念話
<ヤミコ>
結局私がはっきりと断ったために、ウエイトレスさんが残念そうな表情を浮かべながら、トボトボと去っていくのを確認した後、ファミレスでもそうだったが、まずは椅子に腰かけたままメニュー表をパラパラとめくる。幸いなことに日本語表記もついていたので、メニューそのものは読むことが出来る。
「黒猫姉さんは何を頼むの?」
「迷っている」
しかし私が知っているのは、パスタやピザといった一般的に広く普及している料理で、日本国内の流通量の少ない素材を使った、本格的なイタリア料理ではない。
そのため長い名前と写真を見ても、まるで味の想像がつかなかった。やはりここは無難に知っている料理を頼むべきだろうかと、ホノカちゃんの質問を受けてそう考えていると、今度は大葉さんが机の上に取材ノートとボイスレコーダー、さらに筆記用具を広げて声をかけてきた。
「形だけでも取材を行わないといけないから、色々と質問させてもらうけどいいかしら?」
「んー…どうぞ」
メニュー片手に生返事を返すが、大葉さんも形だけの取材なので今回はお互い気楽なものである。
「ホノカちゃんとユリナちゃんに、黒猫ちゃんと同じような翼がついていたけど、あの魔法は何なのかしら?」
「黙秘する」
「そうなの? じゃあ次の質問ね」
前回のようにさらに質問を重ねたりせずに、あっさり流してくれる大葉さんに、心の中で感謝する。
「引退宣言をしたはずの黒猫ちゃんが、あの時キャンプ場に理由はどうしてなの?」
「ゲート反応を感知した時に、ホノカちゃんが黒猫バスに乗りたいと言った」
「同じ飛行魔法で関係者だとバレてるから、これはそのまま発表しましょうか」
私の短い言葉を取材ノートに書き加えていく大葉さんは、何だかとても楽しそうである。この人も仕事人間なのかもしれない。
「事件の質問はこれで終わりでいいわね」
「これだけ?」
「ええ、黒猫ちゃんなら犠牲が出るのに見て見ぬ振りは出来ないし、今の魔法少女たちとの会食の過程も、想像だけなら容易だからね」
肩をすくめる大葉さんを見て、私はそんなにわかりやすい性格をしているのだろうかと考える。表情はそれ程変化はなくて口も開かないので、どちらかと言えば何を考えているのかわからないと思う。ともかく、これで質問は終わりかなと気を抜いたところで、意外な言葉をかけられる。
「次の質問だけど、黒猫ちゃんはこの店のイタリア料理では、何が好みなのかしら?」
「それは本当に、私が答える必要がある?」
「必要あるわよ。むしろ多くの人は、プライベートの方を知りたがっているわね」
自分の好きな料理なんて知ってどうしようと言うのかまるでわからないが、別に隠す必要はないので正直に答える。
「正直迷ってる。作ったことのない料理ばかりで、味の想像が困難」
「えっ? 黒猫ちゃんって料理出来るの? 主婦力高いの? 低いの?」
「炊事洗濯掃除は生活の必須技能。今日まで毎日欠かさず行ってきた」
そして今日の夜から家政婦さんが入るため、私が家事を行う必要はなくなった。楽になったのはいいのだが、今まで積み上げてきた生活が急に変わるのは、少し抵抗がある。
石川君の家でお世話になっているお礼として、たまには家事を行わせてもらえないかと、頼んでみる必要がありそうだ。
大葉さんは、嘘…黒猫ちゃんと比べて私の主婦力低すぎ…と呟いていたが、さらに追い打ちをかけるように、近くに座っているユリナちゃんとホノカちゃんが言葉を重ねる。
「ちなみに黒猫ちゃんの作ったカレーは、とても美味しかったですよ」
「私も食べたけど、美味しいだけじゃなくて、心がポカポカ温かくなって、嬉しくて涙が溢れる不思議なカレーだよ!」
「おおう…これぞ母の味、そして母の愛情ですね。完敗です」
別に勝敗を競っているわけではないのだが、大葉さんは圧倒的な敗北感を刻み込まれたのか、がっくりうなだれてしまった。立ち直るにはしばらくかかりそうなので、私は一旦保留にして再びメニュー表と睨み合う。
「んー…普段作るイタリア料理ならまだしも、メニューのどれが美味しいのかわからない。ナツキちゃんと同じ物をお願い」
