イタリア料理店
<ヤミコ>
必要な情報は携帯から移し取れたので、ナツキちゃんは自分の席に戻ってもいいのだが、何故か彼女は私の近くから離れようとしなかった。それどころか何やらモジモジしており、何かを聞こうか聞くまいか迷っているように見える。
「あっ…あのっ! 黒猫の魔女ちゃん!」
「長いから黒猫でいい。皆もそう呼んで。それでナツキちゃん、何?」
毎回フルネームで呼ばれているようなので何となく落ち着かない。なので私が二つ名の下の名前で呼ぶことを許可した途端に、ナツキちゃんはパアッと花が咲くように喜んでくれた。きっと彼女たちも微妙に呼びにくかったのだろう。
取りあえず黒猫ミニバスを目的地までの自動操縦に切り替えて、真面目な話があるようなので目の前のナツキちゃんを正面から見つめる。
「黒猫ちゃんは、どうしてそんなに強いんでしょうか?」
「私は全然強くない。それに、強さの秘訣を聞かれてもわからない」
自分が魔法少女になったきっかけはわかっても、どうして今の強さになったのかは、まるでわからない。別に特別な魔法の訓練を行ったわけではない。むしろ逆で、殆ど使う機会はなかったはずだ。才能なのだろうか? しかし私は、二つ名持ちの二人に直感で言ったことを思い出した。
「ただ一つだけ、わかることがある」
「それは何でしょうか?」
「魔法少女の魔法は願いを叶える力。
願っても叶わないのはその魔法に使う魔力が足りないだけ」
例えば黒猫ミニバスを呼び出すのには多くの魔力が必要だが、回数をこなすたびに必要な魔力の量も下がってくる。
そして私が翼を貸し与えることで、ホノカちゃんとユリナちゃんは空を飛ぶことが出来た。今後は少ない魔力であっても、自由に空を飛ぶことが出来るだろう。
だが強く願えば願うだけ強力な魔法になるなら、私は崖から突き落とされたときに死にたくないと願って魔法少女になった。
そして覚醒条件の願いの強弱で魔法少女の強さが決定するのならば、目前に迫る死の恐怖から逃れたいと願った私は、一体どれだけの強さを秘めているのだろうか。
しかも昔の私は、家族が世界の全てであり、妹が魔法少女になってからは全てに絶望しており、面白半分に突き落とされたとき、このまま死んだら楽になれるかなと、心の何処かで自分の死を望んでいた。
だが結果は下の岩に叩きつけられる直前に、死にたくないと願った。それは聖人の神への祈りよりも、もっと暗くて浅ましい生への渇望だった。
そんな妹に崖から突き落とされた時に死にたくないと願うという、物凄く限定的で失敗したら死は避けられない私だけの覚醒条件には、今思えば呆れるしかない。だがそのおかげで結果的に命が助かったし、最近になって色んな人たちと出会えたので、今はとても感謝している。
「ホノカちゃんとユリナちゃんも飛び方は体が覚えた。すぐに飛行魔法を使えるようになる」
「あっ…あのっ、その飛行魔法、私にも教えてくれませんか?」
「構わない」
別に断る理由もないので、さっそくナツキちゃんに飛行魔法をかけてあげる。彼女は自分の背中に現われた黒い翼を見て、嬉しそうにパタパタと軽く羽ばたかせたり、クルクルと回ったりしている。
黒猫ミニバスの中なら狭いため、高速での飛行は出来ないので、初心者に与えてもそんなに危険はないだろう。魔法少女のスペック的にかなりの強さを誇る二人だからこそ、翼を貸し与えてすぐに使いこなせたのだ。
その点ナツキちゃんは二つ名持ちではないため、翼を与えてもまともに飛べるようになるのに少し時間がかかるだろう。
ともかくこれで、彼女の体が翼で飛行魔法を覚えたので、次からは自分で飛べるだろう。完全に使いこなすには要訓練だが。
「黒猫ちゃん、アタシも翼が欲しいんだけど…」
「わっ…私も!」
「はいはーいっ! 自分も欲しいでーす!」
何やら十人全員が欲しがっているようなので、せっかく食事に誘ってくれたのだからと、全員に飛行魔法をかけると、案の定黒猫ミニバスの中は大騒ぎになった。狭い中でも飛びたがる魔法少女が続出し大混乱である。
幸いなことに壁や床がフワフワなためにぶつかっても痛くはないし、バリアジャケットで身体的なダメージは緩和される。おまけに人工重力が働いているので、ただ浮かぶだけの訓練なら普通に行える。
