一目惚れ
<タツヤ>
俺の名前は石川達也、茶色に近い短髪で年の割には肉付きがいい体格だ、皆はタツヤと呼ぶ。今日は珍しくサッカー部の練習が長引いてしまい、気づけばこんな時間だ。
どうやら俺には才能があるようで監督が言うには将来はプロ入り確実らしい。自分もサッカーをするのは楽しいので、小学校と同じく中学でも同じ部活に入った。それがまさかこんな状況になるとは思わなかった。
空が暗くなる程に下校が遅くなったため、少しでも早く帰ろうとして前の歩道信号だけを見た後、左右の確認を怠ってしまった。しかしそれに気づいたときには、もう全てが手遅れだった。
「…危ない」
何処かで聞き覚えがあるような少女の声が響いた瞬間、速度を緩めることなく目前まで迫った車に俺の視界は固定され、足がすくんで一歩も動けなくなってしまう。
このままではいくら急ブレーキを踏んでも間に合わず、跳ね飛ばされて重症を負う。もしくは即死するだろう。
そう自覚すると急に向かってくる車の動きが遅くなった気がする。走馬灯というもので、俺が死んだら両親やクラスメイト、部活の仲間は悲しむだろうか。その人たちの顔が次々と頭の中に思い浮かんでは消えていく。中学までサッカー一筋だったけど、短い人生だった。
「あっ…あれ? おかしいな」
俺を跳ねる寸前だった自動車は、いくら死の直前で時間の流れが遅くなったとしても、先程から全く進んでいない。それどころかタイヤの回転は徐々にゆっくりになっており、やがて完全に止まってしまう。
この不可思議な状況よりも先に、俺は命が助かった安堵感からヘナヘナとへたり込んでしまう。そして改めて、目の前で完全に動きを止めた自動車を観察する。
そこには黒くて重そうな鎖が、アスファルトや空中から生えるように出現し、幾重にも巻き付いて動きを封じていることがわかった。
「まさか…魔法…少女?」
三十年前に異世界からの一方通行のゲートが全世界に不規則で開くようになり、そのゲートから魔物が現われるようになった。それと同時に女の子百人の中に一人の割合で、魔法と呼ばれる不可思議な力を扱える女性も覚醒するようになった。
未知の魔物は生きた資源であるが、奴らは人間や動物を襲い町を破壊した。
近代兵器で対処できない程ではなかったが、少なくない被害が出てしまった。原因は魔法障壁と呼ばれる頑丈な壁がこちらの攻撃を弾くからである。通常の表皮だけでなく、攻撃を弾く見えない膜に覆われているのだ。
これに対処するのが魔法少女たちだ。彼女たちの振るう力は魔物の魔法障壁を中和し、確実に効率よくダメージを与えられた。
また、魔法少女の力に関する研究も積極的に行われているが、三十年立った今でも殆ど成果は上がっていない。ちなみに非人道的な研究は行ってはいない。あくまでも表向きは協力的なものに限られている。
この三十年で彼女たちの数は増え続け、もし魔法少女を傷つけるような研究が露呈すれば、全世界から魔法の弾丸が山ほど撃ち込まれることは確実だからだ。何度かそのような被害を被った組織の噂も聞いたことがある。
ともかく研究成果があがっていないということは、魔法は魔物を倒す便利な力ではあるものの、魔法少女たちを外から制御することは不可能なため、最終的には彼女たちの善性に頼るしかないのが現状である。
「でも…何処に?」
俺は車の中で呆然としている運転手を放置して、慌てて立ち上がりキョロキョロと周囲を見渡す。
そこで少し離れたガードレール沿いに、コンビニ袋を抱えたまま黒い三角帽子をかぶり、流れるような黒髪と黒目、そして大きく開けた胸元と柔らかそうな太股が見え隠れする、肌にぴっちりとフェットする色っぽい魔女服を身に着けた妖艶な美少女が、こちらの様子を眺めていることに気づいた。
「キミが…俺を助けて…」
助けてくれたと思われる魔法少女に向かって、俺は見惚れながらも何とか声をかけると、彼女はすぐに身を翻して一言も喋らずに早足で去っていく。
何故魔法少女と呼ばれるのか。それは彼女たちが魔法を使うには、必ず変身をする必要があるのだ。これは三十代でも魔法を使えば一時的に十四、五の年齢の全盛期に肉体が若返り、衣装までもが変わってしまうのだ。ちなみにこの現象を避けることは出来ない。
「まっ…待ってくれ!」
俺は目の前の車のことも忘れて、慌てて彼女の後を追いかける。魔法を使って人助けをし、それを政府機関に報告すれば、表彰されてお金までもらえるはずだ。
