黒猫トレイン
<ヤミコ>
緩やかに低空を駆けて、黒猫トレインはのどかな田園風景を走り続ける。二時間の設定なので速度はそこまで出ていない。元々乗客の負荷など全くないので、気楽に外の景色を眺めたり、相席の人と談笑したりをしたり、黒い猫毛のカーペットを綿密な調査をしたり、座席を向かい合わせてカードゲームをしたり、それはもう色々と楽しんでいた。
そんな中で私たちが先頭車両から出てきたことに気づいたのか、何人かの乗客が親しげに歩み寄ってきた。
「黒猫ちゃん、料理美味しかったわよ。この年になって、まさか亡くなった母の味をもう一度食べられるとは思わなかったわ」
「ワシもじゃ。本当の両親はとっくに他界している言うのにのう。生意気なガキだった時代のカレーをもう一度食べられて、ワシはもういつ逝っても悔いはないわい」
どうやら食堂を利用した乗客のようだ。まだ出発してそこまで時間は経っていないというのに、利用するのが早い気がする。
しかも家庭料理しかメニューがないにも関わらず、大いに喜んでくれている。上流階級の舌は肥えているのではないのだろうか。
次におじいさんおばあさんではなく、比較的若い男性が一歩前に進み出る。
「卯月家の当主が、食堂の家庭料理を一度は食べるべきだ。もしこの機会を逃せば一生後悔するぞと、我々を何度も脅したのです。
私たちも最初は半信半疑注文したのですが、一口食べて理解しました」
一体何に理解したというのか、聞くのが怖い気がする。私が目の前の若い男性に、その先は話さないで強くお願いする。
「そうですか? 黒猫ちゃんに我々の喜びを直接伝えたかったのですが…」
「聞くのが恐ろしいから嫌。他の人にもお礼は必要ないと言っておいて」
何やら残念そうな顔でわかりましたと頷いてくれた若い職員は、そう言ってきびすを返えす前に、こちらを向いて物凄く驚いたような表情をした。
その後すぐににこやかな笑顔に変わり、ウキウキとした雰囲気を隠しもせずに私たちの前から去って行った。
少し不思議に思いつつも、取りあえずこれで直接お礼を言いに来る人はいないだろう。そう信じたい。相変わらずストレートな好意を向けられると、自分の感情が押さえられなくなってしまう。今も表情に出さないようにはしているものの、心臓がドキドキと鳴っており、明らかに嬉しく感じているのだ。
「あらあら、やっぱり黒猫ちゃんは笑顔が似合うわね」
「そうじゃな。ワシがもう二十年若ければ、強引にでも求婚を迫ったのじゃが」
「謹んで辞退する。それじゃ、私はこれで」
目の前のおじいさんとおばあさんの冗談で冷静に戻った私は、自由席の車両は簡単にチェックしたので、一礼してから次の個室車両に移動する。
個室には内側から鍵をかけられるが、かけるかけないは中にいる人の自由になる。いくつかの部屋を通り過ぎて、適当に目星をつけた私はコンコンとノックする。
もし誰かが使っているのなら、断って少しの間見学させてもらうか、諦めて別に見学出来る部屋を探すつもりだ。
「はーいっ! どなたですかー!」
部屋の中から聞こえてきたのは若い女性の声だ。しかし、つい最近何処かで聞いたような気がするが、あと一歩のところで思い出せない。
個室の前で考え込んでいても仕方ないので、目的を話すことにする。
「私は黒猫の魔女。少しの間、個室を見学させて欲しい。駄目なら別の部屋に行くから断ってくれても構わない」
「くっ…黒猫ちゃん!? どうぞどうぞ! 何もない部屋だけどゆっくりしていって!」
慌てて扉を開けて出迎えてくれた若い女性は、大葉アナウンサーだった。聞き覚えがあるはずである。しかし政府関係者や天上人だけでなく、マスコミも混じっているとは思わなかった。
「失礼する」
大葉アナがくつろいている個室は四人部屋であり、ベッドと机と椅子が四つ、そして荷物の収納用のボックスが備え付けられている。もちろん壁も床もフワフワの猫毛だ。
それ以外は至って普通の部屋なので、他の個室もこれを基準にしているのならば問題なさそうだ。
ベッドと布団の質はとにかく最高級品を用意した。庶民の私ではせんべい布団がせいぜいだが、そこは魔法にお任せである。布団にくるまって横になれば、十秒もかからず熟睡できるだろう。
「大葉さんは、どうして黒猫トレインに?」
「私は黒猫ちゃんの専属レポーターだからね。と言うのは口実で、最近色々あって忙しかったから、骨休めさせてもらおうかなって」
確かに大葉さんはここ一ヶ月、黒猫の魔女関連で走り回っている。取りあえず黒猫トレインの情報を調べた後は、石川君の故郷でのんびり観光をするとのこと。
まさか取材中に何か事件が起こることもないので、のびのびと骨休み出来るだろう。
「個室の具合は?」
「不満はないわ。大統領の個室以上の快適さじゃないかしら?
今日は何だか質問されてばかりで、いつもと逆ね」
取りあえず問題ないようなので、個室車両の調査はこれで打ち切ってもいいだろう。目的地に到着次第、黒猫トレインは送還するのだ。今後の運用の予定は、旅行帰りにもう一度召喚して終わりだ。
「んー…質問終了」
「そうそう、黒猫ちゃん。食堂に行ったけど、何処も満席で大繁盛だったわよ。
私も日本の朝ご飯セットを注文したけど、何だか涙が出てきて、無性に実家に帰りたくなっちゃったわ」
思えば石川君たちが食べたときにも、同じような現象が起こった。未だに原因は不明だが、もしや何か危ない成分でも含まれているのだろうか。だとしたらお客さんに出していいものではない気がする。
「食事を食べて体調に異常は?」
「全然ないわ。むしろ快調よ。仕事の疲れも涙と一緒に全部吹き飛んだって感じね。
心も体もここ数年で一番マシじゃないかしら?
