旅行当日
<ヤミコ>
全教科の赤点をギリギリで回避して夏休みに入り、数日が過ぎた。今日は石川君たちと計画していた旅行の日である。最初の予定では電車を乗り継いで帰省するので、早朝に駅前集合だった。
しかし私はお金を出さないので、せめて交通手段だけもと黒猫ミニカーを出すと提案した。そちらのほうが空を飛ぶので時間や路線の状況にも左右されないし、何より移動が早くて車内は冷暖房完備で快適である。
だが、ユリナちゃんが家族に話したところから状況が混沌とし始める。彼女の両親も同行させて欲しいと言い出したのだ。私は車を出すたけなので拒む権利はないし、人数が増えても車体を大きくするだけなので、割とどうにでもなる。なので宿泊先の石川家の許可さえ下りればいいのだ。
その結果、旅行者の数がとんでもない大人数になった。魔法省職員の夏旅行という名目で、卯月家だけでなく、その他の高官の方々も一緒に乗せることになったのだ。
名目上は魔法省の関係者でも、身分が高いだけで色んな有名人も乗り込んでいるので、信頼できる天上人たちの団体旅行と言っても過言ではない。
流石に百人以上の大人数で押しかけたら実家に迷惑では? …っと石川君に聞いたところ、無駄に広い屋敷でお手伝いさんも大勢いるし大丈夫。この数倍の規模でも余裕ですと、両親から連絡が入ったとのことだ。
ともかく、今私たちは朝八時に卯月家の敷地内に入り、過去に黒猫バスを呼び出した広場に立っていた。ちなみに現実の私は中学の制服で、他の三人は高級感溢れる夏らしい外出着である。石川君はパリッとしたYシャツとGパンで、ユリナちゃんは肩が露出するタイプの水色の薄いドレスの上下、ホノカちゃんも同じく赤を基本としたTシャツと、軽めの半ズボンを着用している。
今回は流石に人数が多いので二階建てバスにしようかとも迷ったが、偉い人たちにそんな窮屈な思いをさせるのは、小市民の心情からして無理である。
「黒猫トレイン」
いつもの魔女スタイルに変身して、電車と言っているが各車両にトイレ完備。さらに個室と食堂車付きの長距離列車を、ステルスモードを起動したまま空中に呼び出す。地上では長さ的に収まりきらないので仕方ない。
食事や飲み物は複製の魔法で何とかするつもりだ。私が作ったことのある料理なので、レパートリーが家庭料理しかないが、その辺りは我慢してもらいたい。
そもそも目的地まではその気になれば一瞬で到着するため、個室も食堂も使う必要はないかもしれないが、明らかに身分の高い人が大勢の乗っているので、出来る限りのおもてなしをと、小市民的な気分の問題である。
黒猫トレインを呼び出した後、半透明な魔法障壁を箱型に固定したエレベーターも続けて設置する。この辺りの流れは何度も行っているのですっかり慣れたものである。
現在は比較的低空に待機させているので階段でもいいのだが、若い人からお年寄りまで大勢いるので、足腰の不自由な人がいるかもしれない。それに万が一の転倒事故が怖いため、今回は安全策を取ることにした。
「どうぞ。空いている席に自由に座って」
私が先に乗ると残りの人数等がわからなくなりそうなので、外で確認を行いながら最後に乗り込む予定だ。魔法エレベーターの扉を開けて二十人単位で上げ下げを行う。
分別のわかっている大人だけあって皆素直に並び、こちらの言うことを聞いてくれた。しかし、いざ乗り込むと状況は一変し、誰も彼もが大声で騒ぎ立てた。先程までの紳士的な対応が嘘のようである。中でも窓際の席が人気なようで、皆こぞって座りたがっていた。
車両には余裕を持って召喚したので、百人程度なら窓際に座れるはずである。そう思っていたのだが。
「何か人数多い? 多くない?」
「ええと、ヤミコちゃんの召喚した黒猫バス…今回はトレインに乗れると、何処からか情報が漏れて、応募者が殺到した結果です。
これでも厳選したらしいですよ」
最後に私と一緒に乗るとのことで、説明役がすっかり板についてきた隣に立っているユリナちゃんが、そう教えてくれた。ちなみにその隣には石川君とホノカちゃんもいる。
「何人?」
「二百五十四人ですね」