それをしないということは、地位や名声やお金に興味がないのか、魔法省に登録していないモグリの魔法少女かの、二択だと判断した。
魔法少女かどうかを調べる技術は未だに開発されていないため、悲しいことに自己申告制度なのだ。大抵の親は自分の子供に魔法少女の素質があるかどうか、何かと理由をつけて目の前で魔法を使わせ、明らかにしようとするが。稀にだが申請漏れが起こる。
そしてこの町にも何人か魔法少女がいる。一番有名なのは安藤光子である。顔良し性格良し頭も良し、おまけに珍しい光魔法使いで日本上位の実力者である。なのでこの町だけではなく、世界中にファンがいる程の大人気魔法少女だ。
小学生からずっとサッカー小僧の俺は別にファンではないが、友人の何人かは校内のファンクラブに入っており、毎日うんざりする程熱く語ってくるのだ。
そんなことを考えながら、先程の恐怖が抜けずに足取りが不安定ながらも、謎の魔法少女を一生懸命追いかけて、彼女が何度目かの住宅地の角を曲がる寸前にようやく追いついた。
「おっ…追いついた! 待ってくれ! さっきは助けてくれてありがとう! キミは…えっ? もしかして安藤?」
キミは誰? …と続けようとした時に、街路灯に照らされる中で俺は気づいた。驚愕の表情でコンビニ袋を片手に持って、もう片方の手をこちらに掴まれて振り向いた彼女は、三つ編みを揺らしながらメガネをかけた、クラスメイトの安藤夜美子と瓜二つだったのだ。
まさか怖くて腰を抜かしていた俺が追ってくるとは思っていなかったのか、安藤は口を半開きにしたまま、驚きのあまりに固まってしまっていた。
「確かに私は安藤。でも、何の用? それより手が痛いから離して」
「あっ…ごめん」
気づけば思いっきり握りしめていたようで、安藤は露骨に痛がっていたので、すぐに手を離す。すると彼女は間髪入れずに背を向けて走り出した。俺とは逆の方向にだ。
「ちょっ…だから待てって!」
またすぐに後ろから手を掴んで安藤を捕まえる。これは俺がサッカー部のエースだからもある。しかし魔法少女としての力を振るえば別だが、運動部の俺と帰宅部の安藤では、この差を覆すことは出来ないだろう。
「痛い。手を離して」
「手を離すとすぐ逃げるだろう? それにさっきの痛がりも演技だな?」
「…そんなことない」
目の前の少女は露骨に視線をそらして返答を行う。どうやら図星だったようだ。しかし何故そこまで頑なに逃げようとするのか。俺はどうしても気になってしまう。
「安藤は何故俺から逃げようとするんだ?」
「暗がりで後ろから突然知らない人に手を掴まれたら、逃げるのは普通」
「クラスメイトの石川だ! 入学からずっと安藤のすぐ後ろの席の! どう考えても知り合いだろうが!」
またも手を握られながらも嫌そうに顔をしかめる安藤に、これは俺が嫌われているのか、それともどんな人間に対しても同じ態度なのかと困惑してしまうが、中学校では安藤が表情を変える姿は一度も見たことがなかったので、少しだけ嬉しかった。
「それで、石川君が私に何の用?」
「おっと、そうだった。安藤、さっき変身して俺を助けてくれたよな?」
「違う。私じゃない。人違い。その魔法少女ならあっちに走っていった」
俺から視線をそらして壁の向こうを適当に指を向けて、即座に全力の否定を行う安藤の態度からも、彼女が先程の魔法少女なのはバレバレであった。
「あのさ、安藤はどうして魔法少女だと隠すんだ? 故意に隠すのは法律違反だぞ」
「…それは」
視線をそらしながらも器用に冷や汗をかく安藤を見ていると、こちらの尋問に明らかに焦っているのが伝わってくる。魔法の力は犯罪に使われる危険があるため、故意に隠しては罰せられるのだ。ちなみに俺の知っている限り、違反した魔法少女は目の前の安藤以外はいない。
しばらく心の内で葛藤していたようでウンウンと唸っていた安藤は、やがて諦めたように大きく息を吐き、簡単に事情を説明してくれた。
「恥ずかしいから」
「…えっ?」
「衣装が恥ずかしいから」
「あー…そっか」
魔法を使うためにはいついかなる時でも必ず変身しなければいけない。つまり安藤は魔物と戦う時はあの色っぽい魔女の衣装で…と、そこまで考えた時、彼女が妙に冷ややかな視線で、だらしなく鼻の下を伸ばしている俺を見つめていることに気づいた。
百人魔法少女がいれば衣装も百通りあるが、圧倒的な美貌と露出度を誇る先程の安藤以上の女性は、雑誌やネットやテレビでも一度も見たことがない。
