日常
<ヤミコ>
次の日、昨日は十二時近くから眠ったせいで目覚める時間が遅れてしまったが、幸いなことに家族が起きる前に朝食は間に合った。しかし過剰分のおかずでお弁当を作る時間が足りなかったため、コンビニか何処かで買うか、学食を利用するしかない。
なお、私はお小遣いを貰っていないので、両親にお弁当代を要求しなくてはいけない。
私は食後のコーヒーを飲んでいる父と母に向かって声をかける。
「今日お弁当作れなかったから、お小遣いを…」
「ヤミコ、貴女そう言ってまた無駄遣いするつもりでしょう? 学校で直接ミツコから受け取りなさい。それなら安心だわ」
「そうだぞヤミコ、少しは妹のミツコを見習ったらどうだ? お前は小学校に続いて中学校の成績もよくないしな」
予想はしていたけど、どうやらお小遣いは貰えないようだ。そもそも過去に私は無駄遣いしておらず、お小遣いを貰ったその日のに妹に全額奪われて、さらにそのお金で勝手に購入した物は全部私から貰ったと言いふらされたのだ。
勿論それは違うと必死に言い張ったものの、結局誰にも信じてもらえずに、逆に泣き喚くミツコに味方する人たちに私が責められる始末だ。
そして今回も予想通り駄目だったようなので、これ以上の説得は時間の無駄と判断して、諦めて学生鞄を持ち、中学の制服を着て中学校に向かうことにする。どうせ妹は私がお弁当代を要求しても嘲笑うだけで一円もくれないし、万一受け取れても必ず返せと言われる。そして返すだけのお金を得る手段もないため、昼一食ぐらい抜いても平気だと結論付ける。
私はいつも通りに玄関の扉を開けて外に出ると、昨日から見知った顔を家の門の外で見つけた。
「おはよう、安藤」
「おはようございます。ヤミコちゃん」
「おはよう、石川君、ユリナちゃん。何で家の前に?」
魔法少女を引退した以上、これ以上石川君たちから私に関わる理由は何もない。それとも、他に何か理由があるのだろうか。
「ユリナと俺の二人は、友達だよな?」
「ヤミコちゃん、友達と一緒に学校に通うのは当たり前のことだよ」
石川君たちの言葉で思い出した。確かに昨日、私の友達になりたいと言っていた。その言葉は嘘ではなく本当だったようだ。そして一緒に登校するのが普通らしい。
今までの友達はその日のうちに妹の味方に変わり、一緒に通学などあり得なかったので完全に失念していた。しかしまさか、昨日の発言が本気だったとは思わなかった。
「つまり初めての友達? 何となく嬉しい…かも」
「ああ、俺も…うっ…うっ、嬉しいぜ!」
「二人共、早く学校に行かないと遅れるよ」
一日以上保った友達は珍しいので嬉しくなり、私が締まりがない顔をしていると、石川君も何故か顔を真っ赤にして喜びを表現していた。
それを見て呆れたユリナちゃんが先を急ぐようにと促すので、いつまでも家の前で棒立ちしているわけにはいかないことを思い出す。
私たちは三人で固まりながら、通い慣れた中学に向けて仲良く歩き出す。昨日と同じようにたくさんの人たちから注目されたけど、今日は何故かそれ程気にならなかった。
それどころか原因は不明だが、自分の心が弾んでいることがはっきりとわかった。
そのまま周囲の生徒に大きな影響を与えながらも、三人は何事もなく学校の教室まで移動した。
私が自分の席に座って次の授業の教科書をパラパラとめくっていると、ユリナちゃんが自分を取り囲む大勢の友達からの追求をやんわりと受け流し、こちらに向かって静々と歩いて来る
ちなみに石川君にも注目が集まりたくさんの友達から追求を受けたが、はっきりとお前たちに教える必要はないと断った。
そして彼は私のすぐ後ろに座っているため、何やら熱っぽい視線で、背後からじっと教科書をめくる私の様子を伺っているのがはっきりと伝わってくる。もしかしたら彼は風邪気味で体調が悪いのかもしれない。
