桜の木
<ヤミコ>
魔法少女自身にも永続的な認識阻害が働いているらしく、人や動物、そして最新の機材を使っても、現実の女性と魔法少女の二つを結びつけることは不可能なのだ。それこそ目の前での変身や解除したり、本人が公式に発表しない限り、正体はずっと不明なままだ。
また、絶対領域と呼ばれる謎空間が存在し、女性としての色んな部分を外から覗き見ることは出来ない。しかしそれでも羞恥心は消せない。少なくとも私には無理だった。
「あー…はい、女性として色々ありますからね。黒猫ちゃんは悪くないですよ」
同じ女性だからか、急に同情的になった大葉アナだが、理解してくれたようで少し嬉しかった。いくら激しく動こうが外からは絶対に見えることはない。それでも私は痴女として、自分から女を捨てる気はない。
積極的に活動している魔法少女は大勢いるのだ。何を目的にしているにせよ、その子たちが頑張って活躍してくれればそれいい。妹のように、周囲からチヤホヤされたいから頑張るのでも構わないのだ。
「なので私は、魔法少女を引退する」
「それとこれとは話は別です!」
「一緒。水着や下着同然の衣装で、大勢の前で日夜戦い続けるのは絶対に無理」
これが他の魔法少女のように露出が控えめで少女らしい体型ならば、まだ続けてもいいかなと思えたが。
私の場合は布面積が少なく、肌に張り付いて体のラインを浮き彫りにし、外に見せつけるかのようにピッチピチなのだ。おまけに胸やお尻が他の魔法少女と比べて、かなり大きめサイズなので、少し動くだけでプルンプルンと揺れてしまう。多分ノーブラだろう。
「では、今後一切魔法少女としての活動はしないのですか?」
「んー…近くに魔物が現われた時ぐらいは、変身する…と思う?」
最初はこのまま引退するつもりだった。そして今も魔法少女を止めるという方針は変わっていないが、大葉アナに言われて目の前で無残に殺される人たちの姿を想像してから、妙に心がざわついてしまっていた。
なので万が一、億が一で私の周囲で厄介事が起こった時ぐらいなら、魔法少女に変身して、微力ながら協力してもいいかなと思った。もっとも、そんな機会は一生来ないだろうが。
「ふふっ、安心しました。黒猫ちゃんはとても優しい女の子のようですね」
「私が? でも人に優しくしたことはない」
「それは黒猫ちゃんが、自分の心の内に気づいてないだけですよ」
表立って人を助けたのは今回が初めてだが、それは恩を返すためにやったことだ。日常生活でも他人に手を差し伸べたことはない。つまり私は決して優しくないのだ。
それに最近になってから、妙に心がザワザワしたり、ホッコリ温かかったりとおかしなことだらけだ。しかし私では制御が出来ないので、煩わしいといったらない。
そんなことを考えていると、いつの間にかスタッフが終了三分前というプラカードを掲げているのが見えた。
「黒猫ちゃん、本日は独占インタビューに応じてくださり、ありがとうございました」
「どういたしまして」
インタビューが長かったのか短かかったのかはわからないが、割といつも通りの受け答えが出来たので、ホッと胸を撫でおろす。
「黒猫ちゃんは今回限りで魔法少女を引退とのことで、とても寂しく思っています」
「ごめんね」
「あっ謝らないでください! ああもうっ! やっぱり最高に可愛いです! とっ…ところで黒猫ちゃん」
「何?」
二分、それが黒猫の魔女の残り時間である。その後は魔法を解いて普通の女の子に戻るのだ。そんな私に大葉アナが真剣な表情で問いかけてきた。
「私、黒猫ちゃんのファン一号になってもいいですか?」
「さっきの話? 私は魔法少女は引退するから、後は大葉さんの好きにすればいい」
後は野となれ山となれだ。今後は一切活動しないため、私のファンもきっと大葉さん一人だけだろう。
「でも今日ここに、黒猫の魔女がいたことを覚えていてくれる人が、大葉さんだけでもいてくれると。今は少しだけ嬉しい」
「くっ…黒猫ちゃん! うわああああああんっ!!!」
別に苦しくはなく、魔法少女を引退出来てむしろ嬉しいはずなのに、私の目からは涙がポタポタと溢れてしまう。心が不安定になってしまい自分は今、笑っているのか悲しんでいるのか、それすらわからない。
