御曹司から見たヤミコちゃん
<ヤミコ>
外に出られないからと言って、いつまでもイタリア料理店に籠城するわけにもいかない。我慢比べは動けないこちらが不利だし、私には現実の生活があるのだ。表の素顔を公表している魔法少女の皆なら、やむを得ない事情と優遇された立場の両方が考慮されるだろう。しかし私は事実関係を明らかにするわけにはいかずに、一般人の生活に大ダメージ間違いなしである。
今の状況は進むも地獄、引くも地獄。完全に詰みである。おそらく大葉さんの鶴の一声も、もうハッタリだとバレており、前ほどの効果は望めないだろう。それどころか次の取材を取り付けようと、強硬手段に出る可能性もある。
つくづくこんな地味子なんて取材するより、もっと綺羅びやかで実力派の魔法少女が大勢いるというのに、無駄な時間を浪費するのが好きな人たちだなと、思わず溜め息を吐く。
「困った」
「表が完全に塞がれちゃってるけど、この分だと裏口も囲まれてそうだね!」
相変わらずハキハキと喋るホノカちゃんだが、その顔にも少し元気がない。きっと彼女も打開策が思い浮かばないのだろう。こちらが強引に道を作るのではなく、自分から引かせることが出来れば被害者も出ないのだが。
「仕方ない。少し待ってて」
私は店の物陰に移動して携帯を取り出すと、石川君に電話をかける。
「もしもし、石川君?」
「あっ…安藤か!? 急に電話なんてどうしたんだ?」
すぐ出てくれてよかった。取りあえずの要件を手短に伝える。
「今、マンションにいる?」
「ああ、その通りだが。それがどうかしたのか?」
「同じ階にある石川君の隣の部屋、誰か住んでる?」
これは重要なことだ。もし誰か住んでいた場合は、別の場所を使う必要がある。
「いや、両隣は誰も住んでないぞ。倉庫にもしてないからガラガラだ」
「わかった。では、今からイタリア料理店のトイレと、その部屋の入り口を繋げる」
「えっ? おい、安藤。何を言っているのかまるで意味がわからんぞ」
詳しい説明を行うと長くなってしまうので、出来るだけ簡潔に伝えようとする。この魔法は相互理解が必要不可欠なのだ。許可なく勝手に繋げてしまうと、そこの住人に大迷惑なことはこの上ないし、もし出入りが目撃されるようなら面倒ごとにしかならない。
「今、外には取材陣が詰めかけていて、お店から出られない。なのでお店の中から石川君のマンションに直接空間を繋げて、そこから先は黒猫ミニバスで皆を送り届ける」
「ああ、わかった。わからないけどわかったぞ。その間俺は部屋から出ずに、周囲に誰も近寄らせなければいいんだな?」
「うん、よろしく。では、通話を終了する」
そう締めくくって私は携帯の通話を切る。わかってくれてよかった。
とにかくじっとしていては時間が勿体ないので、ステルスモードの黒猫ミニバスを自動操縦で石川君のマンションに向かわせながら、皆が集まっている玄関付近に早足で戻ると、ユリナちゃんが心配そうに話しかけてきた。
「黒猫ちゃん、どうだった? 何とかなりそう?」
「うん、皆こっちに来て」
私はお手洗いに向かって歩き出す。借りるのは女子トイレの方だ。まずは中に誰に入っていないことを確認してから扉を閉めて魔法をかける。そしてもう一度開ける。
「えっ? ここってもしかして…」
「うわあっ! ここ私の家の隣だよ! えっ? 何? これっ! 何?」
昨日見た夜景が目の前に広がっている。そして後ろを見れば高級イタリア料理店の中、そして魔法少女と大葉さん、さらに何故か店内の従業員も全員集合して、瞳を輝かせながら成り行きを見守っている。
試しに私が一番最初に扉の向こうに片手を入れて、空中をブンブンを振っても何も起きないことを確認する。大丈夫そうなので今度は片足を恐る恐る突っ込み、向こうの床を踏んでも変化なし。その後両足を入れて全身を石川君のマンションに移動させた。