何故かユリナちゃんとホノカちゃんも、さっそく自分の翼を出して色々と試していた。流石二つ名持ちは成長が早い。ちなみに色は黒ではなく赤と青だったので、飛行魔法の翼は属性の色に染まるらしい。
「私から教わったことは、くれぐれも秘密にして」
噂が広まることによって余計な騒ぎが起きて、平穏な日常を脅かされたくないのだ。そもそも黒猫の魔女は引退した身なので、こんな場所に居てはおかしいのだが、そこはまあ直接的な活動は控えるという感じで、広い意味で解釈してもらいたい。
そんなこんなでナツキちゃんのオススメのお店に、あと数分で到着する距離になった。
「都会」
「イタリア有名店の日本国内進出の一号店です。今回はコース料理ではないので気楽に食べられますよ」
ファミレスの次はてっきり牛丼屋やファーストフード店と、順番にレベルアップしていくと思ったら、いきなり大魔王が現われた気分だ。
だが今さら引き下がれないので、虎穴に入らずんば虎子を得ずの精神で、出された食べ物はきちんと食べるつもりだ。
しかし日本の首都で、しかも高級料理店とは、きっとテレビでやっている星のたくさんついたシェフがいるのだろう。
ウキウキと紹介するナツキちゃんとは違い、私は辛うじて平静を装ってはいるものの、緊張のために両手が汗ばんでいる。他の魔法少女もきっと同じなのではとちらりと横目で様子を窺うと、皆平然としており、イタリア料理楽しみだねーと談笑までしている有様だった。
どうやら生きるか死ぬかの天下分け目に挑む心構えなのは私だけのようだ。しかしこれはどういうことなのか、皆お嬢様だと言うのだろうか。
最近私の中で、ウィキペディア的な立場を確立しつつあるユリナちゃんに事情を聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
「魔法少女は立場的に優遇されていますし、魔物の討伐や政府への協力により、毎回かなりの大金が支給されます。
なので皆、これに近い高級料理店には何度か入った経験があるのです」
どうやら今回のお店ではないが、高級感漂う料理店は経験済みということらしい。ファミレスデビューを数日前にようやく終わらせた私とは、面構えが違うわけだと納得した。
やがてイタリア料理店の直上に到着した黒猫ミニバスを、ステルスモードのままアイドリング状態にし、外に長方形のエレベーターを作り出す。
出入り口の扉を四角に開けて下を見ると、やはり日本の中心だけあり夜にも関わらず、辺りは大勢の人で賑わっている。
「乗って。下に降りる」
私を含めた十三人の魔法少女の全員が、黒い半透明のエレベーターに乗り込んだことを確認すると、直下にも魔法障壁を展開して降りられるスペースを強引に確保し、そのままゆっくりと高度を下げていく。
今回は四方八方が人でごった返しているので、強引に事を進めて怪我人を出すのは避けたい。万が一に起こりうる可能性を排除し、慎重に魔法を使う。
「ナツキちゃん、案内をよろしく」
イタリア料理店にエレベーターを横付けすることも考えたが、周囲の状況を考えると前回のような力技での一撃離脱作戦が行えないので、ゆっくりと地面に降りてエレベーターを消去した私たちは、店内に入るまでの約一分の距離を歩くことになる。
当然のように周囲の人たちから思いっきり見られている。流石に普通にお仕事をしている大勢の人の進路を妨害するのは悪いので、何も展開せずに一歩ずつお店に向かって歩いて行く。
フォーメーションは先頭をナツキちゃんが案内し、周囲をガードするかのように残りの十一人の魔法少女が全方位をガッチリと固め、まるで私が重要人物か何かのような立場になっている。自分の中身は地味子なので、皆に守ってもらって本当に申し訳なく感じてしまう。
半分ほど距離を詰めた時に、スーツを着た大人の男性数人が横から急に飛び出てきて、私たちの進路上に立ち塞がる。
「黒猫の魔女ちゃんだよね? ニュースでの活躍は見てたよ。今回も大活躍だったね」
「いやー、実はおじさん黒猫の魔女ちゃんの大ファンなんだよ。会社にも他にもファンは大勢いるんだけどね。とにかくこうして会えてよかったよ」