「二百五十四人」
まさかの二百五十四人の団体旅行を取り仕切ることになるとは。思わず知能指数が低下して、オウムのように言われた言葉をそのまま繰り返してしまった。
幸い座席は足りるので問題はないが、これでは自由席の窓際は早いもの順だろう。小市民的な気遣いから個室を作っておいてよかったと、改めてそう思った。
トラブルが起きたらどう責任を取れば許してくれるのだろうかと、内心でドキドキしながら、全員が乗り込んだことを確認し、私たちも最後の魔法エレベーターに入り、外部から直接先頭車両に移動する。
黒猫トレイン内の全乗客は絶賛大興奮中なので、先頭に向かうのが困難だと考えたのだ。
運転席に到着した私は横の壁に魔法エレベーターの一部を接続して、人が通れるサイズの四角い穴を開ける。そのまま私専用の座席に座る。操作方法は黒猫バスと殆ど変わらない。ただ縦と横を広くして、トイレと個室と食堂を付けただけなのだ。
他の皆も座席に座ったことを確認して、私は車内マイクを手に持って挨拶を行う。
「石川君の実家の到着時刻は、今からニ時間後を予定している。
後ろ半分の車両には個室と食堂。各車両間にはトイレがある。自由に使って」
本当は五分もかからないのだが、目的地までの移動も旅行の醍醐味ということで、二時間の黒猫トレインでの空の旅を、のんびり楽しませて欲しいとのことだ。
ユリナちゃんの両親直々のお願いなので黙って頷くしかない。長いものには巻かれるのが私だ。
ちなみに出来れば低空を飛んで欲しいとの強い要望も受けた。魔法障壁の範囲を狭めてほぼゼロ距離にすれば、空気抵抗や周りに影響を一切与えずに、極限のステルスモードでの飛行が可能なので全く問題はない。一も二もなく頷いた私を見て、ユリナちゃんの両親は唖然としていたが、私の説明を聞いてやがて納得したのか。父親と母親が感動したように突然抱きついてきた。
何でも魔法の乗り物で空を飛ぶのが小さな頃からの夢だったらしい。しかしただ空を飛ぶならば飛行機があるが雲の上からでは地上は殆ど見えない。だが低空を飛べば大勢の人に迷惑がかかる。
その点黒猫トレインならば周囲への影響を一切気にすることなく、さらには誰にも気づかれずに、悠々と低空の散歩を行えるとのことだ。
政府高官たちもこの案には大賛成らしく、こっそりと子供のように悪巧みを行うなんて、私はこの国の将来が少しだけ心配になってしまった。魔法少女の善性が捻じ曲がったら、どうするつもりだろうか。
「個室は一部屋から四人部屋。机や椅子やベッドがあるから、もし気分が悪くなったら横になって休むか、先頭車両のユリナちゃんに連絡して」
こちらには癒やしの聖女がいるのだから、軽い怪我や体調不良を治すぐらいなら問題ないだろう。
「食堂は呼び出しボタンを押してメニューを注文すると、瞬時に複製された料理が出てくる。ただし私が過去に作った家庭料理に限るので、味の保障は出来ない。
お茶、コーヒー、紅茶、ジュース等の飲み物を頼むのがメインになる。二十歳前なのでアルコールは扱っていない」
紅茶やコーヒーならば、まあこんなものか…という感じで許してくれるだろう。こちらも家に常備している物に限るが、スーパーやコンビニの飲み物もある程度は揃っているので、大目に見て欲しい。
ただしプロの料理人でもない平凡以下の中学一年生の作った家庭料理は、絶対に許されない。私は最初は料理なんて必要ないと考えていたのだが、卯月家と石川家の双方から強い要望があったので、渋々比較的作り慣れている家庭料理に限り、その場で注文出来るようにした。
最初に味の保証は出来ないと宣言したので、後は自己責任である。
「食堂の席から立って一定時間が過ぎるかごちそうさまと言えば、机に残った物は全て消える。以上で説明は終わる。
それでは、黒猫トレインの旅を楽しんで欲しい」
説明を終えた私はあらかじめ住所を聞いていた石川君の実家にマーカーを立てて、黒猫トレインを自動操縦に切り替える。到着時間を二時間後に設定するのも忘れない。
「コースはほぼ直線で、障害物は余裕を持って避けて、低空を飛ぶように」