「ヤミコちゃん、やっぱり噂になってるよ」
「噂?」
「黒猫の魔女の噂だけど、興味なさそうだね」
魔法少女は引退した身なので、今さら騒がれてもどうもこうもない。今流れている噂もたとえ広がったとしても、新たな燃料が投下されない以上はすぐに落ち着くだろう。
しかしユリナちゃんが言うならと、少しだけ耳を澄ませて一年一組の生徒の会話を盗み聞きしてみる。
「おい、黒猫の魔女ちゃんって知ってるか?」
「ああ、昨日ニュースでやってたよな! すげえ可愛い魔法少女だったぜ!」
「だよな! 滅茶苦茶強いし優しいし可愛いし、何だあの子! 天使かよ!」
男性陣はすごいべた褒めである。私としては普通に戦って、成り行きで人を助けただけで、何も特別なことはしていない。実際の地味で根暗でメガネでボサ髪で口下手である。現実の私などそんなものである。
「ねえ、報道ヘリを助けた魔法は見た?」
「私、朝のニュースで見たよ。すごい綺麗な魔法だったよね。まるで神話みたい」
「そうそう、しかも黒猫ちゃんを邪魔してた報道ヘリを助けるんだから、すごいよね」
「魔法名はチェリーウッドだよね? とっても可愛い魔法を使うんだもん、その日のうちに大ファンになっちゃったよ」
女性陣からの評価も無駄に高い。どうしたのだこれは、一体何が起こっているというのか。聞いていると背中がムズムズしてきて、嬉しさよりも居たたまれなさが高まってくる。
思わず恥ずかしさのあまり、席を立ってトイレに逃げ込もうかと思いはじめた時。教室の扉から妹のミツコが堂々と入ってきて、生徒たちの会話に強引に割り込む。
「アタシは昨日ファミレスで黒猫ちゃんと会ったけど。言う程大したことなかったわよ」
「ええっ! ミツコちゃん、黒猫の魔女ちゃんと会ったの? どういう感じだったの?」
「そうね。根暗で口下手で、先輩に対する礼儀がなってなくて。色々と失礼な魔法少女だったわね」
流石に妹はそのものズバリだ。そして言っていることは正しいので、これで無駄に高評価な黒猫の魔女の噂も、少しは落ち着いてくれるだろうと期待してしまう。
「そもそも、正体を明かさないでたったの一日で引退するのよ? 魔法少女としては根性なしもいいところじゃない」
実際にその通りなのでぐうの音も出ない。その言葉を聞いて、教室内の雰囲気も興奮状態から少しずつ落ち着いてくる。今のように優秀な妹のミツコなら、黒猫の魔女がいなくてもこの国の平和を守ってくれることだろう。
「ともかくアタシに言わせれば、黒猫ちゃんは全てが未熟な魔法少女だったわね」
「でっ…でもよ。オーガ九体を同時に倒したって…」
「不意さえ突ければオーガぐらい、国内の魔法少女なら誰でも余裕で倒せるわよ」
どうやら国中の魔法少女にとってオーガは敵ではないらしい。頼もしい限りだ。
私が一人で感心していると、すぐ近くのユリナちゃんが青い顔をしてこちらを見ながら、顔の前に手を上げて左右にブンブンと振っていた。まるで何かを必死に否定したがっているかのようだ。
「じゃあ独占インタビューも何かあるの?」
「アレも仕込みよ。マスコミや芸能人がよくやる手じゃない。一日で引退するのは嘘で、どうせ一ヶ月以内には皆に惜しまれたから…って、すぐ復帰するわ。
ようするに同情させて気を引きたいのよ」
本気で引退したんだけど、正体をバラす行為になるので直接否定するわけにもいかずに、黙って成り行きを見守る。そもそも表舞台に出なければ引退は事実だと、そのうちわかるはずである。
「じゃあ、黒猫バスとチェリーウッドはどうなんだ? あんな大魔法見たことないぞ」
「二つの魔法は複数の魔法少女に協力して使わせたんでしょう?