何だか親しげに声をかけてくる知らないおじさん達に、私たちは歩みを止められる。それと同時に、先程までは何となく近寄りがたい雰囲気でイタリア料理店までの細い道が作られていたが、今は完全に塞がり、十三人の魔法少女は見知らぬ人たちに取り囲まれてしまう。
「目の前のイタリア料理店に入りたいのかしら? あの店は美味しいけど、半年先まで予約でいっぱいよ?」
「いいお店を知ってるの。黒猫の魔女ちゃん今からどう? 勿論お友達も一緒で構わないわよ」
「いやー、直接見られるとは思わなかったよ。ヘリを火球から守ったのもすごいけど、最後の一睨みで退散させたのはよかった。おじさん見ててスカッとしたよ」
どの人たちも興奮気味であり、私と直接話したくて堪らないのだろうが、こんな口下手な地味子と話しても時間の無駄なので、もっと有意義なことに時間を使った欲しい。
たとえば周りの十二人の魔法少女はどうだろうか。私よりもよっぽど色んな楽しい話題を知っていて、しかも全員が美少女で、人生経験も豊富そうである。
「癒やしの聖女ちゃんと獄炎の蛇ちゃんとはお友達なのかな? 同じ黒い翼で空を飛んでたけど?」
「独占インタビューのときの笑顔、とてもよかったよ。アイドルに興味ないかな? うちは大手だし黒猫の魔女は可愛いから、すぐにトップアイドルになれるよ! 断言する!」
「黒猫の魔女ちゃん、ぜひうちの取材を受けてよ! ギャラはたっぷり払うから、ねっ? ねっ?」
一般人に囲まれるだけでなく、何やら何処かのアイドル事務所とテレビ局までやって来た。何とも面倒な話だが、この場から動けないので人は増える一方である。
今の所十二人の魔法少女に全方位を守られているため無事だが、いつ防御を抜けてくる人が現われるかわからない。この際多少強引でも、魔法を使って突破しようかなと思いはじめたとき、数日前に聞いた覚えのある声が聞こえてきた。
「くっ…黒猫ちゃん! 私! 大葉チズルです! 久しぶり! きゃあっ!」
「大葉さん?」
その声の聞こえた方角をキョロキョロと探すと、確かに大葉アナの顔が人混みの隙間から少しだけ覗いているのとこがわかった。しかし彼女が強引に近付こうとしたせいか、周りの人の壁を突破できずに転んでしまう。ここからではよく見えないか、このままでは踏んだり蹴ったりで大怪我をしてしまうだろう。
私はすぐに大葉さんだけを魔法障壁で包み込み、空中に浮かべてフワフワとこちらに呼び寄せる。それと同時に十三人の周りも小さく円状の障壁を張り、他の人を近寄らせないようにする。
「ありがとう。おかげで助かったわ。それにしてもまさか、黒猫ちゃんが東京に来てるとは思わなかったわ」
「大葉さんは、何でここに?」
「私は基本は本局勤務だからね。地方にもよく取材に行くけど」
つまりあの時は、地方に取材に来ていた大葉アナの独占インタビューを受けたということか。
「それより黒猫ちゃんたちは、目の前のお店に入りたいのよね」
「そう。でも困ってる」
「だったら私に任せて。こう見えて色々と場数は踏んでるのよ」
いい案が思い浮かばなかった私は、空に浮かべていた大葉さんを地面にゆっくりと降ろして、周囲の障壁も解除する。
「黒猫ちゃんに取材を行う権利は、この大葉チズルが勝ち取りました。これ以上の過度な干渉は威力業務妨害となります。今すぐ道を開けてください!」
そう大勢の人たちの前でハキハキと大声で宣言する大葉さんは、やはりプロのアナウンサーだなと感じる。取材の約束という嘘はともかく、警察のお世話になることを恐れたのか、それとも大葉さんの気迫に押されたのかはわからないが、イタリア料理店までの道が開けたのは確かだ。
この機会を逃すわけにはいかないのだが、私は数歩前に進んだところで足を止めて、後ろを振り返って、その場から全く動かない大葉さんを真っ直ぐに見つめる。
「どうしたの? 黒猫ちゃん」
「大葉さんも一緒に行く」
「えっ? でも、黒猫ちゃんの取材は…」
「せっかく助けてくれたのに、見捨てて先にいけない」
強引に彼女の手を掴んで、身体強化魔法で半ば引きずるようにして前に進む。確かに取材の約束など取り付けていない。真っ赤な嘘である。
でも、私のために嘘をついてくれた大葉さんを残したら、この後散々な目に遭うのは想像に難くない。
大葉さんは私の役に立てるのならと、少しぐらい酷い目に遭っても納得出来るかもしれないが、それでは見捨てた自分が嫌な気持ちになるので、この際最低限の取材を受けて既成事実を作るのに協力してもいいと思った。