大まかな方針を定めれば、あとは全自動で何とかしてくれる。機械とは違い、魔法は込める魔力と願い次第で融通が効くので楽でいい。
私の命令に従い、黒猫トレインが音もなく走り出す。人工重力の影響で乗客の負荷は皆無なため、外の景色を見ていないと動き出したかどうかはわからない。そして車内マイクを元あった場所に置いている途中に、ホノカちゃんが話しかけてきた。
「ヤミコちゃんは、家に着くまでの二時間どうするの?」
「夏休みの宿題は各教科の問題集は終わったから、それ以外を行う」
「ええっ!? まだ夏休みが始まって数日だよね?」
各教科の問題集は頭を悩ませる程ではなかったが、それ以上に時間がかかるのが、自由研究や読書感想文、そして工作などの、学校の勉強とはあまり関係のない宿題だ。そちらは毎年かなり悩んでしまう。
私の言葉に動揺するホノカちゃんだが、それとは別に石川君とユリナちゃんは冷静なままだった。
「確かに安藤の学力なら、数日で終えても不思議じゃないな」
「残っているのは自由科目ですね。何を悩んでいるのですか?」
「各教科の問題集は公表されない。なので気兼ねなくスラスラ解けた。
でも、自由科目では優秀者が公表されるため、どうすれば没個性に埋もれられるかで悩んでいる」
これは本当に難問なのだ。思えば小学生のときから長期休みのたびにずっと続けてきた難問だ。
二人ともことの重大さをわかってくれたのか、驚愕した表情のまま言葉を失っている。そんな中で、ある意味精神的に頑丈なホノカちゃんが再起動して、話題を変えるように私に声をかけてくる。
「そう言えば例のテレビ局、業績悪化で存続が厳しいらしいよ!
あと、ナツキちゃんが二つ名持ちになったって!」
「二つ名持ち? 夏休み前にそんなに活躍した?」
元々の才能は飛行魔法を使いこなしたときに証明されたが、ここまで早く二つ名持ちになるのは予想外だった。それについては、ウィキペディア的な立ち位置のユリナちゃんが答えてくれた。
「やはり飛行魔法を覚えてからの活躍が目覚ましいようです。
ゲート反応を感知してからいち早く現場に到着し、空を舞うように戦う姿が、まるで姫君のように可憐であることから、ついた二つ名は閃光の姫騎士です」
確かにユリナちゃんと同じように全身からお嬢様オーラを発していたので、その二つ名もある意味納得できる。私のようにみすぼらしい平民オーラ全開ではない。
「ちなみに将来の目標は、魔女ちゃんの隣に立てるような、立派な魔法少女になることらしいです」
「その情報は必要ない」
出会った当初こそ目立たなかったナツキちゃんだが、今は私の実力を軽く追い抜いているに違いない。逆にこちらのほうが彼女の隣に立てるか不安になるぐらいだ。
そもそも私なんてどれだけ設定を盛ったところで、平凡な魔法少女の域を出ないのだから。プレッシャーを与えられるだけの情報に少し落ち込んでいた私に、ホノカちゃんが元気よく声をかけてくる。
「ヤミコちゃん、黒猫トレインの中を案内してよ! 気分転換も必要でしょう?」
「んー…一理ある」
確かに気落ちした状態では勉強に集中できない。それに二時間ずっと集中力が続くかと言うと、それは自分には不可能だ。必ず合間に休息が必要になる。
石川君の実家で勉強するのを目的として旅行を決断したが、今は勉強を一切せずに田舎ののびのびとした空気の中、日頃の勉強疲れの解消に使ってもいいかなと考えていた。
私の狭く濁った世界とは全く違う、華やかで開放的な雰囲気がそうさせるのかもしれない。
何より黒猫トレインは自動操縦のため、緊急時の手動操作以外に私の出番はない。先頭車両にずっと籠もっている必要はないのだ。
「少し歩く」
最後尾の車両までのんびりとお散歩である。色々と設定を決めて召喚したものの、中がどうなっているのかは完全に魔法任せであり、実際に見て回ったことはない。それに施設に不備はないか調べる、いい機会である。
私が運転席から立ち上がるのに続いて他の三人も声もなく後に続くが、この展開にもすっかり慣れて不快ではないので、私は振り返らずに先頭車両の扉を開けて後ろの車両に移動する。