「大丈夫そう。皆、こっちに来て。ここから黒猫ミニバスを使ってそれぞれの家まで送る」
私が女性用トイレと繋げられた隣室の扉から離れ、そう言葉をかけるのを待っていたのか、皆は待ちきれない様子で一斉にマンションに駆け込んでくる。
「大葉さんとイタリア料理店の従業員さんたちは、遠慮して」
「そんなっ! 黒猫ちゃん! 先っちょだけ! 先っちょだけだから!」
「駄目。こちらに来て、すぐに帰ってくれる保障がない」
大葉アナはプロであるが、報道関係者として知的好奇心の塊でもある。それにより皆の帰宅が遅れては申し訳が立たない。従業員も含めてこちらに来る人数が多くなる程、帰宅時間は遅くなってしまうだろう。
「と言うことで、さようなら」
「黒猫ちゃああああああん!!!」
美人アナウンサーの悲鳴か懇願かわからない謎の魂の叫びを無視して、扉をしっかり閉めてから魔法を解除する。
そのまま滑り込むようにして、ステルスモードの黒猫ミニバスがちょうどマンションの最上階である目の前に停まり、十三人の魔法少女は障壁の内部に入ったために、隠れていたモフモフの黒い毛並みを皆の前に現す。
「乗って」
黒く半透明の板を下に敷いて、私は一足早く運転席に座る。そこに何故かユリナちゃんとホノカちゃんも同行する。
「二人はここで降りていい」
「黒猫姉さんに最後まで付き合うよ!」
「私もです。黒猫ちゃんとはお友達ですからね」
ありがとう…と一言返して、他の十人が乗り込んだことを確認すると、入り口を黒いフワフワの猫毛で塞ぎ、自動操縦に切り替える。
取りあえずの目標地点は例のキャンプ場を目指すが、その間に皆の家を3Dマップに打ち込んでいく。
この辺りはアバウトなので大体の位置が判明すれば、あとは自動的にマーカーを立ててくれる。グーグル検索ではなく魔法検索だろうか。魔力を込めるほどに正確さが増すようだ。
あとは簡単だ。それぞれの家の上空に着いたら、エレベーターで地面に降ろしてお休みなさい、これを十人分繰り返すだけなのだから。
しかし何だかんだあって、肉体的にも精神的にも皆疲れていたのか、家に帰る前には全ての魔法少女がフワフワの黒猫ミニバスの座席にもたれて、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
そのために私が背中におぶってそれぞれの家のチャイムを押して、親御さんを相手に簡単に事情を説明して引き渡すことを十度繰り返した。
とても感謝された後に、少しぐらいゆっくりしていったら? と家の中にあがるようにと引き止められること十回、そして他の魔法少女も送り届けなければいけないのでと、きっぱり断ることも十回。
ちなみに一緒に付いて来てくれたユリナちゃんとホノカちゃんは、完全に寝入ってしまったので、石川君のマンションに送り届けた後、そのままベッドに寝かせることになった。ユリナちゃんも今回は友人宅でお泊りとのことだ。卯月家の両親への連絡は石川君がしてくれた。
自分でも気づかないうちに私も疲れが溜まっていたのか。変身を解いた後、石川家の居間のソファーにだらしなく横になってしまう。メガネをかける力もなく脱力しきっている。
「安藤、今日はお疲れ様」
「んー…どういたしまして?」
温かいお茶を目の前の机に置いてくれたので、億劫だけど少しだけ身を起こしてコップを手に取り、そのままチビチビと口をつける。このまま安藤家に帰ってもいいが、今の私の体は鉛のように重くなっており、はっきり言って相当眠い。
気づけば時計の針は十二時に差し掛かっており、だから睡魔に襲われてるんだなと、どうでもいいことを自覚させられてしまう。
「安藤も泊まっていくか? 客がもう一人増えたところで別に構わないぞ」
「でも、石川君に悪い」
「そんなことは気にしなくていい。俺…いや、ユリナもホノカも、安藤が居てくれてとても喜んでいるんだ」