「たった一日だけの魔法少女だったけど、色んな人と関われて、皆親切にしてくれて、人生で初めてファミリーレストランにも来れて、本当に楽しかった」
「酷いよ! こんなのってないよ! 私こそ、独占インタビューさせてくれてありがとう! うぅ…お相手は大葉チズルと…」
「…黒猫の魔女」
その言葉を最後に私の最初で最後の独占インタビューは終わった。相変わらず涙が止まらないけど、石川君がそっとハンカチを差し出してくれたので、目元を拭いてついでに鼻水もかませてもらった。
周りの番組スタッフや魔法省の関係者も私や大葉さんに共感されたのか、もらい泣きをしているように見える。ファミレスの店員や外の人たちも何だか酷い有様である。色んな意味で酷すぎて直視したくない。何故か泣きながら黒猫ちゃん、引退しないで、と叫ぶ人たちが、大勢でファミレスを取り囲んでいるのだ。
「帰る」
「黒猫、それはいいがどうするんだ? 店の外はあの有様だぞ?」
確かに店の外は興奮した大勢の人たちに囲まれており、もはやアリ一匹通れそうにない。この包囲を崩すのは難しいだろう。しかし引退したとはいえ、私は魔法少女なのだ。
「押し通る」
まずは魔法省の案内で駐車場に停めていた黒猫バスに一時的に同期して、ファミレスの上空に呼び出すべく命令を送る。
空を走らせるその前に、体についた水滴を払うようにブルブルと身を震わせて、それに合わせて魔力も軽く放出し色んな機材を全て落とす。魔法で破壊してもいいのだが、黒猫バスを無許可で調べたがる気持ちはわからなくもない。
それに近くに大勢の人もいるので、下手に大きく動くと余計な被害が出てしまう。
扉や窓は閉まっているので人や物が中に入ったりはしない。両目のライトをつけて、黒猫バスを空に浮かべて魔法障壁を展開する。あとは障害物を自動で避けて移動するため、オートモードでも十分だろう。
黒猫バスとの同期を解除し、ファミレスの中を見回し、私にしては大きな声を出す。
「今から入り口から堂々と出て、卯月家に帰る。付いて来れない人は置いていく」
返事を聞かずにファミレスの入り口に向けて手をかざす。別にポーズをとる必要はないのだが、繊細な魔法はこうしたほうがイメージしやすいのだ。
そのまま私とその関係者のみが出入り自由の黒い半透明の魔法障壁を、入り口にくっつけるようにして出現させ、魔法で作られた四角柱をゆっくり上下左右に広げていく。
外の状況は詳しくはわからないが、壁に押し出されるように人の波が引いているようだ。戦車の突進さえ弾き返すオーガを轢き殺しても、全く微動だにしなかった魔法障壁だ。
人を強引に遠ざけることぐらい簡単に出来る。
「んっ…そろそろ? ごちそうさま。ハンバーグセット、とても美味しかった」
最後に店員一同に深々と頭を下げてから、私は背を向けて入り口へと向かう。石川君や卯月家の家族、そして魔法省の関係者が、まるで魔女に仕える従者のようにゾロゾロと付いて来る。
ファミレスの扉を開けると、黒くて半透明の広々とした四角柱の魔法障壁の外に、大勢の人たちが一人の例外もなく私を見つめていた。思わずうっ…っと、数歩後ずさりそうになったが、日常生活で培った強靭なメンタルで、辛うじて耐える。
外の人たちが何か言っているようだが聞こえないふりをして、全員が四角柱の中に入ったことを確認した後、ゆっくりと上昇させる。
ファミレスの上空にはアイドリング状態の黒猫バスと、周りを飛び回るいくつかの報道ヘリの姿が見えた。
「乗って」
黒猫バスに長方形の入り口を開けて、そこに魔法障壁をピッタリとくっつけて穴を繋げる。下にいる人たちは皆こちらを見上げており、報道ヘリはカメラを片手に司会の人が大声で何かを喋っている。
私はそんな中で堂々と黒猫バスに乗り込み、運転席に座る。他の皆も黙って後に続いてくれた。全員乗り込んだようなので、四角柱の魔法障壁を跡形もなく消滅させて、黒猫バスの長方形の入り口も元の猫毛の壁に戻すと、私たちに向かって何かが近づいて来ることに気づいた。
「危ない」