そして見た目に秀でている黒猫ちゃんが表に出て人気取りを行うと、そういう筋書きでしょうね」
確かにそう言われてみれば、そうとしか言えない気がしてきた。今の妹は探偵物の主人公が乗り移っているかのように見える。
「黒猫バスは外から見えないから、魔法の仕込みもやりたい放題よ。
正体を明かせないのも、一人でも公表してしまえば現実の繋がりから他の魔法少女の存在が明るみに出て、そこから全部トリックでしたってバレるからでしょうね」
微塵も疑わずに自信満々に喋る妹により、全部が本当のような気がしてくるから不思議だ。実際には全然的外れなのにだ。
しかしこの先黒猫の魔女として活動しない以上、わざわざ否定する理由もないので、私はぼんやりと教室を眺めるだけだ。
「確かに、ミツコちゃんの言う通りだわ」
「そうだな。普通に考えたらおかしいよな」
「光の聖女ちゃんは国内トップクラスの魔法少女だし、その彼女が言うならな」
「私、黒猫ちゃんの大ファンだったのに、何だか裏切られた気分だわ」
間違った噂を信じ込んだクラスメイトの様子に、妹は満足そうにウンウンと頷きながら自分の席に向かう。私はこのままでもいいのだが、石川君とユリナちゃんは物凄く不満顔で頬を膨らませている。
「なあ安藤、反論したら駄目か?」
「今すごく真実を暴露したい気分です」
「駄目。止めて」
今ここで黒猫の魔女を味方するような発言を行えば、私と同じようにクラス内で二人が孤立、下手をすれば親しい友人だとバレて追求されることになる。
もちろん黒猫の魔女と行動を共にしていた二人なので、何らかの関係があると気づいて当然だ。今は名家の力で追求を防いでいるが、妹のミツコに反発すれば、周りの生徒達もこれ幸いと根掘り葉掘り聞き出そうとするだろう。それが回り回って最悪の場合、安藤ヤミコが黒猫の魔女だと知られてしまうことになるのだ。
なので、黒猫の魔女との関係を匂わせる発言は、避けるに越したことはない。それぐらいのことは、石川君もユリナちゃんも当然わかっているはずだ。
「それより二人共、そろそろ授業が始まる」
「ああ、わかったよ。ユリナも早く自分の席に戻ったほうがいいぞ」
「うう、私だけが離れていて寂しいです」
ユリナちゃんとは同じ教室内だが正反対の位置に机がある。なのですぐ後ろの石川君とはやはり距離感が違う。そんな彼女は背中に影を落としながらスゴスゴと自分の席に戻っていった。
今回の噂は国内上位の魔法少女である光の聖女が、そう断言したのだ。
黒猫の魔女の報道はこれから急激に熱が冷めていき、やがてそんな魔法少女いたっけ? と、話題にすらあがらなくなるだろう。
昼休みの時間になり、私はいつもの裏庭に向かおうと水筒を持って席を立つと、昨日と同じように石川君とユリナちゃんが、親しげに声をかけてきた。
「安藤、今日もあの場所か? って…あれ? 何で水筒だけ?」
「ヤミコちゃん、お弁当はどうしたの?」
「昨日は夜中に帰って来たから、お弁当作りが間に合わなかった。お金がないので午後はお茶で我慢する」
一食ぐらい抜いても人間死にはしない。午後の集中力は確実に減るだろうが、家に帰ってから宿題と復習を行えば十分に巻き返せるはずだ。そう言ってお腹を水で膨らまそうと、一人気合を入れていると、妹の席から女子生徒の驚いたような声が聞こえてきた。
「あれっ! ミツコちゃん、今日お弁当じゃないの!? 珍しいね!」
「ちょっと体調不良でお弁当を作れなかったのよ。今は完全に治ったけどね。
それに、たまには学食もいいでしょう?」
