが、やがて皆に好意を向けられていることに気づいたのか。頬を朱色に染めて恥ずかしそうにうつむいてしまった。

 しかしその顔は微かにほころんでいるので、前髪に隠れてはいるがとても可愛らしい。相変わらず純粋な感謝や好意を向けられることに慣れておらず、すぐに恥ずかしがってしまうところは安藤らしいと感じる。

 広間に座っている皆の顔も同じように笑顔になるが、常時威圧感を発散している三人が笑ったところで、安藤にとっては暗黒微笑で恐怖が増すことにしかならない。今はそちらに注意を向ける余裕が無いのが幸いだが。


「ごめんなさいね。私以外の石川家の皆は、少し顔は怖いけど根はいい人なの。どうか嫌わないでちょうだい」

「平気。タツヤ君の家族は皆がいい人だと、ちゃんとわかってる」


 安藤は威圧感で少し震えてはいるものの、祖母の言葉に気丈に振る舞う。会ったばかりの俺のおばあさんを全面的に信頼し、目の前の三人の大人にも一歩も引かない。

 本当に何処まで人がいいのだろうか。俺たちだけでなく、会ったばかりの家族までもを全面的に信じてくれたのだ。


 しかし安藤は他人だけではなく、身内にさえ抑圧され続ける日々を長年過ごしてきたのだ。そんな環境では、誰であろうと信用出来なくなっても不思議ではない。今の彼女があるのは、生まれ持っての精神耐性か、それとも元から悪の心は存在せずに、善性の塊なのかはわからないが。祖母とその他三人は安藤の短い言葉だけで、心をギュッと鷲掴みされてしまった。


「ヤミコちゃん貴女って子は、…なんて良い子なのかしら!」

「私は良い子じゃない。家族にもいつも迷惑をかけてる」


 それが彼女にとっての全てであり、日常の風景なのだ。

 俺たちの常識には当てはまらないし、安藤はその状況に満足はしていなくても、自分から変える気も、他人に変えて欲しいとも考えていない。少なくとも中学卒業までの三年間は。

 しかし直接話した祖母は納得できなかったのか、感極まったかのように涙を流しながら座布団から立ち上がり、安藤に小走りに近寄ると、正面からギュッと抱き締めたまま、子供をあやすように優しく語りかける。


「それは違うわ。絶対にそんなことない。今までよく我慢したわね。辛かったでしょう?

 でも、もう大丈夫よ。これからはおばあさんが、ずっと守ってあげるからね」

「別に我慢していないし、辛いとも感じていない」


 予想外の返しに祖母は硬直し、他の三人もあまりの精神的な辛さに自分の胸を押さえる。辛いや苦しいという感情さえも、その程度でいちいち騒ぐなと抑圧され続けてきた彼女には、俺たちがいくら手を差し伸べたところで心の奥まで届きはしない。

 逆にあまりにも世話を焼きすぎると、何故構われるのかわからずに困惑し、逆に自分から離れてしまう有様だ。


「でも、心配してくれてありがとう。とても嬉しい」


 俺たちは安藤を助けられずに、ただ優しく言葉をかけることしか出来ないにも関わらず、彼女は純粋にこちらを気遣い、そして心の底から嬉しいという感情が溢れて、美しい微笑みを浮かべる。


 初めて目にする小さな聖母のような笑顔に、抱きついていた祖母はもちろん石川家の皆は、当然のように陥落した。ちなみに向かい合って座っている俺たちは、とっくの昔に籠絡済みなので、今さら取り乱したりはしない。