これから黒猫バスを動かそうとした所で、報道ヘリの一台が急に前方に飛び出してきたのだ。しかもかなり近い位置を飛び回っていて、このまま動かすと黒猫バスは無傷でも、避けようとした目の前のヘリがかなり危険になる。
どうしたものかと、チラリと事情を知っていそうなユリナちゃんの両親に視線を送る。
「あれのヘリは大葉さんの局とは別の報道機関だね。強引な体当たり的な取材を行っていることで有名だよ。きっと喉から手が出る程、ヤミコちゃんの情報が欲しいんだろうね。
いやはや、大人気魔法少女は辛いね」
そんな人に好かれても嬉しくないので、謹んでお断りさせてもらいたい。かと言って強引に発車することで目の前のヘリが操縦をミスしたら大惨事だ。このままでは埒があかないので、何らかの手段を講じる必要がある。
「退いてもらうように頼む」
少し前に複製したテレビのリモコンを当てずっぽうで押し、一発で目の前のヘリの生中継をフロントガラスに映し出すことに成功する。
続けてクラクションの機能を拡張して、黒猫バスの口から車内マイクの声を外に伝えられるように適当に設定する。
一先ずこちらから説得する前に相手の目的を知らないといけないと考え、フロントガラスに映る中年男性レポーターに注目する。
「ただ今現場上空です! 見てください! 今、黒猫バスは我々のヘリの正面を飛んでいます!
あの中には大勢の魔法省の役人、そして魔法少女二名が乗り込むのを確認しました!
彼女たちは一体何処に向かうのでしょうか!」
黒猫バスは最初の位置から動いていないので、そちらが私の正面を飛んでいるというか、思いっきり進路を妨害している。取りあえず車内マイクを手に取り、目の前の報道ヘリに向かって言葉を投げかける。
「そこの報道ヘリ、黒猫バスが出せないから道を開けて」
黒猫バスの口から正面のヘリに向かって、私の言葉がそのまま伝えられる。ここまで大声なら絶対に届くはずだ。当然地上にも聞こえてしまうだろうが、些細な問題である。
その証拠に、動揺にしたように中年男性レポーターは声を荒らげる。
「聞こえましたでしょうか! 今、黒猫の魔女ちゃんから、我々に向けて語りかけてきました! どうやら彼女は私たちと話したがっているようです!」
こっちは黙って退いて欲しいだけで、話したいわけではない。このままではいつまでたっても家に帰ることが出来ない。どうしたものかと考えていると、何故か向こうから要求があった。
「黒猫の魔女ちゃん! 聞こえていますか! 私はここです! こちらはいつでも会話に応じる用意があります!」
フロントガラスのレポーターが、興奮気味にツバを飛ばしながら叫んでいる。どうやら何が何でも黒猫バスの進路妨害を行うつもりらしい。私は全く進展しない事態に面倒そうな表情を隠さずに、何か解決のヒントはないかと探していると、私のすぐ後ろの席を定位置にしているユリナちゃんが声をかけてきた。
「何か他のヘリの動きが変じゃないですか?」
ユリナちゃんの言う通り、黒猫バスの周囲を飛び回っていたヘリの何台かが、一箇所に集まってきている。フロントガラスに映っている男性レポーターも気づいたのか、露骨に嫌そうな顔をしている。
もしかして私と直接話せると思って、皆正面の位置を確保しようとしているのかな? でもそれって危険なんじゃ。
「ああっ! 危ないです!」
あわやヘリとヘリとか正面衝突寸前だ。ユリナちゃんも思わず手で顔を覆う。何とかギリギリで回避したものの、バランスを崩してフラフラ飛行している。それどころか他のヘリを避けようと無理な軌道を描いてしまい、何台かのヘリがバランスを保てずに住宅地に向かってゆっくりと落下していく。
「面倒」
このままだと地面に叩きつけられて、パイロットと撮影スタッフだけでなく、下にいる大勢の人たちも巻き添えになってしまう。他人のせいでそうなるのは仕方ないが、私のせいで大惨事は嫌だ。
幸いなことに落ちていく数台のヘリは、人口密集地から少しだけ離れていたので、真下の大きな公園に魔法を使う。
「何の木かはわからないけど」
すると公園の中央付近に黒い種子が芽吹き、数秒かからず巨大な黒い大木に成長した。