「そっかー。ミツコちゃんの作るお弁当は美味しいから、楽しみにしてたんだよ。でも、たまには学食もいいよね」
そう言って妹は愛想笑いをしながら、仲のいい女子グループと一緒に教室を出て行った。さっきの言葉通り、学食という施設に行くつもりなのだろう。
「…学食」
「安藤、学食に行きたいのか? 何なら俺が奢ろうか?」
「タツヤ君、ヤミコちゃんに奢るなら私が」
気になった単語があったのでポツリと口に出したら、すぐ近くの二人に聞かれてしまったようだ。
「違う。一度も使用したことがない施設なので気になっただけ。
それに二人にお金を借りても返す当てがない。一食抜いても平気」
今の私は家族全員分の家事を引き受けており、おまけに学業まで行っているのだ。勉強する時間を作るのが精一杯で、とてもアルバイトは出来ない。そもそも家族からバイトの許可が取れる気がしない。ダメ押しにお小遣いも貰えないので完全に無一文である。
そんなブンブンと顔を振って否定する私に、ユリナちゃんが制服のポケットから黒い小物入れのなようの物を取り出してこちらに見せ、そのまま耳元に口を近づけて小声で囁いてくる。
「昨日の件の報酬です。本当は学校で見せるべきではないのですが、困っているようなので。でも私たち以外には、持ってることを秘密にしておいてくださいね」
一年一組の生徒が残っているので中身を確認することは出来ないが、今度こそ妹に取り上げられない生まれて初めてのお小遣いである。ユリナちゃんの説明を聞きながら、私は震える手で黒い小物入れを受け取り、ゴクリと喉を鳴らす。
「お財布の中には少ないですが現金が入っていますので、普段はこちらは使ってください。通帳とカードは卯月家で管理しますので、お金が不足するようならいつでも言ってくださいね」
お財布を色んな角度から見てみると、黒猫の小さなキーホルダーが付いていることがわかった。
「もし財布を持っている理由を尋ねられたら、私から貰ったと言ってください。卯月家が渡した物を奪う人は、そうはいませんから。
ちなみにその黒猫のキーホルダーは、最新のGPSになっています」
世界的に力のある卯月家が直接手渡したのだから、財布を奪った人が大変な目に遭うことは確定しており、最悪取り戻すためにヒットマンが送られてくるかもしれない。
私は突然の生活基盤の激変により、手だけではなく足も震えているが、差し迫った事態の解決のためにこれだけは聞いておかないといけない。
「このお金があれば、学食に行ける?」
「はい、行けますよ」
財布の中にいくら入っているかは知らないが、昼休みにお茶でお腹を満たして空腹と戦いながら、午後の授業を乗り切ることはしなくて良さそうだ。
「ファミレスのハンバーグセットも食べれる?」
「そっ…そこまで! はいっ、食べられますよ! 十でも! 二十でも! 好きなだけです!」
普段スーパーへの買い出しは家族用の財布を持たされて、両親の命令でそのお金で何を購入したのか逐一家計簿までつけているため、お金の大切さはそれなりにわかっているつもりだ。
ということは、このお財布の中には相当な大金が入っていることになる。ハンバーグセットが二十なら、少なくとも一万円はあるだろう。そう思い至ると急に受け取ったお財布がズッシリと重く感じてしまう。
「それで安藤、食堂行くのか?」
「んっ…行く」
中学生活で初めての食堂利用である。小学生までは普通に給食が出ていたので、メニューはそれに近いのだろうか。どちらにせよ楽しみである。私は石川君の提案に少しだけ胸を弾ませながらコクコクと頷いたのだった。