「大葉さんの食事代は私が立て替える。…出世払いで」
「くっ…黒猫ちゃん! ああっ、やっぱり優しくて可愛い! コホンっ! そう言う事なら、お姉さんもお付き合いさせてもらうわね。
でもこう見えて私は高給取りだから、食事代ぐらいは払えるから大丈夫よ。
心配してくれてありがとうね」
急に捕まえて食事代を払えと言ったにも関わらず、自分で出してくれるという美人女子アナウンサーの大葉さんのほうが、地味子の私よりも何倍も優しくて可愛いのは間違いない。
そうこう言っているうちに、先頭のナツキちゃんがイタリア料理店の入口を開けて、続いて到着した私たち十二人と大葉さんを、店内に迎え入れてくれた。
お店の中は日本にいながら、まるでイタリア旅行に行っているかのような。私の日常生活では決して見ることのなかった、年季の入った木の壁にかけられた美しい絵や調度品、椅子や机に至るまで、全てが外国の一級品といえるような物で溢れかえっていた。
ちなみに店内には、何故かお客さんは一人もいなかった。代わりに白いコック帽をかぶった男女含めた大人たちと、立派な身なりのウエイトレスさんたちが一列に並んで出迎えてくれた。
その中から料理長らしい一番立派な白い服を着た金髪の男性が、前に進み出て一礼を行う。
「ナツキお嬢様と、そのお友達の方々ですね? お話は伺っております。私は当店の料理長で、こちらは優秀な部下たちです。どうかお見知りおきを」
「お勤めご苦労さまです。しかし、他のお客さんはどうしましたか? 確か半年先まで予約がいっぱいだと聞きましたが?」
確かにナツキちゃんの言う通りだ。それなのに店内はガラガラで、私たち以外のお客さんは何処にも見当たらない。
「本日予約をされていたお客様は、申し訳ありませんが全てキャンセルさせていただきました」
「そんなことをすれば、お店の信用に関わるのではありませんか? 大丈夫なのですか?」
「心配はいりません。通常の数倍のキャンセル料をこちらから支払い。他の店舗の優遇食事券を送り、この件に関しての信頼できる契約書も交わしました」
何だか私たちのせいで物凄く大事になっている気がするのだが、このお店は本当に大丈夫だろうか。私は心配になりオズオズと手を上げて質問する。
「本当に大丈夫? 迷惑かけてない?」
「黒猫の魔女様、ご心配にはいりません。貴女一人に来店していただけるだけで、万のお客様にも勝る名誉なことです。
そして今夜はこの店を開店して以来の、もっとも素晴らしい夜になるのでしょう」
料理長だけでなく部下のコックさんたちも相当出来上がっている。皆が興奮状態で頬が朱に染まっていることから考えて、勤務時間中の飲酒を行った可能性がありそうだと私は考えた。
本当にこのお店は大丈夫なのだろうか。別の意味で不安になってしまう。
「お客様にいつまでも立たせているわけにはいきません。私が席まで案内しましょう」
「料理長自ら? テレビだとウエイトレスが案内するのが普通?」
何気なく口から漏れた一言に、料理長の動きがこわばる。逆にウエイトレスの皆さんは明らかに色めき立つ。
「そっ…それは、黒猫の魔女様はVIP待遇で迎えるべきお方なので、ならばここは料理長の私が適任だと…」
「私なんて全然大したことない。そんな間違った事実で、ナツキちゃんのお店に迷惑をかけるわけにはいかない。皆それぞれの職務を全うして欲しい」
本当に全然大したことない魔法少女及び一般人でしかも地味、根暗、ボサ髪、口下手の地味子なのだ。そんな自分のために、皆に迷惑をかけるわけにはいかない。
こちらの一言で硬直している料理長は放置し、ナツキちゃんに頼んで適当なウエイトレスに、空いている席に案内してくれるようにお願いする。
すると自分の職務を果たせて嬉しいのか歓喜の表情を浮かべ、私たちを十人以上が座れるようにいくつかの机を重ねた特等席に案内してくれた。
興奮状態なのはお酒を飲んだからだとわかるけど、他に何か申し付けることはありませんかとしつこく聞いてきたので、この人は間違いなくワーカーホリックだと思ってしまう。さらに他の魔法少女ではなく、私だけに何度も声をかける様子はまるで理解不能だった。