その巨木は、まるで意思を持っているかのように目標に向かって枝を伸ばしていき、落下する何台ものヘリの全てを、優しく包み込むようにしてそっと受け止めると、黒色の桜のような蕾が次々と咲き出し、やがて美しい花が全体に広がり、夜の町の電灯に照らされる中で満開となる。
混乱するヘリの搭乗員は置いておいて、ローターの回転が完全に止まったことを確認した後、私のそのまま黒い木の枝をシュルシュルと伸ばして、全ての落下したヘリを公園の広場に順番に降ろしていく。
それが全て終わったことを確認して、軽く息を吐いて魔法を解除すると、まるで黒い大木など最初からそこにはなかったかのように、夜の闇にかき消えた。
「今度こそ帰る」
もう進路妨害するヘリはなくなったので、私は車内マイクの電源を切り、フロントガラスにテレビ番組ではなく3D地図を表示させて、黒猫バスのアクセルを踏んで卯月家に向かう。
その途中で帰りの目的地を知っているならオートモードでもいいかもと気づき、矢印マーカーを立てて自動操縦に切り替える。
報道ヘリも無事に振り切ったようで、これ後に黒猫バスが止められることはなかった。
途中でユリナちゃんが先程の魔法が気になったのか、質問が飛んできた。
「ヤミコちゃん、さっきの魔法は?」
「初めて使ったから名前はつけてない」
「はっ…初めてでアレですか」
ユリナちゃんだけでなく、他の人たちも明らかに驚いている。魔法少女の使う魔法は詠唱を必要とせずに、願うだけで発動する直感的な魔法だ。使った本人の予想だにしなかった効果を発揮することも多々ある。
同じ属性の魔法少女でさえ似たような効果であっても、全く同じ魔法は二つとないのだ。しかも地水火風の四属性ではなく、上位と呼ばれる光よりも圧倒的に希少で影の薄い闇属性である。
そんな事情もあって先程の黒い木は、黒猫の魔女の完全なオリジナル魔法ということになる。ユリナちゃんが知らないのも無理はない。そして初使用だったため私も知らないのだ。何となくこうなればいいなという願いでとっさに発動させた、驚くべき適当さである。
「好きに呼んでくれていい」
黒猫の魔女もユリナちゃんがつけた二つ名なので、今回もパパっと決めてくれるだろうと、そう思っていたのだが予想と違ってしまう。
「ええと、ヤミコちゃんに相応しい魔法名は…」
「安藤、黒竜樹という名前はどうだ? 格好いいだろう?」
「いやいやタツヤ君、ここはやはり壮大なユグドラシルで決まりでしょう?」
「貴方たちはわかってないわね。可愛らしい響きのチェリーウッドがいいわよね? ねえ、ヤミコちゃん」
てっきりユリナちゃんがすぐに決めると思っていたのだが、その両親と石川君が口を挟んできた。と言うか、よく考えたら今回は誰も指名していなかったことを思い出した。
そのことを悔やんでも時既に遅く、目の前の四人だけではなく、魔法省の関係者も自分の考えた名前が正式名称になるんだと、張り切って議論を白熱させてしまい、もはや収拾のつかない状態になってしまっていた。
結局黒い木の魔法の命名会議は卯月家に着くまで続き、話し合いでは決着がつかずに最終的にはジャンケン勝負となり、二度と使う予定のない魔法の正式名称は、チェリーウッドに決定した。
卯月家に車を出してもらって安藤家に到着する頃には、日が変わる直前となってしまい、合鍵で玄関を開けて家族の皆が寝静まっているなか、私は足音を殺して自室へと戻る。
今晩は卯月家に泊まっていきなさいと、やたら熱心なお誘いを受けたが、親に帰宅が遅れるとしか連絡を入れておらず、心配してるかもしれないからと丁寧に断った。
しかし家の電気が全て消えていることから考えても、現在三人はグッスリと熟睡中であり、こんな時間になっても連絡一つ入れないことから、やっぱり娘の自分のことを全く心配してないというより、気にも止めてないんだなと、この気持ちは何度も味わったはずなのに少しだけ物悲しく感じ、モゾモゾと自室の布団の中に潜り込む。
私は溜め息を吐き、朝食の下ごしらえが出来なかったので、明日は早起きして一から作らないとと思いながら、ゆっくり目を閉じたのだった。