「わっ私と同じですか? 本当にそれでいいんですか?」
「うん、ナツキちゃんならこのお店にも詳しい」
イタリア料理店をオススメしたのはナツキちゃんなので、きっと一番美味しい料理も知っているだろう。初めてのお店の知らないメニューで冒険するのではなく、知っている人に聞いて無難に行くことに決めた。
「では、黒猫ちゃんには少し子供っぽいかもしれませんが。私はこのお店のボロネーゼが一番好きなんです」
「私もボロネーゼにする」
メニューでボロネーゼの写真を確認すると、日本のミートソーススパゲッティに少し似ていた。これなら味の想像もつくので、失敗はまずないだろう。
「ミートソーススパゲッティなら作れる」
「本当に黒猫ちゃんは色んな料理が作れて凄いです。私も料理上手になりたいです」
「私の料理は大したことない。もし機会があればナツキちゃんにも教える」
ミートソーススパゲッティの調理方法は、ミートソースを下ごしらえしてパスタを茹でて絡めるだけなので、基本は豚肉と玉ねぎをそれぞれみじん切りして、市販のトマト缶を使って味を整えれば、誰でも美味しく作れる。
きっとナツキちゃんならすぐに覚えられるだろう。
「はいっ! ぜひお願いします! でっでも、連絡先はどうしましょうか?」
本気で私から料理を教わる気のようだ。こちらとしては冗談半分だったのだが。しかし一度口に出してしまった手前、今さら冗談でしたとは言い辛い。まさか現実の私の番号を教えるわけにはいかないので、それ系の魔法を急遽作成することにする。
「ナツキちゃん、ちょっと触っていい?」
「えっ? あっ…はいどうぞ」
「んっ、ありがとう」
情報伝達の魔法をナツキちゃんにかけさせてもらった。表向きは何かされたようには見えないし、身体的に全く異常はない。何をされているのかわからない彼女は、疑問に思いながらも私が手を離れるまで待ってくれていた。
「少し実験する」
「えっ? あっ…電話? 頭の中に…って、ええっ! 黒猫ちゃん!?」
ナツキちゃんにかけた魔法は、物語の中でよく聞く念話と携帯電話を混ぜたような物だ。お互いにどれだけ距離が離れていても、時間差なしで心の中で会話を行うことが出来る。
「はい、はい…あっ、直接口に出さなくてもいいんですか?」
それからしばらくの間、お互いに念話を飛ばし合ったが、たとえ心の中でも私の口下手と無口は相変わらずのようで、主にナツキちゃんから送られてくる。
皆のメニューが決まったのでウエイトレスさんを呼び出して、いざ注文を行おうとしたら、ナツキちゃんが口に出さずに念話でボロネーゼと告げたので、私以外は誰も気づかない失敗に、恥ずかしそうに赤面している彼女を可愛い子だなと感じた。
「黒猫姉さんたちだけズルい! 私も! 私も!」
「そうですよ。もし何かあったときに、私たちにも必要かもしれませんし」
私は殆ど無表情なままだが、ナツキちゃんは何も喋っていないにも関わらず、念話を使うたびにコロコロと表情を変えてとても楽しそうだった。
そんな姿に刺激されたのか、ホノカちゃんとユリナちゃんが異議あり! と口を挟んできた。だが確かに、同じ魔法少女で友達でもある二人をのけ者にするのは、考えが足りなかったと反省する。
今度は二つ名持ちの魔法少女に右手と左手でそれぞれ触れて、同じように念話の回線を繋げる。
「うわあっ! 本当に頭の中で声が聞こえるよ! えっ? これナツキちゃんとも話せるの? すごーい!」
「確かにこれは便利ですね。任意で通話のオンオフが出来るのですか?
それだけではなく最新の携帯の機能は大体使える? ネットまで? 一体どうやって繋がってるのでしょうか」
自分としてはそう願ったからとしか言えない。細かい機能は後々でも拡張出来るのだ。何度か念話していると、三人共慣れてきたのか口に出す回数が減ってきて、目も口も動かさずに、素知らぬ顔で心の中だけで会話が行えるようになった。この三人は明らかに順応性が高すぎると思った。特に気になるのはナツキちゃんであり、彼女は二つ名持ちではなかったはずなのだが。
(ナツキちゃんはデビューしたばかりで光属性だからね! 将来二つ名持ちは確実だよ!)