黒猫ちゃん…ううん、ヤミコちゃんが作ってくれたご飯のおかげよ」
本当に訳がわからない。まさか栄養ドリンク剤? 安藤家での食事にそんなものを入れたつもりはないのだが。それとも複製魔法を行うときに、何か不具合でも発生したのだろうか。
と言うか、大葉アナも私の本名を知っているので、そう考えると黒猫トレインの全乗客に知られているだろうか。認識阻害や秘密厳守が働いていても、本当に正体がバレないのか不安になるぐらいのガバガバ具合である。
「何らかの危険物が混入した可能性?」
「えっ? 魔法省の職員が綿密な調査をしてたけど、全品異常なしだったわよ?
でもまあ黒猫トレイン内で混入したなら、やっぱりヤミコちゃんの愛情でしょうね」
石川君たちも言っていたがまた愛情らしい。そもそも私と家族の関係はとっくに冷え切っている。今さらそんな物を込める必要性を全く感じない。食堂の料理は、過去に私が作った物の複製のはずだ。
「私は家族には何も期待していないので、愛情を込める理由がない」
「そうでしょうね。でも、目の前にいる友達や乗客に対してはどうかしら?」
「よく、…わからない」
私は自分で自分の気持ちがわからなかった。大葉アナに直接質問されて、ようやく向き合って考え始める程だ。私の心は長年の抑圧によりとても暗く濁っており、おまけにとことん鈍い。一つ一つの考えを整理するように、無意識に口に出していく。
「大葉アナやユリナちゃんの両親、乗客の人たちには、少しでも喜んでもらいたい」
「ありがとうヤミコちゃん。大切に思ってくれて嬉しいわ」
確かに愛と呼べる感情かは不明だが、何らかの気持ちが混入したようだ。その際に魔力的な流れは何も感じなかったので、本当に気持ちだけだろう。
「その中でもホノカちゃんとユリナちゃんは大切な友達。石川君も大切な友達…だけど、二人とは何かが違う。彼のことを考えると心の奥がポカポカする。…何なの?」
石川君のことを意識すると心がポカポカして温かくなるが、同時にキューっと締めつけられるように苦しくもなる。ホノカちゃんとユリナちゃんに対する愛情とは少し違っていた。気づけば目から涙がポロポロと溢れてしまう。
そんな私に、石川君は突然両肩に手を乗せて真正面から言葉をぶつけてくる。
「わからない。悲しくも嬉しくもないのに、涙が止まらない」
「なっ泣かないでくれヤミコ! あっ…これは、突然ですまないが! やっ…ヤミコちゃんって呼ばせてくれないか!」
一瞬彼が何を言っているのかわからなかった。それでも石川君は真剣な表情で泣いている私に語りかけてくるので、黙って続きを待つ。
「俺のことはタツヤでいい!
そうすれば、涙も少しは落ち着くと思うぞ!」
彼の言葉で先程のようなグチャグチャな感情ではなく、心の底から少しずつ喜びが広がってきて、自然と表情もほころぶ。
「本当に突然。でも、何となく嬉しい。わかった…タツヤ君」
「うおおおおっ! ありがとう! 安藤! じゃなくて、ヤミコ…ちゃん」
相変わらず涙はポロポロと溢れっぱなしだが、何だかとても満ち足りた気持ちになれた。この感情が何なのかはまるで想像がつかないが、ひょっとしたらそう悪いものではないかもしれない。
そんな私たち二人の様子を周囲の友人たちはニヤニヤしながら眺めており、大葉アナが軽く息を吐いてヤレヤレという感じに口を開く。
「ようやく一歩前進かしら? もっとも、まだまだ先は長そうだけどね」
私の涙が止まるまで、石川君はずっと側に居てくれた。もし許されるのならこの穏やかな雰囲気をもっと感じていたいが、黒猫トレインの主としてはそうもいかない。
「先頭車両に帰る」
「食堂車はいいのか?」
「大葉さんの情報だけで十分。乗客に不満が出ていなければそれでいい」
それ以外にも食堂車は満席らしいので、私たちが見学に訪れることで他の乗客の邪魔になってしまうかもしれない。低空飛行の旅を気兼ねなく楽しんでもらうためには、何故か大人気の私は直接は動かないほうがいいだろう。
「友人や乗客に向けての愛情が混入していたのは認める。しかしそれが美味しさに影響するかは不明。証明も困難」
「確かに私たち証言しても、科学的な証明は不可能でしょうね」
どれだけ見えない愛情を込めようとも、結局は素朴な家庭料理のままなのである。美味さが増すことは決してない。味は普通のままだ。私は大葉アナの言葉にコクリと頷くと、個室の見学終了を告げる。
「私は先頭車両に戻る。何かあったら連絡を。それと色々とお世話になった。ありがとう」
「私こそ面白いものが見れて楽しかったわ。友達と仲良くね。それと、黒猫トレインを降りてからもよろしくね」
大葉アナは手を振って嬉しそうに笑い、扉を開けて出ていく私たちを静かに見送る。廊下に出たら、すぐに先頭車両へと向かう。
途中で何人かの乗客が私の顔を見てギョッとしていたが、涙の跡が残ったままなので仕方ない。
黒猫トレインから降りる前にはしっかり消しておかないとと、そんなことを考えながら早足に歩くのだった。