 と言うのは嘘で、俺は心のアルバムに、他のメンバーは携帯の待ち受けや動画保存にと忙しく動いている。


「…暑い」

「ごっ、ごめんなさいね」


 しばらくの間、安藤に抱きついたままその笑顔に見惚れていた祖母は、彼女が元の無表情に戻り、暑さに苦しむ声を聞いてようやく冷静に戻ることが出来た。

 物凄く名残惜しそうにしながら、そっと背中に回した両手を解き、自分の座布団へとゆっくり戻っていく。

 取りあえず挨拶が一段落したと考え、俺は当初の予定に移ろうと声を上げる。


「ヤミコちゃんの顔見せも済んだことだし…」

「ええっ? もう終わりなの? もっと一緒にお話しましょうよ。

 すぐにお茶菓子も用意させるから、…ね? ヤミコちゃんもおばあさんとお話したいわよね?」

「お茶菓子?」


 この流れは不味い。彼女の感情はとことんまで鈍いものの、唯一貪欲なのが食欲なのである。本人が料理好きなために、食に対しての知的好奇心が刺激されるのかもしれない。

 確かに今まで知らなかったことを新しく知る行為は、彼女の暗く狭い世界を広げて明るく照らし、見えなかった立ち位置を自覚させ、自らの感情を素直に表すためにも必要なことだが、今は駄目だ。

 せっかく関係が一歩進んだのだ。ここで安藤を家族に取られてしまっては、故郷というアドバンテージを活かすことなく旅行が終わってしまう。今こそが好感度を稼ぐチャンスなのだ。


「せっかくの旅行なんだ。まずは家の周りを色々案内するよ。近くに飯屋があるけど、まだ営業してるかな?」

「あそこの食事処はまだ営業してるわよ」


 これで祖母は俺たちの行動に、簡単には口を挟めなくなったはずだ。他の三人は言うまでもない。晩飯のときまでには話せるように、家族に対する態度を軟化させておくので、それで許して欲しい。

 俺は早速行動に移すために先に座布団から立ち上がり、まだ座ったままの彼女にそっと右手を差し出す。


「よしっ、それじゃ行こうか。ヤミコちゃん」

「あっ…うん、タツヤ君」

「お待ちなさい! 二人共!」


 お互いの手と手が触れる寸前に、今まで傍観者に徹していた母が声をあげた。突然の大声に安藤はビクッとして、慌てて差し出した手を引っ込める。もう少しだったのに、まさか強引に止めに入るとは思わなかった。

 俺たち全員が母親に注目するが、その程度の視線は意に介さないのか、涼しい顔で続きを告げる。


「ヤミコちゃん、貴女の着替えは何着あるの?」

「下着が七日分、あとは制服と体操服」

「そう、やはり情報通りね。家にいる間は着替えを貸すから、こちらに付いていらっしゃい」


 旅行中の間なら、黒猫トレインの乗客以外は誰も現実の安藤を知らない。それならば自由に衣装を変えても問題ない。フルネームを名乗らなければ彼女だとバレることもないのだ。

 それに万が一に事が露見する前に秘密裏に処理すればいい。何しろここは石川家の勢力範囲内なのでどうとでもなる。

 そのまま彼女に近づきながら、母は優しく言葉を重ねる。


「普段着で十分。どうせ似合わない。何より、迷惑をかけるなと言われている」

「ヤミコちゃん、子供は親に迷惑をかけて当たり前なのよ。

 決して安藤家に報告したりはしないわ。だからせめて旅行中だけでも、私たち家族にたくさん甘えなさい」


 そう言って安藤の頭をそっと撫でる。彼女はいまだかつて、親に髪を撫でられたことがないようでとても驚いていたが、すぐに幸せそうな表情に変わり、母にされるがままになる。


「わからないけど、わかった。ありがとう…お母さん。ではなく、おばさん」

「お母さん!? ヤミコちゃん! もう一回! もう一回、お母さんって言ってちょうだい!」


 家の母が突然安藤の両肩に手を置き、鬼気迫る表情で彼女を真っ直ぐに射抜く。絶対に逃さないという気迫を感じる。


「おっ…お母さん?」

「…衣装部屋に行くわよ。手の空いている家政婦も全員集めるから」

「えっ? ええっ?」


 自分が引き起こした事態を全く理解していないのか、母はそんな困惑気味な安藤の手を取って、ズルズルと引きずっていく。途中で部屋の外に待機していたお手伝いさんにも声をかけて、簡単な内容を伝える。

 祖母も後をつけるようにこっそりと部屋を出ていったのを、俺は見逃さなかった。


 これからしばらくの間、彼女は石川家の女性全員からの着せ替え人形にされるのだろう。そんな安藤の身を案じていると、父が今思い出したとばかりにこちらに声をかけてきた。


「それでタツヤ。報告は聞いているがヤミコちゃんとの仲は、少しは進展したのか?」

「出発前に比べれば、ようやく一歩前進だな」

「そうか。くれぐれも逃がすんじゃないぞ。絶対に落とせ。いいな」


 父の言葉に祖父もウンウンと頷いていることから、どうやら俺だけでなく。石川家の全員からも完全にロックオンされてしまったようだ。確かに彼女は、見た目や性格も外から見ただけではまるでわからない。