(そんな。私なんて黒猫ちゃんたち先輩の三人に比べたら、まだまだです)
口には出さなくても赤くなってうつむいてしまったので、照れているのは一目瞭然だ。そんなナツキちゃんから視線を外すと、何やら物欲しそうな顔でこちらを見ている、私たち以外の全メンバーに気づいた。
「これ以上増やすと回線がこんがらがるから駄目。私以外の念話が出来るホストを見つけて。
それと、大葉さんは魔法少女じゃないから繋げられない」
「うううっ! 私も魔法少女になりたい! とても辛い!」
今の三人は私を中継してやり取りをしている。つまり彼女たちの念話は全て筒抜けであるが、人数が増えすぎると私が情報を追いきれなくなる。
また、それぞれの魔力を使って会話を飛ばしているので、魔法少女でない大葉さんには繋げることが出来ない。
心底がっかりしている魔法少女と大葉さんたちだが、その空気を振り払うように注文していた食事が運ばれてきたので、一気に和やかムードに変わって念話も終了する。
「これがボロネーゼ?」
「はい、ミートソースと違い、牛のお肉とワインを使っているのが特徴のようです」
机の上に順番に並べられていく料理を眺めながら何気なく口に出すと、すぐにナツキちゃんが答えてくれた。確かに何処と無くミートソーススパゲッティの面影があるような、ないような気がする。
皆に習って手を拭いてナプキンを首にかけて、フォークを手に取りいただきますと言う。
そして突き刺したままお皿の上でクルクルと回すと、赤い具材とパスタがよく絡んでいる。
「美味しい」
「黒猫ちゃんに喜んでもらえて、とても嬉しいです」
何度か咀嚼するたびに、肉の旨味とトマトの酸味とワインの香りが混ざり合い、何とも言えない美味さを引き出す。さらに空腹というスパイスも相まって、美味しさが全身に染み渡っていく。私は自分でも気づかないうちに笑顔に変わる。
「今日は誘ってくれてありがとう」
「いえ、こちらも貴重な体験をさせてもらって、黒猫さんには感謝しています」
ボロネーゼを食べながら手と口を動かす。フォークを回すのが止まらない。半年先まで予約がいっぱいなのも頷ける。
気づけば私の目の前のお皿は空っぽになっていた。あっという間に全部お腹の中に入ってしまったのだ。
「ごちそうさま。とても美味しかった」
「お粗末さまでした。後で料理長に伝えておきますね。
それより気に入ったのなら、もう一皿注文しますか?」
「いい。もう十分に満足した」
私の燃費はかなりいいので、これ以上はお腹に入らない。とにかく今日は楽しかった。ではなく、今日もだと思い直す。ここ最近はずっと、びっくりすることばかり起きる。
今まで暮らしてきた中では、到底起こり得なかったことだ。こんなに幸せでいいのだろうか。もしかしたらここ数日は全て夢なのかもしれない。
「では黒猫ちゃん、食後のデザートはどうしましょうか?」
「んー…ナツキちゃんと同じで」
「わかりました。ではティラミスを二つですね」
そう言ってウエイトレスを呼び出して、私たちだけではなく皆のデザートを注文していく。デザートの名前と写真をメニュー表で調べても、無駄に迷って決められないだろうと予想して、今回もナツキちゃんに任せる。
ちなみにデザートはあらかじめ作り置きがしてあったのか、小さなお皿に乗せられて、間を置かずに運ばれてきた。
「黒い」
「黒猫ちゃんよりも、少し茶色に近いココアパウダーですね」
さっそく食べようと小さなフォークを入れてみると、スルスルと抵抗なくケーキ生地を切り分けられた。そのまま小さな欠片を口に運ぶと、微かな苦味と濃厚な甘さが同時に口の中に広がる。
「甘い」
「デザートですから、甘いものが多いんですよ」
先程のボロネーゼとは全く違った味だ。それにデザートが甘くて美味しいのは勿論だが、皆と一緒なおかげで、より一層美味しく感じるのだと自覚する。
私は皆があらかた食べ終わったところで、イタリア料理解説係となったナツキちゃんに、重ね重ねお礼を言う。
「今日の食事会はとても楽しかった。本当にありがとう。これから皆を家まで送る」