もっと魔法少女に詳しい人なら知っているかもしれないが、少なくとも俺は知らなかった。
「ごっ…ごめん」
「別に何とも思っていない。もう逃げないから、手を離して」
先程の謝罪も込めて掴んでいる手を離すと、安藤は何度か自分の手をプラプラと振って異常がないことを確かめる。もう走って逃げたりはしなかった。
もしかしたら蔑むような視線なのは俺の気のせいで、いつもの無表情だったのかもしれない。
「あー…何度も言うが、先程は本当に助かった。安藤は命の恩人だ。ありがとう」
「気にしなくていい。目の前で死なれると寝覚めが悪かっただけ」
「そっか…でも、ありがとう」
その言葉と共に、さっきまでの動揺していた少女ではなく。今度はいつも中学で見かける、殆ど無表情な安藤に完全に戻る。コロコロと表情が変わる彼女ではなくなってしまったので、かなり残念に思えてしまう。
「んっ…感謝するなら、このことは黙っていて」
「理由は…さっき聞いた通りか。しかし俺を助けたように万が一もあるし、このままだと不味いんじゃないか? そもそも隠すのは犯罪だし…」
図星を指されたようで、あからさまにバツの悪そうな顔で押し黙る安藤に、少し言い過ぎたと感じて、俺は慌てて言い訳をする。
「まっまあ、安藤の気持ちもわかる。ようは正体を隠しても罰せられなければいいんだろう?」
「案がある?」
「いっ…いや、俺にはすぐに思い浮かばないが、友達に魔法少女関係に詳しい奴がいるんだ」
そいつにある程度の事情を明かせば喜んで協力してくれるだろう。ただしそれ相応の見返りが必要になりそうだが。安藤は俺の意見を黙って聞いてくれているので、続きを伝える。
「とにかくこのことは誰にも話さない。それは約束する。そして明日中学校で会った時に、今の状況を何とかするための話し合いをしよう」
「私はそれでいい。石川君もそれでいい?」
元々口数はあまり多くない彼女だが、こちらを心配してくれている気遣いを感じる。よく見ると無表情に見えても、僅かな感情の動きがあるようだ。
こうして安藤に歩み寄ったからこその発見だ。たとえすぐ近くの席でも、普通の中学生活では絶対に気づかなかっただろう。何しろここ三ヶ月では、一度も気づかなかったのだから。
「俺はそれでいい。なあに、命を救った礼だと思ってくれればいいさ」
「そう…それじゃ、私は行く」
命を助けてもらったことは確かだが、魔法少女姿の安藤に一目惚れしてしまったからだ! …とは、どうにも恥ずかしくて言い出せなかった。何よりこれが噂に聞く吊り橋効果か、本当の恋かどうかの判断も出来ないのだ。
「そう言えば安藤、どうしてこんな場所に? 確か家はかなり離れてただろう?」
もう一人の安藤ミツコと同じ家に住んでいることは、中学校の全生徒が知っている。つまり家の場所も完全に把握していると言っていい。
そして彼女が家から離れたこんな遠くのコンビニ袋を持っているのは、あからさまに不自然なのだ。
「妹に頼まれた。コレが飲みたいから買ってきてって」
「これは、最近発売されたばかりの限定販売のジュースじゃねえか! よく買えたな!」
「うん、コンビニ三軒回った」
しかし安藤は妹に頼まれたと言った。ということはミツコがこんな入手困難なジュースを夜に買ってくるようにと、ヤミコに命令したのだ。
そう思うと、途端に詳しくは知らない安藤ミツコに対しての不快感が跳ね上がる。
「もしかして、妹にはいつもこんなこと頼まれるのか?」
「今朝はカフェオレを飲みたがっていたから、帰りにスーパーに寄って買ってきた。帰った後にラインで…」
「安藤の両親は…いや、すまん」
入学式のときに何となく見かけた安藤の両親は、妹のミツコととても仲が良さそうであり、そこに他の生徒の親の多くが混ざっていた。
だが安藤の両親はヤミコをいないものとして扱われているのが、入学時に彼女に興味がなかった俺でもはっきりとわかったのだ。ちなみに今はもう目の前の安藤にあらゆる意味で興味津々であるが。
「そう言うことで、今度こそさようなら。また明日」
「ああ、安藤も気をつけて帰れよ。まあ大丈夫か」
いざとなれば魔法を使って切り抜ければいいのだ。暴漢に襲われても瞬殺間違いなしだろう。それよりも今は、一刻も早くあいつに相談しないといけない。
ついでにミツコのことも、それとなく注意を促しておくべきだろう。