石川君の言葉を聞いても、殆ど頭の中に入ってこない。でも泊まっていって良いというなら、今日ぐらいはお言葉に甘えさせてもらおう。取りあえずはラインで、今日は友達の家に泊まらせてもらうことを家族に伝えておく。いつも通りならば、安藤家に迷惑を持ち込むなと強く釘を刺されるだけで終わるだろう。
「ありがとう。少しだけ…休む」
「ああ、お休み安藤」
ここで寝てもいいんだと気を抜いたためか、急激に眠気が襲ってくる。もはや目を開けていられなくなり、ソファーの上に四肢を投げ出し、私は意識を手放したのだった。
<タツヤ>
安藤から突然電話がかかってきたときには、嬉しさのあまり心臓が止まるかと思った。何でも家の隣の部屋をイタリア料理店と繋げるので、少しの間使わせて欲しいとのことだ。
マンションの最上階の一室しか使っておらず、倉庫も地下だけで十分なので、もちろん即決した。この程度のことで安藤の役に立てるなら安いものである。
魔物との戦いでは俺は役に立てないので、日常生活で少しでも支えになってやりたい。
男としてそれでいいのかという気がしないでもないが、実際にここ数日の安藤を観察してみた所、魔法少女としての能力は他の追随を許さず、全世界で一番強い個人という点はもはや疑いようがない。
続いて変身前の彼女だが、勉強は高校生活を想定しているために、中学一年の時点で、三年間の全教科の学習は既に終了しており、現在復習の真っ最中だ。わけがわからないのだが何故かそうなっていた。安藤は中学三年生に待ち受ける高校受験を万全の体制で挑むつもりであり、そのために日夜頑張っている。
逆に言えばそれ以外には、家族全員分の家事以外何もするなと命令されていたのか、小学校から家事と勉強のみの毎日を続けてきた結果、中学課程の勉強は既に終了してしまったのだ。
なお、本人にとっては高校以上の展望が全く思い浮かばないらしく、将来は平凡に目立たずひっそりと生きられれば後は何でもいいと考えており、実質親と妹から離れることが人生の最終目標と言っても過言ではない。
炊事洗濯掃除という主婦力は既に限界まで高められており、俺たち三人は安藤のカレーで見事に陥落させられたので、今さら語るまでもない。なお、朝カレーを冷凍した物は精密検査にかけられ、石川と卯月の両本家で可能な限り再現度を高めようと奮闘しているようだが、味や食感などの料理としての再現は出来たものの、結果は思わしくない。
原因は特定されているがそれを補うことはベテラン料理人でも不可能であり、料理に一番大切な愛情を注げるのは、安藤ヤミコただ一人しかいないことが証明された結果となった。
今度専属の料理講師に呼びたいと、両家の料理人が強く希望するほどだ。
次に運動なのだが見た目は地味子と呼ばれるだけあり、露出の少ない制服と運動服以外は基本的には所持していない。しかしその下には健康的で年頃の女性以上の肉体が隠されている。
毎日の過酷な家事と強制ウォーキングにより、脂肪燃焼効率は極限まで高められ、取り払われた脂肪分は胸とお尻に二極化してしまっている。さらに健康診断の記録をとある筋から手に入れたが、年々恐ろしい速度で育っているらしい。彼女の将来が本当に楽しみである。
持久力も優れており長時間のマラソンでも、結果的にはほぼ最下位だったが難なく完走し、疲れている気配は全くなかった。もう一周走り抜くことも安藤ならば余裕で達成できるだろう。
試合形式の運動や瞬発力にも優れているのだろうが、その辺りは全力で手を抜いているので、なかなか活躍が見られないのが残念である。もっとも、見せてしまえば彼女の計画が水泡に帰すため、全力で隠し通すだろうが。
見た目や性格だが、近くに居ても目立たず、強制されたボサ髪とメガネ、そして本人があまり積極的な性格ではなく口数も少ないことから、地味子という不名誉な呼び名が定着してしまっている。