「こちらこそ、黒猫ちゃんと一緒で楽しかったです。また一緒に食事をしましょうね。
それと、送ってもらえるのは嬉しいのですが、大変じゃないですか?」
今回の会食はナツキちゃんだけでなく他の魔法少女も喜んでくれており、それと同時に気遣うような表情をこちらに向けてくる。
「問題ない。速度を上げれば世界一周もあっという間。目的地にマーカーを立てて、自動操縦に任せるだけ」
黒猫ミニバスの最高速度が何キロなのかは不明だが、私の魔力なら問題なく光速を越えられると思う。しかしその場合は魔法障壁の内外の影響とか色々問題になりそうなので、アクセルを踏んでもベタ踏みはせずに、せいぜい時速千キロまでに押さえるように気をつけたい。
とにかく十人が同じ県内なら、全てを回るのに十分もかからない。エレベーターで地上に降ろすほうが、移動よりもよっぽど時間がかかりそうだ。
「そうですか。では、黒猫ちゃんのお言葉に甘えさせてもらいますね」
「任せて」
そう言って私が席を立つと皆も後に続く。よく考えたらお会計は十人が払うと言ってたけど、値段の計算でレジで少し揉めそうな気がしたが、別にそんなことはなかった。
何やら料理長が出てきて私の前に立ち、今回の感想を聞きたいとのことなので、ボロネーゼもティラミスもとても美味しかったと正直に答えた。
「当店の料理をそこまで気に入っていただき、ありがとうございます。
私を含めた従業員一同、今回黒猫の魔女様に来店していただき、感謝の念が絶えません。
皆様方のお代も一切入りませんので、またの機会がありましたら、ぜひもう一度のご来店を」
「んー…私ももう一度食べに来たい。でも、時間もお金も余裕がない」
隠さずに正直に話した。今回はたまたま無料だったとしても、ここは高級イタリア料理店なのだ。次回の来店時には物凄い金額を支払うことになったら、高校受験後の生活に支障をきたしてしまう。少しぐらいならいいかも知れないが、あまり貯金を削りたくないのだ。
それに今は中学一年生で時間に余裕があっても、来年、再来年とだんだん忙しくなってくるので、そうそう東京まで遊びに来れないだろう。
「黒猫の魔女様からは、今後一切のお支払いは必要ありません。ですので、どうかお気軽にご来店いただきたいのです」
「流石にそれは駄目。一人のお客さんとして扱って。それでは従業員の人たちが納得しない」
私のせいで従業員の給料が下がったら申し訳が立たない。今回は魔法少女の会食の初回特典と、オーナー的立場のナツキちゃんのおかげで何とか納得は出来た。しかし次回以降は見逃すわけにはいかない。
「ご安心ください。従業員一同はそれで納得しております」
「はぁ…わかった。とにかく今日は楽しかった。次も来れたらで」
「はい、ありがとうございます。それでは次回のご来店を、心よりお待ち申し上げております」
どうやら調理長のワンマン経営らしく、私のせいで従業員の待遇が下がってもお構いなしのようだ。お店から出るときにズラリと並んだコックさんやウエイトレスが、一糸乱れぬ統率と熱に浮かされたような恍惚とした表情で、私たち…主に私に向かって深々と一礼を行うのも、経営者である彼に逆らうのが恐ろしいからだろう。
何をとち狂ったのか、こんな地味子一人のために従業員を路頭に迷わせるわけにはいかない。
もし次に来ることがあれば、料理長にどう言われようと絶対にお金を払おうと、そう心に決めたのだった。高校生活の身銭を切っても、犠牲者が出るよりはマシだろう。
後は黒猫ミニバスに戻って、それぞれの家に送り届けるだけだが、気づけばイタリア料理店の外には報道陣が詰めかけており、私たちが出てくるのを今か今かと手ぐすねを引いて待ちわびていた。
ファミレスと同じように強引に突破してもいいが、地方の普通の町とは違い日本の東京の、しかも一等地である。何処を見ても人だらけであり、これでは少し魔法障壁を展開して押し出すだけで、ドミノのように人が倒れて重軽傷の患者が大量生産されてしまいそうだ。