 しかしいざ本質を知ると、見た目は世界屈指の美少女。性格は常に自分を下に置いて他人を立てて、時には自分の身を危険に晒してまで他の命を救おうとする。

 さらに知り合いの身分や立場により接し方を変えるわけでもなく、その気遣いと介護精神、惜しみない愛情や家事スキルにより、彼女の存在は聖母と同等にまで昇華される。

 そして勉強や運動も同年代の女子よりも優れているし、何よりも全世界で最強の魔法少女である。


 そのようなこともあり、俺や妹、そして卯月家からの情報と直接言葉を交わしたことにより、石川家の親族は完全に理解したようだ。

 安藤を嫁に迎えた家が世界を手中に収めることが出来ると言われても、もはや疑う余地はないし、出来ない理由もない。

 もちろん彼女にそんな気は全くないし俺やこの場にいる皆もそうだ。むしろ安藤の純真さに心を撃ち抜かれ、出来うる限り心穏やかに過ごさせてあげたいと、そう願わずにはいられない。世間が放っておいてくれるかどうかは置いておいてだ。


「命を救われた時からそのつもりだし、もし魔法少女でなくても俺には関係ない」

「ふっ…そうか。それを聞いて安心したぞ。ヤミコちゃんのこと、くれぐれも頼むぞ」


 威圧感を漂わせながらの父の笑みは、身内以外は直視し辛いが、俺は慣れているので平気だ。しかしこれだけは言っておかなければいけない。


「ヤミコちゃんは石川家の養子じゃないぞ」

「まだ養子じゃないの間違いだろう? 何よりタツヤと結婚すれば晴れて身内になる」

「もしタツヤ君が振られてしまっても、その時は卯月家が引き取りますので、ご心配にはいりませんよ」


 石川家と卯月家の父同士が無言で睨み合っている。もし俺が安藤と結ばれなければ、両家のどちらが彼女を引き取るかで揉めるかもしれない。もちろん最終的には安藤の気持ち次第だが、その場合は俺との関係の悪化からユリナの方に流れる可能性が高い。

 こちらとしては一度や二度振られたぐらいで諦めるつもりは毛頭ない。婚約を取り付けるまで何度でもアタックするつもりだ。

 そんな不毛な争いを行っている俺たちの前に、今回の中心人物である安藤が戻ってきた。


「何をしてる?」


 彼女の透き通るような美声は聞き慣れてはいるものの、その姿に圧倒されてしまった。着ているものは高級感が漂う黒色の上下一体型のワンピースであり、胸やお尻を締めつけることはないが、年齢以上のボディーラインはしっかりと強調されている。

 何より髪は三つ編みではなくストレートに伸ばしており、前髪もボサボサではなくしっかりと手入れされ、艷やかで流れるように生き生きとしており、いつものメガネも外していた。


「タツヤ君」

「はいっ! あっ…いや、なっ何だ?」

「準備が出来たから、家の周りを案内して欲しい」


 いつもの姿よりも黒猫の魔女に近い彼女に、俺の心臓は早鐘のように高鳴り、顔は茹でダコのように真っ赤に染まり、磨き抜かれた宝石のように輝く安藤を直視できない。

 それでも何とか決まりきった答えだけは生ツバを飲みながらも、必死に返す。


「わっ…わかった」

「よろしくお願いする」


 たったこれだけの言葉を返すだけでも神経をすり減らし、緊張のために動きが全体的にぎこちないままだ。それでも案内を行うために安藤の少し前に立って、先に部屋を出ていこうとする。