だがもし彼女が多少なりとも髪を整え、メガネを外して、唇に軽くリップを塗るだけで、全校生徒の態度は180度変わるだろう。さらに美しく着飾ってくれれば、俺は狂喜乱舞する自信がある。
年々女性らしく育っていくため、そろそろ安藤の魅力に気づく生徒が出てきそうで、実は気が気ではない。最初は見た目にしか興味がない男子生徒も、内面を知って完落ちする奴らが続出しそうなのだ。
夏の水泳授業は彼女の溢れ出る色気を隠すものが一切消失するため、学校中の男子生徒が安藤の魅力にメロメロになると思われるが、俺にとっては幸いだが男子生徒にとっては不幸なことに、彼女が水泳の授業を受けることは一度もなかった。
その理由は魔法少女スタイルを思い出して恥ずかしくなるかららしい。元々学校の成績にはこだわっていないので、取りあえず卒業さえ出来ればどうでもいいという思考が、ここに来て生かされた結果だ。
そんな彼女の内面は、自己評価の低さが目立つ。自分には何の価値もない。妹のほうが圧倒的に優れているのだと、年がら年中言われ続けてきたせいだろう。そのために、こちらからアプローチをかけても、こんな無価値な自分ではなくもっと別の人を…と、一歩どころか全力で逃げ出してしまう。
一風変わった性格に感じるかも知れないが、それは安藤が他者を思いやる優しい女の子だからだ。自分を危険にさらしても他人の命を救おうとする自己犠牲精神は素晴らしいが、もっと自分を大切にして欲しい。
俺を助けた時は確かに彼女の外面に惚れたのかも知れないが、そんな優しい内面を知るごとに、俺は安藤のことがどんどん好きになってしまっていた。もはや彼女のいない生活など想像がつかないぐらいだ。
今目の前のソファーに無防備に横になっている安藤は、完全に俺に気を許している。当然こちらから何かするつもりはないが、彼女は自分は地味子であり、男性からは手を出す価値もないと、そう信じ込んでいるのだろう。
しかしその本質は男女問わずに数多の人間を魅了する黒猫の魔女だというのに、長年周囲から抑圧され続け、閉ざしてしまった心を開かない限り、安藤の間違った常識を改めることは困難である。
はっきり言って、十年近い歳月をかけて築かれたモノを崩すのは並大抵のことではない。もし強引に取り除こうとすれば、安藤の心が耐えきれずに壊れてしまう。
俺は近くにあったタオルケットを持ってきて、気持ちよさそうに寝息を立てる彼女に、そっとかけてやる。
やはり周りの環境を激変させるのではなく、安藤に自信をつけさせるところから行うべきだろう。家族と妹の支配する狭い世界ではなく、その外にはとても素晴らしい物がたくさんあると彼女に教え、そして俺やユリナやホノカ、その他の大勢の仲間たちと喜びを分かち合い、心を育てていくのだ。
そして彼女自身が今の環境に疑問を持ち、俺たちに助けを求めたら反撃開始だ。奴らに制裁を加えることはいつでも出来るのだから、焦ってはいけない。
たとえ一年や二年かかろうと、彼女のためならば痛みを肩代わりすることも苦ではない。三年は…流石に限界かもしれない。俺もそうだがホノカが我慢出来ずに暴走をはじめてしまうだろう。
もっとも、その頃には安藤の心は十分に育っており、助けを求めることはなくても、環境の激変には耐えられるだろうが。
どちらにせよこれから長い付き合いになるのだ。出来れば一生添い遂げたいがそれは今すぐではない。高校入学が人生の最終目標ではないことを、手取り足取り教えてやらなければと、安らかな寝息を立てる愛しい女の子に、お休み、ヤミコ…と照れながら一言告げる。
しかし彼女が聞いてないから呼び捨てとは何を言っているのかと、羞恥心に苛まれながらも、居間の電気を消して足音を立てずに自室に戻る。
その後布団の中で、安藤の無防備過ぎる肢体を至近距離で覗いてしまったことを思い出し、悶々とした気持ちで眠れぬ一夜を過ごすのだった。