 そんな時に彼女は少し考えるように動きを止めて、俺の父と祖父の方を見てお辞儀をしながら言葉をかけた。


「お父さん、おじいさん。それにユリナちゃんのお母さんとお父さんも。少し外に行ってくる」


 座布団に座っている四人の男女はこれには驚愕したが、次の瞬間には拳を強く握ったまま天を仰いで顔を綻ばせる。


「ヤミコちゃん、何で俺の家族に声をかけたんだ?」

「タツヤ君のおばさ…お母さんが、旅行中は皆にこういう風に接するようって」


 どうやら母の入れ知恵のようだ。しかし可愛い安藤に丁寧に挨拶をされて喜ばない人はいない。皆の受けもいいが、これでますます彼女を養子にと望む声が大きくなるだろう。

 安藤との結婚を望んでいる俺の言えたことではないが、中学一年生に将来の夫婦を決めさせるには早すぎる。

 だがあまりにも遅くなった場合、どちらかの家が強硬手段を取る可能性もある。今の状況ならば中学卒業までは待ってくれるだろうが、高校在学中に白黒はっきりつけなければ厳しい気がする。


「そうか。じゃあ案内するよ」


 焦る必要はないが、あまりのんびりもしていられないという所だろう。俺は少しだけ冷静さを取り戻し、安藤とその後に付いて来るユリナとホノカと共に玄関に向かう。

 すると母が麦わら帽子を持ったままニコニコと笑いながら廊下の隅に立ち、俺たちが来るのを待っていた。


「ヤミコちゃん、旅行中はこの帽子を使いなさい。それと外履きのサンダルも用意してあるからね」

「んっ…ありがとう。お母さん」

「そんなの気にしなくていいのよ。あらぁっ! やっぱりすごく似合うわ!」


 確かに母の言う通り、麦わら帽子をかぶった安藤は物凄く可愛らしかった。相変わらずの無表情ながら、夏の気候と開放的な服装なせいか、年相応の少女のように全体的に生き生きとしている。

 もっとも、スタイル的には明らかに年齢以上の美貌なのだが。特に胸元が出発前よりも、明らかにボリューム感が増している気がする。


「それでタツヤ、何処まで行くのかしら?」

「取りあえずは昼も近いし、外で食べてから適当に見て回るよ」

「家で食べないの? 歓迎の準備は整ってるのに?」


 実家で食事を取れば、彼女が引く手数多になるのはわかりきっている。それに日が出ているうちしか外の散策は行えない。夜でも故郷の治安はいいのだが、安藤を連れ回そうとすれば大人たちから大反対されるだろう。

 最悪自分たちも同行すると言い出されかねない。


「歓迎会は夜でいい。日が出てるうちに田舎町を自由に散歩するぐらい、いいだろう?」

「確かに今回の旅行に備えて念入りにドブさらいを済ませた後だし、そうそう問題は起きないでしょう。

 でも夕食前には帰って来るのよ。それと、念のために監視を付けさせてもらうわ」


 ちなみにドブさらいとは、色々と危険な人的要因を排除を表している。このメンバーでは一名以外は皆理解しているが、彼女は普通に町の清掃活動を行ったと思っていることだろう。しかし、別に教える必要はないので黙っておく。


「それといつもの店に、日替わり定食を四人前で予約を入れておくから」

「ありがとう母さん」

「いいのよ。これも息子の将来のため…なんてね。

 とにかく今は、ヤミコちゃんと皆で楽しんでいらっしゃいな。

 あと、くれぐれも家の外では彼女の本名を口に出しちゃ駄目よ」


 母の言葉の中に俺の将来のためとあったが、これは冗談ではなく本気なのは明らかで。この機会に安藤の好感度を少しでも稼いで来いと言うことだろう。

 言われなくてもそのつもりだが、普段は女の子から言い寄られる経験ばかり積んできた俺だが、目の前の彼女の気を引くためにどうすればいいのかが、漠然としか思い浮かばない。

 そして元の生活に戻っても楽しい旅行だったねで終わらせるために、安藤の本名を家の外でバラすわけにはいかない。


「どうしたの?」

「いや、何でもない。それじゃ行こうか」


 安藤に続いて俺も、母に行ってきますと告げて玄関から広い庭に出ると、今日はなかなかに日差しが強かった。流石に七月の下旬だけあり、昼近くの気温も相当高い。まさに真夏の暑さだ。

 思わずエアコンの効いた家の中に戻りたくなるが、俺には隣の彼女を案内するという役目がある。この程度どうということはないと、人知れず気合を入れるのだった。


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